番外編1 ミモザの日

 レンガ造りの街並み。

 窓際から見える景色は自分には刺激が強いので、いつもその景色に満足していた。

 空が白から青に、青から茜に、茜から闇に変わっていく様子はそれだけで情緒あふれるものである。

 と、そう自分に言い聞かせる。

 僕は外に出ることが出来ない。

 窓枠に頭を乗せて太陽の光を浴び、光合成に勤しむ花だから。

 イタリアという国は、窓辺に花を飾ることがよくあって、自分はいつもその一つに紛れるようにして窓際にいた。

 “花のフローリスト”と呼ばれる、花の頭を持つ種族。それが自分。中心に自身の花を持ち、その周りを定期的に摘んできた花でいっぱいにして光合成を助けてもらい栄養を補う。一見すれば、人の身体に花束を乗せたような見かけ。

 “花の人”は世界に少ない絶滅危惧種だった。見付かった花がバラバラにされたり研究材料にされたりという話はよく聞いたし、実際に一度見たこともある。特に自身の花は絶対に盗られてはいけない。他人が盗ると、人として大事なところを無くしてしまうと言われている。だから誰にも気付かれないようにこうして隠れて過ごさなければいけないのだ。

 毎日特にすることが無いので暇といえば暇だけれど、人の様子を見ているだけで飽きることはない。

 三輪車で花を売る男の人。

 急いでどこかへ歩いていく女性。

 ピンク色のベビーカーを押すお母さん。

 中々来ない彼氏を本を読みながら待つ少女。

 そんな人たちの姿を見ているだけで、人と繋がれた気になれた。

 盗み見るようだったけれど、たまにこちらに気付く人もいる。

 その日もいつも通り窓枠に頭を置いて、日向ぼっこをして街を眺めていた。

 窓は丁度広場に面している。向かいには教会も立っていて、待ち合わせ場所にされることもある場所だ。

 ここへ決まった時間に三輪車で花を売りに来る花屋のお兄さんがいる。普段は一人で花を売っているのだが、今日は一人ではなかった。小さな女の子が、お兄さんの服の裾を持って付いてきていた。目元がお兄さんに似ているので、どうやら子どもらしい。年は五歳くらいになるだろうか? 今日から花屋デビューなのかもしれない。

 見慣れない場所にキョロキョロと視線をさ迷わせていて、その瞳が不意に上を向いた。

 自分は驚いて思わず家の中へ隠れようと動いてしまう。だから、余計に花ではないということがバレてしまった。どんくさいところは自分の悪いところだ。

 少女は目を丸くして、胸を湧かせたのがここからでも分かった。

 このままではお兄さんに自分のことを話されてしまうと思い、人が口許に人差し指を当て「シー」と静かにする仕草の真似を女の子に向かってした。すると女の子はすぐに合点がいったようで、秘密を確かめるように同じように人差し指を口許に当てた。

 二人の間に生まれた隠しごと。

 突然降って落ちてきたようなこの関係が、自分にはこの上なく嬉しかった。





 それから女の子は事あるごとにこちらを向いて、僕を見掛けるとと小さく手を振る。

 僕はといえば、同じように控えめに手を振って、その動作に応えていた。

 いつか、こんな上からではなくて女の子と同じに立ってみたい。間近で女の子のあの真ん丸な瞳を見てみたい。

 せめて手を伸ばしたい。見付かったら、下手をすると二度と女の子に会えなくなる可能性だってあるから、絶対にしないけど。

 おじいさんが帰ってきた。

 一緒に住むおじいさんは、朝の決まった時間にどこかへ出掛けて、昼の決まらない時間に帰ってくる。今日はまだ日の高い、おやつの時間に丁度良さそうな時間だった。

「明日はミモザの日だねぇ」

「うん、そうだね」

「ミモザは好きかい」

「好きだよ!」

 なら良かった、と微笑んでおじいさんはキッチンへ行ってしまった。

 ミモザの日、というのは三月八日に感謝の気持ちを込めて花を送る日のことだ。

 ミモザの日の当日、毎年おじいさんは感謝を込めてミモザの花をくれる。

 今日は頭にガーベラやカスミソウやアイビーなどの花を貰い、いつも通り花束のようにして頭に挿していたが、明日はたくさんの黄色い花で彩られるのだ。





 早朝の人がいない時間ならば、自分は外に出てもいいことになっている。

 滅多なことが無い限りそれもなるべく控えるようにと言われていたが、今日はなにせミモザの日。おじいさんは毎年のように僕に花をくれるだろうけれど、僕がおじいさんに渡す分は僕が自分の手で調達しなければいけない。

 自分がこの街で唯一知る道を辿ると、着いたのは短い芝の開けた公園。もっと奥に行けば、小魚の泳ぐ池もあるが今日は奥までは行かない。青々とした野原の真ん中には、ミモザの木が黄色い花を満開に咲かせていた。僕は毎年、この木に花を分けてもらっている。

今年も同じように花をもらい、一本一本自分の頭に挿していく。

 今日は人から人へ感謝を伝える日。

 だから少女にもミモザをあげたいが、それは出来ないことなのだろう。自分は日中は街に出てはいけないから、女の子と顔を会わせるなんて不可能な話。

 今、奇跡的にバッタリ会ったなら、この花を渡せるのに。そう思ったけれど、帰りは行きと同じく誰もいない道を一人歩いただけだった。

 頭に満開の花を摘みすぎたせいでちょっと重くて、その重みは同時に嬉しさの重みだった。

 家に帰ってくると、おじいさんは僕のことを待っていたようでミモザの花を持っていた。

「いつもありがとう」

 おじいさんはそう言って、僕の頭の奥深く、大事にしている自身の花の隣という特別な場所にミモザを挿した。

「こちらこそ、ありがとう」

 僕も頭から一本、とりわけ綺麗に咲いたミモザを手に取っておじいさんに差し出した。おじいさんは深く花の匂いを胸に入れ、花瓶に生けておじいさんの書斎に飾ってくれた。おじいさんの大事な場所の書斎を彩れて、自分は嬉しくなった。

 それからおじいさんはすぐに出掛けてしまった。ああ見えて、おじいさんは忙しいのだ。

 いつものように、窓枠に頭を乗せる。

 日が上るにつれて広場は次第に活気を増してきて、いつもの時間に花屋の三輪車がやってきた。

 今日は花屋の三輪車もミモザがたくさん。花屋の二人にとってかきいれ時でもあるから、お兄さんも女の子も弾むような足取りだった。

 お兄さんと女の子が、街行く人に花を勧める。

 急いでどこかへ行く女性は今日も余裕なく殺伐とした表情をしていたが、花屋のミモザを見た瞬間ふわりと笑ったのが上からでも分かった。もしかしたらミモザの黄色に何か素敵な思い出があるのかもしれない。

 女の子は通りがかったベビーカーの赤ちゃんの頭に、売り物にならない折れてしまったミモザを髪飾りにしてあげた。初めて貰う黄色い花に、赤ちゃんは興味津々で花の在処を小さな手で探す。

 本を読んで誰かを待つ少女には、栞の代わりにと花を本の隙間に差し入れる。次に開いたときには押し花になっていることだろう。

 そして女の子はミモザを手に持って、こちらを向いて高く上へと掲げてくれた。少しでも自分に近付けるようにと、高く高く背伸びをして掲げてくれた。

 女の子は自分にもミモザをくれたのだ。

 送ってくれたなら、送り返さないと。

 思い付きはすぐに実行に移される。

 ミモザの日は、感謝の気持ちを伝える日。

 自分の頭から枝を引き抜き花だけをちぎる。それを適当な籠に入れていく。

 一本一本丁寧に。

 山になったところで、それを持って窓際へ。

 最後にやることは一つの動作だけなのに、小心者の僕は躊躇している。すると丁度風が吹いて大量のミモザの花が空に舞った。

 青空の下に、ミモザが踊る。

 一つでも、少女の元に届きますように。

 その願いは叶えられて、黄色の花弁がくるくると舞い落ちて、少女の頭に落ちた。こちらを向いたのを確認する。

 目が合って、微笑んで。

 自分は胸がいっぱいになった。

 他の人がミモザの雨に気付いて上を見上げたから、隠れるように部屋に入った。

 だって自分は見付かってはいけない。

 三輪車で花を売る男の人。

 急いでどこかへ歩いていく女性。

 ピンク色のベビーカーを押すお母さん。

 中々来ない彼氏を本を読みながら待つ少女。

 その人達にもミモザは届いただろうか。

 自分はいつも皆から色んな感情を貰うから、そのお返しを皆に出来ただろうか。

 自分の奥の方に挿していた、おじいさんから貰ったミモザを手に取る。自分が摘んだのと同じようでいて、特別な花。

 感謝の気持ちは、黄色い色をしている。

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コトノハナ 2121 @kanata2121

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