最終話
懐かしい記憶に浸る。俺はいつも通り店を開ける準備をしていて、リコルドはレジの前に座って様子を見ていた。
「フローリスト?」
「そうだよ。お花屋さん」
作業をしながら、幼い声に答える。
今朝は市場に行っていたので、仕入れた花の水切りをしていた。花の種類によって、それに合わせた処置を施していく。
「花が、喜んでる」
「そうなの?」
「うん」
「リコルドが言うと、説得力があるね」
花頭の君は、花の気持ちも分かるのかなと、自然に納得した。端からそう見えたのならば、花屋として心底嬉しいことだ。
どうやら今日のリコルドは機嫌が良いらしい。だから、前々から思っていたことを、口にした。
「ねぇ、いいこと思い付いたんだけど」
「なに?」
「君の……父親になってもいい?」
言葉を無くし、戸惑いが伝わった。俺は手を拭きレジの前に行って、リコルドと顔を合わせる。
「変な話だと思うんだけどね、君がいいならなんだけど。いやけどやっぱり、おかしいか。俺って誘拐犯みたいなもんだし、君とは種族も違うし、そんなのおかしいのは俺だって分かってるんだけど……」
罪滅ぼしのために、だなんて言えないけど。お前を育ててくれた人の真似をしたら、何か分かるかなとか思っただけ。やっぱり自分勝手、だよな。
「やっぱりごめんなんでもない聞かなかったことに」
「良いですよ」
「して………え?」
あいつは見上げるようにこちらを向いていた。
「いいの?」
「父さん、って呼べばいいですか?」
こちらを向いて、首を傾げる姿には、敵意というものがまるでなく、仕方ないなぁと受け入れてくれるような雰囲気があった。
これが人ならどんな表情かなんてすぐに想像できそうなほど、素直に頷いてくれた。
「良いのか?」
「提案した方がなんでそんなに疑心暗鬼になってるんですか」
「なら……良かった。よろしくな、リコルド」
頷いて、リコルドは頭に手を上げる。一輪の花を手に取って、プツリと茎を折る。
「よろしくお願いします、父さん」
花を持つ手は俺の頭に伸びてきて、されるがままにしていると小さな手は花を耳元に差してくれた。その行動に目を丸くしていると、リコルドは微笑む。俺も嬉しくなり、つられて笑う。
リコルドの頭はこの関係になったことを祝うための花束にも見えた。
「――なんでみんな拐おうとするんですかね?」
思いもよらぬ突然の問いかけに、俺は自然と眉間に皺が寄った。現実に引き戻すリコルドの言葉に、俺の顔はひきつる。
「洒落にならないことを……」
なぜ俺にそんな問い掛けをするのだ、と毒突きたいところだが、そんなことが出来る立場ではないので自重する。
「キレイだからだろ」
吐き捨てるように言った言葉はちゃんと届いていないのか、それとももっとちゃんと答えてくれと言いたいのか、リコルドからの視線が逸れることは無かった。
「誰のために咲くでもない花が、自分のためだけに咲いてほしいと思ったからだろ」
その視線にいたたまれず一息にそういえば、驚いたように花が揺れた。
「……父さんはそう思ったの?」
聞かれて初めてこっぱずかしいことを言っていることに気付く自分をいい加減どうにかしたい。
口を突いて出た言葉が本心であることに間違いはなく、しかしそれをはっきりと肯定する程の度胸も俺にはない。
「……さーな」
目を逸らしつつ流すと、リコルドは何が楽しいのか嬉しそうに笑う。
どこか悔しく思いながら、話を続けた。
「だって、花は別に何かのために咲いている訳ではないだろう?」
「うん、そうだよ」
共感を求めるように語尾を上げると、ハッと思い付いたようにまた花が揺れる。
「なら、逆に僕が誰かの為に咲きたいと思うのはいいのかな?」
弾む声は「世紀の大発見をした」とでも言うようにウキウキとした気持ちがこちらにまで響くほど、嬉しさに満ちている。
誰かの為に咲きたい。
そう思える人が出来たのか、と息子の成長に熱くなる胸を感じながら、とある彼女の姿を思い浮かべた。
「そりゃもちろんいいだろ。意志があって自ら動けるお前にはそれが出来るんだから」
俺の言葉を聞いて、リコルドは満足げに花を揺らした。
その姿に、今ならなんでも聞いてくれるかななんて、甘い考えがよぎった。よぎってすぐ、酒でも飲んで舌が饒舌に動いているときのように、思い付いた考えはすんなりとそのまま言葉にして吐き出していた。
「なぁ今まで聞きにくかったんだけどさ、お前って今幸せ?」
「何言ってんの突然!?」
肩を揺らし、不満げに声を上げる。
たまには、ダメだろうか? と顔を覗き込めば、バツの悪そうな表情を見せる。
「答えてくれない?」
「答えにくいに決まってるじゃん!」
「俺はお前がこうしていてくれて、幸せだなって思ってるんだけど」
「は!?」
「どうなのよ?」
「……幸せ、だよ。満足? これで満足?」
そうか、と俺は照れたリコルドに微笑む。
それを聞けたなら、それで良いと思った。昔のことを恨まれたままでも、今そう思ってくれているのなら――
「父さん、昔のことまだ引きずってる? 俺を無理矢理こっちに連れてきたこと」
「あー……」
見抜かれている。勘が良い、というかなんというか。
煮え切らない声を上げつつ目を逸らすと、それを拒むようにリコルドは語気を強くする。
「分かるよ。何年親子やってると思ってるの?」
「んー十年?」
案外長く一緒にいるものだと、口に出して初めて自覚した。約十七才のリコルド。リコルドの人生の半分以上を、俺は共に過ごしている。
「この際だから、聞きたくないとか言われても言っちゃうけど」
その前置きに、ドクンと心臓が脈打った。早鐘を打ち、痛む。目眩がするくらいに一瞬で沸き立った血は、指先を身体を細かく震わせた。
――きっと大丈夫って、どこかで分かってるのにな。
「あのときは、ほんとに嫌だったよ。今でもおじいさんがどうなったのか、気になるときもある。けどね、今のこの生活があるのは、最初に父さんが善意で僕を助けたいと思って連れてきてくれたからだし、僕をこうして一人の人として外に出してくれたからだから」
一拍、間を置いて。
「僕は父さんに感謝してるよ」
息をゆっくりと吐き、頷くことで相槌に代える。荒い脈が次第に落ち着いていくのを感じた。
目を閉じると、初めて出会ったときのことが思い出される。それからの、日々。泣き叫ぶリコルド。花を貰い、父になるという申し出を受け入れてもらった日。花を通じて、過ごした日常を。
あのときは、大変だったけれど。
そういえば、そうだな。
お前はいつからか笑っていた。
「あとね、父さんのそのたまに出るロマンチストな恥ずかしい発言とか、涙もろいとことか似たし」
「お前なぁ……」
今まさに目頭を抑えて堪えている身にもなれ。それでも眦に浮かぶ雫を、お前はどうしてくれる。
「だから泣かないでって言いたいんだけど」
「……嬉し泣きだよ」
「ならいいや」
おもむろに、リコルドは頭に手を伸ばす。俺がその姿を見るのは、二回目。
「血の繋がりとか、種族の違いとか、そういうはっきりとした違いってあるけどさ」
二本の長い指で、プツリと枝を折る。手折られた花は、リコルドの頭から離れても尚、変わらず美しさを保っていて。
「それを越える物が、あるんだろうなって」
その花に両手を添えて、ゆっくりと顔の前へと差し出し。
「見えなくても、曖昧かも知れないけど、はっきりと確実にあるんだろうなって」
そして、はにかみながら言うのだ。
「そんなことを、思うんだよ」
手から手へ、花を受け渡す。
微かに触れた指先。あのとき幼くて小さかった手も、今では花を包み込める程の大きさになった。
大変で、忙しくて、悩んで、目まぐるしく過ぎる朝と夜の繰返し。どうやら思っていた以上に長い時間が経っていたらしい。
「ね、父さん」
そんな甘い声が、自分の頑なになっていた心を融かしていく。融けた心は閉じた瞼の隙間から溢れ出て、頬を伝って水になる。
お前は、初めて花をくれたときからずっと『父さん』って言い続けてたのにな。素直に受け止められなくてごめんな。
それと。
言いたいことはもう一言あったが、のどが詰まってうまく言えないらしい。口を開いても、涙に邪魔されて声にならない。
代わりに俺は貰った花を自分の頭に差して、「な?」と一文字だけ放った。
お前の目には、これまでの俺の姿はどう写っていたんだろうか。
目を開ければ滲んだ姿のリコルドがいる。
とても幸せそうに笑っていた。
***
春が近付いてきているらしい。蕾が膨らみ、風は色付き、季節の訪れを予感させる変化が起こり始めている。
リコルドくんはしばらく安静にしていたら落ち着いたらしく、二週間程経ってから仕事に復帰した。
顔を合わせると、襟を掴むリコルドくん。どこか照れているようにも見えた。
「もう大丈夫?」
「まだ少しダルいけど、大丈夫ですよ」
花を揺らして、首肯する。
「気温が上がり始めているから、花もまたすぐに咲きそうです」
手に持つ花を、持ち直す。いつものように、まずはチャペルに飾るユリの搬入から。
「ウォーターリリーは分かりそうで分からなかったわ」
「てっきりすぐに気付くものと思ってました」
「私の頭が足りてないのね」
今考えればヒントはたくさん出ていたのに、私に答えを導くことは出来なかった。しかし実際に花を見れば分かる。凛と咲く睡蓮は、彼に何よりお似合いだ。
「睡蓮の花言葉はなんなの?」
「“清純な心”、“信頼”、“純情”とかいろいろありますよ」
「へぇ、“純情”」
「な、なにか」
「なんでもなーい」
悪戯っぽく笑えば、彼はやむを得ないと言うように息を吐く。
「けど、僕たち“花の人”は別に花言葉がありますよ」
「別?」
「“永遠”です」
「永遠?」
「そう、“永遠”」
聞き返せば、もう一度彼は自らに付けられた花言葉を口にする。
「理由は二つ。頭に咲き続け、切っても愛でる人がいる限り枯れない花を持つこと。もう一つは“花の人”の噂に由来します。死んでも土に埋めたら新しい個体が出来ることがあるらしい。何度も生まれ変わり、死と生を繰り返すのならば、僕たちは“永遠”を持つ種なのではという噂」
チャペルに到着し、花を下ろして腕をまくる。
「僕の知る限り、過去の記憶は引き継がないようですけどね」
そう嘯いて、彼は作業を始めた。
「あんなにキレイな花なのに、隠しとくなんてもったいない。けど取られたら困るもんね」
“花の人”はただでさえ人目を引くのだ。興味本位で何かをしようとする人なんてたくさんいるだろう。花を晒しておくなんて、自殺行為。だからいつも花の奥の奥に隠している、とてっきり思っていたけれど。
「別に人に取られるから、という理由で隠しているわけではないですよ」
「違うの?」
サラリとそう言う彼は、順番にユリを定位置に装花していく。
「誰だって、心を見られたくは無いでしょう?」
続けてそういう彼に、私は手を止めて瞬くと、私の視線に気付いて彼の手も止まった。
「? 僕変なこと言いました?」
「ううん、なんでもない」
彼は一度首を傾げて、すぐにまた作業に戻る。
確かに心は誰にも見られたくはない。親しい人に少し見せることはあっても、誰にでも見せるものではない。
自らの花を“心”と呼ぶ。
そんな大事な物を彼は私にくれたということに改めて気が付いて、私の胸は熱くなった。
少々のブランクがあっても、彼の動きは以前とさほど変わらない。ダルいとは言っていたが、支障の出ないくらいには回復しているらしい。
搬入を終え、私の側に彼は立つ。
チャペルは白いユリによって、艶やかに彩られていた。
「チェック終わりました?」
「うん、終わった。ねぇリコルドくん」
見上げれば、彼の頭がすぐそばにある。
「前にも聞いたけど、君がこの結婚式場に花を飾るなら、どんな花にする?」
ゆっくりと、式場を見渡す彼。
「それ、しばらく考えてたんですけど」
そうだなぁ、と襟に触れ指先がリボンと遊んだ。
「ヴァージンロードって人の人生の道を模しているんですよね?」
「そうよ」
一歩、彼は足を踏み出した。
「本当に飾ることを前提にしなくてもいいんですよね?」と先に前置いて。
「じゃあ、始めは青い花。白でもいいでしょう。人が生まれたときは、大きな声で泣くらしいので、そのイメージを」
ゆっくりと歩を進め、腕を広げて場所を示す。
日向さんは、出会った当初彼の花は色も薄く青みが強かったと言っていた。何も知らず無邪気に純粋に、何も知らなかった彼。
私は彼の後ろを付いていく。
「次は緑色。小さな足で、草原を駆ける感じ。小さな頭を出した若葉が風にそよぐように」
スキップをして、前を行く。
泣いて、学んで、悩んでも、着実に前へと進む。いろんな事があって、いろんな人に出会って、育っていって。
「そして黄色。天真爛漫な、太陽の真下で日差しを身体で受ける少女のように」
手を広げ、くるくると回る。
いつも明るくて、起こったことを受け入れて尚、彼は太陽の下で眩しく笑う。
「ここはオレンジ。少し大人になって、複雑な気持ちを知っても尚、明るくいられるように」
真っ直ぐに気持ちのまま、躊躇いながらも素直に表現しようとする。
「最後は赤とピンクの花にしましょう。ガーベラやリナリア、ポピーでいっぱいにします。差し色に黄色のミモザがあっても悪くないですね。つぼみの真っ赤なバラも合うかも知れません。――いろはさん」
私も想像しながら道を歩く。
人の一生を象った、この道を。
色の移り変わる、たくさんの花を。
脳裏に映るカラフルな、虹の花道を。
虹色の花に祝福される、そんな情景を。
皆の笑顔の側に寄り添う、花達を。
ステンドグラスの透かした明かりの下、彼がくるりと振り返ると目が合った。右手を出したのでその手を取ると、温かい手が優しく階段の上へと
「こんな感じで、どうですか?」
「リコルドくんらしくて、いいんじゃない?」
はにかむ私の頬に、彼の手が触れる。近付くとほのかに花の香りがした。たくさんの花や、色んな感情が入り混ざり、それら全てを詰め込んだ包み込むような優しい香り。
「今まで愛でられることはあっても、恋をされることはありませんでした」
彼を見上げると、今日もたくさんの花が頭に咲いている。
少し頭を傾けると、奥の花と花の隙間からつぼみがちらりと見え隠れする。
「僕の心はあなたのもの。あなたが僕を思ってくれるなら、僕は“永遠”を約束します。受け取ってもらえますか?」
いつからか、私は君に恋をしていた。
言葉を紡ぎ、思いを花に託す君。
彼の手に私の手を重ねて、ゆっくりと縦に首を振る。見届けた彼は、返事に満足したように花を揺らして優しく笑う。
春になったら咲くだろうか。想像したヴァージンロードを、一つにしたような虹の花。
「ずっと恋し続けて下さいね、いろはさん」
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