放課後のクミコ様

字幕派アザラシ

第1話 放課後のクミコ様

「ねぇ、知ってる? クミコ様から逃げる方法?」


 クミコ様は大きな車にはねられて全身バラバラになった女の人の幽霊だ。

 毎月命日にバラバラの体を寄せ集めて蘇り、ひとりで下校する女の子を殺しにやってくる。


 女の子だけが狙われる理由も殺されなきゃいけない理由も誰も知らない。


 だけど、クミコ様から逃げる方法だけは、ひとりで帰らなきゃならない「ぼっち」の女の子の間で知れ渡っていた。


「知らないよ。だって、いっつも皆で帰ってるから知らなくても平気じゃない?」


 リサはニヤニヤ笑ってる。何故か隣のミヅキもニタニタニタニタ。ヒナちゃんはどうしてか目を合わせないし、ココアはずっと髪の毛をいじってる。


「ダメなの。今日はハルカはひとりで帰らなくちゃいけないの。私もミツキもヒナもココアも一緒に帰れないから、クミコ様から逃げる方法を覚えなくちゃ殺されちゃうよ」


 なんでクミコ様の出現する日なのに一緒に帰ってくれないのか、何度聞いてもリサは答えてくれなかった。


 他のグループの子と帰ってもよかったけど、そうするともうリサ達のグループに戻ることができないっていう暗黙のルールがある。


 新しく入ったグループが肌に合うとも限らないから、今後の学校生活のためにリサ達と離れるのは得策じゃない。


 私はリサに渡されたクミコ様から逃げる方法のメモにしぶしぶ目を通す。


 ……仕方ない。今日だけこの方法に従って耐えてみよう。

 リサの気まぐれは前からだから、何を言っても無駄だから。


 ——四ヶ月前もクミコ様に殺された子がいるけど、実はクミコ様から逃げるチャンスは結構あるみたい。


 クミコ様に追いかけられても正しい逃げ道である「①ウサギの赤い看板」「②エッチな映画館の横道」「③手招きしてる招きねこ」のそれぞれで振り切ることができるってメモには書かれてる。


 ウサギの赤い看板、エッチな映画館の横道、招き猫……。

 ウサギの赤い看板、エッチな映画館の横道、招き猫……。


 あぁ……暗記は苦手なんだけどなぁ。


 追いかけられている時にメモを見なくて済むよう、掃除の時間もブツブツ呟いていた私に突然、ぼっち属性の同級生が話しかけてきた。


「あ、あの……赤じゃなくてあ……お」


 うわ、授業中でもないのに、こんな子の相手しなくちゃダメ?


 確実にカーストポイントが3くらいマイナスされた。 

 3ポイントも取り戻すには、またママに可愛いスカート買ってもらわないと。


 これ以上、カーストポイントが減らないようにオドオドしてて、なに言いたいんだか分からない目の前の子をスルーする。


 ほうきを「ウサギ、エッチ、マネキ」とリズムをつけて掃く私の背中をその子がずっと見てるのは知ってたけど、命と学校内の地位がかかっているので意地でも無視してやった。


 で、ついに下校時間がやってきたんだけど、さすがにクミコ様の日とあって周りにひとりぼっちの子が全然いない。


 あぁ、ひとりでいるって、なんだかとっても恥ずかしい。


 おまけにさっきの同級生が下駄箱でこっちをチラチラ見てるものだから、嫌な気分になって急ぎ足で帰ることにした。


 本当なら5人で道路いっぱいに横になって、ゆっくりと好きな動画の話なんかして帰るとこなのに、なんだかなぁ……。


 テクテク、テクテク。


 おしっこを我慢してる人みたいな早足で進んでる私の後を、同じ速度で追いかけてくる気配を感じる。


 テクテク、テクテク。


 あのぼっち、しつっこいなぁ……。


 買い物帰りのおばさんとか、ジョギングしてるおじさんとか、赤ちゃん連れてるママとかいる道だから、私は安心しきって振り返った。


「ちょっと、なんで追いかけてく——」


 うわっ⁈ うわっ⁉︎ うわっ⁉︎


 違った! クミコ様だ! 全身血塗れで、体はこっち向いてるのに、首を付け間違えたのか頭が後ろ向いてるクミコ様だ!


 気付けば、買い物帰りのおばさんもジョギングおじさんも赤ちゃんもママも、皆が私に頭を下げてる。


 一目で誰も助けてくれないって分かったから、クミコ様から離れるために駆け出すしかなかった。


 タッタッタ。

 タッタッタ。


 クミコ様はグチャグチャな足なのに私の全力疾走に平気で追いついてくる。


 は、早く! 看板! ウサギの! ウサギの看板どこ⁉︎


 いつの間にか私はいつもの通学路ではなく、来たこともない道を走っていた。


 夕陽がやけに赤く目立ってて、道端にカプセルトイがいっぱい並んでて、焦げ臭い匂いが漂ってくる道。


 道の先にようやくウサギの看板が見えてくる。


『八坂歯科医院 インプラント要相談』


『九十九ピアノ教室 1レッスン1000円から』


 んんっ⁉︎ 二股に分かれた道にそれぞれウサギの描かれた看板がある。


 歯科医院の文字が赤で、ピアノ教室の文字が青に塗られていた。


 あ、赤でいいんだよね⁉︎ 赤だったよね⁉︎ 間違いないよね!


 祈る気持ちで、向かって右の歯科医院の看板がある道へ駆け込む。


 正しい道だから、これでクミコ様を撒けるはずだけど。


 タッタッタ。


 ダメだーっ! 来てるよ! 全然いるよ! 怖いよーっ!


 振り返る度に距離が縮まっているから、もう怖くて怖くて頭がおかしくなりそうだった。 


 次! 次、なんだっけ⁉︎ 早く! 


 泣きながら走り続けると、古い映画のポスターがそこら中に貼られている道に入っていた。


 どうやら映画館がふたつあって、ひとつは『四季ロマンポルノ館』もうひとつは『シネマ三日月』という名前らしい。


 これはロマンポルノでいいはず! エッチなやつだから!


 たくさんの裸のポスターで覆われた木造の建物の狭い狭い横道に逃げる。


 グチャグチャグチャ。


 ……いやだ。……いやだよぅ。聞きたくない音が後ろからするよぅ。


 クミコ様が体を建物と建物の間に擦りつけながら追ってくるよぅ……。


 またしても私はクミコ様から逃げる選択を間違ってしまった。


 おまけにこんな狭くて逃げ場のない道に自分から入ってしまうなんて……。


 でも……なんかおかしいよね?


 怖さが極限に達すると、人は却って冷静になるみたい。


 清水みたいなサッパリした頭で考える。


 ……だって、私はリサに渡されたメモの通りに進んだのに、なんでクミコ様から逃げられないの?


 ぼっちの子達が毎月ちゃんと逃げきれてるってことは、そこまで難しいわけじゃないでしょう?


 狭さが逆にクミコ様の足を引っ張って、私はクミコ様との間に結構な距離を稼いでいた。


 暗い道の先に明かりが見える。ゲラゲラゲラゲラと誰かの笑い声がする。


 多分きっと、あれは手招きする招き猫の声。


 あ! 


 招き猫ロードに出る頃に、やっと私の思考にも明かりが差した。


 あぁ……そうか……。


 リサのニヤついた顔を思い出す。


 リサは私に死んでほしくて嘘を書いたメモを渡したんだ。

 クミコ様に殺してほしくて、私をひとりで帰るように仕向けたんだ。 


 リサの腰巾着のミヅキと、一番仲が良いと思ってたヒナちゃんと、本当は誰も好きじゃないココアの顔も浮かんでくる。


 リサの好きだって言ってたヒロが私の隣の席になったのが悔しかったのかな?

 それとも、私だけがナカジー先生に可愛いって言われたからかな?


 フッと、ぼっちの同級生が言いたかったことにも気付く。


 あの子、赤じゃなくて青の看板が正解だって教えてくれようとしてたんだ。


 スクールカースト上位の私に話しかけるのは、きっとすごく勇気がいったよね。


 だから、下駄箱でもこっちに注意してくれてたのか……。


 無視だなんて悪いことしちゃったな......。


 ——私はもうクミコ様が怖くなくなっていた。


 おぞましい顔でニタつく招き猫を足で蹴り飛ばし、チョークで『こんぐらっちゅれいしよん』と落書きされた道路を進む。


 そう言えば四ヶ月前にクミコ様に殺された子はアイドルオーディションに受かった直後だったって聞いたなぁ。


 まったくもう、クミコ様なんかより生きてる人間の方がはるかに怖いんだから。


 さーて、じゃあ、もっともっと怖い「死地から生還した人間」の怒りをリサ達には味わってもらおうかな。


 なにをしてやろうか想像するだけで自然と頬が緩んでくる。


 真っ赤な夕陽を浴びて笑う私の顔はクミコ様がたじろぐほど、それはそれは邪悪だった。

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