通学路の視線3

「こ、この前の返事! 聞かせてください!」


 放課後の教室に、梶原くんのそんな声が響いた。

 ホームルームが終わるや否や、麻紀の所まで早足でやって来て、有無を言わせぬタイミングでラブレターの返事を催促して来たのだ。

 クラス全員が見ている前での不意打ちに、麻紀はすっかり混乱してしまった。


(どどどどうしよう? 美知留ちゃん、助けて!)


 心の中で叫びながら視線で美知留に助けを求めるけれど、当の美知留は酷く驚いた表情のまま固まっていて、麻紀の声なきヘルプコールに全く気付いてくれていない。

 教室の中では、他のクラスメイトたちが突如起こった恋愛イベントに、興味津々な視線を送っている。


 ――正直、見守りボランティア男性の件もあって、麻紀はラブレターのことなどすっかり忘れていた。つまり、それくらい梶原くんには興味が無かったのだ。

 けれども、もしここで「ごめんなさい」をすれば、梶原くんに盛大に恥をかかせてしまうことになる。それもよくないような気がしていた。

 だから麻紀は、それが無難な返事だと思い込んで、こう返してしまった。


「あの……お友達から、なら」


 麻紀が、その返事が「OK」を指すものだと気付いたのは、教室が歓声の渦に巻き込まれてからのことだった。

 その間、美知留はずっと口をあんぐりと開けて、固まったままだった――。


 翌朝、麻紀は学校を休みたくて仕方ない気持ちになっていた。

 麻紀は文字通り、「まずはお友達になりましょう」という意味で梶原くんに返事をしたのだけれど、周囲も梶原くん本人にも、それを「OK」だと受け取られてしまっていた。


「まさか、こんなことになるなんて……」


 独り言を呟きながら、通学路をトボトボと歩く。

 こんな時に限って、頼れる美知留は急な発熱とやらでお休みだった。相談したいことが沢山あったのに。

 そして気が付けば、例の見守りボランティアの男性がいる近くまでやって来ていた。


(どうしよう……今日も雑木林の中を通って行こうかな?)


 雑木林の中の裏道は、迷うようなものではないけれど、何分薄暗いので一人だと少し怖かった。

 けれども、あの男性の前を一人で通るのもやはり怖い。覚悟を決めた麻紀は、一人で雑木林へと踏み入っていった。


 ――美知留と二人の時は気にならなかったけれど、雑木林の中はやはり薄暗くて不気味だった。

 そこかしこで鳥や動物の鳴き声がしているし、なんだかおかしな臭いもしている。正直言って、怖かった。


(早まった……かな?)


 心の中で後悔しながら、麻紀は不安にさいなまれていた。

 美知留と二人で歩いた時は、冒険気分で少し楽しかったのに、と。


(美知留、まだ熱で寝てるかな? 起こしちゃうのも悪いけど……)


 あまりにも不安なので、麻紀はスマホで美知留にメッセージを送って気を紛らわすことにした。

 「お休みのところごめんね? 雑木林の中、暗いよ~」とだけ入力して、「送信」ボタンを押す。

 すると――。


『ピロン♪』


 何故かすぐ後ろから、メッセージの受信音のようなものが聞こえた。

 思わず振り返った、次の瞬間。


 ――ガッ!


 そんな鈍い音と共に、麻紀の頭に衝撃が走った。

 視界に沢山の星が散り、闇に落ちる。体はバランスを失い、あっという間に地面に倒れ伏す。脳天には熱ささえ感じるような強い痛み。

 ……体に全く力が入らない。


「――ちっ、スマホの音切っておくの忘れてた」


 幾重もの布越しに聞いたような、くぐもった声が耳に響く。舌打ちしたその人物の声は、美知留のそれによく似ていた。


「麻紀、あんたが悪いんだからね。梶原くんは私がずっと狙ってたのに……好きでも何でもないくせにキープしやがって!」


 麻紀の腹部にズンッという衝撃が走る。

 どうやらお腹を蹴られたらしいが、全身に力が入らず痛がることもできない。

 その代わり、衝撃で顔の位置がずれたのか、真っ暗だった視界に少しだけ光が差し込んだ。


 ――赤黒くかすんだ視界の先に見えたのは、鬼のような形相をした美知留によく似た女の子の姿だった。

 真っ黒いジャージに身を包み、手には何か棒状のものを持っている。


「しっかし、上手く誘導されてくれたもんだね、麻紀! まさかの時の為に、この裏道をアンタに教えといてあげて良かったよ。つーか、マジウケる。見守りのおっさんがあたしらのことジロジロ見るのは当たり前じゃない? それを不気味がって怖がってさ。――こんな人気のない道を通る方がよっぽど危ないって、普通は気付くもんだけどなぁ……。ああ、あんたアホだから気付かないか!」


(これは……誰だろう?)


 薄れゆく意識の中で、麻紀は目の前にいる美知留によく似た誰かの姿を、ぼんやりと眺めていた。

 美知留はこんな鬼のような顔はしない。だったらこれは別人だ。そうに違いない。――そんな考えだけが、麻紀の脳内で空転する。


「さて、あんたに止めを刺して、このまま誰にも見付からずに家まで戻れば……あたしの勝ちだよ。あたしは熱出して休んでるって、親も学校も信じ込んでる。完全犯罪ってやつだよ!」


 傍から見れば穴だらけの犯罪計画を自慢げに話す、美知留によく似た誰か。

 「警察はそんなに馬鹿じゃないよ」と思う麻紀だったけれど、もう声を出すこともできない。先ほどから、やけに眠い。まぶたが落ちそうになる。


「じゃあ、さよならだよ、麻紀」


 言いながら、手にした棒状の何かを振り上げる美知留に似た誰か。

 そして、麻紀の視界は闇に包まれた――が、その刹那、彼女は確かに見た。

 美知留に似た誰かの背後に、黄色い反射ベストのようなものを着た何者かが、近付いているのを。


 しかし、彼女の視界は既に闇の中だ。体はとうに動かない。

 ――だから、


「な、なんであんたが!?」


だとか、


「まさか、あんたが見てたのって、あたし……?」


だとかいう誰かの呟きや、その後に聞こえた誰かの悲鳴は、麻紀にとってはもう関係のない出来事だった。



(了)

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通学路の視線 澤田慎梧 @sumigoro

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