秋空に金木犀
砂原樹
『金木犀』をあなたに
恋などに興味はなかった。煩わしいとさえ思っていた。
季節が巡り身体が成長するごとに、周りに恋だ愛だとはしゃぐ人が増えていく。そのたびにこの目立つ容姿は的にされて、告白という名の苦行が繰り返される。
それを何度も断るうちに、同性には嫌われた。それが少し、悲しかった。
「あきちゃんは格好いいね」
クラスに居ると、大抵周りには遠巻きにされる。その空気を破るのは、いつだって他クラスから遊びに来るそらだけだった。
「クールビューティっていうの? 顔はもちろん綺麗だけどそれだけじゃなくて、なんか雰囲気が格好いいんだよね。格好いいっていうか静かっていうか。背筋がしゃんとしててさ。そういうとこすごく好き」
秋月そら。初めて名前を見た時、なんて綺麗な名なのだろうと思ったのを、よく覚えている。
自分の名前が嫌いだから、余計にそう思ったのかもしれない。
私は谷川晶子。よく顔と名前があっていないと陰口を言われる。そんなことを言われても、名前も顔も変えようが無いのに。
中学一年生からの付き合いであるそらは、物怖じしない性格で人懐っこく、人の輪に入るのが上手い。入学式の後には既に浮きかけていた私に、ぐいぐい話しかけてきて、気づいたら友達になっていた。
そらにはたくさんの友達が居たけれど、気づけばいつも私の隣にいる。不思議に思い尋ねれば、あきちゃんの隣は居心地いいの、とはにかむ。
その答えにむず痒くなって、私も慣れない笑みを返すと、そらは本当に嬉しそうな顔をするのだ。
その顔を見るのが、好きだった。
「ねー、私もあきちゃんも、名前の中に『秋』があるよね」
帰り道、金木犀の咲く道を歩きながら、そらは笑う。だから秋は私たちの季節だ、と。
金木犀の香りが好きだと、深呼吸をして微笑む横顔が好きだった。
何気ない言葉の一つ一つが優しくて、穏やかで。そらといる時だけは、周りの視線も、言葉も、何一つ気にならなかった。
私には恋愛なんて必要ない。この友情だけあればいい。そらと居られるだけでいい。
そう思っていたのに、二人きりの心地よい空間が崩れたのは、突然だった。
「あのね、好きな人と付き合えることになったんだ」
高校に上がり、再び秋が巡ってきた頃、そらは少し恥ずかしそうに言った。
その言葉に、私は何を返せばいいのか分からなかった。
好きな人が居るというのは、ずっと前に聞いていた。ただ、そらは私が恋愛の話題を好まないことを知っているから、以降はあまり話題を振られることは無かった。
本当に、突然の話だった。
胸の奥に重い何かが沈んだようで、上手く言葉が出てこない。口を開いても何も言えず、唇を結んで下を向く。
一向に浮かない顔のままの私を見て、そらはどうしたの? と首を傾げた。
「……そらが誰かと付き合ったら、私とはもう居られない?」
「え、どうして?」
「恋愛って、そういうものなんでしょう?」
ずっと傍から見ていた恋愛の形は、どれも似たようなものだ。恋人が出来たらその人が最優先。友達は二の次。それどころか交流の一切を蔑ろにされることもある。
そらとの繋がりが薄くなるのかと思うと、素直に喜ぶことが出来ない。
「もしかして嫉妬してる? あきちゃん友達少ないもんね。寂しいの?」
「……寂しい、のかも」
「ふふ、素直でかわいーね。大丈夫。誰と付き合っても、あきちゃんを遠ざけたりしないよ。私たちは何があっても、ずっと親友だから」
親友。
初めて言われた時はあんなに嬉しかったのに、何故今はこんなにも、遠く感じてしまうのだろう。
親友。
その肩書きで求めることができるのは、どの範囲までなのだろうか。
私と一緒にいて欲しい。
誰かの隣じゃなくて、私の隣にいて。あなたの笑顔を、私だけに向けて。私と一緒に笑って。
私だけを、見て。
……その感情は、本当に親友に求めるもの?
こんなにも私は醜かったのだと、その時初めて思い知った気がした。その想いを指して、恋と呼ぶことに気がついた。
あれだけ敬遠していた感情を、私はそらに抱いているのだ。
「……そうだね、親友だもんね」
言い聞かせるように呟いて、下手くそに笑う。
私の初恋は、自覚した時には既に散っていたのだ。
高校生になっても、帰り道に金木犀の咲く道を通るのは変わらない。
少し肌寒いそよ風に、運ばれてくる匂いが混ざる。
そらが金木犀の香りを吸い込みながら、顔を綻ばせるのを、隣で見る。
その横顔が、好きだった。
だけどもう、そらの隣は私の居場所ではないのだ。
「金木犀の花言葉、この前何気なく調べてみたの」
オレンジの花を眺めながら零すと、そらの顔が私に向く。人懐っこい顔を傾けて、どんなの? と答えを促す。
「『謙虚』とか『謙遜』とか。あとは『気高い人』って意味なんかもあるみたい」
そらは数度瞬いたあと、ふわりと笑った。
「あきちゃんにぴったりだね」
その言葉が予想外で、思わず首を傾げる。そらは私を見て、だってそうでしょ、と言葉を重ねた。
「見た目綺麗で気品あるし、心も綺麗だもん。それに謙虚」
「……そんなこと、ないけど」
「ううん、すっごく綺麗で謙虚。あきちゃんはもっと言いたいこと言った方がいいよ」
「言いたいこと……」
まっすぐに見つめてくる目が居心地悪くて、視線を逸らす。何気なく見た地面に、花がついたまま折れた、金木犀の枝が落ちていた。あ、と思い拾い上げる。
「……そら、これあげる」
枝を眺めて、それが余りに綺麗な状態であることを見てとった時、私はそう声を掛けていた。
横で見ていたそらは驚いたように少し目を丸める。
「いいの?」
「うん。そら、金木犀好きでしょう。花が綺麗に残ってるし、香りもそのままだから、枯れるまで飾ってあげて」
言ったあとで、でも落ちた枝なんかいらないか、と我に返って苦笑すると、そらはそんなことない、と私の方へ手を伸ばす。
「嬉しい。ください」
真剣な顔をするそらに押されて、その手に枝を渡すと、途端に嬉しそうに微笑む。その顔を見て、胸の奥を刺した小さな痛みに、そっと蓋をする。
そらには話さなかったけど、金木犀の花言葉のひとつに、『初恋』がある。
そらに渡した私の
それでいいと思った。
渡した枝から花が無くなる頃にはきっと、私はこの気持ちを昇華できているだろうから。
「じゃあ、私もあきちゃんにあげるね」
そらは肩にかけていた鞄を置いて、上に私が渡した枝を丁寧に乗せた。そしてそのまま、徐ろに垣根に手を伸ばす。
さすがに勝手に枝を折るのは、まずいのではないだろうか。諌めるのに、そらは大丈夫と言って聞かない。
そして折った枝をにこにこと私に渡そうとするのだ。
だけど私は、それを受け取ることが出来なかった。
自分で『初恋』の意味を込めて渡した手前、そらから受け取るのが気まずい。でもそらの厚意も分かるから無下にも出来ず、あちこち視線を彷徨わせる。
「ねーあきちゃん。実は私も調べたことあるから知ってるんだ。金木犀の花言葉」
突然言われた言葉に思わずそらを見返すと、そらは私を見てにこりと笑った。
「なんか凄いいっぱいあるんだよね。びっくりしちゃった。あとなんだったかなー。確か『陶酔』『誘惑』『真実』に、……『初恋』?」
心臓が、跳ねる。
そらの顔を見ていられなくて、俯いた。
「あきちゃん顔に出やすいから何となく分かるけど。一応聞くね。どういう意味でくれたの?」
怒っているのかもしれない。やっぱり、そのまましまっておけばよかった。
邪魔しようなんて気は、全くない。そらが嬉しそうならそれでいい。今はそう思えなくても、そう思いたかった。だから、この恋は伝わらなくてもよかった。いつか隣で、祝福出来たらいいなって。
本当にそれだけで、よかったのに。
でもやっぱり、気持ち悪いよね。今まで友達だと思っていた人に、違う目で見られていたなんて知ったら。
「……ごめ、あの、違うの」
嫌いにならないで。
心に浮かんだその一言が、どれだけ困難なことなのか、薄々わかっていた。
「っ、違う、違うの……」
綺麗に終わりたかった。なのに実際は友情の全てを壊して、終わろうとしているのがわかった。
そんな風にしかならない恋は、やっぱり嫌いだった。
「まだ付き合ってないよ」
「……え」
「好きな人とはまだ付き合ってない。……あと一押しってとこかな」
小首を傾げるそらを呆然と見る。突然の真実に、頭が真っ白になる。
「あの言葉、嘘だったの?」
「嘘じゃないよ。あきちゃんが頷いてくれるなら、嘘にはならない」
「……なんで、私? 頷くって?」
「ふふ、ほんと鈍感だなー、あきちゃんは」
苦笑を漏らしたそらは、徐ろに一歩踏み出すと、竦んでいた私の手を拾い上げた。
「私は言ってたでしょ。最初から、好きだって」
ね、あきちゃん。
自ら手折った金木犀の枝に唇を寄せて、そらは笑う。今まで見た事もない艶然とした様子に、身体が固まる。
「残念ながら私の初恋は幼稚園の時なので、この金木犀は、『初恋』とは言えないんだけど。──代わりの私の恋心、貰ってくれる?」
取られた手にそっと置かれる枝に、思わず俯く。
あきちゃん。呼ばれながら、そらが笑う気配がした。
「頬っぺた、金木犀みたいになってるよ」
秋空に金木犀 砂原樹 @nonben-darari
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