「ハヴァム島見聞録」の現在

亜済公

「ハヴァム島見聞録」の現在

——先月十日、文化人類学の権威であった熊野教授の死亡認定から二十年が過ぎた。氏が失踪する直前に、雑誌「文学と歴史」で発表していた最後の文章を、ここに掲載。文章中でも触れられている、海底火山によって生まれた島は、この発表直後に突如消失した。氏の失踪と同時期であった点において、何処か運命じみたものを感じさせる。亡くすには、あまりに惜しい人物であった。


   ※


 先日、大西洋で突如起こった、海底火山の噴火が話題となった。報道された映像にある、巨大な黒煙を見るだけで、相当の規模だとわかるだろう。溢れ出た溶岩は冷えて固まり、徐々に島を形成している。私はこれを見た時に、一冊の本を思い出した。1936年、千章舎から出版された、初の日本語翻訳版「ハヴァム島見聞録」である。



 大西洋の中央に位置するとされるその島は、1714年――イギリスにおけるアン女王死去に伴うステュアート朝断絶と同年――に、折しも英国商人ウィリアムによって発見された。南北に伸びたその地形は、当時流行していた工芸品――航海の安全を祈願する、紡錘形に瑪瑙を削ったペンダント――に似ていたという。南端に、標高二千メートルを越す山がそびえ、北端へ向かいなだらかな斜面を形成している。うっそうと茂る木々に覆われ、気候は温暖、空気は湿り気を帯びている……。

 彼等が島を発見したのは、単なる偶然に過ぎなかった。あと一時間、リヴァプール港を出発するのが遅かったなら。ほんの少し、進路がそれていたならば。彼等が、そこへ辿り着くことなどなかっただろう。そして島は、存在を知られることもなく、幻のように、姿を消していたに違いない。今日、地球規模に拡大した監視システムを以てしても、それらしきものを見つけることすらできないでいるのだ。

 嵐の中、遭難した彼等の船は、新大陸へ向けた予定の進路を大幅にそれ、南へ三百キロほど流されたと考えられる。暴風がようやく去った後も、悪天候は三日続き、その間陸地は影も見えない。西へ進路を修正してから、一ヶ月が経過した頃、彼等は件の島を見つけた。ウィリアムによって「ハヴァム島」と名付けられた、幻の島との邂逅だ。

 主な地理的特徴は、前に記述した通りである。彼等の船が近づいていくと、東側に小さな入り江が一つあり、黒色で無数の穴を持つ岩石が、あちこちに露出し見えていた。船を泊め、ボートで上陸を果たしたところ、彼らは『今までに見たことがない、芳香な香りを放つ不思議な木々』(※1)に好奇心を刺激される。それが、第一日目のことであった。

 ウィリアムの日記に記された、精密なスケッチが大英博物館に残されている。太い幹を持つ植物の葉が、麻によく似た特徴を備えていることが分かるだろう。ただ一点、決定的に異なっているのは、その葉が異様に分厚いこと。彼の記述を信用するなら、およそ一センチということになる。『ぶよぶよとした感触で、羊毛が詰まっているのかと考えた。一枚をちぎって、内部を見るが、そこには菌糸のような無数の柱が、白く張り巡らされているだけである』(※1)。日没が近づき、彼等はいったん船に戻った。

 ウィリアムの探検記が長年注目されなかったのは、一つにこの植物がある。1659年、護国卿リチャードの行った国教改革によって、英国教会は大幅に教義を修正し、違反者への罰則を徹底した。これにより、魂を堕落させるものとして、特に大麻が禁止されたのはよく知られている事実である。幻覚への憧憬を育み、世界初の、超心理学の兵器化に繋がったこの方針は、人々に、麻に対する過剰なまでの恐れを与えた。この傾向は、今も根強く英国に残る。だから、なのだ。その記録は、敬遠されざるを得なかった。

 この評価が一変するのは、20世紀に入ってからのことである。十七の国家を巻き込んだ、初の世界的大戦により、英国は巨大な傷を負っていた。とりわけ酷かったのが、一種アイデンティティーに近しい存在となっていた、超心理学の否定である。フランスで始まった蒸気機関は、安価かつ大量の兵器を製造し、また改良も容易だった。精神感応に代表される、限られた人的資源の能力に依存する英国軍は、優秀ではあるものの、加速する時代の流れに先立つことは難しい。敗戦にうなだれる彼等はその時、異国との接触という重要な鍵を、ウィリアムの探検記に見いだしたのだ。二日目に語られる、「赤い人」のことである。

 最初にそれを発見したのは、早朝、見張りに立っていた、ジェームズという名の船員だった。

『まだ夜が明けるか明けないかという頃に、ジェームズが血相を変えて怒鳴り散らした''起きろ! 煙だ! 森の中から煙が出てる''。全員が慌てて甲板へ出る。森の奥深く、確かに一筋の煙があった。我々は、それが人間のいる証であるか、見極めようと目を凝らす。……しかし、そんな必要はなかったんだ。真っ赤な肌をしたのっぽの男が、素っ裸で海岸に出て来たんだから! (中略)私たちは、それ''赤い人''と呼称した』(※1)

 直筆原稿を参照すると、乱れた筆跡が、ウィリアムの興奮を推察させる。

 「赤い人」と名付けられた原住民は、石板を一つ携えていた。彼は、船員の誰も聞いたことのない言語を用い、それは『舌打ちでリズムを刻むような』ものだった(※1)。石板には細かな点が記されていて、何らかの規則性を思わせる。『おそらくは、それの使う文字だろう』(※1)。午前のうちに、調査隊が組織された。

 煙が確認されていたのは、北端の山の、麓の辺りだったと記されている。一筋のそれを追うように、一時間もしないうち、二本目、三本目が立ち上った。『天にまで届くかのよう』だった(※1)。調査隊にはウィリアム自身も参加して、鬱蒼としげる植物の奥へ、じりじり進んでいったのだ。

 『葉が肉厚であるあまり、進むにはかなりの努力が必要だ。獣道らしきものは見られたものの、それを覆い隠すように、無数の葉が垂れ下がる。幹は茶色く、瘡蓋のような乾いた木片が、数十数百と張り付いていた』(※1)。

 「赤い人」の集落は、その先にある、小さな広場に位置していた。円錐型の木造家屋が、五メートルほどの間隔を開け、三十数棟建っている。入り口は、腰をかがめて、やっと入ることのできるくらい。どれも酷く粗末なもので、『雨を十分に防ぐことすら難しいだろう』(※1)。煙は、集落の中央にある、盛大な焚火によるものだった。

 『我々が、キリストに対して傾けるのと、同じくらいの情熱で、彼らは火を拝んでいる。そして口々にこう叫ぶのだ。''ハヴァム!''。捕らえた男の舌打ちとはまるで違う、何か特別な意味を持ったフレーズだろう。私はこの島の名前を決めた』(※1)。

 「赤い人」の具体的な様子に関して、彼が残したのは殆どこの一文だけだった。『長老と思しき一人の老婆に、何やら歓迎を受けた後、我々は食事を提供された。島中に密生しているあの葉を炎で炙ったもので、噛むと僅かに甘味がある。水気の多い、パンに似ていた』。それから船に帰投して、翌日、大量の葉を積み込むと、彼らは北へと進路を変えた。空はよく晴れていて、星が眩しいと彼は残した。

 ウィリアムらが捕縛した原住民と、集落で出会った原住民とで、発せられた言語には明らかな差異が見出せる。前者は舌打ち、そして後者は「ハヴァム」という、喉を用いた発声によって語っているのだ。古代エジプトにおける神聖文字と民用文字の併用で知られる、いわゆるダイグロシア(二言語変種使いわけ)であろうと思う。宗教的な目的で用いられるH変種と、私的なやりとりで用いられるL変種。両種の言語形態が、ここまで違うという例を、私は他に見たことがない。

 さて、彼の冒険を振り返るとき、重要な鍵となるのは、捕縛された一人の男と、石板である。残念ながら、前者の行方ははっきりとしない。一説によると「新大陸への到着と同時に、土塊のようになって崩れ落ちた」という。一方で、石板は現在も参照が可能だ。大英博物館の資料室にあるこの品は、インターネット上に画像が公開されている。縦三十センチ、横二十五センチの平面に、びっしりと穴が穿たれた姿。ドイツの言語学者グラームにより、2002年に三分の一ほどが解読された。


  ——天がまだ名を持たず、大地が踏まれなかった頃。ビューが最初に現れた。ビューは全ての空であり、水と、土を持っていた。ビューが土を固めると、瞬く間に大地ができた。水は海となった。やがて、水から炎が溢れ、焼けた土から人が生まれた。人はビューを崇拝し、祭りを三日行った。(※2)


 祭りの最中、一人の男が海に唾を吐いてしまう。ビューはそれに激怒した。


  ——(略)ビューは(悪を働いたため)人の全てを滅ぼした。大地は海の中に沈み、飛ぶことのできる鳥だけが残った。ビューは言った。「四日後に再びお前達を作ってやろう。その翌日にまた滅ぼす。次は五日後にお前達を作ってやろう。やはり翌日にまた滅ぼす。空白の日を一日ずつ増やしていき、やがて過ちを繰り返さない時が来たならば、滅ぼすのをやめにしよう」。四日が過ぎ、次の五日が過ぎ、さらに六日が経った。人は罪を犯し続け、ビューは人を滅ぼし続けた。(以下略)(※2)


 一日祭りを行うと、人間は滅ぼされ島は消える。一切の罪を犯さない日がやってくるまで、そのサイクルは繰り返され、一度失敗するたびに、次の機会は遠くなる……。人間は罪を犯すものであるとの認識が、それを是正すべきであるという思想と両立している。「赤い人」らの世界観を象徴する、興味深いエピソードだ。

 ところで一般的に神話には、大きく三つの区分がある。自然現象を神格化する「自然神話」、人間世界を取り巻く事物がどのように生まれたのかを物語る「起源神話」、怪物や敵を倒して平和や秩序や富をもたらす「英雄神話」。このうち起源神話をさらに三つに分けるのが、「世界の起源」「人間の起源」「文化の起源」の三要素となる。石板の内容とウィリアムの証言を鑑みるに、それはまごうことなき、起源神話の一つなのだ。

 そしてこれを、同じく起源神話に分類される、バビロニアの「エヌマ・エリシュ」と比べた時に、面白いものが見えてくる。ここで、その冒頭を引用しよう。


  ——上ではまだ天が名づけられず、

    下では地が名を呼ばれなかったとき、


 「エヌマ・エリシュ」は、旧約聖書に多大な影響を与えたとされる神話であるが、石板の内容にも、これに極めて似た要素を確認できる。最初の一文のレトリックは勿論のこと、洪水伝説の要素を含め、他数十の、偶然では片付けられない一致があるのだ。ハヴァム島と古代オリエントとの間に、何らかの形での接触があったと考えるのは、あまりに荒唐無稽だろうか?


 ウィリアムが、ハヴァム島の見聞録を発表した1718年から現在まで、多くの学者がウィリアムの探検そのものに疑問を呈している。いわく、「航海のストレスによる集団幻覚である」。いわく、「予期せぬ航海の遅延を誤魔化すための嘘である」。いわく……。

 だが、そういった疑問の多くには、ウィリアム自身が見聞録の中で既に回答を提示している。彼の言葉は間違いなく真実であると、私はそう確信している。




【追記】:例の海底火山では、噴火がようやく落ち着いて、新たに形成された島の全貌が明らかになった。この文章を書き上げた後のことである。南端に、標高二千メートルを越す山がそびえ、北端へ向かいなだらかな斜面を形成している。固まった溶岩には無数の亀裂や穴があり、そこから何かの植物が、顔を覗かせているという。次号には、現場の記録を寄稿しようと考えている。





※1 「ハヴァム島見聞録」(S・ウィリアム/千章舎刊)より抜粋

※2 「ウィリアム石板におけるS系点字の解読と解釈」(W・グラーム/天心書店)より抜粋



【参考文献】


・古代オリエント博物館 オリ博講演会 2020年9月21日「エヌマ・エリシュ:古代メソポタミアの創世神話とその現代性」資料

・「ハヴァム島見聞録」(S・ウィリアム/千章舎刊)

・「ウィリアム石板におけるS系点字の解読と解釈」(W・グラーム/天心書店)

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