つまんない小説の話
こんにちは、顔がいい女です。
私はいつかの誘拐騒動の時のバーに一人で居ました。マスターのおじさんを相手に愚痴やらなんやら言っていました。ここはいつだってスカスカで貸し切り状態だから、すごく過ごしやすいんです。マスターともすっかり顔見知りだし。
「それでねー、アイツ酷いんだよ。『顔が異常にいいのにそれ以外はわりかし普通な女』呼ばわりしてきたりして。」
「それは、褒めているのかな?貶しているのかな?」
私はオーナーの言葉を無視してグラスに入った液体を一息に飲み干します。先に言っておくと、この濃い赤紫色の液体はワインではなく葡萄ジュースです。
「ジュースのはずなのに酔っているように見えるのは私の気のせいかな……。」
オーナーはグラスを拭きながらため息をつきました。
「そういえば、
「……うん。……と言っても、アイツとは幼馴染みで、気付いたら一緒にいた感じだし、馴れ初めなんてもんはないかな。」
私の両親は特に顔がいいというわけでもなく、親戚も特に見た目がいいわけではありません。どういう遺伝子がどう働いたのか、一族の中で私だけが異常に整った顔立ちになってしまったわけです。
それは幼稚園に入園した頃には顕在化していたと母から聞きました。
入園したばかりのころはみんな私の顔を見て「かわいい」とか言っていたことを覚えています。他の子のお母さんたちも私の顔を見て「モデルさんみたいだね」とか言っていました。話題になったことでテレビ出演の電話が来たこともあったそうです。
それは小学校高学年くらいまで続きました。
6年生になるころには周りのみんなも私の顔にすっかり慣れて、「かわいい」とかも特に言われなくなりました。それはつまり、顔の良さだけで保てていたような繋がりが途切れるということでもありました。私は女子たちのグループから追い出されました。
それでも、一人だけ私の横に居て一緒に遊んでくれる奴が居ました。それがアイツ。
いつになっても、学校という社会にはスクールカーストというものが根強く存在するものです。それは女子の間では特に強いように思われます。でも、彼女はスクールカーストの外側という立ち位置をキープしていました。そんな彼女はカーストの頂点から除名処分を食らった私の立場を気にせず、変わらず話しかけてくれました。その頃の私にとって、彼女は最大の心の支えでした。
でも、そんな小さな幸せもそう長くは続きませんでした。
転機は高校2年生のときでした。私と彼女は同じ高校に進学しました。進学しても環境はそんなに変わらず。ただ授業の内容だけが難しくなって、一年が過ぎた頃でした。
化粧などしなくても十二分に完成している顔のおかげで、化粧禁止の校内では私の顔面が圧倒的でした。そのせいで、私は告白されては丁寧に断る、ということを繰り返していました。そのときも同じように丁寧にお断りしたのです。翌日のことでした。
朝、学校に着くと内履きがありませんでした。私はこの顔のおかげで周りの女子から多くの反感を買っていました。でも、こんな露骨ないじめをされるのは初めてで、なんかしたっけ、くらいに考えてスリッパを借りて教室に行ったわけです。
教室に着いたら、机の上にはコンドームの空袋が2、3無造作に置いてありました。捨てようとして拾い上げたとき、誰かが言いました。
「やーい、クソビッチ。」
私はすぐに振り返って声の主を確認しました。
目線の先にはスクールカースト最上位の女が数人の囲みの女子に囲まれて君臨していました。
「クソビッチ。」
囲みの一人が同調しました。それに続いてもう一人、また二人が……と、あとは想像できるでしょうか。そうして輪唱は重なっていきました。
私が無視して片付けようとしたとき。
「ちょっとあんたら、何やってんのよ!」
遅刻ギリギリの時間になって教室に入ってきたのは、他でもない彼女、
「華燐、ちょっと……」
「クソビッチとかそんなわけないでしょ!」
「ねえ、」
「この子は男の子と手を繋ぐだけで顔真っ赤にするような奴なんだよ?!」
「ねえったら!」
「……あん?」
とりあえず、彼女のおかげ?でその場はどうにかなったのですが。
その日の放課後、私はカースト頂点のその女と二人で話すことができました。
「いきなり呼び出してなんなの?怖いんだけどww」
「私だってこんなことしたくない。できればあんたみたいな種類の人間とは距離を取っておきたいし。でも、あんたがなんでこんなことしてるのか分からないなら謝りようもないじゃない。」
「……そんなの気分に決まってるでしょ。」
「そんな筈ない。」
「だったらなんなのよ。」
「……昨日、
そのとき、初めて目を合わせてくれました。
「蓮君って、あなたの彼氏だったんでしょ?」
「…………。」
「でも、彼はあなたと別れて私に告白した。全部、私の顔がいいせい。」
「……何が言いたいの?」
「蓮君が告白してきたのは私の顔がいいせい。でも、多分、もうすぐ気づくんじゃないかな。あなたのほうがいいことに。」
「は?」
「彼が告白してきたときの文句は、私の魅力についての言及が見た目ばっかりだった。彼は私の見た目しか見えていない。……私って、顔以外は普通でしかないから、あなたみたいなスクールカースト上位とは積極的に距離を取ろうとするくらいの女だから、多分、中身の話になったらあなたのほうがずっと上。だから……」
「わかったから。」
「……」
「もうやめる。萎えたわ。」
でも、それで全て終わるなんて甘い考えでした。
私はこの顔のせいで多くの女子の間で陰湿な感情を持たれていました。それまで比較的穏当に過ごせていたのが不思議なくらい。さながら、亀裂の入った棚氷のようなものです。どれだけ抗っても、一度崩れ始めた氷塊は止められません。重く、冷たいモノが一気になだれ込んでくるのです。
一番上の彼女がやめたら終わる。そんな段階はとっくに過ぎていました。単刀直入に言うと、いじめの内容はエスカレートしていく一方でした。机が汚されるなんて優しい方で、毎日靴を履かずに過ごしていたし、体育の日は運動服がなくなる。トイレに入ったらつっかえ棒されて出られなくなる。毎度もトイレの壁をよじ登って脱出する羽目になるから、多少は腕力が鍛えられたのは良かったことかな。……冗談です。トイレの壁をよじ登って脱出したのは5回しかないです。生理のときはだいぶキツかったな。めちゃくちゃにナプキンがずれて、ショーツに血が染みて最悪。
どれだけエスカレートしても、私は無視に努めました。幸い、メンタルに関してはこれまでの紆余曲折の人生で鍛えられていました。高校生女子ができる程度、屁でもありません。……嘘、心もカラダも傷ついて、疲れて、誰も居ないところで毎日泣いていました。それでも、自殺に走らずに済んだのはメンタルの強さのおかげかな。
ある時、ほんの少しの希望を持って”萎えた”という彼女に目をやると、止めることもせず離れた場所でニヤニヤ見ていて、人間というものの本質を垣間見た気がしました。蓮くんと仲良く会話して、笑っていました。たぶん、幸せになったから、私のことなど本当にどうでも良くなったのでしょう。私がバカだったんです。鬱憤を晴らすためにいじめに手を出す人間は、鬱憤を晴らす必要がなくなったらいじめから手を引くだけ。他の人間がやってるいじめを止める義理なんてないんです。全部悟った時、一気に顔の筋肉が弛緩したのを覚えています。期待とか願望とか、色々な感情が完全に抜けて無になったんです。希望は持つだけ無駄だって確信できて、精神的にはだいぶ楽になりました。
もちろん、華燐はずっと心配してくれていました。
「やっぱり先生に相談しようよ。児相?警察?それとも……」
「やめて」
途端に黙り込む華燐。お昼ご飯の弁当の(バッグごと酷く振り回されたせいでボロボロに崩れた)卵焼きを口に突っ込んで、咀嚼して、飲み込んで。それくらいのタイミングで、華燐が口を開きました。
「でも、このままでいいの?」
私は何も言えませんでした。
「先生にチクったら過激化するかもしれない。それはバカな私でも分かる。でもさ。……でも、そんなのダメだよ。あんたがどう思ってるかは知らないけど、少なくとも私は許せない。」
少なくともここに一人、私のことを気遣ってくれる人が居る。それが無性に嬉しくて。急に視界がぼやけて、ボロボロの卵焼きの輪郭がさらに歪んで。
「あ~~~~!なんだか無性に腹が立ってきた!アイツらの顔面ぶん殴ってくる!」
「…………ダメだよ……」
顔を見られたくなくて、華燐の胸に顔を埋めました。
「やっ、急に何すんのよ!……なんか濡れてる?鼻水?!」
たぶん、鼻水が4割で残りは目から出た鼻水です。……全部鼻水でいいや。
暫くの間は、本当に酷い状況になる前には、彼女が守ってくれていました。例えば……あれは、高校3年生になったばかりの春。その日は一日中雨が降っていました。その日の帰りでした。
傘がなかったんです。雨は朝から降り続けていたので、勿論傘は持ってきていました。たぶん、誰かが悪戯で隠したんでしょう。隠した……いや、捨てたのかもしれません。私は、付近の傘を隠せそうな場所を一通り探して回りました。でも、見つからなかったんです。ゴミ捨て場を探せば見つかったのかもしれませんが、臭いから嫌でした。でも濡れて帰るのも嫌です。なんだか考えるのが面倒になって、階段の踊り場でぼんやり突っ立っていることしかできませんでした。
「何してんの?」
華燐の声でした。華燐は、どこか不満そうな顔で階段の上から私を見下ろしていました。
「雨粒見てるの」
咄嗟に出てきたのは、そんな言葉。華燐はしばらく黙っていて、私も何も言えなくて。雨粒の音だけがその空間に響いていました。華燐の視線に耐えられなくて、私は何か言い訳しようとして、口を開けたり閉じたり繰り返し。それで、なんだか口の中がしょっぱくなって、それで気付いたんです。私は……。
「確かに、雨すごいね」
華燐も窓の外を見ていました。袖口で目元を拭ってから、こんなことを言ったのを覚えています。
「水も滴るいい女……ってね」
その日は、華燐と二人で傘を差さずに帰りました。酷い雨でした。下着までずぶ濡れ。でも、すごく楽しかった。これが、華燐に救われたときの話です。
そして、高校3年生の秋。いじめはまだ続いていました。解決の糸口は見つからないまま。というか、解決なんてとうの昔に諦めていました。卒業まで耐えよう、あと百数十日耐えるだけだ、なんてことを考えながら過ごす毎日。
その日、私はトイレに閉じ込められていました。トイレットペーパーホルダーを足場にして、なんとかトイレの壁をよじ登ろうとしていました。人生で5回目のトイレからの脱出です。大抵の場合は、内側からドアを叩けばつっかえ棒が倒れてドアが開くようになるんですが、極稀にどこかに引っかかるのか、どうしても開かないことがあるんです。そういう時は、誰かの助けを待つか自力で脱出するしかありません。誰かの助けを待つといっても、ここは女子トイレ。事情を知らない男子が手を貸してくれることもないし、先生方は職員室前のトイレで用を足します。つまり、私を助けてくれるわけのない女子たちしか来ないのです。私を助けてくれるのは華燐だけ。でも、華燐もいつも助けに来れるわけじゃないから、こうして自力で脱出せざるを得ないのです。
結論から言うと、私は無事に脱出できました。……無事、なのかな。トイレの壁は何事もなく登り切ったものの、降りるときに少しヘマをしました。バランスを崩して、頭から落ちてしまったのです。壁の淵を掴んでいたので、その点を中心に回転し、床に頭から突っ込むことだけは避けられました。でも、回転した勢いでおでこを強打、床に落ちたときにお尻も盛大に痛めてしまいました。打ちどころが良かったのか、おでこは傷つきも腫れもしなかったのが幸い……なんでしょうか。いっそのこと、この異常なまでに綺麗な顔に傷の一つでも付いてくれたら。……なんて、冗談。冗談に聞こえなかったって?
でも、お尻はそうはいかなくて、歩くだけでも腰が痛みました。それで注意力が落ちていたんでしょう。トイレから出た瞬間、すれ違いざまに女子の一団に箒の柄の部分で後頭部を殴られました。でも痛いだけで怪我とかはありません。女子の筋力だったことと、これまた打ちどころが良かったのでしょう。
でも痛いものは痛い。動く気力が湧かなくなって、呻くことしかできませんでした。私が予想以上にダメージを喰らっていたのか、ヤバい、やり過ぎたヤバい、先生に見つかったらヤバいだの、ヤバいヤバいと五月蠅かったのを覚えています。私はそのまま女子トイレに引きずり込まれました。決していい匂いとは言えない、何か白い紙きれだの焦げ茶色の物体だのが付着している床を引きずられるのは良い気分じゃありません。そもそも、床を引きずられるという体験は良いものではないでしょう。
トイレに引きずり込んで安心したのか、彼女たちの一人が罵詈雑言を吐き始めました。それに続いて、他の数人の女子も好き勝手に言い始めます。私に対する単純な悪口、皮肉、人格の否定、エトセトラ。誰かが私の脇腹を足で小突きました。それに続いて、皆が私を蹴り始めました。
「殺しちゃおうよ」
誰かが言いました。自分でも意外だったんですが、私はその言葉に対して冷静でした。そこで死ぬというのを受け入れていました。
「私たちがやったことバラされたらヤバいし」
彼女たちも高校3年生の秋です。受験生でした。いじめのことがバレたらヤバいというのは、彼女たち自身も理解しているようで、面白くて笑いました。それが気に入らなかった誰かに思い切り蹴られて、私の体は一回転して壁にぶつかりました。咄嗟に守った体の部位が顔で、なんだか自己嫌悪に陥ったのを覚えています。
「何してんのよ!」
女子トイレに甲高い大きな声が響きます。華燐の声です。
「こいつも」
女子たちの一人が低い声で呟きました。それからは、多勢に無勢でした。目の前で華燐がボロボロにされていくのを、私は黙って見上げていました。羽交い絞めにされて、脛を何度も蹴られる。髪を掴まれて、便器に顔を押し付けられる。それから……女の子の大事なところとか、色々。段々動かなくなって、段々声が小さくなって、段々汚されていく華燐は、二度と忘れられないと思います。これからも、ずっと。
そこまで話すと、バーのマスターは目を見開いて私を凝視していました。
「……手、止まってるよ」
指摘すると、マスターはハッとしてグラスを拭く手を再び動かし始めました。
「いや……思っていたより……なんというか……」
「はは、酷いでしょ?これ実話だからね」
私は、グラスに残っている葡萄ジュースを一気に飲み干しました。
「すみません、不躾なこと聞いてしまって」
「いいよ、私が勝手に話してることだから。……それで、その後……」
そこで、カラン、とドアベルが鳴りました。
「
華燐が来たようです。用事が終わったみたい。
「じゃあ私はここで」
席を立つと、マスターが変な顔で私たちを見ているのに気付きました。
「美影たち、何の話してたの?」
「なんでもないよ。つまんない小説の話。ご都合主義で助けられて、なんだかんだどうにかなるっていうつまんない話」
「……ふーん?じゃ、外で待ってるからね」
バーを出ていくまで、華燐はずっと不思議そうな顔。華燐の足音が聞こえなくなったのを待って、私は口を開きました。
「まあ、私と華燐のこれまではそんな感じ。……あ、お代これでいい?」
会計をする間、マスターは難しそうな顔をしていました。何か言いたいみたいな、考えているみたいな。でも何も言わないで居てくれるところがマスターの優しさなんでしょうか。この人は、根本的に優しい人なんです。だから、この話をする気になれた。
「……ああ、つまんない小説のことだけど、最後に好きなセリフあるんだよね。『こんな小説みたいな人生は今後絶対に許さない。あんたは顔がいいだけの普通の女なんだから』ってやつ。……以上、つまんない小説の話でした!」
顔がいい女の話 あさねこ @asa_neko
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