珈琲は月の下で

きょうじゅ

天国からも見える月

 玄野達樹くろのたつき、というライトノベル作家を御存知だろうか。


 まあ、知らなくても無理はない。なにせ寡作だ。そして別に言うほど売れたというわけでもない。玄野達樹という人物は、たった一冊、『天国からも見える月』と題されたライトノベルを、カクヨムなどまだ影も形もなかった2005年に電撃文庫から刊行し、そしてその約一年後に二十四年というあまりにも短い生涯を終えた、忘れられた夭折の作家である。


 玄野達樹はたいそうな珈琲好きだったらしい。死因は公表されておらず、おかげで今も自殺説を唱える人がたまにあるが、珈琲の飲み過ぎでカフェイン中毒で死んだのだ、というのがファンの間では共通の、「お約束」の認識となっている。


 その珈琲へのこだわりはもちろん、遺作『天国からも見える月』にも反映されている。本作品は分類としては恋愛ものとラブコメディの中間にあるような作品だが、ヒロインが初めて主人公の自宅を訪れる場面で、主人公が愛用の直火マシンマキネッタ(ちなみに、この『直火マシンマキネッタ』という表記とルビの振り方は作品からそのまま引いている)を用いてエスプレッソを淹れ、そして女の存在に関心すらないかのように滔々とうとう蘊蓄うんちくを語って顰蹙を買うシーン、これはおそらく作者の実体験が反映されたものではないかというのがやはりファンの間での「通説」だ。


 さて、物語の中核をなす白亜はくあという名のヒロインは、当時人気絶頂だったイラストレーター、家石アキラの神懸かった筆捌きに拠るところも大きいとはいえ当時は少しは話題になった。天国からも見える月、というタイトル自体、作中の彼女の台詞とオーバーラップさせられたものである。タイトルが先にあったのか、台詞が先にあったのか、そのあたりはもはや誰にも分からないことではあるが、物語の終盤、病の床にあって彼女は言う。


「地獄からはきっと見えないと思うけど。じゃあ、天国からなら月は見えるのかな」


 彼女は夜を愛し、月と星を好んだ。そんな彼女のために、物語の主人公は最後にあっと驚く細工をする。その細工が起こした奇跡こそが、『天国からも月』というタイトルに繋がっているわけだが……ま、それはネタバレになるから、実際に読んでのお楽しみということで、気になる方は是非手に取って読んでみて欲しい。


 ところで玄野達樹そのひとは、いま月を見ることができるのだろうか。ヒロインがそうであったように、彼もまた月を愛した人であったらしいことは遺作のあとがきから知ることができる。であればこそ、我々オールドファンは毎年十月の最初の三日月の日(なぜ三日月の日なのかは、作品を読んでもらえば分かるのだが、ネタバレの中核に触れるので残念ながら説明することはできない)、思い思いに月を見て、そしてその下で珈琲を嗜むのである。

 

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