乙女に神器は似合わない
一人の少女のまわりに人影があった──
横になった長須根伊織を、皆が見つめる。
どの目にも深い哀しみの色があった。
伊織の固く閉ざされた瞼は、開く気配が無い。
少女の一人が、
その強靭な精神力をもってしても、今の哀しみは抑えられなかった。
「伊織……」
ポツリと呟く時空。
自分に好意を寄せ、それを利用された為にこんな事になってしまった。
俺のために……
俺なんかのために……
「これって……」
打ちひしがれる時空の横で仄が囁いた。
見ると、伊織の胸のあたりに手を置いている。
「まだ……何とかなるかもしれない」
その一言に、時空は飛び上がった。
「何とかって……助かるのか!?」
思わず声を上げる時空に、仄は黙って頷いた。
「今この子は、一種の仮死状態にある。恐らく表面化していた饒速日の人格が消えた事で、心奥に自分の人格が閉じ込められたままになっているんだわ」
医師が病状を説明するかのような口調だった。
「人格が……閉じ込められたまま……?」
目を丸くして繰り返す時空。
「では、どうすればいい?何をしたら助かるんだ!?」
仄は伊織の胸から手を離すと、時空の顔をじっと見据えた。
「時空……私が、あなたに言った事覚えてる?」
そう言って、仄は目を光らせた。
「私の目的は、八握剣を破壊する事。そのために饒速日を追って、この時代に転生してきた」
「ああ……剣を破壊するには、俺が剣の支配者になる必要があると言ってたな」
「そう……剣があなたを主と認めた時、あなたは剣の生死すら操れる存在となる……」
淡々と語る仄の声が、静かに響き渡る。
「【闇の神器】を打ち破った事で、あなたは今、名実共に剣の支配者となった。つまり本当の意味で、八握剣を自在に操れるようになったわ」
「……それが伊織を助ける事と、どう関係してるんだ?」
「八握剣の真の力は人を
「人を活かすための力……」
「剣の支配者となった今のあなたなら、その力を使って伊織さんの深層意識から人格を呼び戻せるはずよ」
瞳を輝かせながら、仄が言い放つ。
「できるのか、俺に……そんな事が……」
時空の問いかけに、大きく頷く仄。
手に持つ八握剣を暫し見つめた後、時空は周囲に目を向けた。
そこには、彼女を囲むように立ち並ぶ仲間たちの顔があった。
誰も言葉は発しない。
ただ、どの目にも託すような光が宿っている。
「分かった……やってみるよ」
時空が決意の表情に変わる。
助けたい……
その強い思いが、体から溢れ出ている。
「どうすれば、いい?」
そう言って、仄の方を
少女はニッコリ笑うと、時空の剣を指差した。
「意識を集中して……剣を通して彼女に呼びかけるの」
「……それだけか?」
「そう。あなたの思いが彼女に届いたなら、きっと戻ってくるはずよ」
仄のアドバイスを受け、時空は頷いた。
そのまま、目を閉じ集中する。
伊織──
聴こえるか──伊織──
時空の思念に呼応するかのように、八握剣が淡い光を放ち始める。
伊織──
目を覚ますんだ──
お前を苦しめる奴はもういない──
剣の輝きがさらに強くなる。
それは見る見る青いドーム状に膨れ上がった。
伊織──
戻ってこい──
俺はここにいるから──
伊織の指がピクリと反応する。
剣を通して伝えられる時空の声は、彼女を確実に現実世界へと呼び戻しつつあった。
「……し……う……」
伊織の口から声が漏れる。
「しっかりしろ!伊織」
すかさず、声に出して呼びかける時空。
「し……しゅしょ……う」
「俺は、ここだ!戻ってこい」
時空は懸命に叫んだ。
頼む!
頼むから、目を覚ましてくれ!
「頑張って!伊織さん」
「戻ってきて!伊織」
その様子を見つめていた仲間からも、声援が飛ぶ。
光はさらに光度を増すと、花火のように四方に
飛散した光の粒は、吸い取られるように伊織の体へと消えていく。
やがて、伊織の瞼がゆっくりと開いた。
「とき……主将……」
今度はしっかりとした声が、少女の口から漏れる。
焦点の合った目線は、時空の顔を
「私……一体?」
「よく戻ったな……伊織」
呆然と見つめる伊織に、声をかける時空。
少女はゆっくり体を起こすと、周りを見回した。
自分に注がれる安堵の視線に、ハッとしたような顔になる。
どうやら、全てを思い出したようだった。
「主将……ご、ごめんなさい……私……」
「分かってる……何も言うな」
口を押さえ涙ぐむ伊織の頭に、時空は優しく手を置いた。
長須根伊織の静かな嗚咽が、いつまでも木霊した。
「どうやらこれで、一件落着みたいね」
やがて口を開いたのは仄だった。
その言葉に、時空は振り返る。
「ああ、助かったよ……ありがとう」
そう言って、時空はペコリと頭を下げた。
心からの感謝の意が、その声には込められていた。
「それで……お前は、これからどうするんだ?」
顔を上げると、時空は仄に尋ねた。
「そうねぇ……」
その言葉に、顎に指を当てる仄。
「とりあえず、また転校するわ……なんとか、元の時代に戻れる方法も探さなきゃいけないし……神様がいつまでも不在じゃ、困るもんね」
そう言って、仄は
「そうか……」
時空は、神妙な顔で返事を返した。
神の生まれ代わりとは言え、共に闘った仲間である。
言いようの無い
周りに立つ少女たちも同じらしく、沈んだ表情をしている。
「なあに、皆その顔は……!?」
その様子を眺め、仄が声を上げる。
「だって……行ってしまうんでしょ」
「これでお別れなんて……」
「なんか……寂しいっす」
口々に心境を吐露する乙女たち。
「お別れって言っても、まだこの時代にはいるんだし……きっと、また会えるわよ」
あっけらかんとした口調とは裏腹に、その瞳には光るものがあった。
「ところで、あなた達の神器はどうする?このまま、持っててもらってもいいんだけど」
そう言って、仄は気を取り直したように笑った。
思いがけぬ提案に、皆が顔を見合わせる。
全てが終わった今、もう持つ必要性は無い。
だが、愛着が無いと言えば嘘になる。
「……離れるの、やだな……」
凛がミョウを抱きしめながら呟いた。
家族として過ごしてきたため、もはや離れられない存在なのだ。
「私も……できれば持っておきたいのですが……」
そう言って、手に持つ筆を眺めるのは柚羽だった。
家宝として、生まれてからずっと所持してきたのだ。
手放したく無い気持ちは、痛いほど分かる。
他の少女らも、深刻な表情を浮かべている。
皆自分の神器には、
「あそ……じゃあ、力だけ回収するわね」
皆の要望に、仄は平然と答えた。
「え、力だけって……そんな事ができるのか?」
驚く時空に、当然だと言わんばかりに頷く仄。
「元々あなたたちの神器は、
仄の言葉に、皆驚くと同時に納得もした。
確かに
「それじゃ、形としてはこのまま残るのね」
幽巳が嬉しそうに、リストバンドを握りしめる。
隣の霊那も、ペンダントに手を当て微笑んだ。
姉妹にとってそれらは、大切な絆の
「でも八握剣だけは、神鏡そのものを返して貰う事になるわよ。それと沖津鏡は私の中の辺津鏡とは一緒にできないので、
そう言って、仄は鈴の顔を見た。
鈴は一瞬驚いた顔をしたが、小さく頷いた。
「はい。お預かりしておきます」
力強い少女の返事に、仄は満足そうに微笑んだ。
「それじゃ、やるわよ。皆準備はいい?」
仄の言葉に、全員が顔を見合わせる。
示し合わせたかのように頷きあうと、そのまま時空に視線を送った。
どの顔も、溢れんばかりの笑顔だった。
時空もニッコリ笑い、仄の方に向き直った。
「ああ、やってくれ」
これまでの出来事が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
驚くべき事件の数々……
頼もしい仲間との出会い……
そして、苦しかった闘いの日々……
非現実にもほどがある。
単なる高校生の自分たちには、荷が重過ぎる思い出だ。
だから、こう言わずにはいられなかった。
「今さらで、なんだが……」
時空は頭を掻きながら、照れ臭そうに呟いた。
「やっぱり俺達に……神器は似合わない」
完
乙女に神器は似合わない マサユキ・K @gfqyp999
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