第26話

 スキャンダルは紗々芽の姿を見たエヴァのファンによって鎮静化された。

以前は色葉のみに偏っていたファンも、今では二人推しの人間が増えたらしい。

らしいというのは、相変わらず紗々芽はSNSなどをしていないので井口や周りのスタッフから聞いただけだからだ。

発売したアルバムも好調に売れていると聞いた。

鎮静化したと言っても学校でも芸能界の仕事中でも悪意がまったくないわけじゃないけれど。

紗々芽の歌詞がちゃんとたくさんの人に届くようにと、色葉は知名度を上げるために忙しくモデルの仕事をこなしている。

以前みたいに色葉は紗々芽にべったりではなくなった代わりに、離れている時は写真やラインを以前より定期的に送るようになった。

それに夜に五分だけでも声を聞くのが安定につながっているのだと言って、会えない日は電話をかけてくるので忙しくて寂しいなんて思う暇は紗々芽にはなかった。

額の傷も。

色葉と井口が心配していたよりも血のわりには傷は浅く、もうほとんど消えている。

痕が残らなくてよかったと、色葉が心底安堵していた。

「昨日正式に玉川の事務所から謝罪がきたよ」

 歌番組のスペシャルに出るために準備を終えて、あとはスタンバイ時間を待つだけという楽屋のなか。

 白地に紫の星が散りばめられたネクタイ姿の井口が、メイク台の椅子に座っている色葉と紗々芽に言った。

「そうですか」

 紗々芽が何と言っていいやら無難に返すと。

「まあ玉川は自分のアカウントで二人の盗み撮りをアップしたことで、いまや大炎上で活動自粛してるみたいだけどね」

いい気味だよと眼鏡のブリッジを上げて悪い顔でにやりとする井口に、そんな大変な事になっていたのかと紗々芽はびっくりした。

まあ、同情する気はないが。

「私は紗々芽が手に入ったからいいけどね」

「結果オーライすぎるよ、色葉ちゃん」

井口がやれやれと肩をすくめてみせる。

色葉の言葉に、思わず紗々芽の耳が赤くなった。

 それを見た色葉がにんまりと、メイク台に片手で頬杖をついて隣に座る紗々芽を見やった。

 今日は白の膝丈のワンピースにピンクの小花が刺繍された衣装を着ている。

 少し伸びた黒髪には、紗々芽とお揃いの赤い花の形の石がついたヘアピンをつけていた。

 これは色葉が買った二人の私物だ。

 色葉が宣言通りにお揃いのものを買ってくれたのだ。

 お揃いなのだから自分もお金を出すと言ったのだが、寂しくさせたお詫びだと言われてしまい強引に色葉はお金を払ってしまった。

 のちに結構、高価なヘアアクセサリーの店で買ったのだと知って叱りつけたが、色葉は紗々芽に似合うものだったからと満足気だった。

「そういえば紗々芽はいつ私を好きになってくれたの?」

 ずっと疑問に思っていたというように、色葉は口を開いた。

 突然何の話をしだすんだお前はと思いながら。

「えー……いいじゃないか別に」

 あからさまに紗々芽は顔をしかめた。

 そんなことを聞かれてわざわざ言うなんて恥ずかしい以外のなんでもない。

「よくない、気になるよ」

 頬杖をやめて身を乗り出した色葉に、井口が笑いながらたしなめた。

「しつこい恋人は嫌われるよ、色葉ちゃん」

「こ、こいびとって!」

 ガタタッと椅子ごと音を立てて後ずさった紗々芽は、首まで真っ赤になっている。

 井口は紗々芽の反応に不思議そうに首を傾げた。

 その眼鏡の奥の糸目が紗々芽には笑っているようにも見える。

「え?そうでしょ、両思いなんだし」

「あ……うぅ……」

 まったくそのとおりなことを言ってくる井口に、紗々芽は。

(そのとおりだけど!そのとおりだけども!)

 胸中で叫んだ。

 紗々芽の動揺をよそに色葉は井口を見やって、満足そうに微笑んでいる。

「いいね、その響き」

そして、再び紗々芽へ身を乗り出してわざとらしく人差し指で顎をくいと上向かせた。

「それで?」

「な、なに」

急に近づいた綺麗な顔にドギマギしながら聞き返すと。

「いつ好きになったの」

「まだ続いてたのかそれ」

 思わず半眼になってしまう。

 いつと言われても困るのだ。

気付いたら好きが降り積もっていたのだから。

今思えばずっと自分は色葉の特別だったからだと思う。

 影響されたからとかじゃなくて、色葉がゆっくりとたくさんの好きを注いでくれたから、紗々芽のなかの恋の花が咲いたのだと思っている。

 いつからかはわからない。

 ただ、その恋のつぼみはずっと紗々芽の中にあったのだ。

 だから。

「お前の言うとおりつぼみだったからだよ」

 言いにくそうに、目元を赤くして紗々芽がプイと視線をずらす。

 ストレースに言うのは恥ずかしさではばかられて、遠回しで曖昧に答えておいた。

「それって……私の紗々芽を好きな気持ちが紗々芽を動かしたってこと?」

「まあ……そんな感じ」

言いにくそうに呟いたが。

「あ、好かれたから好きって言ったわけじゃないからな!同情とかでもないし、ちゃんと前から好きだったことに気付いただけ、で……」

 誤解されては困ると胸の前で手を振りながら言いつのって言ったうちに、自分がひどく恥ずかしいことを口走っていると自覚した紗々芽は、わーっと顔を慌てて覆った。

「そっか、紗々芽ありがとう」

 お礼を言われたことにちらりと手の隙間から色葉を見やると、驚くほど近くに顔があった。

 毛穴なんてなさそうな肌。

 黒曜石のようなしんなりと笑った目。

 そして、紗々芽の手を取って引き寄せると。

 目の前にさくらんぼのような唇があり。

「だ、だめだ!」

 キスされると思った瞬間、紗々芽はガバリと椅子から立ち上がった。

 ガタガタンと紗々芽の動揺に椅子が不快な音を立てた。

 もう顔と言わず首と言わず全身が真っ赤に染まっている。

 キスをよけられた色葉が、不満そうに紗々芽の手を離して唇を尖らせた。

「なんで」

「なんでじゃない!井口さんがいるだろ!」

 なにやってるんだと叱れば。

「僕のことは気にしなくていいよ」

 にこにこと井口が笑った。

 担当のアイドルが不純同性交遊をしようとしているのだ。

 気にしてくれと思う。

「だいたいキスなんかしたことないし!」

「あったらその男、投げ飛ばしに行ってるよ」

「怖いこと言うな!」

 実は合気道が得意な色葉が物騒なことを口にするのを叱りつける。

 実際に玉川を投げ飛ばした実績があるので、冗談で笑い飛ばせないところがある。

 とにかく駄目だと口をすっぱく説教をすると。

「あーあ、つぼみだった紗々芽はすっかり花が咲いちゃったから、私だけの紗々芽じゃなくなっちゃったのにキスもさせてくれないんだ」

 わざとらしく声を上げる色葉に、ドキリと紗々芽は口をつぐんだ。

 色葉はつぼみの紗々芽を好きだと言っていた。

 色葉いわく花の咲いた自分では駄目なのだろうかと、紗々芽は不安になりおそるおそる尋ねた。

 眉がへにょんとたれて、ハの字になってしまってい。。

 その眉の下で瞳が不安気に揺れていた。

「不満か?」

「まさか」

 間髪入れず返ってきた言葉にほっとする。

「紗々芽がみんなに認められて、凄く嬉しいよ」

 くすくすと紗々芽の不安を消すように色葉が笑って見せる。

 それにつられて紗々芽も笑みを浮かべたら。

「ほら、そろそろ時間だからイチャイチャしてないでスタンバイ行くよ」

 うながされて二人は笑いながらはいと答えた。

 今日の番組はスペシャルの歌番組だった。

 二人は『花も嵐も踏み越えて』を歌うことになっている。

「エヴァの二人には、今日は好調に売れているアルバムから大人気の『花も嵐も踏み越えて』を歌っていただきます」

司会のアナウンサーがにこやかに口を開くと、二人はよろしくお願いしますとぺこりと頭を下げた。

「これはセカンドシングル同様に紗々芽ちゃんの作詞だそうですね」

「はい」

 恥ずかしさで俯きたくなったが、それをこらえて紗々芽はこくりと頷いた。

 どんなに恥ずかしくても精一杯作ったものだから胸を張っていたいと思う。

「今回の歌詞はどんなことを考えて書かれましたか?」

「へ?」

 聞かれた言葉に一瞬まぬけな返事をしたあと、紗々芽はカカカーと全身をゆでだこのように赤くした。

 しかし、我に返り。

(正直に言わなくてもいいんだ!落ち着け)

 ぐっとマイクを口に近づけて喋ろうとした刹那。

「あれは紗々芽から私へのラブレターなんです」

「まあ」

 鈴のような声が楽しそうに紗々芽より先に言ってしまった。

 ごまかそうと思っていた部分すべてだ。

 アナウンサーが驚いた顔をしたあと、そうなんですねとズイと身を乗り出している。

 食いつきがいいにもほどがある。

「ちがっ」

「ガラス細工の君っていうのは色葉ちゃんなんですね」

「はい」

 否定しようとする紗々芽を無視してアナウンサーと色葉の会話は続き、割って入れないとさとった紗々芽はせめてと必死ににこにこと笑った。

 誰がどう見ても引きつっているが。

「さて、ファンからのコメントです。『色葉ちゃんの歌が大好き』『二人のような仲良しになりたいです』あ、熱烈なものがありますね。『紗々芽ちゃん愛してる』」

 アナウンサーがプリントされた紙を見ながら代弁するファンの言葉に、顔を真っ赤にしていた紗々芽だったが今度は目が潤んできて大忙しだった。

「嬉しすぎて泣きそうです」

 胸に手を当てて、本当に涙目になりながら紗々芽が答えると。

「俺も愛してるー!」

「私も愛してる!」

 客席からいくつか声が上がった。

それにあははと笑い声を上げて、紗々芽が。

「あたしも愛してる!」

 マイク超しに答えると客席から歓声が上がる。

 それに再び笑った紗々芽の肩がぐいと引かれた。

 なんだと思ってそちらを見ると、突然唇に柔らかな感触。

 すぐに離れていったそれが色葉の唇だと気づいた。

「紗々芽を一番愛してるのは私だから、たとえファンでも紗々芽はあげなあい」

 色葉がマイクに悪戯っぽくくすくすと笑っていて。

 さすが色葉ちゃんと歓声が上がる。

 さすがってなんださすがって。

 アナウンサーもラブラブですねと大人の対応だ。

 何万人もの前でファーストキスをかっさらわれた紗々芽は瞬間湯沸かし器のように一瞬でボンと赤くなり。

「こっの馬鹿!」

 怒声を張り上げ、会場内はドッと笑い声に包まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花は愛され咲き誇る やらぎはら響 @yaragi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ