大寝坊

安良巻祐介


 週末の朝、夢うつつを幾度もうとうとと行き来したのち、すっかり日の上がったくらいになってから、布団の上に起き上がると、ちょうど鏡写しのような格好で、黄色い顔の「大寝坊おおねぼう」が、隣でむっくりと身を起こすところであった。

 寝ぼけまなこをこすりつつ、もはや見慣れたその妖怪に、手元の霧吹きを取って、ぷしゅぷしゅと吹きかけると、棚に生った瓢箪じみて、ぷらぷらと頭を揺らした。

 大きな瓜を取ってつけたような頭のその下は、縞柄の着物に似た胴体をしているが、別に着物を着ているわけではなく、豹や虎などの毛皮と同様、そういう模様の身をしているということが、少し前の検分にてわかったところである。

 その他に判明しているのは、名前の通り、ひどい寝坊をすると現れる(そして気づいたらいつの間にか消えている)というだけで、後は、目的やら、祟りやらも今一つはっきりしない、全くもってぼんやりしたばけものであるが、独り暮らしの家に出るようなのは、このくらいでいいのかもしれないとも思う。

 待っ黄色い瓜頭には毛というものが無く、八の字になった情けなさそうな閉じ眸に、少し尖った唇が、いまにも口笛を吹きそうにくっついているが、こいつが口笛をするのを聞いたことはない。

 畳の上に半身を起こしたまま、放っておくとそいつは何時間でも呆然としている。

 ただ、時折、思い出したように、尖り口の端から、

皿鉢さらばち小鉢こばち天理てんり心裏しんり

 と、謎かけのような言葉を呟くので、その度に、すこしドキリとするような気もする。その言葉について真剣に考えてみた事もあったが、どこまで行っても答えらしい答えがないので、もう投げ出してしまった。

 家の隣に越してきた、えらい大学の先生とかいう男は、この話を聞くなり、電磁気の網を携えて「大寝坊」を捕獲しに来たが、まあやって見なさいと言って好きにさせておいたら、あれこれと「大寝坊」に向かって網をかけたり電気の鋲を打ったりしたあげくに、まさしく糠に釘、暖簾に腕押しの反応ばかりなので、うあうあうあうあうあ…と、死ぬ間際の猫のような呻き声を漏らしつつ退散した。

 業突の大家が、いやらしい笑みを浮かべて家賃の値上げの告知にやってきた時も、こいつがのっぺりと起き上がっているのを見て、悲鳴を上げて逃げ去ってしまった。

 その後、大家が言いつけたか、泣き付いたか、何かとうるさいあれこれ、お祓いが来たり、僧正が来たり、警察が来たり、やくざが来たりしたが、いずれも大寝坊を前にすると、泣いたり叫んだり、来た時の威勢を無くして帰ってゆく。

 だから今は、正体のよくわからない妖怪は、この家の週末の留守番であり、優秀なガードマンということになっている。

 野暮と化け物は箱根から先、などと言うが、厄介ごとを持ち込んでくるのが、人間の方がはるかに多い以上は、自分の家は箱根から先で構わないと、そういう風にも思うのであった。

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大寝坊 安良巻祐介 @aramaki88

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