『聖母』のような妹分に、肝心な時まで世話を焼かれる俺

ちょくなり

短編

「…んふふっ、こうちゃん可愛い。」


「んぅっ……。」


「こうちゃーん、朝ですよー。」



甘ったるく囁くような声と、さらりと頭を撫でる温かい感触。



「起きないと、キス…しちゃうよ?」


「んっ……。」



耳に届いているはずの言葉も、睡眠の心地よさには勝てずに脳で処理されずに通り過ぎていく。



「はぁっ、しょうがないんだから……。」



すぐ隣でゴソゴソと動く気配がして、ようやく『誰か傍にいる?』という疑問が頭の中で浮上した。



「……それじゃ、いただきます。」



「へぁっ……!?」



その疑問が解決する間もなく、突如左耳に生暖かく瑞々しい何かが触れた。

突如襲ったこそばゆい感触に、俺は素っ頓狂な声を上げて飛び起きた。


運の悪いことに、そこには質量のある双丘。

左耳に当たったモノからサッと顔を避けたせいで、そのままその谷間に顔を埋めてしまう。



「やんっ!?…もぉ、こうちゃんは甘えん坊さんだねぇ。」


「ふがっ…!?」



短い悲鳴のあと、避けるどころか優しく頭を抱き抱えられる。

柔らかいクッションに顔を挟まれて、心地よさと息ができない苦しさが同時に襲ってきた。



「ぶはっ!」



慌ててベットに手を突っ張り、頭をクッションから引き剥がす。

勢いよく距離を取ると同時に、『あーぁっ…。』と残念がる声が聞こえた。



「…はぁっ、はぁっ。おい、恵那えなっ!その起こし方は止めろって言っただろ!!」



息を整えて、豊満な双丘の持ち主を軽く睨む。

が、当人は照れ臭そうに笑うだけで、どこ吹く風だ。



「ふふっ、ごめんね?でも、こうちゃんを起こすにはこうするのが一番早いから。」




そう言い訳しながら目尻を下げる彼女は、成瀬なるせ 恵那えな

隣に住む一つ歳下の幼馴染で、今年高校生になったばかりの女の子だ。


マロン色のふわっとしたロングヘアーと、数ヶ月前まで中学生だったとは思えない丸みの帯びた女性らしい体つきをしている。

柔らかい雰囲気と見たまんまのほわんとした性格が相まって、歳上の俺からしても『近所の優しいお姉さん』のような印象を受ける。


誰にでも優しく、世話好きな恵那に癒しを求めて接点を持とうとする男は後を絶たない。

ただし、交際を求める声に応えたという話は聞かないので、特定の相手はいないようだ。


今でこそ落ち着いたが入学後の告白を全て断り、その相手とすら変わらず接する恵那の姿から、付いたあだ名は『聖母』。

『聖女』ではないところが恵那らしいと俺も思う。




そんな彼女だからこそ、幼い頃から世話を焼かれている俺はイマイチ恵那との距離感が分からなかった。




「はぁっ…。ちゃんと起きれない俺も悪いけど、耳は止めてくれ。」


「えー?耳を触った時のこうちゃん、可愛くて好きなんだけどなぁ…。」



意地悪く笑う恵那だが、彼女がそうすると嫌味は全くなく、微笑ましいものを見つめる慈愛の表情にも思えてくる。

長い付き合いのある、俺には通用しないが。



「朝から揶揄からかうなよ。」


「えへっ、バレた?」


可愛らしく、チロッと舌を覗かせる恵那に溜息を吐いた。



「…人の弱点で遊ぶ人には、もう起こしてもらいません。」


「だっ、だめっ!朝はこうちゃんの寝顔を見ないと、私生きていけない!」



それもどうなんだ。

演技とわかってはいるが、オーバーすぎるだろ…。



「だったらこっちの要求を飲んでもらおうか。」


「うぅ…、ついに私も年貢の納め時か……。」



泣き真似をする恵那から視線を外し、時計を見るといつも準備する時間だった。



「ほら、この辺にして準備するから下に行っててくれ。…せっかく起こしてもらったのに、遅刻はしたくないからな。」



そういうと、何事もなかったかのように恵那が顔を上げる。

…いや、ちょっとだけ嬉しそうか?



「うん。今日は和食だから、早く降りてきてね。」


「あぁ。」



恵那が素直に部屋を出たので、さっさと通学の準備をして後を追いかけた。










「そんじゃ、いただきます。」


「はい、召し上がれ。」



恵那と向かい合ってテーブルに座り、朝食を食べる。

恵那は父に代わって、毎日朝と夜にごはんを作りに来てくれていた。



「今日は遅くなるんだっけ?」


「あぁ。」



我ながら夫婦のような会話だとは思うが、俺と恵那はそういう関係ではない。


恵那は誰にでもこんな感じだし、俺に対して多少スキンシップが多い気はするが、それは幼馴染みとして他よりはちょっとだけ心を開いてくれているだけだろう。



「追いコンとか言ってたし、晩飯も大丈夫だ。」


「そっかぁ…。」



俺はバスケ部に所属しており、先週3年生が引退試合を迎えた。

朝練もないような運動部にしては緩い部活だが、どこかの学年にこうゆうイベント好きが居るのが伝統になっている。


ちなみに、恵那はどの部活にも所属はしていないが、仲の良い友達のいる料理部にたまに顔を出しているようだ。




「……けっこう前から、伝えてただろ。」


「うん、……そうだね。」



もちろん恵那には事前に伝えていたのだが、寂しそうな表情を見せる彼女に言外に『しょうがないだろう』と含みを持たせると、恵那は『わかってる』という風に無理に笑顔を作った。



なんで1日、夕飯の準備が無くなっただけでそんな顔するんだよ…。つくづく、世話好きなヤツだな。

将来、悪い男に引っ掛かりそうだとまで考えて溜息が漏れる。




「……明日は予定ないから、昼もお願いできるか?」


「え?……うん!それじゃ明日は1日中一緒に居られるね!」



途端に、恵那の表情が輝く。


休みの日までは悪いから、週末の世話は基本的には断っていた。

しかし、恵那が他の男のお世話をしているところを想像して、もう少しだけ恵那に世話を焼かれるこの時間を楽しみたくなってしまった。


現金なやつだと思いながらも、本当に嬉しそうな恵那に俺の頬も緩む。



「それじゃ今日の洗濯物とかも置いといてね?あ、こうちゃんのお布団も干しちゃおうか。」



早速、明日する家事のアレコレに想いを馳せ出した恵那。

そんな恵那を見て、俺は笑みを隠すために味噌汁を啜った。









「なぁ浩平こうへい〜。成瀬さん、誘ってくれよぉ。」


俺はわざとらしく酔ったフリをして、腕に絡み付いてきたチームメイトを振り払う。

お前が飲んだのはグレープの炭酸ジュースだろうが……。



「うっせぇ。何回もダメだって言ってるだろ。」


「だってよぉ、俺達のだいマネージャーいないんだぜ?」



俺が断っても、まだしつこく絡み付いてくる。

その様子を見ていた2人いる3年生のマネージャーが、困った顔をして言った。



「ごめんね?私達が誰も連れて来れなかったから……。」


「いえ!先輩達のせいじゃないっす!浩平がその気になればマネージャーの1人や2人……あでっ!」


「人聞き悪い事言うな。」



調子に乗りすぎな友人をはたいて黙らせる。

俺はそれでこの話を終わらそうとしたが、別のチームメイトが参入してきた。



「でも、マネージャーは欲しいよなぁ。」


「……お前もか。」



普段はあんまりこういう事を言わない奴にも言われて俺は顔をしかめたが、そいつは違うと首を振る。



「成瀬さんに限った話じゃないさ。誰か入ってくれないかなって。」



まぁ、確かにいないよりはいた方がいい。

元々いたのだから、余計に不安に思う所は理解できる。




「いいじゃねぇか、浩平。彼女がマネージャーでいてくれるのも良いもんだぞ。」


「もう。そういうこと言わない。」



先輩マネージャーと付き合っている先輩も入ってきて、それを彼女がたしなめた。



「…付き合ってないですよ。」



そう言い訳すると、『えぇっ!?』と他学年のチームメイトが驚きの声を上げた。



「試合も見に来てましたよね!?浩平先輩、ヘタレっすか!」


「おいっ、お前練習の時覚えとけよ。」



後輩にまで馬鹿にされたので、軽く脅しておく。

そいつは怯えを隠すよう愛想笑いを浮かべ、『失礼しましたー。』と言って席を離れた。



「やめとけって。付き合ってると思われてても不思議じゃないのはわかってるだろ?」


「くっ……。」



ある程度事情を知っている、さっきの冷静な奴が俺を止めた。

俺も心当たりがない訳ではなくて、何も言い返すことが出来ない。



「成瀬さんが告白を断ってるのって、浩平がいるからだろうし。」


「……そんなの、分からないだろ。」



弱々しく反論する俺に、先輩マネージャーが目を輝かせる。



「浩平くん!恋バナなら相談に乗るよ?」


「いや、恋バナじゃ……、」



女性はこういう話、好きだよなぁ……。

結局、他のチームメイトからのリクエストもあり、勢いに押されて俺は恵那との関係を話す事になってしまった。









「ふぅ…、ただいまっと。」



家に着いて、返す人も居ないのに挨拶を口にする。

きっとこれが癖になったのも、恵那が家で待っていてくれる日が多いからだろう。



「……いかん、毒されてる。」



恵那との関係を根掘り葉掘り聞かれたせいで、恵那が居ない家を寂しく思ってしまう。

自分はそんな人間じゃないだろうと、自嘲しながらリビングの灯りを点けた。





「こうちゃん、おかえりなさい!」




「……は?」



そこには私服の恵那が居て、満面の笑みを浮かべて俺を出迎える。



「え?なんでいるんだ?」


「うふふっ…。」



どうやら俺が呆気にとられているのが、楽しいらしい。



「えとね、どうせ明日も来るなら今晩からお邪魔しちゃおうかなって。……あっ、お母さん達にはオッケー貰ってるから大丈夫だよ。」


「……それで、部屋を真っ暗にしてまで待ってたのか?」



俺の問い掛けに、恵那はピースサインを出して答えた。



「うん、こうちゃんを驚かそうと思って。大成功だよ。」



別に驚かされた事は、別にいい。

恵那はこういう悪ふざけをたまにするから。


……ただ、今は恵那の無防備さが無性に苛立たしかった。



「さっ、お風呂沸かしてあるから先に入って来て?」




笑顔でそう勧める恵那に、さっきチームメイトから言われた事を思い出す。



『その気がないなら、時間が経つほど傷つけるだけだぞ。』



(……恵那にとって、俺ってなんだ?)



自分が何に腹を立てているのか、その答えがはっきりと分からぬまま、俺は恵那に言う。





「……恵那、帰れ。」


「……え?」



聞こえていなかったという事はなかったようで、恵那の表情が一気に引き攣った。



「いくらなんでも、夜に男と2人っきりてのはダメだろ。送るから、今日は帰れ。」




初めて、恵那に対してこんな冷たい言葉を投げかけた。

自分でもその事に驚くが、なんだか他人事のように感じ俺の表情は変わらない。


恵奈はそんな俺に、あからさまに動揺した様子で謝罪する。




「き、急に来ちゃったからだよね?ごめんね。私、少しでもこうちゃんと居たくて、だから……。」



「そういうの、もういいから。」



俺はさらに、恵那を突き放す。



「恵那が告白してきた相手にも優しくしてるのは、知ってる。お前がどういう思いで俺の世話を焼いてるのかは知らないけど、他にもお前に優しくされたい奴なら山程いるんだろ?……同情で俺に関わってるならもうやめて、そいつらのとこに行けよ。」



「……。」



心では違うとわかっていても、一度吐き出すと止まらなくて、恵那に当たる。

その言葉をぶつけられた恵那は呆然とした様子でしばらく立ち尽くし、やがて震えながら涙声で言った。




「……本当に、そう思ってるの?」


「……何がだよ?」




恵那がキッと俺を睨み付ける。



「私の気持ちがわからないって、本当にそう思ってるの!?」



見たことのない恵那の表情に、俺は怯んだ。

しかし、ムキになって言い返す。



「あ…、あぁ、そうだよ!誰彼構わず優しくしやがって!誰でもいいなら、さっさと彼氏でも何でも作ってどっか行っちまえ!」



「……!」



俺の言葉に、恵那は大きなショックを受けたようで、言葉を失くした。



「うぇ……。」



泣き声を上げ掛けた恵那が必死に口を歪ませてそれを堪えると、瞳に涙を溜めたまま叫んだ。



「こうちゃんのバカ!もう知らない!」



泊まる準備をしてきたのだろう、大きめの荷物を引っ掴んで恵那が出て行く。




俺は通り過ぎた恵那が玄関を乱暴に閉める音を聞いてから、脱力して座り込んだ。



「……なにやってんだ、俺は。」



こんなに自分の事がわからなくなったのは初めてで、俺の心は戸惑いでいっぱいだった。







ソファに座って、テレビも点けずにボーッと考える。

落ち着いた俺は、幾らかマシな思考が出来るようになっていた。



恵那が俺を甘やかしだしたのは、母さんが死んでからだったか。

それまでは俺が恵那を引っ張っていたが、それからは恵那がずっと俺の背中を押してくれていた気がする。



——なんて事はない。恵那が俺と居たがっていたんじゃなくて、俺が恵那と居たかったんだ。



そう考えると、みっともなく嫉妬を恵那にぶつけた自分がとても恥ずかしい。



「あー、なんで俺は……。」



頭を抱えて、自身の行いを悔いそうになるのを寸前で踏み止まった。

今はちゃんと、あいつの事を考えないと。



このまま、『さようなら』なんて絶対に嫌だ。

恵那が隣に居てくれるなら、泣きすがってでも謝ろう。

決意が固まって安心したのか、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。








「……こんな所で寝ちゃって、全く。」



「んぅ……。」



何かで頬を突かれる感触に、俺の意識が眠りから覚める。

昨日はあのままソファで寝ていたみたいで、体が痛く、眠りも浅かったみたいだ。




「んんっ……。恵那っ……!?」


「おはよ、こうちゃん。」



ガバッと起き上がった俺に、いつもより低いテンションで恵那が挨拶した。



「ソファで寝たから、ちゃんと寝れなかったんでしょ?ダメだよ?」



「あ、あぁ……。」



眉尻を下げた、困ったような顔で恵那が話す。

何故ここにいるのかとか疑問は浮あったが、それよりやらないといけない事がある。



「恵那っ、昨日はごめん!」



俺は頭を下げて恵那に謝った。

そんな俺に、恵那は問いかける。



「昨日、何かあったの?」


「いや、ただバスケ部のやつに恵那との関係を聞かれて。それで……。」



俺は昨日、思っていた事を恵那に伝えた。


恵那が俺の事をどう思っているのか、それを考えると男として見られていない気がして不安になったこと、恵那の優しさが自分以外に向けられると思うと焦りで自分がどうしたいのかわからなくなったこと……。



ただ思ったことを吐き出したので、支離滅裂な言葉になってしまった。

けれど、恵那はそれを小さい子の話を聞くように、『うん、うん。』と微笑みを浮かべて聞いてくれた。



全て聞き終わると、恵那は言った。



「こうちゃんは、バカだねぇ。」


「……あぁ、本当にごめん。」



その評価をしっかり受け止め、俺は再び頭を下げる。


判決を待つ受刑者のような気分で俯いていると、ふわっと柔らかい感触が俺を包み込んだ。



「……こんなの、こうちゃん以外にはやらないよ?」



「え、恵那……?」



恵那に抱き締められたことに気付いて、俺は戸惑いながら顔を上げる。

俺の顔を見て、恵那が鼻を指先で突いた。



「こうちゃん以外には、しない。……この意味はわかる?」



俺はここまで恵那にさせてしまった事を情けなく思いながらも、ここで伝えないとと気合を入れた。



「恵那、俺は……。」

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『聖母』のような妹分に、肝心な時まで世話を焼かれる俺 ちょくなり @tyoku_nari08

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