ずりずりずりずりずりずり……

 全員、言葉なく石を見る。


 静まり返った場で、最初に口を開いたのは、石を落としてしまったヨネちゃんだった。


「あー、やばっ。はは、ずりずりさまが出てくんじゃねーの」


 冗談めかした彼に、レナが妙に明るく、「こっわー」と甲高い声をあげる。ユウヤの腕にしがみつき、「ユウちゃん、レナのことずりずりさまから守ってよねー」と甘え、ユウヤも「オッケー」と調子がいい。


 一瞬張りつめてしまった空気を和ますように、おれたちは互いの目を見かわしながら、「はは、はは」と笑い声をあげた。爆笑とはちがう、嘘っぽい響きだったけど、笑い飛ばして終わりにしようという、やさしさに満ちた気づかいもあって、誰もヨネちゃんを責めようとはしなかった。


「じゃ、帰るべ」


 ヨネちゃんがいった。やや引きつった顔で、割れたずりずり石に目をやり、拾い上げようとするヨネちゃん。カラスが鳴いて、おれは何気なく視線を空に向けた。夕日がきれいだな、そう思った。


「なー、明日さ」


 文化祭のおばけ屋敷で、ずりずりさまをとりいれてみたら面白いんじゃないか、そう仲間たちのほうを向いて口にしようとしたとき。


 すっ、と心臓が冷たくなった。


 きっとおれの表情は固まっていたんだろう。ミズハが「りっくん?」と問う。どうした、とタクローの太い声がきこえたが、おれは声を出せず、ただソレを見ていた。


「ミズハ」


 おれの視線をたどったタクローも、ソレを見た。そばにいたミズハをつかみ、背にかくすように移動させる。え、と声を出したミズハも、ソレに気づく。


「うそ」


 ずり、ずりずり、ずり、と。

 ソレは動いた。

 田畑が広がるあぜ道の中央に、ソレはいきなり現れて、おれたちがいるほうへ、真っ黒な洞窟のような目を向けて、ずり、ずり、と動いていた。


「……ずりずりさま」


 誰が言ったのか、おぼえちゃいない。だっといちばんに駆けだしたのはおれだったか、ユウヤだったか。レナが転び、ユウヤが立ち止まる。そいつに目をやり、おれも走る速度を落として、はっとする。


 全員あの場を逃げたと思っていた。


 でも振り返った視線のさきに、ソレに立ちはだかるように立つタクローのがっしりとした背中と、腰を抜かしているミズハ、鳥居に石を戻そうとして失敗しているヨネちゃんの姿があった。


「わ、あー、手が震えて」


 鳥居の上に落としたずりずり石を乗せようとするヨネちゃんたが、手つきがおぼつかなく、乗せるかわりに、すでにある小石をあしもとにボロボロと落としている。助けを求めるかに、あたりを見回した視線がおれとぶつかる。


「りく」


 呼ばれるまでもなく動いていた。びびりまくっていたが、もう恥はかくまいと恐怖を押しこめる。自分だけ真っ先に逃げだしたようで、ふがいなく、そのことで顔を熱くなっていた。


 ヨネちゃんの横に立ち、割れた石の半分を鳥居に乗せる。もう片方も、と手を伸ばしたとき、「きゃああああ」と女子の叫び声があった。


 ミズハに目をやったが、彼女はがくがくと震えているだけで、悲鳴はレナのものだった。ユウヤが抱きかかえる腕の中で気が狂ったように叫んでいる。その姿に動揺して手もとが狂い、おれはずりずり石を落としてしまった。あ、とひやりとした瞬間、スローモーションになって地面にぶつかり、砕け散る石を見た。


 ざっ、とでかい音がしたのは、それと同時だった。


「やろー」


 ヨネちゃんが前に出て、ミズハに近づくずりずりさまに、からだごとぶつかる。おれはひざががくりと折れ曲がりそうなのを無理やりのばして、ミズハの手をつかみ、引っぱりあげた。


「逃げろ、逃げろっ」


 手を振り上げ、ユウヤとレナに身振りで示す。二人は固まった表情のままうなずき、走り出した。その背を、おれはミズハと追いかける。


 その瞬間を見てなかったが。


 ざっ、と背後でまた音がして。


 悟った。


 あの音は、食った音で。


 タクローが最初の犠牲になった。そして。


 いま、ヨネちゃんが食われたのだと。


「うわああああああ」


 誰の叫びかわからない。おれも、手を引くミズハも、ユウヤもレナも。全員、がむしゃらに走り、叫び、転がるように逃げた。分かれ道で二手に別れて、逃げて、走って、そして――


「行って」


 背に受けたミズハの蹴り。

 おれは走った。走って走って走って――でも。


「だめか。ごめんミズハ」


 ずりずりさまがおれにも迫る。みんなの顔が浮かぶ。走馬灯ってやつか。

 目を閉じて、その瞬間を待つ。


 ざっ、と音がして。


 ……音がして。


 カァ、カァ……カァ、とカラスが鳴いていた。その声に目を覚めて。


 あの鳥居の前にいた。沈みかけた陽が田畑をオレンジ色に染めていく。


「ミズ、ハ……?」


 状況がわからず、ふわふわとした気分だったが、すぐそばにある制服姿に気づき、手を伸ばした。ミズハだった。意識はないが、ぬくもりのあるからだにほっとする。よくよくあたりを確かめると、遠くにふたつ、反対を向けば、そこにもふたつ、横たわる人がある。みんな、無事で……?


 助かったのか。あれはいやな夢だったのか。


 ふと、鳥居の下にある石に気づいた。ずりずり石だ。おれが落として砕け散らした破片ではなく、ヨネちゃんが落としたときにふたつに割れた、あの状態で転がっている。


 もしかして、石を割った瞬間から、全員で気絶して夢を見たのだろうか。またはみんな同じ幻覚を見た? かすかな頭痛を覚えながら立ち上がり、石に近づこうとした、そのとき。


 ずり、ずり、ずり……


 からだが凍りつく。見たくない。でも。


 ずり、ずり、ずり……


 振り向いた目に飛び込んでくる、ソレ。ずりずりさま。


「あ」


 ミズハが目覚める。他の仲間もからだを起こして、この状況に気づきはじめた。


「逃げろおおおお」


 おれは叫んだ。走る、走る。


 ざっ、と音がして。


 またひとり誰かが捕まった……

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ずりずりさま 竹神チエ @chokorabonbon

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