魔法使いの弟子

草群 鶏

雲隠れのロビン

 ある夜、ロビンはいつものように届いた郵便物の仕分けをしていた。

 いまにも雪が降ろうかという、底冷えのする日である。暖炉でまどろむ〈火の手〉を片手間に揺り起こしつつ、戯れにやってくる〈眠り猫〉ファゴとファルの二匹を相手しながら紙束と向き合っていると、見慣れぬ封筒が目にとまった。

 金のふちどりに真紅の封蝋。透かしを見るまでもない、王家からの書状である。封筒は二通あり、一方は師匠あて、もう一方はなんとロビン自身へあてたものだった。

 どきどきと逸る気持ちを抑え、滅多につかわないペーパーナイフを持ち出した。そうっと封を切ると、あらわれた便箋はなめらかで重く、そしてうっすら魔法の気配がした。

 流麗な文字で綴られていたのは、王国内の魔法使いへ向けた戦時召集の通達であった。得意魔法の分野を問わず、国のために持てる力を発揮せよとの内容に、ロビンは「ああ」と声を漏らす。

 戦争がはじまるのだ。

 さきの戦で、幼かったロビンは家族のみならず、住んでいた村ごと失っている。師匠のイグニスに拾われるまでの記憶は曖昧なものの、その事実は年齢を重ねるごとにロビンを苛んだ。

 自分に力があれば。そう願って何度もイグニスに迫ったが、実際に習うのは読み書きに計算、地理や薬草の知識ばかりで、魔法らしいことには一切触れない。仕方がないので、魔術書と使い魔たちを頼りにほそぼそと独学しているものの、まともに使えるのは目くらましの術ばかり。これは生来身についていたもので、ものの数にも入らない。

 これはチャンスかもしれない。そう思うと、便箋をもつ手に自然と力がこもった。

 どうやら署名ひとつで意思表明できるらしい。意気揚々とペンをとり、うっかりインクをたらしてしまったそのとき、異変が起こった。

 紙の上の文字が蜘蛛の子を散らすように駆け出して、はらはらと散っていく。一体どこへ行ったのか、あとにのこったのは上質な紙とインクのしみだけ。

 しばらく呆然としたのち、ロビンはその意味するところを悟った。無力なこどもは、いくつになっても無力なままだということ。せりあがってきたなにかは熱い涙となって溢れでて、力任せに手紙を破る。すると驚くほど綺麗に裂けて、それが自分の願いと重なってさらに泣けた。勢いでイグニス宛ての封書もつかんだが、なけなしの理性で思いとどまる。

 ロビンは大きく息を吐きながら嗚咽を鎮め、涙を拭いてから、師匠の部屋の戸を叩いた。

―――魔法使いイグニス。

 一夜にして一国をも滅ぼすともいわれる、伝説の魔法使いである。縦に長く彫りが深い面立ち、朱銅色の髪は朝陽に透けて炎のよう。ひょろりと大柄な体躯には、くぐり抜けた死地のぶんだけ傷が刻まれているという。

 とはいえ、ともに暮らすロビンにとっては手のかかるだらしない大人でしかない。引退を公言してからも、こと金銭と女性関係のトラブルには事欠かず、さらに過去の因縁も頻繁に再燃する。おとなしくどこかへ仕えれば暮らし向きも楽になるだろうに、のらりくらりと断りつづけ、ここしばらくは町の人々のこまごまとした依頼をこなして暮らしていた。

 細工物をしていたらしく眼鏡をかけて振り返ったイグニスは、思いつめたようなロビンの様子と、その手が握りしめたものを見て、何かを察したようだった。受け取った手紙の内容を一瞥したのち、言い淀むことしばし。

「こんなもののために泣かなくていい」

 怒ったような口ぶりに、ロビンの手が震えた。

「こんなもの……?」

 その一言が、頭の中でガンガン反響する。

 持てる力を尽くして国を守ること。敵と戦い、街を、暮らしを、家族を守ろうと働くこと。それを、こんなもの、と呼ばわるのか。強大な力を持ちながら、まともに役立てようとせず、教えてもくれないくせに。

「ふざけんなよ!」

 もう、我慢ならなかった。

「なにが魔法使いだよ、力があったって、使わなきゃなんの役にも立たないじゃないか。僕なんかやりたくてもできないのに、やらせてももらえないのに、こんなものって、一体どういうこと?」

 とうとうほとばしって止まれない。

「国をも滅ぼす力だなんて、そんな力があるなら、僕の家族だって、みんな、みんな助けられたんじゃないの? でもそうしなかった、ああ、きっとあんたにとっては大したことじゃなかったんだ、そうだろう、なあ、魔法使いイグニス!」

 言い切った。いつもは減らず口をたたくイグニスが黙り込んだのを見て、しまった、と思ったがもう遅い。投げつけた言葉はすべて本心、ずっと心に凝っていた澱だった。謝ることはロビンの矜恃が許さなかった。

 いたたまれずに扉を蹴っ飛ばし、そのまま屋根裏への細い階段を一気に駆け上がった。

季節は冬。外に飛び出していくには寒すぎる。

(本当に魔法使いなら、こんな寒さくらいどうにでもなるんだろうけど)

 何もかも嫌になって布団をかぶって丸まった。もう涙は出なかったが、怒りで体が爆発しそうで、どうにかやりすごそうと枕に顔を埋めて獣のように唸りつづけた。

 それから籠城すること三日。

いよいよ限界がきて階下に降りた。家のなかは静まり返っており、妙な胸騒ぎがした。みゃう、と声が聞こえて行ってみると、師匠の部屋の前でファゴとファルが群青色のしっぽをくゆらせている。

 おそるおそる押し開いた扉の先には、イグニスはおろか、家財の一切がなくなっていた。



 がつんと蹴躓いて思わず舌打ちする。

 あれから踏んだり蹴ったりだ。身寄りもなく、稼ぎもなく、こんどは何をしでかしたか血眼になって師匠を追う輩の来襲に目くらましで耐え、とうとう家移りを決めた矢先。行方をくらました師匠が唯一置いていった、こいつは因縁の旅行鞄である。

 開ける気にもならなかったものが、さきほどの衝撃で留め金が弾け飛んだらしい。ひとりでに開いた中身に目を奪われた。

 鞄いっぱい、みっしりとつくりこまれたドールハウス。暗い色合いで揃えた調度にエメラルドのランプ。のそりと動いたのは…

「師匠?!」

「よう、遅かったな」

 まるで悪びれないその笑顔に腹が立つやらほっとするやら。あとにもさきにも、この日ぶっ放した風魔法は人生最高の出来だったと思う。

「いてて」

 くっくっと笑うイグニスの頬に、朱いものがつたった。

 攻撃が当たったのだ。こんなことは初めてだった。これを喜ぶほど、ロビンは幼くも愚かでもない。よく見ればイグニスの目元は黒ずみ、ただでさえこけた頬がさらに削げている。怠惰だが最強無敵のはずの師匠は、今や弱りはてていた。

「遅いからだいたいおわっちまったぞ」

「なにが」

「戦争だよ」

 目を見開いたロビンに、「たたかえ、っていったのはお前だろ」と、そっぽを向く。

「戦争、してたんですか」

「ああ。ただ」

 その声色がにわかに硬くなる。

「人殺しはしない。お前にも、させない。お前を拾ったときに、そう決めたからな」

 裏で糸を引くなんて慣れないことするから疲れちまった、と力なく笑う師匠を見て、ロビンはたまらなくなった。何を言えばいいのかわからないでいるうちに、イグニスは大儀そうに腰を上げる。

「さあ、最後の仕上げだ。力を貸してくれ」

 思いもよらないことを言われて面食らったロビンは、その後師匠の作戦をきいて、「無理です!」と悲鳴をあげた。



 イグニスに連れられて鞄のなかを歩きながら、ロビンはまったく上の空だった。

旅行鞄のなかはあらゆるものが揃っていて、年単位で暮らすこともできる隠れ家になっていた。イグニスはさらに改良をほどこし、壁に据えられた飾り扉を主要各国の中枢につないでいた。

「おまえには、国をまるごと隠しきってもらう」

 こともなげに言われたとき、ロビンは「あーはいはい」とあやうく頷きかけた。

「国を?」

「うむ」

「まるごと」

「そう」

「無理ですよ!」

 そもそも攻撃する対象が消えてしまえば戦争などできないだろう、と嘯く師匠の正気を疑う。いや、理屈はわかるのだが規模がおかしい。だてに勉強ばかりさせられてきたわけじゃないのだ。一国がどれだけの広さか、知らないわけではない。

「そんな大きな術、どうやって……」

「目くらましなら得意だろう」

「得意とかそういう問題では」

 全力で及び腰のロビンに業を煮やしたのか、イグニスはぴたりと足を止めて振り返った。

「なにもお前ひとりでやれというわけじゃない」

 そう言うと、よっこらしょと鞄のふちを跨いで外に出た。たちまちもとの大きさに戻っていくのを見上げてから、ロビンもあとに続く。

 イグニスはまっすぐ暖炉に向かい、〈火の手〉の炎に躊躇なく触れてすくい取った。

「口を開けろ」

「えっ」

 いいから、と半ば無理やり指を突っ込まれて、ロビンはなすすべなくえずいた。灼けるような熱さが流れ込んでいく。不思議と痛みは感じず、ただ意思に反して手足が暴れだしそうになった。

「こらえろ」

 涙目で頷いた。からだのなかから燃える感覚、ばちばちと幻がよぎる。荒涼とした焼け野原は、破壊のかぎりを尽くす炎の成れの果てだった。

「〈火の手〉の力を貸してやる。お前が、お前のためにつかえ」

 イグニスの表情が硬い。ロビンは〈火の手〉の正体をなんとなく察した。

「わかりました」

 それからはめまぐるしい忙しさになった。イグニスは「頭が黙ればこっちのもんだ」とファゴとファルを連れて戦争当事国のトップを眠らせに出かけていき、その隙にロビンが目くらましをかけた。目が覚めたら敵国が消えている、という寸法だ。はじめこそ驚いたが、ロビンはその案を気に入った。偉い人たちが慌てふためくさまを想像するとちょっと愉快になる。

 ロビンはありとあらゆる都市、町、ひなびた村に至るまで、頭に叩き込んだ地理情報と旅行鞄の力をたよりに次々と隠していった。森で覆い、草原をひきのばし、岩肌に擬態させる。しまいに、国中を見下ろす霊峰の頂きに立って、最後の大仕事にかかった。これだけ術を施してもなお湧き出る〈火の手〉の魔力にかえって肝を冷やしつつ、国全体にうっすらと靄をかけて、へとへとになって山をあとにした。



 世界の勢力図からひとつの国が消えた。

 国境に控えていた敵国の軍隊は、目前にしていたはずの城塞を見失って首を傾げ、士気を大幅におとして撤退した。あるはずの町にやみくもに攻撃をしかけた将軍は、弧を描いて戻ってきた砲弾にやられて命を落とした。

 そうした逸話はあとを立たず、戦意は畏怖にとってかわる。かくして、戦はいったんの幕引きを得た。

 まちの人々はそんなことはつゆ知らず、いつの間にか戦の気配が消えたことを喜んだ。よく食べよく飲みよく働き、そのうち、口の端にある噂がのぼるようになる。

 人々が戦争の影に怯えていたとき、年若い少年がふらりと町にやってきた。どこか浮世離れした姿とはうらはらに、素朴な口ぶりで「すみません、おなかすいちゃって」と民家の戸をたたく。食事を与えると、かれは律儀に頭を下げて名を名乗った。

「ぼく、ロビンっていいます。ぼくがきたからもう大丈夫ですよ」

 そうしてにっこりわらってから、煙のように消えてしまうのだそうだ。それからいくらも経たないうちに、戦争は影もかたちもなくなったという。

 似たような噂は各地にあらわれ、戦を厭い、日々の暮らしを愛する人々の心をつかんだ。

 雲隠れのロビン。その名はおとぎ話として、のちのちまで語り継がれることになる。

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魔法使いの弟子 草群 鶏 @emily0420

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