魔女と寓話と独白

真白(ましろ)

魔女と寓話と独白

 私が魔女を知ったのは、もう随分と昔のことだ。

 町外れに在る住宅地には凡そ似つかわしくない古びた洋館。其処には魔女が住んでいるという。子どもたちの間で流行ったありきたりで取るに足らない噂話。当時小学生だった私は、御多分に洩れずその噂に興味津々だった。

 

 曰く、魔女は人を呪い殺すことができる。

 曰く、魔女はありとあらゆる薬が作れる。

 曰く、魔女の好物は子どもの心臓である。

 曰く、魔女は何千年も昔から生きている。

 曰く、魔女はこの世の全てを知っている。

 

 周囲の子どもは好奇心を剥き出しにして噂を集め、広め、作り出した。しかし、所詮は噂話だ。子どもたちも本気で信じていた訳じゃない。友達との共通の話題の一つ。洋館の不気味さも相まって、ささやかな肝試しの舞台になっても、実際に魔女に会いに行く子どもなんて居なかった。私を除いては————

 

 曰く、魔女はこの世の全てを知っている。

 

 私は魔女に聞きたいことがあった。私だって本当に信じていた訳じゃない。それでも、もしかして、ひょっとしたら、ともすれば本当かもしれない。そんな淡い期待をしていたのだ。今思えば、私は誰よりも子どもだったのだろう。魔女の噂は何よりも、誰よりも私を惹きつけた。

 夏のある日、私は魔女の洋館を訪ねた。恐怖はあったが、知りたいという欲求が私を突き動かした。だが、いざ正門の前まで来ると、洋館の不気味さに尻込みをしてしまう。鉄柵から覗く庭も、得体の知れない何かが潜んでいる気がしてくる。怖い、聞きたい、帰りたい、知りたい。時間にすれば僅かな間だった筈だ。しかし、その躊躇いが私とあの人を出会わせてくれたのだ。

 家に何か用? そう背後から唐突に声を掛けられ跳び上がるように振り向いた。其処には、買い物袋を下げた女性が居た。柔和な眼差し、丁寧に梳られた髪、白いマキシ丈のワンピースに薄水色のカーディガンを羽織った、凡そ魔女という言葉の印象にそぐわない、清楚な人。しかし、私はこの人こそが魔女だと直感した。不意打ちの驚きと、子どもながらの無礼さを以て、貴女が噂の魔女ですか? と訊ねた。魔女は不躾な質問に嫌な顔一つせず、微笑みながら私の耳元で囁いた。そうよ、私が噂の魔女よと。

 魔女に促されるまま洋館の中に踏み入れると、古めかしい外観とは違いモダンな家具で揃えられ、新しい電化製品が並んでいた。思えば庭も手入れが行き届いており、噂のせいで気味悪く見えただけなのだろう。魔女は私をリビングに通すと、ソファに座らせ、オレンジジュースでいいかと訊ねた。私は緊張と戸惑いで直ぐには理解できず、たっぷりと間を空けてこくこくと頷いた。差し出されたオレンジジュースを一口飲んだところで魔女は言った。

 

 此処に何をしに来たの?

 嫌いな先生を呪い殺してもらいたい?

 好きな男の子に飲ませる惚れ薬が欲しい?

 それとも私に心臓を捧げに来たの?

 

 魔女の言葉に私の心臓は大きく鳴った。まるで身体が膨れたのではないかと錯覚する程に。震える左手を震える右手で押さえつけ、私は声を振り絞った。何でも知っているのは本当かと魔女を問い質す。魔女は笑いながら答えた。何でもは知らないけど、貴女よりは随分と多くの事を知っているわ。貴女は何を知りたいの? 言葉が出てこない。知りたい。でも知りたくない。何の為に此処に来た。知る為だ。だけど怖い。私が逡巡する間、魔女は何も言わずに私を見つめていた。

 

 曰く、魔女はこの世の全てを知っている。

 

 どの位の時間迷っていたのか。心のざわつきはゆっくりと鳴りを潜め、身体の震えは収まった。私は魔女を睨みつけるように見詰め、漸く口を開いた。

 

 私はどんな死に方をしますか?

 

 魔女は目を丸くし驚いた様子だったが、直ぐに声を上げて笑い出した。私は言い知れぬ羞恥を感じ顔を伏せる。魔女は笑ってごめんなさいと言いつつも、私を質問攻めにした。何故死に方を知りたいのか。其れは本当に知りたいことなのか。知ってどうするのか。他にも、学校での話、家族の話、好きな本や音楽の話を魔女はとても楽しそうに訊いてきた。まるで気心の知れた友人の様に。気の置けない恋人の様に。答えるうちに私も気が緩み、段々と饒舌になっていった。私が話し終えると、魔女はとても優しい声で語った。

 

 私は貴女がどうやって死ぬのかを知らない。でも分かるわ。貴女はとても悲しい死に方をするでしょう。けれども其れは、貴女が誰かを、世界を愛しているからよ。愛する誰かとの、愛しい世界との別れが悲しいの。其れはとても幸せなことよ。貴女は誰よりも悲しい幸せな死に方をするわ。

 

 私は大きな声で泣いた。悲しかったのか、それとも嬉しかったのか。魔女は私が泣き止むまで、抱きしめながら頭を撫でてくれた。

 一頻り泣いて落ち着いた私に魔女は、何時でも遊びにいらっしゃいと言い送り出した。

 魔女には私が本当に知りたいことが分かっていたのだろう。子どもだった私の細やかな願い。淡くて儚い小さな祈り。

 その後も私は幾度となく魔女を訪ねた。魔女はいつしか近所のお姉さんになっていた。同時に私は魔女の弟子だと噂されるようになった。噂好きの友達からは魔女について根掘り葉掘り訊かれたが、私は頑なに答えなかった。魔女は本当の魔女ではなかったが、私は魔女の本当の弟子になったからだ。私は魔女の下で大人になった。親よりも、先生よりも、多くの事を魔女から学んだ。そして私も魔女となった。

 魔女になってから随分と月日が流れた。私の弟子も魔女になり、更に歳月を重ねた。死を身近に感じるようになり、魔女の予言が確かに間違っていなかったと知る。私は死ぬのが悲しい。大切な人との別れが、此の世界との別れが悲しい。しかし、私は幸せだ。誰かを愛することができた。世界を愛しいと思えた。

 

 魔女は人を呪い殺すことはできない。

 魔女はありとあらゆる薬が作れない。

 魔女の好物は子どもの心臓ではない。

 魔女は何千年も昔から生きていない。

 魔女はこの世の全てを知りはしない。

 

 本当の魔女は居なかった。それでも魔女は、私に多くのことを教えてくれた。私も魔女として多くのことを伝えた。これからも魔女は続いて行くだろう。魔女とはそういうものだ。

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魔女と寓話と独白 真白(ましろ) @BlancheGrande

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