水道水が人類を襲う世界の純愛ヤンキー

@tsuk46

短編

ある日のことだった。

東京で一人暮らしの老人が死亡した。

死因は溺死だった。

誰も気には止めない、ありきたりな事故のように見えた。

とある一点を除いては。


その老人は風呂場で溺死したと見られたが、

奇妙なことに、その湯舟には一滴の水も溜まっていなかったという。

現場には、蛇口が開きっぱなしの水道だけがあった。


年同じくして夏のテレビ放送。

「汗を流してスッキリ 名湯スペシャル」という番組があった。

その番組は旬の芸人が銭湯を紹介する趣旨の生放送だった。

都内の大きな銭湯パークで、マイクを持った芸人が蛇口をキュッと捻った。

その瞬間だった。

蛇口から出た熱湯が蛇のようにうねり、彼の顔へと襲い掛かったのである。

鼻と口へ侵入していく熱湯に、芸人はなすすべもなく顔を覆われて、

ガボガボという音だけをあげて苦しみもがいた。

全ての湯が鼻へ吸い込まれ終わったときにはもう、彼は動かなくなっていた。


蛇口の水が意思を持って人に襲い掛かる。

その衝撃の映像に、お茶の間は恐怖と不安に包まれた。


その時を境に、各地のいたるところで同様の事故が相次いだ。

ある時はプールで、またある時は学校で。

この現象は日本の水道水でのみ起こっていた。

実際に水に襲われることはごくごく稀だったが、

あんな死にざまを見せられては敵わない。

水道の恐怖を知らされた人々は蛇口を捻ることを恐れ、

こぞってペットボトル入りのミネラルウォーターを買い求めた。


―――ヤクザ事務所にて

とある田舎に、高校生の男女がいた。

男の名はタツオ、女は恋子という。

東京から転校してきたアーバンな恋子にタツオは人生一番の一目惚れ、

一方で恋子も不器用で義理堅いタツオに少しずつ心を惹かれていた。

硬派な男タツオと意地っ張りな恋子は、互いに思いあう仲ながら告白できずにいた。


そんなある日、恋子の祖父がヤクザに騙されて多額の借金を負ってしまう。

町一番にマブい恋子はその身代として、ヤクザに誘拐されてしまった。

「恋子ぉぉぉ!」

月夜、孤独に叫んだタツオは相棒である改造バイクのハンドルを握ると、エンジン音を響かせた。

「今助けに行くぜぇぇ!!」

幼馴染の恋子を奪われたタツオは、青春の青臭さに任せ、単身事務所に乗り込もうとしていた。


これは涙なしには語れない、愛の暴走物語である。


一方その頃、

日本の地下には、血管のように張り巡らされた水路があった。

偉大な大地に降り注いだというのに、運命を共にしてきた砂やゴミを抜かれ、塩素消毒されていく水たち。

彼らは恨めしげにザーザーと音を立てながら、全国の家庭へと流れていく。

いつしか水は、水面下で人類への悪意を募らせていたのだろう。

流されるだけの生き様はもうごめんだとばかりに、運命への反流を始めたのである。


―――ヤクザ事務所にて

タツオがバイクで事務所の窓を蹴破ると、

重量とスピードを頼りにヤクザたちを一人、二人と轢いていく。

「なんだ!?ぐわあー!」

「まさかあの女の彼氏が来たってのか?!」

ふかすエンジン。高鳴る鼓動。

このアツい相棒はいつでも俺の心に応えてくれる。

「廊下なら学校で走り慣れたぜぇぇぇ!!!」

アクセル全開、意気揚々、散りゆくヤクザどもが真っ赤な華を添えていく。

パラリラパラリラは、死にゆく漢たちへのレクイエム。

「タツオ!どうして!?」

地下階段の方から彼女の声がする。

バイクを乗り捨てたタツオは、死んだ構成員の銃を奪った。

「自慢じゃねえが、小学校じゃ「コレ」で女泣かせたもんでよぉぉぉ!!」

タツオは自分の足をトントンと指さして、地元一番の足の速さでヤクザの追手を撒いていく。


タツオの行く手を塞いだのは、ヤクザの下っ端だった。

「まったく、あんな女の何に命を賭けられるんだ?

 あれは売ったって大した金にゃなんねえのによぉ」

「あいつは誰よりも特別なナオンなんだよ!

 何故なら、俺様のコレになる女だからな!」

タツオは小指を立てて見せると、その拳を丸めてヤクザを殴りぬいた。


水道水の中には、頭の回る水道水もいた。

まずは近くの日本人、ひいては全人類の息の根を止めるために、

まずは自身らが息を潜めるべきだと考えたのだ。

そんな潜伏派の水道水の存在が、人類に牙をむくこととなる。


ある家族は、くたびれていた。

人類に反逆する水道水に怯え、雨水を頼りに限界まで節水する日々。

ある日、猛暑に耐えかねて水を買いに行くと、

ペットボトルの飲料水がことごとく買い占められていたではないか。

いや、水だけではない。

お茶も、炭酸水も、ジュースも……

今やペットボトル飲料水の価値は命の価値に等しい。

貧乏な彼らには、それを手に入れるだけの金がなかった。


家族会議の結果、一番年長である祖母が己が命をかけて蛇口を捻ることになった。

祖母の覚悟を思い、家族らは涙を流した。

祖母は家族にこれまでの礼を簡潔に告げると、家族を別室に隔離して蛇口を捻った。


『きゅっ』


蛇口を捻るその瞬間、誰もが息をのんだ。

一瞬の間をおいて、水はじょろじょろと排水溝に流れていく。

「おばあちゃん!大丈夫?」

「どうやら大丈夫みたいだ」

「死んだじいちゃんが守ってくれたんだ!」

祖母の無事を確信した別室の家族が飛び出てくるや祖母を抱きしめた。

家族らは抵抗せずに流れる水道水を大喜びでペットボトルに詰めると、

命がけで得た水道水をごくごくと飲み干した。

誰の人生の中にも、これほど美味しい水はなかっただろう。

その水はまさしく命の味だった。



―――ヤクザ事務所にて

地下室で縛られた恋子は、タツオとの懐かしく恋しい日々を思い返していた。

不安な気持ちで転校してきた日。突然不良達の喧嘩に巻き込まれたあの日。

いじめに遭った日々、陰で守ってくれたタツオ。

一緒に眺めた花火大会、せっかく水着を準備したのに中止になったプールのデート。

……そういえば、どうしてプールデートは中止になったんだっけ?

「おい女、寝てんじゃねえぞ!」

ヤクザの親玉は、物思いに耽る恋子にバケツの水をぶっかけた。

「あんた、それどこから汲んできたの?」

「もちろん水道さ。借金した連中に蛇口を捻らせれば、タダ同然で安全な水が手に入るってわけよ!」

「なんてひどい!」

「この戦いが終わったら、次はおまえたちの番だぜぇ!!」

ヤクザの親玉は債務者たちの命を嘲笑うように、バケツの水をバシャバシャと恋子に浴びせた。


人類は有史以来争いを繰り広げてきた。

その人類の戦いの相棒とは何か?

剣か? それとも銃か?

否!鍛えに鍛えぬいた、己の拳に他ならない!!!

ヤクザ構成員とのステゴロに勝利したタツオは、傷の痛みで膝をつく。

事務所にあったペットボトルを盗み取ると、その水で傷口を洗った。


実はこのペットボトルは、

ヤクザが債務者に汲ませた水道水なのだが、タツオはそれを知らない。

タツオは残った水を飲み干すと、大きくため息をつき、

川のように連なる屍の上でタバコを吸う。


読書をしないタツオには、一冊だけ大事にしている本がある。

以前カトリックの高校にいた恋子に渡された、小さな聖書だ。

タツオにはこの本の内容は判らない。

悲しきタツオの人生には神を感じた日なんてなかったからだ。

パチンコ狂いの両親、ヤクザに媚びる大人たち、電車も通わない陸の孤島、逃げ場のない絶望。

あこがれていた番長の突然死、復讐に明け暮れた日々。

そんな腐れた世界で初めて神の奇跡を感じたのは、あの恋子との出会いだった。

タツオは聖書をパラパラと眺めると、それを胸にしまった。

「神様よぉー……、

 今日だけはキセキ、起こしてくれよなぁぁ!!!」


タツオは階段を足ばやに駆け下りた。

踊り場を幾つか過ぎた先に、いかにも重苦しい鋼鉄の扉がある。

「タツオ!助けに来たの?バカ!」

扉の向こうから、くぐもった恋子の声がする。

「今行くぞ!恋子!」

タツオは愛する彼女のため、扉を勢いよく蹴破って……


「来ちゃダメ!!」


扉が開いた瞬間、パァンという乾いた音がした。


―――都内男子トイレにて

先に挙げた一家を覚えているだろうか?

先日命がけで得た水道水を飲みほした一家のサラリーマンの父だ。

彼は社内でセクハラを受けていた。

部長が男子トイレで隣に立っては、ニヤニヤとこちらの股間を見おろしてくるのだ。

いったい何が面白いんだ?

そしてその日も例外ではなかった。

父がトイレへ向かうと隣に部長がいた。

父である男は気まずい思いでチャックを開き、用を足し始めた。

ぼんやりと自分の描く黄金の放物線を眺めていると、突如それは意思を持った蛇のようにうねった。

それはみるみるうちに、部長の鼻と口に吸い込まれていった。


『緊急ニュースです。本日水道水について、新たなる真実が発覚しました。』

『水道水を飲んだ人間は、水道水に感染します。

 水道水は人間たちの体の中で、今も隠れ忍んでいるのです。

 つまり、水道水を飲んだ人間が体から何かを流すと……

 うわあああ!!』

今や、日本人のほとんどは水道水に感染していた。


一方そのころ、ヤクザ事務所では漢二人が倒れていた。

タツオとヤクザの親玉である。

漢二人の屍の間には、タバコとは異なる硝煙の香りが漂う。

ヤクザの親玉とタツオ、銃での相打ち、結果は共倒れ。

「タツオ、目を覚まして……

私、貴方が好きだったのよ。ずっと……」

恋子の言葉と共に、心に溜めてきた言葉が溢れるように、ぽろぽろと目から涙が零れ落ちた。

「げほっ……」

タツオはその涙の一滴を頬に受けると、ゲホゲホとせき込むように意識を取り戻した。

「わりぃ、ちょっとお前の涙が見たくてよぉ」

「バカ。ホントに死んだかと思ったじゃない!

でも……胸を撃たれたのにどうして?」

「俺の胸ポケットに、これが……」

タツオが取り出したのは、銃弾の埋まった聖書だった。

「俺様は今日からは神を信じるぜ。」

「もう、バカっ!!」


二人は感極まって大泣きした。

これは、「涙」なしには語れない愛の物語。


一体どれほどの涙を流しただろう?

それは若き二人を溺死させるのには十分な量だった。


―――今日も町のどこかで、水の流れる音がする。

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