ある記憶を失った僕の前に姿を見せた女の子と少女

光影

第1話 可愛い女の子と綺麗な少女そして僕との関係



 ――記憶をなくした僕は壊れたのかもしれない。


 僕の頭の中にある儚い記憶。

 その記憶の中で、一人の少女が言った。


「ねぇ、ねぇ、ねぇってば! 返事ぐらいしなさいよ!」


 少女は僕の身体を揺らして、綺麗な顔を台無しにする程の涙を流し、泣きすぎて声を嗄らしながらも叫んでいた。

 これは一体何の記憶で、いつの記憶なのだろうか。

 そもそもこれは僕の記憶なのだろうか?


 違う、多分これは夢であり記憶なのかもしれない。

 もし名付けるなら僕だけの記憶の夢と言った所だろうか。


 記憶の中の少女はピンク色の長い髪にツインテールが良く似合っていた。

 小柄で身長が低く幼さが残る顔立ちをしている。

 年齢は僕と同じ16歳ぐらいだろうか。


 少女の細い指が僕の顔に触れる。


 それはクリスマスで雪の冷たさを感じさせないぐらい暖かくて、何より戸惑う僕を優しく包んでくれる、愛情を感じる指だった。


 記憶の夢はいつもここで終わる。




※※※




「あっ、起きた? もうすぐ今年も終わるね」


 僕が目を開けると白い天井と白く光り輝く蛍光灯が視界に入った。

 視線を少し下に向けると見慣れない部屋の片隅に白い過敏と赤色の花が三本。


 声のする方向に視線を動かせば肩下まで伸びた黒い髪が良く似合う女の子が一人いた。女の子は綺麗な顔立ちで微笑みながらこちらを見ていた。何より夢の中で出会った少女に何処か雰囲気が似ている気がする。


「うん。ゴメン、また寝てたみたい」


「ううん、気にしないで」


 女の子は僕に微笑み答える。

 僕の身体に優しく触れ、起き上がるのを手伝ってくれる。


「それにしても毎日この時間になると激しい頭痛と共に倒れる。なんかわかってても心配になっちゃうね」


「ホントなんだんだろうね……」


 僕は壁にかかっている時計を確認した。

 今はお昼で倒れてから十五分後の十二時になっていた。


「もしかしたら記憶が戻る前触れかもしれないよ?」


 僕はその言葉に妙に納得した。

 いつも見る忘れた記憶の一部と思われる夢。

 何度見てもあの少女はいつも僕に返事を求めて泣いている。

 そもそも僕はどうしてここでこんな生活をしているのかすら詳しく知らない。

 知っているのは記憶喪失と当時目が覚めた時、大怪我をしていたと言う事だけだ。

 当時はパニックになったが今はそうでもないし、怪我はもう完治している。

 両親は落ち着いたら全てを話すと言い、病院の先生も今は無理ですと言って僕にはなぜかその理由を話してくれない。

 その為言われるがまま入院生活を続けている。


「ねぇ、一つ聞いてもいいかな?」


「いいよ」


 女の子は小首を傾げて返事をした。


「僕は何でここに入院しているの?」


「なんでだろうね」


 いつもの返しだ。

 女の子も何かを知っている。

 だけど僕には何も話そうとしない。

 僕の記憶喪失の原因、それが知りたい。

 なのにどうして僕に誰も何も教えようとしてくれないんだ。

 なぜ周りは僕にとって大事な事を隠しているのか。

 それが今は知りたい。


「知ってるのに知らない振り?」


「うん。だってこの世には知らない方が良い事なんて沢山あるから。それに――」


 女の子はパイプ椅子から立ち上がると、大きく背伸びをした。

 それから部屋を歩き、窓を開けた。

 暖房の熱気が外に行き、外の冷たくて新鮮な空気が病室の中に入ってくる。


「――それにさ、多分君は知ったら自分を責めると思うんだ。そしたら記憶の崩壊、更には心の崩壊と最悪な事が起こるかもしれない。だから今は言えないの」


 記憶の崩壊?

 心の崩壊?

 女の子は訳がわからないことを口にした。

 一体どうゆうことなんだ。


「なら質問を変えて、今はってのはどうゆう意味?」


「そうだね~」


 女の子は人差し指をたてるとそれを自分の口元に持っていき、窓から見える外の景色を見ながら言う。


「君の心の整理がちゃんとついたらかな?」


 やっぱりよくわからない。

 言いたい事はなんとなくわかる。

 確かに僕自身記憶を断片的にはとは言え失い、まだしっかりと心の整理がついていないからだ。

 あれ?

 ちょっと待って……。


「僕はなんで記憶を失ったの?」


 僕は自問した。だけど答えが出てこなかった。

 だとすると、それと関係するのか。

 記憶を失う。

 それが起こると言う事はそれなりの理由が必ずあるはずだ。

 例えば事故に合い頭を強く打ったとか、鈍器な物で後頭部を殴られたとか。

 そう考えると僕が当時大怪我をしていた理由にも納得がいく。


「やめなよ。無理して何かを思い出そうとすると頭の処理が追いつかなくなる。だから今は焦らず自然と思い出す方がいいよ」


 女の子は僕を遠ざけるようにして、少し悲しい顔をして答えた。


 ――チクッ!?


 急に胸の中に感じた痛み。

 あれ?

 僕はなんで目の前にいる女の子の悲しそうな顔を見て、この子には笑っていて欲しいなって感じたのだろう。


「ちなみに僕との関係を聞いてもいい?」


「う~んとね~それも秘密かな」


 女の子は微笑みながらそう答えた。

 だけど目だけはどこか悲しそうな目をしていた。

 女の子はそのまま歩き始めたかと思いきや、病室と渡り廊下を繋ぐ扉の前に行く。


「ごめん。今日はちょっと予定あるからまた明日来るね」


 そう言って部屋を出て行った。

 その声はとても悲しそうで辛そうな声だった。




 ――翌日。


 面会時間に合わせて女の子はまたやって来た。

 一直線に歩きベッドの近くにあるパイプ椅子を手に取って座った。


「おはよう。調子は?」


 女の子は寝起きの僕の顔を見て微笑んだ。


 ――その時。


 頭がチクリと何か針のような細いような物で刺された痛みに襲われた。


「っう……」


 僕は右手で頭を抑えて苦しみながらもこれが単なる偶然じゃない感覚に襲われた。

 この痛みは僕に何かを訴えようとしているんじゃないか。

 理屈も理由もわからない。

 だけどそんな気がした。


「ち、ちょっと大丈夫? ナースコールは?」


「……まっ……て」


 僕は座ったばかりのパイプ椅子から立ち上がった女の子を見る。

 微笑みが可愛い印象がある女の子の顔が今は戸惑い僕を本気で心配しているのか顔色が悪い。


 ホラー映画の一部のシーンのように視界にノイズが走り始める。

 これは頭部の痛みが原因なのかと思っていると、今度は夢の中で見るピンク色の髪の少女が女の子と重なって見えた。


「ちょっとどうしたのよ?」


 女の子の手が僕の肩に優しく触れ、顔を覗き込んでくる。

 チカチカと電球が付いたり消えたりするようにして女の子と少女が交互に変わり続ける。

 一体何がどうなっているのかがわからない。


「君は一体……誰なんだ……?」


 僕は痛みに堪えながら二人に質問した。


 今僕の病室には僕と女の子しかいない。


 だけど僕の視界にはもう一人いる。


 僕と女の子と少女を繋ぐ何かがもしかしたらわかるかもしれない。


 三人の関係とこの痛みは果たして繋がっているのだろうか……。


「え? わ、私?」


 戸惑いながらも病室を確認して自分しかいない事を確認した女の子。


「う……ん」


「私は……私は……うそ……いや……」


 女の子は目をパチパチさせながらキョロキョロし始めた。

 昨日もそうだったが、女の子は僕にやっぱり何かを隠していることは間違いなさそうだ。

 そのまま女の子は目から涙を零し始めた。


「誰って……そんな事だけは絶対に言わないで欲しかった……」


 僕を襲っていた頭の痛みが消えた。

 まるで何かを伝えようとして、だけどそれが終わったのか、はたまたそれから遠ざかったのか。

 そう感じたのは痛みが引くと同時に僕の視界にいた少女の姿が消えたからだ。

 頭の痛みと同時に出現し、同時に消える。

 なんかとても不気味。あれは幽霊とかそう言った類ではない気がする。

 となると答えは自然と限られてくる。


「あれ……消えた?」


 二重の意味に女の子は気付いていないように見える。


「ん?」


 女の子は泣きながら僕の顔を見て、小首を傾げた。

 僕は真実を確認するために質問を変える。


「ねぇ……さっきもう一人この部屋にいたよね?」


 ――???


 女の子が泣き止みながら、病室を再び見渡して「え? 誰もいなかったけど?」と答えた。

 やっぱり僕だけに夢の中の少女が見えていたと言うことなのだろう。

 僕が黒髪短髪の女の子と長髪ピンク色の女の子を見間違えるはずがない。

 ピンク色と言うだけでも派手で目立つ色の少女が病室に入って来て女の子が気付かないわけがない。

 そうなると幻覚を見ていたと考えるのが一番辻褄が合う事になる。


 記憶喪失、突然の頭痛、ピンク色の少女、黒髪の女の子、夢の内容これらが示す意味とは一体なんだと言うのか。


「あれ? ならやっぱり僕の気のせいなのか……な?」


 念の為。


 僕も病室全体に視線を飛ばして見るが、やはりいるのは僕と女の子だけだった。


「本当に大丈夫なの?」


「え? あっ、うん。もう大丈夫だから。なんか頭痛がしたと思ったら幻覚も見てたみたいで……あはは」


 最後は笑って誤魔化す事にした。

 だけどそれでは何処か納得いかないのか女の子の表情はまだ曇ったままだった。

 このまま気まずい雰囲気と言うのは嫌なので僕は一つ提案をしてみる。


「ねぇ、将棋できる?」


「え? まぁ知り合いに強い人がいるからそこそこにならできるけど……なんで?」


「昨日両親がお見舞いに来てくれた時に、これ置いていくからって言って置いていったんだけど一人だとやる事がなくて暇で暇で」


「……んー、それで?」


「だからしない? 僕は暇でなんでもいいから時間を潰したいなぁーなんて思ったりしてるんだけどどうかな?」


「つまり私はいつも来る暇な女の子だから遊び相手にちょうどいいって言いたいんだ?」


 勘がいいのか女の子は疑いの目を向けてきた。


 だけど事実。


 毎日来るし面会時間の最初から最後まで基本毎日居てくれるし、女の子も実は入院中で暇? 訳アリで実はここに来てくれている? かはわからないがとにかく気付けばいつも隣にいるのだ。流石に毎日世間話だけでは飽きる。そこでゲームを提案したのだが僕と違って女の子は乗り気ではなさそうだ。


「……はい」


「私にとってのメリットがない。一方的に君のお願いを聞いてあげるだけの都合のいい女には今はなりたくない」


 都合のいい女って。

 僕は男と女の関係になろうって言っているわけではない。

 ちょっと都合のいい暇つぶしのお友達感覚なんだけど……どうしようかな。


「あっ、そうだ! ならこうしない?」


「どうするの?」


「私が負けたら君がここにいる理由を含めて君が知りたい事を可能な限りお話ししてあげる。その変わり私が勝ったら……そうね~何でも言う事を一つ聞く! これでどう?」


 僕は女の子の提案を前向きに考えてみた。

 実を言うと僕はお父さんが将棋好きと言う事でよくその相手をここに来る前はしていた。たまに妹とも将棋をして、お父さんに今度はどうやって勝つか等の作戦を一緒に考え勉強もしていた。何が言いたいかと言うと僕はかなり腕には自信があるのだ。


「よし、のった!」


「オッケーって事ね」


 女の子はすぐ隣にある将棋盤と駒を手に取り、僕の前に机と一緒に持ってくる。

 駒を並べていると。


「ちなみに何が一番聞きたいの?」


 僕はその言葉に一瞬迷った。


「そうだな~」


 聞きたい事は沢山ある。

 だけど一番聞きたい事と言われると優先順位がどれも高くて中々選べない。


「ちなみに病院の先生もだけど君のご両親にね、一気に思い出そうとすると頭がパンクして状況を上手く受け入れられなくなって今より状況が酷くなるかもしれないからってこの前言われた。お見舞い来た時偶然すれ違ってね。だから全部は無理よ」


 女の子は駒を並べ終わるとそのまま「うん!」と言って駒を並べ終わった達成感に慕っていた。

 つまりどう頑張っても今日全てを知る事は出来ないと言うわけか。

 病院の先生が言うならこればかりは仕方がないと受け入れるのしかないのだろう。


「とりあえず対局しながら考える事にしていいかな?」


「別にいいよ」


 僕も駒を並べ終わり、いざ対局開始!

(ボコボコにしてとりあえず記憶の回収とサクッといきますか)


 ニヤリ。



 ――――。




 ――――――――。





「そんな、バカな!」


 僕は驚いてしまった。


 だって――。

 そんな――。

 嘘だろ――。


 この僕が負けた――だとぉぉぉぉぉぉぉぉ!?


「ふふーん。左美濃(ひだりみの)は持久戦、急戦に対応できる型だからね。さぁーてどうしてやろうかな~」


 盤面を見て悔しがる僕を見下すようにして女の子はニヤニヤしながら呟いた。

 くそっ……こうなったら。


「負けを認める。だけどもう一回だ! 次こそは絶対に僕が勝つ!」


「別にいいけど、君って負けず嫌いなんだね。なら次私が負けたらチャラって事でいいよ。でももし次も君が負けたら二つ何でも私の言う事聞くんだぞ~?」


 ――ゴクリ。


 落ち着け。

 僕は将棋大好きなお父さんには中々勝てないがそれでも勝率は三割と悪くない。

 ましてや妹には未だ一度も負けた事がない。


 僕の家では二番手であるこの僕がこんな年も変わらなさそうな女の子に二度も負けては家の名に泥を塗る事になる。


 桂家(かつらけ)二番手、桂達也(かつらたつや)押して参る!


「わかった。だけど次は本気で行く、覚悟しろよ」


「次も! 本気の間違いでは!?」


 そのニヤニヤ顔絶対に後悔させてやる!


 僕と女の子の第二戦が始まった。



 ニヤリ。



 さっきはルールを少し知っている初心かと思い油断していたが今回はそうはいかない。

 今度はこちらも技を使い、正真正銘の本気の本気で戦ってやる。


 悪いが今回は僕の――勝ちだ!



 ――――。



 静かな病室は二人の緊張で重たい空気に包まれていた。

(こうなったら三間飛車で攻めてやる)



 ――――。



 ――――――――。




「うそだぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁ!!!!!」


 僕は両手で頭を抱えて腹のそこから叫んだ。

 誰が何度見ても次の一手で僕が――負ける。


「君はバカなのかな~? そんな昔の戦法……あっ、昔だからこそ私が知らないと思ったんだぁ! はぁ~い、残念でしたぁ!」


 女の子はとても愉快に微笑みながら両手を上にあげてバンザイの姿勢を取って喜んでいる。

 勝利の美酒に酔いしれた女の子は僕を見てニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「うぅ、参りました……」


「はい、私の勝ち~」


 女の子は一度時計を確認する。


「なら約束通り私の言う事を聞くんだよ?」


「わ、わかったよ。何でもいいから早くして」


「なら――」



 時は過ぎ、僕は弄られ女の子は楽しい時間を過ごした。




「今日はもうすぐ面会時間終わるからここまでだね」


「うん」


「ちなみに明日はどうする?」


 余裕の笑みを見せる女の子に僕は即答する。


「当然やるに決まってるだろ!」


「わかった。まぁ私こう見えて結構相手に手加減しちゃうタイプなんだけど君が悔しがる姿を見るのは楽しいから久しぶりに本気だしちゃったよ~」


 女の子は口元を手に隠して笑う。

 その幸せそうな顔が可愛いのだが、なんか悔しい。


「ならまたね~」


「うん」


 女の子は最後に病室の扉を開けて出て行く前に僕の顔を一度見て「明日はワンワンにならないように頑張らないとだよ」と告げて姿を消した。


 その言葉に僕は恥ずかしくて顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。

 今思い出してもあれは死ぬほど恥ずかしい。

 なんならこれこそ要らない記憶だろう。

 いっそのことあの屈辱も記憶喪失にならないかな。


 僕は病室で四つん這いにさせられて「ワンワン」と言わされ犬の格好をさせられた。女の子はそんな僕を見て「よしよし、いい子いい子」と言って頭を撫でた。

 悔しくも女の子の小さな手で撫でられた時、僕はこれを完全な敗北だと認めざるをえなかった。

 それが一つ目の言う事だ。


 更に女の子は「二つ目の約束で今からそのまま三つの行動をすること」そう告げた。

 僕はコクりと頷く。


「はい、お手」


「ワン」

(くそっ……)


「はい、おかわり」


「ワン」

(楽しんでやがるな)


「はい、ちんちん!」


「ワン!?」

(ち、ちょっと!!!!!? ヤバイ、見られてる……これは恥ずかし過ぎる……)


 最後のが今思い出しただけでも死ぬほど辛い。

 羞恥心で顔が真っ赤になった僕を見て女の子は満足してこう言った。


「わぁー可愛いぃ~。男の子がそんなポーズするなんて本当の犬みたいだね」


 あーーーーーーーー勘弁してくれ。危うく僕の新しい性癖が目覚める所だった。


 次こそは絶対に勝つ! そう心に誓い僕はベッドに潜り深い眠りに入った。




 ――翌日。


「あれ、まだ八時……もう一時間」


 面会時間は九時から十七時までとなっている。

 つまり女の子が面会に来るまでには少なくともまだ一時間もある。

 起きて待っていてもいいのだが、特にやる事もないので、僕はそのまま二度寝をすることにした。




 次に目が覚めると太陽の陽が窓から差し込み、いつの間にか窓が空いており冷たい空気がお布団の中の世界を更に居心地良くしていた。

 視界を横に向けると女の子が将棋の準備を終わらせて待っていた。


「おはよう。今日はいつもよりぐっすり眠ってたね。寝顔も可愛いかったよ」


 僕は布団の中から起き上がって、まだ眠たく重く感じる瞼を頑張って上にあげた。


「おはよう……頼むから昨日の事は忘れてくれ。そして思い出させないで」


 女の子に「可愛い」と言われた途端に急に頭が活性化して昨日の恥ずかしい僕の行いを鮮明に思い出し始めた。まさかこの僕が女の子の前であんなポーズを取らされるとは一生の不覚。二度とあんなポーズはしたくない。


「いや」


 女の子は満面の笑みで否定した。


 まぁいい。そうほざいて入れれるのも今のうちだ。

 僕は昨日布団の中でどうしたら勝てるかを考えた。そしてその答えが今出た。

 つまり今日の僕に負ける要素はない。


「うふふふっ」


「え? こわ……今日は急にどうしたの? ナースコール必要?」


 不気味に笑う僕に対して真顔でナースコールのボタンを押そうとする女の子。

 僕は後少しでボタンに触れる細い指を止める為、女の子の腕を掴んで静止させる。


「ちがーう! てか呼ぶな!」


「え? 違うの?」


「違う!」


「てっきり情緒不安定になったのかと思った……」


「っておい! 逆に残念みたいな顔するな! 今日こそは秘策があるんだよ!」


 その言葉に女の子の表情がいつもの微笑みに変わる。


「あー、そうゆうことね。頭のネジが外れて昨日新しい性癖に目覚めたのを自覚して情緒不安定になったわけじゃないんだ」


「当たり前だ。それより早速するぞ」


「いいの? 寝起きで頭回ってないんじゃないの?」


「二度寝してるから大丈夫」


「嘘!? どおりで今日起きるの遅かったわけだ!」


「そうなる……かな」


「起きれないのわかってて二度寝したあげく女の子待たせるなんて最低ー。しかも謝らないなんて」


「ふふふ。何を言う。これも作戦の一つだ。相手の平常心を乱す為のな!」


 ドヤ顔で僕は答えた。

 そんな僕を見て女の子は呆れ顔を見せてきた。


「本当の理由は?」


「後一時間いけると思って寝た結果、起きれなかっただけです」


「反省しているみたいだし許す! さぁ尋常に勝負!」


 こうして僕と女の子の真剣勝負が始まつた。



 ――――。



 静かな病室。


 聞こえてくる音は駒が動く音のみ。


 二人の集中力は暖房の性能を超えた冷気が外からやって来てもそれを感じさせないぐらいに凄い。


(なるほど……こう来たか)


(あれ? 昨日より強い……いや昨日より集中しているんだ、負けてられないな)



 ――――。



 二人の頭脳戦は激しさを増していく。

 駒が動き、盤面が徐々に変わっていく。


 相手が動かした駒を見て、自分がどう動くかを幾つもある選択肢の中から慎重に選んでいく。それも一回や二回ではない。勝負が終わるその時まで。故に集中した二人は二人だけの世界に入り込んでいた。途中桂家の両親がお見舞いに部屋を訪れたのだが、その事に二人は気付かない。両親はそのままお互いの顔を見て出直すこととした。父親は息子が早速将棋盤を使ってくれている事に喜びを感じた。




 ――――。




 ――――――――。





「結局今日も勝てなかったな……それにしても女の子の前で今日もあんなことをさせられるとは……」


 僕が一人病院の廊下を歩いていると、いつも僕のお見舞いに来てくれている女の子と僕の両親が話していた。偶然見かけたとは言え、三人にどんな接点があるのだろうと廊下の曲がり角から眺めてみる事にした。

 もしかしたらこれがきっかけで何か僕にとっての進展が訪れるかもしれないからだ。

 そんな淡い期待を胸に抱いていると、女の子が頭に両手を当てある物を取った。


「うそ……」


 黒かった髪がピンク色へと変わる。

 そう夢の中でいつも見る女の子のように長いピンク色の髪がふわりと桂の中から出てきたのだ。


 ――。


 ――――。


 ――――――直後。


 激しい頭痛が僕の頭を襲う。

 そしてまたあの記憶の断片が蘇って来た。

 だけどいつもと違う。



 いつも以上に頭痛が尋常じゃないくらいに痛い。



 僕は両手で頭を抑えながら、病院の廊下で倒れた。 



 ――僕は夢の中の綺麗な少女と毎日会っていたんだ。


 ――今も昔も。


 あの日僕と少女は二人でお出掛けをしていた。

 横断歩道で信号を待っていると、とても小さい男の子が一人お母さんとはぐれ「ママー、ママー、ママー」と泣きながら僕達の元へとやってきた。

 信号の先にお母さんを見つけた男の子は泣くのを止めて両手を広げ「ママー!」と言って飛び出した。


 運がないと言えよう。


 周りから聞こえてくる悲鳴の数々と息子を見つけたのにも関わらず口元を抑え恐怖し怯え切った母親の顔。

 男の子はそんな事はお構いなしと走るのを止めない。

 大型のトラックが急ブレーキを踏んで突然飛び出して来た男の子を避けようとするが誰が見ても一目瞭然だった。


 ――間に合わない。


 そう思った直後だった。

 僕は後先考えずに飛び出していた。

 そして男の子を突き飛ばし、僕が男の子の身代わりとなった。


 身体中が痛い。

 声もまともに出せない。

 急に薄れゆく意識の中、少女は僕の名前を呼び、僕に返事を求める。


 少女――妹の言葉にすら僕は返事をすることができず、暗闇の中へと落ちていった。


 その日は妹の誕生日で誕生日プレゼントを一緒に買いに行った。

 だけど妹の誕生日とクリスマスはとても残酷な悲劇の日となってしまった。

 だから妹と両親はそれを僕に隠そうとしていたと言う事なのだろう。

 僕の事を心配して。



 十二月二十四日生まれ。

 誕生日とクリスマスが重なり演技が良さそうに見える。


 だけどそうならない時だってある。


 そう。それが――。


 ――僕が交通事故に合ったあの日だ。


 妹――優美はさぞ辛かっただろう。

 目の前で家族が、兄が、さっきまで隣にいた者が、血を流して身体から体温をなくしていく光景を見るのは。


 だから決めた。


 次目覚めたら最高の一年を優美にプレゼントすると誓うことを。


 そして。


 今まで僕に気を遣って勝ちをさり気なく譲ってくれていたであろう優しい妹に今度こそ将棋で勝つと!







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ある記憶を失った僕の前に姿を見せた女の子と少女 光影 @Mitukage

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