04.治水にふさわしい昼食

 大抵の魔術師は大地から魔力を吸い上げて魔術を発動させる。そのため靴には特殊な加工がされ、つま先が尖っていることが多い。ルキウスも例に漏れずすらりと尖った靴を履いており、艶々とした濃茶色の革のウイングチップ……つま先部分に翼のように左右へ広がる装飾的な切り替えが施されている。

 そのつま先は風を切るように歩き、目的地へと到着したルキウスは難しい顔で眼下を見下ろした。川に面した崖の上である。思いのほか水面が遠くないのは増水しているからだ。一見恐ろしげな様相ではないが、よく見ると水は濁っており、わずかに地響きのような音が聞こえる。

 治水の魔術を行わねばならない。

 氾濫した水を魔術で止めることは出来ない──伝説の中に存在するような魔術師ならあるいは──。一時的に堤防の強度を上げる、川の流れを少しだけ誘導するなどして落ち着くのを待つことくらいしか人間に出来ることはない。宮廷魔術師であるルキウスであってもそれは同じで、こうして召集されはしたものの己の力の小ささに鬱々たる気持ちでいた。

 そこへ近付いてくる足音に気付いたルキウスが振り返るのとほぼ同時に来訪者が姿を見せた。尖った靴の先が日の光を反射する。同僚の魔術師であった。

「こんなところにいたのか。昼休憩だぞ」

「ああ、いま戻るよ」

 彼はルキウスとの付き合いも長い気のいい男で、名をウーゴという。彼がルキウスと連れ立って他の面々のところへ戻ると、少しひらけたその場所には数人の魔術師がおりそれぞれに休憩時間を過ごしていた。……ここにいるのはいずれも宮廷魔術師で、魔術の腕は一流だ。また、在野の魔術師とは違って協調性も比較的高く、人格に問題のある者はまれである。少なくともこの場の魔術師たちは良識派、穏健派の者が選ばれている。治水という公共性が高く安定性の求められる業務である、当然といえば当然であった。

 瞑想する者、読書する者など様々いる中、ウーゴはといえば昼食にするべく荷物から包みを取り出しており、ルキウスも──アガタが──用意した昼食を取り出した。無造作に地面へと座り込んだルキウスの近くにウーゴも座る。彼が取り出した包みの中からは、ごくシンプルなパンと魚の干物が出てきた。その干物を齧りながらパンを食べ、合間に水筒の水を飲む。はっきり言って寂しい食事である。

 一方ルキウスが油紙の包みから取り出したのは鳥肉らしきものが挟まれた開口パンサンドイッチで、ウーゴは怪訝そうに眉を寄せた。

「魚じゃないのか?」

 大がかりな魔術の前にはそれに相応しいものを食するのが魔術師の慣例だ。水を扱うなら魚を食べるのが良いとされている。ルキウスはウーゴの顔を見、手元を見、気にせず大きく一口かぶりついて飲み込んでから指で唇についたソースを拭う。

「鴨のローストだ」

「なるほど、水鳥か」

「それからこれも」

 もう一つの紙包みからは棒状の揚げ物らしきものが飛び出ている。ソースが絡めてあるのか表面は少し濡れていた。

「土オーリア[土ニンジン。ゴボウとも。根菜の一種で、硬く繊維質なためあまり広く食べられてはいない。]のフライらしい。……治水と言っても触れるのは主に土だから」

「へえ、考えてるなあ。いいなあ」

 伸びてきたウーゴの手を軽くはたき落とすルキウス。すまし顔で食事を続けるその横顔をウーゴは恨めしげに眺めたが、結局はおとなしく己の昼食へと戻った。

「俺もお前んとこみたいな料理人が欲しいよ」

 ウーゴの台詞を聞き流しながらサンドイッチを頬張るルキウスの表情は柔らかい。一口一口が大きく、見るからに美味しそうに食べるその様子にウーゴは溜め息を吐いた。あっという間に食べ終えたルキウスは、油紙を畳んで荷物に突っ込むと、膝に落ちたパン屑を払い落とす。

「お前のとこの……アガタだっけ、いいよなあ。二級だろ?」

「ああ」

「個人が雇う料理人としてはめちゃくちゃ上等じゃん。お前も本当に食い道楽だよなあ」

「他に趣味もないからね」

 空を見上げたルキウスは、太陽が大分高くなっているのを見て立ち上がった。伸びを一回。

「そろそろ始めようかな。皆さんいいですか?」

 ルキウスの呼び掛けに魔術師たちが応え、集まってくる。風向きと日差しの角度を見て、ここにしましょう、と立ち位置を決めるルキウス。その場にいる魔術師は五人。先導であるルキウスを中心に、周囲を取り囲むように残りの四人が立った。

「では、始めます」

 カン、と靴の踵と踵が打ち付けられる音が響く。足元から立ちのぼる魔力は普通の人間には感知出来ないが、訓練を積んだ魔術師であればゆらゆらと空気が揺れるのを感じ取れるだろう。水に砂糖を溶かした時のような、陽炎のようなゆらめき。それが地面の上をゆるやかに撫で、どんどん広がってゆく。そのとろりとした陽炎めいた魔力を、周囲の魔術師たちが中央のルキウスの元へ誘導する。ルキウスがその魔力を編み、再び大地へと戻す。黙々とそれを繰り返す。繊細で、緻密で、地道な作業だ。

「オルド・グラドナ・アダマス」

「オルド・グラドナ・アダマス」

 大地よ堅固たれオルド・グラドナ・アダマス

 唱和するのは古い言葉で、魔力の指向性を定める合図でもある。発声は魔術師の目的をはっきりさせ、意識をぶれさせないために必要な行為だ──であるから、簡単な術式、もしくはよほど意思の強い魔術師であれば省略は可能である──。

「グラドナ・アダマス・ダン」

「グラドナ・アダマス・ダン」

 大地は堅固であるグラドナ・アダマス・ダン

 最後にもう一度唱和し、術式は終了である。この術式によって大地の結び付きが強くなり、崩れにくくなる。魔術師たちは目配せし頷き交わすと、肩の力を抜いた。土地に施す魔術、特に複数人で協力して施すような大規模なものは高度な連携と集中が必要だ。魔術師たちは疲れの見える顔で互いに労いあっている。

 ルキウスもまた、額に浮いた汗を手の甲で拭ってから深呼吸をした。術式の先導であり要でもある彼の負担は大きい。ウーゴがその背を叩くと、振り返ったルキウスは苦笑していた。軽く小突き返す。

「お疲れ」

「お疲れ。相変わらず見事な編みっぷりだ」

 誉め言葉に彼が肩をすくめるのは照れ隠しであることをウーゴは知っていて、楽しそうに笑う。気付かれていることに気付き、ルキウスは不本意そうにしかめっ面を作ってみせたがあまり意味はない。踵を返した彼の後を、ウーゴがのんびりとついていった。

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ドラゴニアン コンティネント ─アガタ嬢の魔法のレシピ─ 新矢晋 @sin_niya

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