俺たち二人の花言葉

烏川 ハル

俺たち二人の花言葉

   

 俺にとってのサトミは、いわゆる幼馴染というやつなのだろう。小学校から高校まで、ずっと同じ学校なのだから。

 スッとした輪郭に、整った目鼻立ち。顔の作りは悪くないのだが、美人というイメージとは少し違う。

 体型も髪型もボーイッシュで、サバサバした性格。俺のような思春期男子がサトミと一緒にいても、変に女として意識することもないし、全くドキドキすることもないくらいだった。

「……どうしたのさ、コウタ。さっきからジロジロ見て」

「ああ、ごめん。特に意味はないんだが……」

 隣を歩くサトミが、こちらに不審な目を向ける。

 俺としては、それほど『ジロジロ』見ていたつもりはないのだけれど。

 とりあえず、適当に何か言い繕っておこう。

「……いつ見ても、サトミはカッコいいなあ、と思って」

「はあ? 何言い出すのよ、突然」

「いや、ほら、もうすぐ秋のスポーツ大会だろ。そこでサトミが活躍して、女の子たちからキャーキャー言われる、っていうのが、毎年のパターンじゃん」

「ああ、その話。ちょっと煩わしいのよね、あれ……」

 と言いながらも、なんだか誇らしげな顔をする。いや顔だけではなく、軽く胸をそらせて、体全体で自信のある態度を示しているが……。いくら胸が控えめなサトミであっても、こういう格好をすると、さすがに女性の体型が強調される形になるものだ。

「……サトミも女の子なんだな」

 つい、口から素直な感想が漏れてしまった。

 サトミは俺の視線の矛先に気づいて、

「ふーん。コウタも一人前に、そういうこと考える男の子なのね」

 と、苦笑いを浮かべるのだった。


 家が近所なので、こうやって軽口を言い合いながら二人で帰るのは、いつものことだ。趣味も特技もない俺は部活をやっておらず、サトミはスポーツ万能だが、どこのクラブにも入っていなかった。

 サトミの場合、むしろ『万能』だからこそ一つに絞れない、という意味合いが強いのかもしれない。色々な運動部から練習試合の助っ人として駆り出されているのを、俺はよく知っていた。

「そう、スポーツの秋なんだよなあ」

 自分で口にした『秋のスポーツ大会』という言葉を思い出しながら、ふと空を見上げる。雲ひとつない、カラッとした秋晴れだった。

「秋といえば……」

 サトミはサトミで、『秋』から何か連想したらしい。

「……道路脇の雑草が、毎年、花を咲かせる時期でもあるわね」

「ああ、あれか」

 サトミが言っているのは、三丁目の曲がり角にある茂みのことだろう。

 だいたい今くらいの時期に咲く、黄緑色の小さな花。緑の葉っぱに紛れてしまって、本当に目立たない。通学路として毎日ここを通っている俺たちくらいしか気づかないのではないか、と思えるほどだった。

「いきなり花の話を始めるなんて、サトミにも案外、女の子らしい一面があるんだな」

「何言ってんのよ。私だって立派に、女の子ですからね。というより、コウタだって、さっき私の胸を見て欲情してたくせに」

「勝手に話をるのはやめてくれ。珍しいものを見た、という感慨はあったが、欲情してたわけじゃないぞ」

 胸に注目したのは事実だから、言い訳にしかならない気もするが……。

 ならば、少し話題を変えよう。

「……それよりさ。サトミは『雑草』って言ったけど、あの茂みは草というより木だよな。低木の蔓植物」

「蔓って、太い草なんじゃないの?」

「いや、草の場合も木の場合もあるんじゃないか? とりあえず、あれの場合は……」

 と、そろそろ見えてきた問題の茂みを、俺は指差す。

「……確か、西洋木蔦セイヨウキヅタという名前のはず。別名アイビー」

「あら、あれがアイビーなのね。その名前なら、本で見たことあるわ」

 サトミが見た『本』というのは、植物図鑑ではないのだろう。絵や写真が載っていたら、あれがアイビーだとわかったはずだし。

 そういえば、俺も何かの本で、アイビーに関する記述を読んだ覚えがある。ちょっとした蘊蓄を披露してやろうか、と思ったが、それに関連して、一つのアイデアが頭に浮かんだ。

「なあ、サトミ。今晩、俺んち、親がいなくてさ。親父は出張中だし、お袋も忙しくて会社に泊まり込みらしい」

「いつもいつも大変ね、コウタのところは」

 サトミが『いつもいつも』と言うくらいに、俺の家では、両親不在は恒例行事。小さい頃は、サトミの家で夕飯をご馳走になったり、泊まらせてもらったりしていた。だが高校生の今となっては、さすがに、そういうわけにもいかない。

「だからさ。うちに来て、メシ作ってくれよ」

 そう、今は俺が彼女の家に行くのではなく、逆にサトミがやって来て、簡単な食事を作って帰る、という関係になっていた。ただし、毎回ではなく、ごくたまに。

「うーん。でも今日は、しっかり勉強するつもりだったから……」

「いいじゃん。メシ作るくらい、たいして時間かからないだろ?」

「……って言うのは、コウタが料理しないから知らないだけでしょ」

 こんな感じで、頼んでも断られることが結構あるから、『ごくたまに』になってしまうのだ。

 だが今日は、ちょっとした秘策があった。

 ちょうど西洋木蔦セイヨウキヅタの茂みに差し掛かったところで、黄緑色の小さな花に目を向けながら、改まった口調で告げる。

「なあ、サトミ。俺とお前の仲じゃないか。ちょうど、このアイビーのように、強く結びついた俺たちだろ?」

「はあ?」

「アイビーの花言葉、知ってるか? 俺たちにピッタリなんだぜ。石垣とか他の草木とかに、蔓でしっかり絡まることから……」

 その絡まり具合に由来して、『友情』『不滅』といった花言葉があるらしい。

 不滅の友情、と考えれば、まさに俺たち二人ではないか。親友のよしみで、夕飯を作ってくれ……。

 そんな論旨で、説得するつもりだったのだ。

 ところが。

「やめて!」

 サトミに止められて、肝心の『友情』『不滅』というワードすら口に出せなかった。

「こんな往来の真ん中で! そんな恥ずかしいこと言わないで!」

 サトミは、顔を真っ赤にしている。

 確かに、今さら改まって親友だ何だと言うのは、俺も少し照れ臭いのだが……。

 でもサトミの態度は、いくらかオーバーに思えた。もしかしたら、これが「箸が転んでもおかしい年ごろ」というやつなのだろうか。笑いとは違う感情であっても、サトミくらいの年齢の女の子は、過敏に受け取りやすいのだろうか。

 俺が言葉を失っていると、

「コウタの気持ちは、よくわかったよ。そこまで言われたら、私も覚悟を決める。今晩ちゃんと、コウタの家に行くわ! じゃあ準備があるから、私、先に帰るね!」

 大げさなことを言って、サトミは走り出した。

 一人取り残されて、俺は唖然としてしまう。そのまま、ただ彼女の背中を見送ることしか出来なかった。


――――――――――――


「こんばんは……」

 夜になって俺の家に来たサトミは、いつもとは大きく雰囲気が異なっていた。

 制服のスカートすら渋々というほどのズボン派なのに、なぜか今夜は、清楚な白いワンピース。ひらひらとしたスカートは、別にドレスというわけではないものの、少しウェディングドレスを連想させるくらいだった。

 でも、せっかく食事を作りに来てくれたサトミに「珍しく女の子っぽい服装だな」と言うのも、なんだか悪い気がする。だから代わりに、こう声をかけた。

「今日のサトミ……。きれいだよ」

 いや、口にしてみると、これはこれで恥ずかしいセリフなのだが。

「ありがとう、コウタ」

 サトミはサトミで、妙にしおらしい態度で返すものだから、こちらの調子が狂ってしまう。

 それに。

 サトミの髪からは、ふわっと心地よいシャンプーの香りが漂ってくるので、俺には不思議に思えた。

 いったい何故? 風呂上がりの状態で来たのか? 料理の前に身を清める、なんて大げさな話じゃないだろうに……?


――――――――――――


「うまかったよ。ありがとう、サトミ」

 彼女が作ってくれたビーフシチューは、絶品だった。飽きるほど食べてきたサトミの手料理だが、明らかに、今までの中で一番の味だったのだ。

「どういたしまして。今夜は、たっぷり愛情を込めたからね。フフフ……」

 と、微笑むサトミ。

 あれ? こんなこと言うやつだっけ?

 そもそも、これではまるで、普通の可愛い女の子に見えてしまうのだが……。

 困惑する俺に対して、サトミは追い打ちをかけてきた。

「デザートもあるからね、コウタ」

「……いやいや。俺が甘いもの苦手なのは、サトミも知ってるだろ?」

「そういう意味のデザートじゃないわ。コウタったら、鈍感ね。あんなこと言ったくせに」

 意味ありげにニヤリと笑いながら、サトミは、グッと俺に顔を近づける。

「デザートは私、ってやつよ」

 おいおい何の冗談だ、と言葉にするより早く。

 サトミの唇で、俺は口を塞がれた。

 しかも。

 舌が入ってきた!


 いやはや、驚いた。

 頬を紅潮させて目をとろんとさせたサトミが、あんなに色っぽいとは……!

 引き締まった腹筋とか、小さいが故に存在を主張する胸とか、そこはかとないエロスが漂う部分もあって……。

 俺にそういう嗜好があったのか、あるいは、相手がサトミだからこそ、そう感じてしまったのか。

 どちらにせよ。

 この日、俺たちは結ばれて、親友から恋人にランクアップした。


――――――――――――


 それから一年後。

 俺の部屋で、二人でダラダラとイチャイチャしていた時。

「そろそろ一周年ね」

「うん」

 恋人になった記念日、と言いたいのだろうか。とても女の子らしい考え方だと思う。

「アイビーの花言葉が、きっかけになったのよね」

「うん」

 そういう見方もあるかもしれない。花言葉の話をし始めるまで、サトミは、うちに来るのを渋っていたのだから。

「私、びっくりしちゃった。いきなりコウタが、プロポーズみたいなこと言い出したんだもん。コウタが私のこと、そういう目で見てたなんて……」

 流れで「うん」と言いかけて。

 俺は思いとどまった。

「えっ、プロポーズ?」

「あら、違うの? だってアイビーの花言葉って、『結婚』とか『永遠の愛』とかよね? 絡まり合う蔦のように、二人が強く結びつく、という意味で」

「いやいや、それは少し解釈が違うぞ。絡まり合う蔦だから『友情』『不滅』になるんだろ?」

「……はあ?」

 サトミは、滑稽なくらいに口をポカンと開けて、目を丸くするのだった。


 危なく一周年の大喧嘩になるところだったが……。

 二人で一緒に花言葉について調べたら、問題は解決した。

 そもそも、どんな花にも、一つではなく複数の花言葉が存在する。アイビーの場合は、『結婚』『永遠の愛』『友情』『不滅』『誠実』『貞節』……。

 つまり、俺もサトミも、どちらも正解だったのだ。俺たちは二人とも、同じアイビーの花言葉の中から違うものを思い浮かべて、微妙に誤解し合っていたらしい。

 俺の方は、親友としての不滅の友情、と考えて。

 彼女の方は、結婚まで見据えた永遠の愛、と考えて。


「それじゃ私、勘違いでコウタに処女あげちゃったのか……」

 しみじみと呟くサトミを見ていると。

 さすがに「同じく俺もサトミに童貞を捧げたんだから、お互い様だな!」とは言えなかった。

 もとより、処女と童貞は等価ではない。「一度も侵入を許していない砦は誇らしいが、一度も侵入できない兵士は誇れない」と、昔の偉い人が言ったとか言わなかったとか……。

 サトミにかけるべき言葉が思いつかなくて、黙ってしまう俺に対して。

 彼女は、まるで憑き物が落ちたかのような、けろっとした顔を向けてくれた。

「まあ、いいか。どんな理由であれ、こうして恋人になれて、二人とも今は幸せなんだし」

 あっけらかんと笑いながら、サトミは、俺の腕の中へ。

 彼女を抱きしめながら、俺は思った。ああ、サトミらしい素敵な笑顔だ、と。




(「俺たち二人の花言葉」完)

   

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