不可説不可説転の未来

 現実には伏線など存在しない。そのニュースは突然だった。彗星が地球に直撃するコースをとっているというのが朝のニュースで流れたのは。

 こんなことはアニメや漫画でしか起きないものと思っていたから、かなり驚いた。でも、どうにかなるんじゃないか、と、この時はまだ考えていた。


 その日も、学校はあった。クラスメイト達も、その話題で持ちきりだった。教室中に例の彗星に関するあることないことが溢れていた。

「おはよー。」

「おはよ。」

 御華は、至っていつも通りだった。いつも通り私に話しかけてきて、いつも通りくだらない話をする。今日の議題は「納豆は何回混ぜるのが正解か」だった。


 彼女はあまりにもいつも通りだった。私は聞いた。

「彗星の話、しないの?」

「ん?……ああ、なんか話題なってるよね。」

「それだけ?」

「そんなことよりさ、納豆の混ぜた回数とおいしさでグラフ描けるんじゃないかな。納豆曲線的な。」

 その日、御華は彗星について言及することはなかった。


 事態は悪化していた。

 その日の朝のニュースでは、「一か月後、直撃か」という見出しが右上に大きく掲げられており、ニュースキャスターたちは淡々と彗星の軌道に関する調査結果を読み上げていた。彗星核の大きさとしては異常な、160㎞もの大きさらしい。やたらと長くて分かりづらい文章ではあったが、つまりは、みんな死ぬということなのだろう。自殺者が増えつつあるというニュースを見た。

 私は、正直、怖かった。まだ、死にたくなかった。やりたいことはたくさんある。こんな理不尽なもので終わってたまるか。でも、私にできそうなことは思い浮かばない。私はちっぽけで無力な存在だった。


「御華は、死ぬ前に何がやりたい?」

 気づいたら、私はそう聞いていた。

「なんだよ、急に。……私は、理恵と遊んでられたら十分かな。」

 私は、ずっと御華と生きていたいと強く願った。

 その日が、最後の学校生活だった。


 その日の夜、有名俳優が自殺した。もともと、ギリギリの心理状況で社会を回していた人々は、そのニュースで何かが緩んだのかもしれない。翌日には、仕事が忙しい人々を中心に、自殺やら蒸発やらをしてしまい、まともに経済を回していられなくなった。

 学校からは、緊急メールで「明日 学校 休み」と一斉送信された。これは実際の文面である。たぶん、まともに文章を書くような余裕すらなかったんだろう。


 翌日、私は御華と近くの公園で落ち合った。

「よ。」

「おはよう。」

「何時まで空いてる?」

「うーん、私の両親、昨日の夜にどっか行っちゃった。」

「……そっか。……じゃあ、ずっと遊んでられるな!私も、父さんは行方不明だし、母さんは歌舞伎町から帰ってこなくなったからさ。」

 真っ青に晴れ渡った空では、大きな彗星が長い尾を引いていた。


 私たちは一緒に過ごすようになった。私の家のほうが広いという理由で、御華は私の家で寝泊まりするようになった。

 一緒に暮らすようになって、御華は風呂に入るとまずお尻を洗うこととか、意外と片付けが好きなこととか、十年以上一緒に居たのに初めて知ったことがあるのに気付いた。


 ずっと一緒に居て、一緒に暮らして、ずっと御華を感じていて、私は我慢ができなくなっていた。彗星が直撃するまであと一週間。私は、御華と肉体的な関係を持った。

「理恵ってさ、クールぶってるのに意外と本能が強いって言うか、その、結構情熱的なとこあるよな。声もでかかったし。」

 初めての後、肩で息をする御華は言った。

「……そう?」

「今だから言えるんだけどさ、理恵ってたまに私の涎舐めたりとか、私の服嗅いだりとかしてたよな。あれ、分かってて理恵に言わないの結構大変だったんだぞ?」

 穴があったら入りたい気分になった。


 短い一か月だった。上空の彗星はいよいよ大きくなり、かなり近づいているようだった。あれが落ちてくるなんて信じられないな、とか御華が呟いている。

 彗星は、太陽系の外縁部にある、オールトの雲と呼ばれるところからはるばる飛んでくるらしい。彗星には、周期彗星と非周期彗星が存在する。言わずもがな、周期彗星が太陽の周りをまわるもの、非周期彗星が太陽から離れて行ってしまうものだ。この彗星は後者で、もし地球に直撃せずに飛んで行けば、やがては太陽系を離れていたらしい。

 なんで、そう思った。なんで、地球にぶつかってしまうのか。もし地球にぶつからなければ、彗星は太陽系の束縛を逃れるはずだった。もし地球にぶつからなければ、私たちは何も考えずに、その彗星の美しさに見入ることができるはずだった。なんで、なんで、なんで。なんで、こんな理不尽が存在するのか。もし神という存在がいるのならば、神という力があるのならば、今すぐどうにかして下さい。もしあなたが何もしないというのなら、その力を私にください。私に、あれをどうにかする力をください。天使のごとき、その力を私にください。私に、その力を、

「おーい、また入り込んでるの?いっそ私も一緒にそっちに連れてってくれないかな。」

 そんな御華の声で我に返った。

「今度はどんな妄想してたの?」

「……力が、あれをどうにかできる力が欲しいなって。」

「……そっか。」


 彗星との距離はおよそ15万㎞。あと一時間で地球に衝突。世界は静まり返っていた。関東全域は、巨大な影に覆われていた。

 真上に見える彗星は、いよいよ明るく輝き、これ以上ないくらい美しかった。

 今の人類の技術では、宇宙に脱出して永続的に生きていくのは、やはり不可能だった。人類はここで絶滅する。人類だけでなく、全ての生物が。

 私は、いつだったか動画投稿サイトで見た、巨大隕石が地球に衝突するシミュレーションを思い出した。それは、直径400㎞の巨大隕石が太平洋に落ちる、というものだった。隕石が落ちた直後、「地殻津波」という現象が起きて地殻が破砕し、それによって日本は粉砕していた。そんなことが本当に起こるのだろうか。いずれにせよ、あと30分ほどで太平洋に彗星は落ちるらしいし、その点ではあの動画と同じだな。


 最後に、御華ともう一度だけ体を交えた。

 終わった後、外に出た私たちは、世界が終わるのを見届けることにした。

「怖い?」

 御華が聞いた。

「怖い。御華と会えなくなるのが、一番怖い。」

「でも、最後まで一緒じゃん。」

「そうかな。」


 ついに、それは地球に衝突する。高速で地殻に衝突したそれは、破片を大気圏外、宇宙にまで巻き上げる。地殻津波であった。


 赤熱した岩石が高い壁のようになって、迫ってきた。

 私は言った。

「もし、」

「ん?」

「もし、輪廻転生とか、生まれ変わりとかがあるんだとしたら、その後も、ずっと一緒に居よう?」

「……うん。」


 地殻津波が日本に到達するまであと20秒。


 私は御華に抱きつく。

「ここで離れても、またいつか会える。それまでに、一万年かかっても、一億年かかっても、一兆、一京、無量大数……不可説不可説転かかっても。」


 あと、10秒。


「不可説不可説転の未来で、もう一度。」

 私は、御華とキスをした。


 日本列島は、彗星衝突のエネルギーにより粉砕した。


「だいすき」

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不可説不可説転の未来 あさねこ @asa_neko

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