第8話『見回り』


「お待たせしましたです」


 本を抱え扉を開けたミリテは個室で待つセルトに向けてそう告げた。


「うむ」セルトは椅子に深く腰掛け孫を出迎える様な笑顔で頷いた。


 ミリテは部屋へと入り抱えた本を机の上にドサリと置いた。それを見たセルトが呟やく。


「むう、三冊もあるのか。今日中に読めるかの……」

「はう……」しまったです!


 ミリテは失念していた。

 これまでの人生をほぼ本を読む事に費やしてきたミリテにとって速読は当たり前のことである。彼女にとって本を読むと言う事はページをめくる作業なのだ。いかに早くページをめくるか……。それだけが彼女の本を読む速さを決めている。重本三冊は彼女にとっては一刻もあれば余裕な分量である。勿論、普通の人間はそんなに早く読むことは出来ない……。


「まあまあ、読めねば明日また読めばよいの。では、早速」セルトはそう言って一番上の本を手に取った。

「……」ミリテはばつが悪そうにうな垂れた。


 暫くの後――。


「それでは私は案内係のところで控えていますので、何か御用がありましたらお呼びくださいです」

「うむ……」


 真剣に本を読んでいるセルトにそう声を掛けてミリテは詰め所へと戻った。


「うん、暗い顔してどうしたんだい、ミリテ」詰め所には他の司書たちに指示を出しているトーワが居た。

「いえ、何でもないです」


 何でも無い訳はない、ミリテは暗い顔でうな垂れている。トーワは一瞬したり顔をしてからフォローを入れた。


「まあ、仕事で失敗する事は良くある事だよ。気にするなとは言わないけれど、気落ちする必要は無いからね」

「はい、です……はう~」溜息を付きミリテはもう一度うな垂れた。



 案内係の仕事は本の案内をするだけではない。貸出・返却の手伝い、書棚の整理、館内の見回りも彼等の仕事なのだ。気落ちしているミリテをこのまま案内係に置いて居ても雰囲気が暗くなりそうなのでトーワは彼女に館内の見回りを命じた。


 トボトボと下を向きながら歩くミリテ。

 やはり冬期に入ったせいだろうか、いつにもまして利用客は多い。あちらこちらから笑い声や話し声が聞こえてくる。図書館ではお静かにとは言い難い。このウルテミナにおいて本を読むことは娯楽の一つなのである。楽しげにしている人たちに水を差すような真似は出来ない。それに、本を探し回る司書達。本の整理に追われている司書補達。その呟きや話し声も同時に聞こえてくる。

 ミリテ自身は一旦本に集中してしまえば雑音が気にならなくなるたちなので、意外にもこの喧騒は嫌いではない。皆が楽しく本を読んでいる様子が好きなのだ。勿論、家で静かに本を読むのも好きである。要するに本が読めれば幸せなのだ……。


「あ! 小っちゃいねーちゃんだ」

「げふ!」ミリテの背中に衝撃が走る。背を振り向くとミリテの半分ほどの背丈の少年が亀の甲羅の様にしがみついている。背後にはさらに気の弱そうな二人の男の子が立っている。「お、重いです……」


「ねーちゃん遊ぼうぜ」背に乗った少年がそう言った。

「図書館は遊ぶところではないのです。本を読むところなのです」

「えー、つまんねー」


 ならなぜ図書館に居る? とは言わない。彼らは風の神殿の託児所の少年たちだ。以前からミリテを見かけるたびにちょっかいを掛けて来る少年である。そして今日、木の日は彼らの 〝本の日〟 なのである。静かに本を読み知識を高める日なのだ。そういう名目でここに放置されているわけではないが、託児所の職員は誰も見当たらない。


「もうダメ……降りてください……重いです。ぐげっ」変な声をあげながらミリテはつぶれた。


 本なら重くてもいくらでも持てるミリテだが、実際には線の細い見た目通りで力が無い。彼女の足には少年を支えるだけの力は無かった。


「しょうがねーな」背に乗った少年はそう言いながら背を降りた。


 何事もなかった様にパンパンと服を払いながらミリテは立ち上がる。そして、右手の人差し指を立ててすまし顔で言い放つ。


「いいですか、図書館では騒いではいけませんです」

「だって、ここ本ばっかしでつまんないだよ、なっ」


 後ろに立っている他の少年たちは困惑の表情を浮かべながらも頷いた。

 図書館なので本ばかりあるのは当然だ、そう思いながらもミリテは本の素晴らしさをとつとつと少年に言って聞かせた。


「良いですか、本というのは素晴らしいものなのです。自分の知らない新しい知識との出会い。まだ見たことない景色を……「だってー、俺たちの読める絵本は見飽きたし。それに字ばかりの本は難しんだよ」……ぐうっ……」意外に切実な答えが返ってきた。


 この少年たちはまだ初等学校にも行っていない子供である……。

 文字の読み書きを教える初等学校に行けるのはこのウルテミナでは六歳からである。そして、木の日の午前中は授業がある。よって今この図書館にいる少年たちはそれ以下の年齢の子供たちばかりなのである。文字自体はほとんどが共通語で書かれていて読むことは出来るだろうが難しい表現や用語はまだ教わっていないだろう。本が読みたいばかりに六歳までにほとんどすべての上位表現までを覚えてしまったミリテとは違うのだ。


「そうですね……」ミリテは顎に手をやり思案した。「そうだ、それなら図鑑などはどうでしょう」

「ズカン? って何だよー」

「絵が主体の解説本です。これなら意味が分からなくても楽しめますし、いろいろと新しいものを覚える事も出来るです」

「ふーん……」遊びたい気持ちは隠しきれていないが、微妙に興味を惹かれた様子の少年である。

「さあ行くです」


 ミリテは少年たちを引き連れて本のある児童図書コーナーへと向かった。


「小っちゃいねーちゃん。ここって初等の本が置いてあるところじゃねえかよ。まだオレたち読めねーよ」

「だから大丈夫なのです」


 そう言いながらミリテは本を手に取った。『動物図鑑』と表紙に書いてある本を書棚から引き抜き閲覧用のテーブルへと乗せた。それを三人の少年たちが興味深そうにのぞき込む。

 本を開くと孔版印刷を用いて刷られた微細なイラストが並んでいる。ページによって彩色の施されたものもある。


「「「おお! かっけー」」」


 食いつきは上々のようだ……。


「本を汚さないように注意して読むのですよ」

「おい、早くページめくれよ」「ううん、ちょっと待ってー」「見せてよー」


 もう誰もミリテには興味を示さない……。


「ほうー」とため息をつきミリテは静かにその場を去った。


 その時、お昼を知らせる六刻の鐘が鳴り響き始めた。


 しまったです。早くセルトさんのところに戻らないといけないです。

 ミリテは足早に個室の方へと向かった。

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ウルテミナ 永遠こころ @towakokoro

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