第7話『白髭の老人』
「ふぉほほ、良いのじゃ、良いのじゃ。こんなおいぼれに丁寧な言葉なぞ必要ないぞ。普段どうり接してくれればよい」
そう言いながら老人は左手で自分の顎髭を梳いた。
「はあ、そうですか……」幾分気落ちした様にミリテは答える。「わかりましたです」
敬語のランク自体は三つくらい下がった。ミリテはゆっくりと顔を上げた。
長く白い頭髪に立派な白い顎髭。顔全体に深く刻まれた皴が威厳ある風格を漂わせ、小さめの丸眼鏡の奥には優しい瞳が覗いている。
それに対して服装は、袖のすり切れた厚手の生成りのシャツに、旅装のごつい革ズボンを履いている。肩に掛けた黒のマントも裾が擦り切れる程使用されているが生地はかなり良い物を使っている。さらに右手には沢山の模様が彫り込まれた大きな金属杖を持っている。どれも随分と使い込まれてはいるが丁寧に洗濯されている様だ。
年齢は良く判らない。背筋がしっかり伸びている所を見ると六十歳くらいに見えるし、雰囲気から察すると百歳を超えていると言われても納得してしまうだろう。そして、多分職業は……魔術師。
右手に持った銀色の金属杖に彫り込まれているのは魔術で使われる魔術紋である。高価な装身具などは何も着けていないので所謂、市井の魔術師と言うところだろう。ウルテミナにおいても左程珍しい存在ではない。
「こちらのお部屋は五刻から八刻までの終日貸で銅貨五枚になりますです。よろしいですか」
「うむ、問題ない」
そう言って老人は左手で腰に下げたポーチからお金を取り出しミリテに差し出した。差し出されたその手には無数の傷跡が刻まれている。ミリテはその手からそっとお金を受け取り専用の革袋に納めた。
そもそもこの商人の町ウルテミナにおいての魔術とは生活を便利にする技術である。竈に火を入れる。桶に水を満たす。洗濯物を乾かす。後はランプの代わりに光を灯すしたり遠距離に声を届けることが出来る。
そして、それらを使う魔術師。それらを学ぶ魔術学校。それらを研究する魔術研究所がこのウルテミナにもある。だが、それらは決して怪我を負うような物では無い……。
「では、こちらのノートにお名前を書いてくださいです」
そう言ってミリテは利用者ノートと鉛筆を差し出した。
「うむ」
老人は手慣れた手つきで名前を書いた。ミリテは書かれた名前を読み上げた。
「セルト様ですね」
「うむ。そうじゃな」
「それでは、本日はどう言った本をお探しですか?」
「その前に先ずはそなたの名前を聞いておこうかの」
「わ、私ですか……。私はミーリテリアン・ローアンです。ミリテとお呼びくださいです」
「ミリテ、良い名じゃな」
「はい……」何故か赤い顔をして俯いた。「それで、何の御本を……」
「そうじゃの、うーむ……。こう、血沸き肉躍る冒険物のお話は無いかの」
「え?」ミリテは思わず驚きの声を上げてしまった。
魔術師が冒険小説を読む……。魔術師ならばきっと魔術の本を読むと思っていた。いや、別に間違った事では無い。魔術師と言えども人間なのだから生活はある。生きていくには娯楽も必要だ。何も間違った事は言っていない。それがたとえ物語に出てきそうな賢者の様な風体の人物の発言としても……。
ミリテは思案した。冒険小説です……。
「『腕輪物語』はお読みになられたことはあるですか」
「いや、無いの。どんな話なのかの」
「魔王によって作られたと言われる腕輪を壊す方法を探す為、九人の冒険者たちが旅をするお話です。全ての幻想小説の元になったと言われる作品です」
「ほう、ほう、中々面白そうじゃの……」
「はい、旅の仲間との友情・確執、迫り来る魔王の軍勢との戦い。様々な人の助けを借り旅を続け、そして、ついには!」力を込めて語るミリテ。
「うむ、では、それを読ませてくれぬかの」
「はいです」
ミリテは個室を後にして文学コーナーへと本を探しに向かった。
休み明けの木の日と言う事もあって図書室はすでに利用客でごった返していた。閲覧用の机は老若男女で埋められている。本も読まずに書棚の陰で鬼ごっこを繰り広げる少年達。床にペタリと座り込み集まって絵本を読んでいる少女達。その間をしずしずと歩きミリテは文学のコーナーにある小説の棚を目指した。
腕輪物語は百年以上も前に出版された既に古典と行って良い作品である。このウルテミナ大図書館では古典の名作は常に同じ本が二冊以上置かれている。さらに、もしここに無ければ地下一層の倉庫に行けば予備の本も置いてある。ミリテは書棚を探した。
本は簡単に見つかった。上中下巻と三冊ともに揃っている。ミリテは梯子を引き寄せてそこに登り本を手に取った。
実はこの腕輪物語と言う本は、ミリテが覚えているだけで二度の改訂があった本である。主な変更点は登場人物である灰の聖者の唱える呪文が聖なる光の呪文から、太陽神アウラテラーゼを称える聖句に変わった所だろう。ミリテとしては前のバージョンの方が臨場感があって好きだったのだが、改訂前の本は既に閲覧制限が掛かっているので読むことは出来ない。現在は五層の本棚に納められている様だ。誠に残念である。
ミリテは三冊の本を抱えセルトの待つ個室へ向けて歩き出した。
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