第6話『冬期の訪れ』


 休み明けの五十六週木の日。ミリテが案内係を手伝う事になって五日が過ぎた……。


 ウルテミナは短い秋を終え冬期へと入った。大陸の北から冷たい風が吹き込み海には寒流が流れてくる。森の樹々は一気に葉を落とし冬の訪れを告げている。例年通りであるならば後十日もすれば初雪が降るだろう。底冷えする石造りの家の多いウルテミナには厳しい季節の到来である。


 朝日の昇る直前にミリテはアパートの部屋で目を覚ました。


「ううう……、寒いです……」そして、またすぐに毛布に包まった。


 暫くして毛布に包まったままのミリテはノロノロと朝の支度を始めた。

 かまどに火を入れ朝食を作る。朝食を済ませて食器を洗う。トイレに入って水を汲んでくる。そして、服を着替える。服装だけは今日から冬支度である。

 下はウール混の黒ズボンに革ブーツへと履き替え。上は制服である太いベルトを巻いた緑チュニックにフード付きの黒いロングコートを羽織る。毛糸の帽子にマフラーに手袋も忘れない。肩掛けバッグに返却分の本を詰めアパートを出た。


 中庭を突っ切り扉を開けた。顔を出したばかりの眩い太陽の日差しが降り注ぐ。吐く息が白い。思わずミリテは手袋の上から両手に息を吹きかけた。おかげで眼鏡が白く曇ってしまった。慌ててマフラーの端で眼鏡を拭く。


 扉の裏からキック式自転車を引っ張り出し、そして、走り出す。頬に当たる風は冷たい。時折、白い息をポッポッと吐き蒸気船の真似をしている様だが、彼女の年齢はニ十歳である。


 この五日で市場の大通りも随分と様変わりをした。八百屋では軒先に並べられていた商品は全て店内に仕舞われ、葉物野菜や果物の数が少なくなり、代わって穀物や乾燥果実が並んでいる。逆に魚屋では種類も品数も一気に増えイカ・タコ・カニの赤いいろどりが店内を賑わせている。乾物屋は変わりない。パン屋は冬に向けて新作が出た様だ。周囲にいつもの香ばしいパンの香りと共にシロップの甘い匂いが漂っている。ミリテはこの朝の香りを存分に楽しみながら大通りを抜けた。


 橋を渡り住宅街へと差し掛かる。道を行く学生たちの服装が皆黒い。皆、黒いコートやマントを羽織って白い息を吐きながら先を急いでいる。寒くなった所為だろうかカップルが多い。恥ずかしげもなくベタベタとくっつきながら歩く男女を多く見かける。ミリテはなるべくそちらを見ないようにしながら次々と追い越した。もし、私がこの街の議長なら路上恋愛禁止の法律を作るのに……と考えながら追い越した。


 大きな橋を渡り。学校区へと入った。街路樹の葉がすっかり落ちて落ち葉の絨毯になっている。

 ミリテはカサカサと乾いた音を立てながらキック式の自転車を手で押し最後の坂を上っていった。

 自転車を駐輪場へ止め真っ先にロビーへ向かう。勿論、毎朝張り出されるウルテミナニュースが目当てである。ニュースの前で目を見開き齧り付く様に見つめてる。


「……」


 南のアウテリア大陸への定期航路が再開されるようだ……。夏期の間は海流が分断される為不定期にしか行き来の無い航路だが寒流の流れ込む冬期になると定期航路が再開される。ウルテミナの港はこれからの季節の方が賑やかになるのだ。


「おい、ミリテ。いつまで読んでる」


 背後を見るとさらに装飾の過剰になった黒コートを羽織ったリーナが立っていた。頭には筒状の黒い毛皮の帽子をかぶっている。最早、北方の軍人にしか見えない。


「お早うございます。リーナ班長」

「もう行くぞ」

「はいです」


 ミリテはカチャカチャと金属音を立てて歩くリーナに付いて行き、いつもの朝の業務が始まった。

 朝礼を終え二層へ上がり害虫の駆除へと向かう。流石に寒くなってきた所為で紙魚しみもほとんど出てこない。張り切って体を動かそうと思っていたミリテにして見れば拍子抜けも良い所である。


「何だか残念です……」ミリテは呟いた。


 それを近くで聞いたリーナが答える。


「まあ、寒くなってくるとこんなもんだ。雪が降りだせばもうほとんど出なくなるからな。ミリテ、今日はもうトーワのところに行っていいぞ」

「はいです」


 ミリテは杖を仕舞いいそいそとトーワの居る案内係の詰め所へと向かった。



「お早うございますです」

「やあ、ミリテ、今日から個室を一つ受け持ってくれないかい」


 扉を開け挨拶したミリテに開口一番トーワがやっかいな話しを語り掛けて来た。


「え、わ、私がですか……。でも、どうして急に……?」

「うん、ここのところ寒くなったせいで司書二人が体調を崩してしまって、今日からしばらくの間休むと連絡があったんだよ」

「う……」


 このウルテミナに置いて本を読むと言うのは一種の娯楽である。冬期になると野外演劇や演奏と言ったものが無くなる為に娯楽を求めてこの図書館へ人が集まる。特に暖房の入る個室は大人気で、終日貸で銅貨五枚から銀貨一枚と言う高値にもかかわらず予約でいっぱいになる事も多いのだ。その状況で二人も司書が休むとなると人手が足りなくなることは必至なのである。


「で、でも……私、人と話すのが苦手なのです」

「ここの司書たちとは普通に話せていただろ。あれで大丈夫だよ」

「うーん……」


 ミリテ達が使用している言葉はレグドラド大陸共通語と呼ばれる言語である。この言葉の特徴として相手の階級に応じて使う敬語が違ってくると言うのがあり、それをミリテは苦手としているのだ。本来であれば相手との会話からそれとなく階級を探り会話を合わせていくのだが、本ばかり読んでいたミリテには知識があってもその技術がまったく無いのである。その為、彼女は普段から誰と話しても礼を失しない、語尾に『……です』をつける商人たちが良く使う簡易丁寧語を使用している。


「大丈夫、大丈夫。いつもの通り話していれば失礼には当たらないから」

「はあ……」

「がんばってね、ミリテ」

「はい……です」


 とは言われた物の、根本的な問題はミリテの対人関係に難があると言うことなのである。その問題は何も解決されていない。ミリテは緊張の面持ちで個室に入り扉横の机に付いた。


 館内に開館を告げる五刻の鐘が鳴り響く。

 途端に個室の外に足音と話声が聞こえてきた。足早に扉の前を行き来する利用客の足音。子供たちの上げる笑い声が響いてくる。

 その時、扉が開いた。


「この部屋は空いておるのかの」


 扉を開けて長い白髪に立派な白髭を蓄えた丸眼鏡の老人が入ってきた。ミリテが椅子から立ち上がり深々とお辞儀する。


「本日の臨御りんぎょ、心よりお待ち申し上げておりました。いと狭き御坐なれど聖旨せいしなれば御心に沿うよう尽力致す所存にございます」

「それは宮廷用語かの……」


 ミリテは緊張のあまり思わず最上級敬語を使ってしまった……。

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