ミソギちゃんとクビレちゃん

@ooaann

ミソギちゃんとクビレちゃん

「ん~、やっぱりトークはイマイチね。千慧はしばらく別の方向で、何かリスナーに引っかかるフックを作って行こっか。」

 会話の流れをブッタ切るような突然のダメ出しに千慧は固まった。横で平然とアイスコーヒーを吸い上げているマネージャーの顔を、食い入るように見つめる。

 あなたつい二言前まで、あたしと楽しそうに女子トークしてたでしょうが!え、なに、あたしのターンの次はそっちでしょ?いきなり終わり?埋めたはずの恋愛黒歴史を、人には散々掘り起こさせておいて?

 次は人生の先輩が、どんな大人の恋バナを語って聞かせてくれるんだろうと期待していた矢先のことである。勝手に呼び出しておいて、情報搾取も甚だしい。

「な、何かって・・・。具体的には?」

 不満の気を悟られないよう、恐る恐る聞いてみる。

「おんぶに抱っこかあんたは。それを考えるのはあたしじゃないでしょ。」

 マネージャーがストローから口も離さずに言った。背丈は水泳をやっていた千慧のほうが圧倒的に大きいためか、それとも彼女が童顔なためか、この人にそんな単語を言われると思わずにやけそうになる。が、顔に出たが最後、どんなムチが飛んで来るか分からない。

「でもそうね~、例えば声やしゃべり方のほうでアイコニックになるものがあれば・・・。」

 さすがに喋らせっ放しは悪いと思ったらしい・・・、かは定かではないが、千慧の口元を見るマネージャーの顔が、少し親身な面持ちになった気がした。

 良かった、これでもちゃんと人の心は持ち合わせているらしい。

「その辺はボイチェンソフトじゃダメなんですか?トークのほうはもっと頑張って鍛えていくので。」

 意気込もうとした千慧の出鼻をくじくかのように、マネージャーがあきれた声で言った。

「千慧、リスナーも馬鹿じゃないんだから、声色なんて奇をてらっても見破られるもんなの。第一、肉声目当てで聞きに来てくれてる人もいるんだから、それを機械でいじってどうすんのよ。ただでさえ見てくれは借り物なのに。」

「そうですよね、すみません。」

「声は色だけじゃない、話すときの雰囲気とか、息づかいとか、工夫できるところはいくらでもあるのよ。ってああもう、結局おんぶに抱っこじゃない。」

 2回目はちょっと不意打ち過ぎます、と思わず口元を隠した千慧を横目に、マネージャーはこれでおしまい、とでも言うかのように、氷で薄まるだけ薄まったコーヒーを一気に飲み干した。カラン、と心地よい夏の音を響かせるはずだった氷は、ひと固まりも残らずマネージャーの胃袋に収まっていく。

「同期のミソギちゃんとかを参考にしてみて。」

 最後にそう言って、彼女は伝票を片手にスタスタと会計に歩いて行ってしまった。歯に衣着せない物言いをするくせに、自分が受け持つVtuberにはきちんと『ちゃん』をつけるあたり、どうにも憎めない。ズルい。

 あたしのもうひとつの名前も、よそではこの人に『ちゃん』付けで呼ばれているのだろうか。

 そう考えるとなぜか悪い気はしなかった。


 収録のスタジオに入るなり、荷物を置くよりもまず机の上のパソコンを立ち上げて、その周りを動きやすいように広めに空ける。極めつけのとっておきを、床に落とさないよう細心の注意を払い、両手でパソコンの前まで運ぶ。到底家から運べるものではないため、スタジオに無理を言って置いてもらっているものだ。ここ数か月、自分が配信をやる日や、同期の『ミソギ』が配信をやるとSNSで告知した日に、千慧がスタジオでやるルーティンは決まっていた。そして今日はそのどちらのイベントも決行される日だ。生憎、時間は被っていない。

 いっそのことバッティングしてくれたら、色々な比較データを取ってもらえたのに。生業としてやると決めた以上、正確な比較が数字で欲しい。彼女と比べた自分の強み弱みをはっきりさせたい。そのためには前提条件がより同じじゃなきゃ意味がない。相手よりも、数字そのものと戦うほうしっくりくるのは、水泳でひたすらタイマーと格闘していたからだろうか。

 同期だとマネージャーに教えられた以上、千慧は『ミソギ』を意識せずにはいられなかった。今は彼女が一枚上手だが、自分にもようやく光明が見えてきたところだ。

 今日の先攻は『ミソギ』、一週間後の同日配信では千慧が先攻になっている。パソコンに張り付きながら、今か今かと目を丸くしていると、予定の時間通り、白い長髪の可愛らしい少女が画面に映った。まだしゃべり始めてすらいないのに、コメント欄はすでに増水した川のように、流れる『ミソギちゃん』コールで溢れんばかりだ。

「こ、こんばんは・・・。暑かったね今日も。」

 真冬の屋外で収録しているのかと勘違いしそうなほど震えた声で、ミソギがしゃべり始めた。そう、この声。全然暑そうに聞こえない、まさにこのか細い声が彼女の武器だ。

『弱弱しいけどそれが可愛い』『守ってあげたい』『泣いてるようでほっとけない』etc・・・。

 千慧と同じで、決して人を惹きつけるようなトーク力はないが、その独特の声の波長(振動とでも言うのだろうか)や、しゃべり方、コメント一つ一つと丁寧に会話する器量に魅かれてミソギの元を訪れるリスナーは多い。一体どんな風にしゃべっているのか、この声を聴くたびに、千慧はミソギ本人と直接言葉を交わしてみたい衝動に駆られた。

「少し、お花にお水をあげに行って来るね。」

 およそ1時間毎に、配信者あるあるの常套句でミソギが席を外す。ちょうどコメントが荒れて来る頃、まるで仕切り直しをするための間を作るように、タイミングが見計らわれている。

『あげるじゃなくて出すんだろ』『俺もついていきたい』『小さいほう?大きいほう?』

 いつものように、ここぞとばかりに品のかけらもないコメントが飛び交い始める。

 本当にどこにでも湧くなお前らは。ゴキブリか。

 目に余るとはいえ、その品性の乱れにこそ訴えかける配信を強みにしている千慧に文句は言えない。戻ってきたミソギは、清純な少女の耳には、ゴキブリの羽音など微塵も聞こえないとでもいうかのように、まともなコメントだけを抜かりなく拾っていった。

「今日も忙しい中、遊びに来てくれてありがとう。このあとは別枠で、同じ事務所のクビレちゃんがすごく元気の出る配信をしてくれるので、良かったら遊びに行ってみてくださいな。」

 か細いながらもはっきりとした声で、ミソギが締めの挨拶をする。2時間弱の雑談配信の最後で、ちゃんと同期の顔を立てるあたり、本当に優等生だ。

 リスナーからの評価は一段と高まってるんでしょうが、あたしのハードルも一段と高くなってますよミソギちゃん。まあ頑張るけどさ。

 息を切らして収録ぎりぎりの時間に到着したあの日、間髪入れずに行った千慧のライヴ配信はなぜか大盛況だった。瞬く間にあれよあれよと登録者が増え、その要因が息を切らせるような声使いだと気づいたときには、すでに新人お色気系?Vtuberの称号を欲しいがままにしていた。

 慣れた手つきのスタッフと、マイクや周辺機器の調整を済ませると、千慧は準備しておいた鉄アレイをしっかりと握りしめた。ひ弱な男が見たら少したじろぐほどの重さだ。

「お前の声聞くとマジで元気出るわ。」

 元カレの置き土産をこの手でつかむたび、千慧の頭の中で彼の声が反芻する。

 最後はお前は色気がないとか言って、他の女の尻を追っかけてったくせに。あたしのことは未だに縛るのか。いつかこれが必要じゃ無くなる日が来たら、手垢で染めて送りつけてやろう。目にもの見せてやれ。

 配信しながら激しい運動をするわけにはいかない。あからさますぎてもダメだ。マイクで音を拾えるよう常に姿勢を保ちつつ、ほんの少し吐息が混じるような良い方法はないか。千慧が出した答えがまさにこれだった。

手にした鉄アレイを、肘を支点に上下にゆっくり振り始める。同時に、マイクを通した自分の息づかいも確認する。配信に向けた身体のコンディションは、着々と整っていた。



「ん~、美雪はさ、トークがちょっとパンチに欠けるから、他でも何かアイデンティティ出していかなきゃね。」

 数少ない恋愛遍歴を洗いざらい吐かされた直後のダメ出しに、美雪は呆然となった。

 ああ、今の会話でわたし、試されてたのか。

 ただでさえ苦手な色恋話を長々とさせられた挙げ句、それが自分への採点試験だったなんて・・・。

「アイデンティティ・・・ですか。」

 テーブルに出されたきり、広げようともしないマネージャーのメモ帳を見やる。美雪自身、一番悩んでいる問題だった。

「仕事としてやる以上、避けては通れない問題でしょ?」

 マネージャーがストローを加えながら、媚びなど毛ほども感じさせない上目遣いでこちらを見た。目線の高さは美雪が上だが、人としての腰の高さではどうにも太刀打ちできそうになかった。

「声色に関してはうん、好きな人は好きだと思う。でも、もう一声欲しいかな。強弱とか、間の取り方とか。自分ではどう?」

「もう一声・・・。まだ具体的にどうすればいいかは思い付きませんが、とにかくやってみます。」

 美雪は神妙に答えた。

 ようやくなれたんだ。この憧れの職業に。かつて引きこもっていたわたしと世界とを唯一繋げてくれた配信者という存在に。せっかく頂いた機会を、みすみす棒に降る訳にはいかない。

 ありがとうございますと頭を下げた美雪の手から伝票を抜き取りながら、マネージャーが思い出したように言った。

「同期のクビレちゃんとかは参考になるかもね。」

 クビレちゃん・・・。


 起きてすぐ、家に帰り着いてすぐ、着替えるよりもまず先にパソコンの電源を入れ、流れるように冷蔵庫の中を確認するのが美雪の習慣になっていた。事務所に借りたマイクやヘッドセットも一つ一つ丹念に調整していく。必要最低限の家具しか揃えていない部屋のおかげで、収録用の大がかりなセットは、多少の余裕を持って美雪宅に収まっている。どうにもいつもより落ち着かないのは、今日が『クビレ』との同日配信日だからだ。

 『クビレちゃん』とわたし、両方がやる日だけど、幸い時間は被っていない。へたにバッティングしてリスナーの取り合いになんてなったら堪ったもんじゃない。かといってコラボなんて話が出た日には・・・。

 そわそわしながら画面上でしばらく作業をしていると、突然ヘッドホンから馴染みのある声が流れ始めた。急いでライヴ配信のタブに切り替える。茶髪で褐色、スタイルに関しては言うこと無しの少女が、まさにリスナーとマイクテストを始めたところだった。コメント欄は『聞こえてるよ~!』と返事をする人と、『クビレちゃーん!』と熱狂する人で揉みくちゃにスクランブルしている。

「どーもどーも、こんばんわ。暑すぎて汗だくだくだよぉ。」

 どこかで体を動かしながら収録しているのかと思ってしまうような吐息混じりの声で、クビレが口火を切り始めた。そう、この息づかい。男子ならつい耳ではなく股間で聞いてしまいそうになる、この息づかいだ。

『なんかエロい』『息の音で刺激される』『言葉遣いはサバッとしてて、逆に興奮する』etc・・・。

 自分がもし男なら、あざとさなんか気にせず聞き惚れるのかなあと思いながら、美雪は声の主を想像した。トークの方も回を重ねる毎に上手くなっている気がする。快活で、でも独特の息づかいがあり、かといってあからさまじゃない絶妙な感じ・・・。その気にさせられた男は数知れずなんじゃないだろうかと、思わず勘ぐってしまう。

「ちょっとごめんっ、トイレ休憩。」

 あっけらかんと言ってのけるクビレのコメント欄は、これまた直球に『辞めてー!想像してしまう!』『クビレちゃん抱きてえ!』などと煩悩丸出しの叫びをかます輩で賑わっていた。一周回って清々しい気持ちすら湧いてくる。

 なんだかなあ・・・。先週は同じ時間でわたしが先に配信してたんだけど・・・。

 同期でも、Vtuberが違うだけでこうもコメント欄が様変わりするのを見ると、何とも言えない気持ちになる。

 そろそろこちらも準備しなくてはと思い経ったとき、クビレが一段とはっきりした声で言った。

「も~みんな温まりすぎ!このあとはミソギちゃんの配信もあるから、今度はそっちで癒されてきてよ~!落ち着くよ~。」

 落ち着きたいのはこちらのほうだ。意識すればするほど、自分に出来ることより、自分に出来ないことのほうにばかり思考が回ってぐちゃぐちゃになる。

「ああもう、一回リセット。」

 美雪は冷蔵庫の下半身いっぱいに作りためた氷をいくつかバケツに放り入れると、着ていたスウェットを捨て去って風呂場に向かった。


 美雪の配信が、遠慮も配慮もないコメントで荒れたあの日、不意に思い出した祖母の一言が、その後の美雪の配信スタイルを大きく変えた。

「どーにもならんと思ったら、心頭滅却たい。全部消えてすかーっとするき、やってみんさい。」

 滝行を日課とする祖母は、喜寿をとうに過ぎた今でも地元の町内会長を務めており、頭の切り替え速度は衰えることを知らなかった。

 あの日、どれだけ宥めても収集がつかず、もうどうにでもなれと席を立った美雪は、おもむろに風呂場に向かった。そこで頭から冷や水をこれでもかと被ったとき、あまりの辛さに息が出来なくなった。

 おばあちゃん、こんなの毎日してるんだ・・・。

 水圧では到底上を行く滝の水を想像しながら、美雪は自分の震えが止まらなくなっているのに気づいた。リスナーの心ないコメントのことなど、もはやどうでもよくなっていた。

 変化があったのはその直後だ。

『ミソギちゃん、もしかして泣いてるの?』『ごめんミソギちゃん。』

 戻ってきた美雪の声に異変を感じ取ったリスナーが、次々と謝罪のコメントを並び立てた。バラバラになっていたリスナーと美雪が、もう一度繋がったと感じた瞬間だった。

 そのときからだ、ただか細い声じゃない、身体の芯から震えるような独特の声を身につけようと思い始めたのは。

 さあ、今日は配信中に何回お清めするのかな。頭や心がぐちゃぐちゃになってきたら、落ち着くためにもまずはリセット、と。

 新しい氷をもう補充し始めている自分に気づき、祖母の遺伝子の強さを感じずにはいられなかった。

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