第1話

王都レークスのはるか南、海に浮かぶ小さな島、トガ。この島の北に位置するパルティは人々が気ままにのんぶりと暮らす穏やかな街である。そんな街が騒がしくなっていた。この街に住む男、ダダリオ・ジョンが海に浮かぶ少女を見つけたのだ。「人が海に浮かんでいる」。小さな揉め事や事件さえも起こらないこの街では、一大事である。急いで少女を海から引き上げたダダリオは、街医者であるジャックスの元へと急いだ。


「ジャックス!」


バンっとドアを開ける音が聞こえたと同時に名前を呼ばれ、ジャックスは気怠そうに振り向いた。


「何よ、騒がしい。」


「大変だ、診てくれ!」


「あらあら、どうしたの?」


そう言いながら、ジャックスは診察室のベッドを手で叩いた。ダダリオは言われるがままに少女を寝かせる。着ているシャツの胸元を少しだけはだけさせたところで、ジャックスはダダリオの足を自らの足で勢いよく踏みつけた。


「っ…!!!」


突然襲った痛みに声も出せず、ダダリオは足を抱えて座り込んだ。


「これから診るの、わかるわよね?あなたは外で待っていて。」


有無を言わさず、ジャックスはダダリオを診察室から追い出した。






「全く、そんなに強く踏みつけることないだろうに。」


診察室から追い出されたダダリオは、未だに痛む足を摩りながら呟いた。


「あの子も、逃げて来たんだろうか。」


ここ最近、“海の向こう”から逃げてくる者が多い。つい先日も若い男性が浜辺に流れ着いていたばかりだ。その前には質素な船で集団で逃げて来た者たちもいた。皆が口を揃えて言うのだ、「王都にいては殺される。」と。

おかげで滅多に満室になることのない宿屋が満室になり、主人であるモーリスは顔を綻ばせている。あの少女もいつまでも診療所においておくわけにはいかない、だが、宿屋が満室となれば…。


ダダリオは腕につけていた通信装置を起動させると、自宅にいるであろう妻、サリーを呼び出した。


「はーい、ダーリン。目当ての魚は釣れたの?」


「ああ、サリー。魚はまだなんだけどね。…また、だよ。」


感の良いサリーはダダリオのその一言だけで、察したようだ。少女のことで少々気がかりなこともある。自宅へ連れ帰っても良いか、ダダリオの問いかけにサリーは二つ返事で了承した。


「わかったわ。ベッドの用意をしておくわね。」


「ああ、頼むよサリー。」


通信を遮断すると同時に、診察室の扉が開きジャックスが顔を覗かせた。手招きされるがままに中へ入ると、少女はまだ眠っている。


「特に怪我も無いみたいだし、目が覚めるのを待ちましょう。それにしても…。」


ジャックスは難しげな顔をして腕を組んだ。


「どうした?」


「例えばこの子が海で溺れたんだとしたら、少しも水を飲んでいないのはおかしいわ。なんだか見慣れない服を着ているし。あなたが持ってきたこの子の持ち物も、知らないものばかり。」


「確かに海に浮かんでいたのに、バッグを肩にかけたままだったのは随分運がいいな。」


冗談めいて少し笑うダダリオをジャックスはギロリと睨みつけた。ジャックスの視線に気付いたダダリオは慌てて咳払いをし、背筋を伸ばす。


「とにかく、サリーには連絡してある。モーリスのところにはもう頼めないだろう。」


「ええ、頼んだわよ。」



少女を抱えたダダリオが診療所を出て行き、扉が閉まったのを確認すると、ジャックスは深くため息をついた。


「また来ちゃったのね、あの子。」


ジャックスの言葉は誰にも届くことはなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハロー、ガーベラ Liber @nn-orange

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ