みな底の祭壇
成田葵
みな底の祭壇
これは某オカルト週刊誌の編集部倉庫から発見された、一本のテープを書き起こしたものである。
テープの声の主と思われる編集者Aは、テープ発見の半年前にレジャー先の山で行方不明になっている。
固有名詞についてはプライバシーの観点から「*」で記す。
---------------------------------
「いやぁ、本日はお時間お取りいただきありがとうございます。わざわざ病院にまで押しかけちゃって」
こんな年寄りを訪ねてくださる方なんて殆どもういませんから。それで、本日はどういったご用件でしたかね。
「お電話でお話させていただきましたように、本日は**さんのご幼少期のお話をお伺いできればなぁと」
ああ、そうでした。*******村の水巫女伝説についてでしたかね。
「えぇえぇ! それですそれです」
すみませんねえ。どうもここ数年頭が霞がかったようになることも多くて。記憶も保たないもので。
「うちはしがないオカルト誌なんですがね。ちょうど**さんのような妖怪だとかオバケだとか、そんなんに会ったー! みたいな話を集めてるんですわ。そこで良ければその……みずみこ? について詳しく話を聞けたらとね。えぇ。思っとるんですが」
そうですかそうですか。まあ、私でよろしければ。
「いいんですか? ……聞こうと思っていたんですがね。うちのほかの記者は、以前**さんに取材をご依頼したとき、断わられたと言っとりましたが。今回はいいんですか?」
ええ。もう、良いのです。言うなと言われていましたが、まあ、もうそろそろいいんじゃないかなと。
「へぇ、そうですか。じゃあご遠慮なく。……ちなみに、この水巫女伝説を他にご存じの方は?」
さあ、もうどこにやら……。*******村がダムに沈んでから、他の連中はみな街に出てしまいましたから……。
「そうですか……。じゃあ、いろいろお聞きしたいんですがね。水巫女ってのは何なんですか」
かつて村の沼に住んでいたとされる
なんでもかつて村はこの蛟が起こす天災に大変困らされたとのことで。いつか蛟のもたらす大雨で村のある谷底がすべて湖になるんじゃないかと困り果てていたそうです。
そこでひとりの娘がその蛟を退治するために、毒を飲んで身を沈めました。
その後天災が治まったことで、蛟は死んだのだとわかり、彼の娘を祀る祭壇を建て沼に沈めました。それが水巫女伝説です。
「なるほど。で、**さんはその水巫女に会ったことがあると」
ええ、そうなのです。私は村長の家系の生まれで、幼い頃、その沼に毎朝供物を捧げに行くのが私の仕事でした。
供物と言っても祭壇は沼の底にありますから、沼に沈めていただけです。水巫女が生前好んでいたという干し柿を毎朝三つ、捧げていました。
しかしこの供物奉納にはひとつ決まりがあって、必ず朝、鶏の鳴く前に行わなければならないと定められていました。
そして、干し柿を沼に沈めたら、すぐさま立ち去らねばならない。それ以外には村長含め沼に近付くことさえ禁止されていました。
ある朝のことです。私が八つかそこいらの頃でした。その日私は少々寝坊しまして、鶏の鳴く時間に間に合わなかったのです。急いで沼に向かいました。
その頃にはあたり一面に
何度か転びそうになりながらも沼に着き、急いで干し柿を沈めようとしました。
そのとき、何処からか美しい声が聞こえたのです。
声だったかどうか、今ではわかりません。思えば鈴の鳴るような音でした。清廉で澄んだ音です。あんまりに奇麗な音だったもので、私は
その瞬間、干し柿を持った私の腕を、何者かが大変強い力で引きました。
あまりに強い力で、呆けていた私は為す術もなく沼へと引き摺り込まれました。
水の中では不思議と視界が明瞭でした。水は大変に冷たく、それでいていやに心地よかった。
ぶくぶくと
恐ろしく美しい女でした。一糸纏わぬ薄青いまでに白い肌に、豊かに広がる黒髪。双眸はくすんだ
血の気のない奇麗な形の唇を弓なりに曲げて、女は僕の手を引きました。どうやら、水底に
何故かまったく恐ろしくありませんでした。そこが禁域の沼であることも、おかしなことに息が続いていることも、何も気にならないくらい女は蠱惑的に艶があったのです。
女は僕の手を引いて、水底へと泳ぎ進みました。女の脚を見ると、そこには
そこで、僕は漸くこの女が人間ではないと気付いたのです。まったく怖いとは思いませんでした。その女の
やがて深く
女は祭壇の傍まで近づくと、僕を柔らかく抱きしめました。豊かな乳房の
そして、そのまま僕の頬を両手で挟むと、女は僕に接吻しました。
そこから先のことは、よく覚えていません。ただただ、夢のように蕩けそうな、
僕はどうやら、三日三晩行方不明になっていたようです。
「はぁ……。それはそれは……。……**さん? 大丈夫ですか?」
(ここから話者の息が上がってくる)
僕は、思いました。この女は、この女はその水巫女なのだと。それから、僕は、あの沼に近付くことを禁じられて。あんなに、奇麗で、優しいのに。彼女は独り、水の底。淋しいでしょう。貴方だったら耐えられます? くらい、くらい、水の底にずうっと独り。
「**さん、落ち着いて。看護師さん呼びますか?」
(背中をさするような音)
なのに、彼女は僕に、私のことは誰にも言わないで、と。ふたりだけの秘密。いつか、また、会うまで、と……。彼女には、僕しかいない。ああ、淋しい。まだ、彼女はひとり、あの沼で、あの谷底で、僕を待っているんだ。
「看護師さん! **さんの様子が……!」
(編集者Aの声。ナースコールを呼んだ?)
独り、独りは淋しい。淋しいのに、今じゃあの谷底には誰もいない。何のために沈めたんだ。僕は待ってた。ひとり、あの、村の傍でずっとずっとずっとずっとずっとずっと……!
(ガサガサと何かを掻き毟るような音)
でも、今僕が行く。待っていて。僕が、僕が行く! 貴方も行きますか? それがいい。彼女もきっと優しいから、許してくれる。ああ、また、美しい貴女に会えるなんて……!
(あたりが騒がしくなる。看護師や医師が来た?)
「**さん! 聞こえますか?」
「脚の掻き傷が酷い……! すぐに鎮静剤を投与しろ!」
離してくれ! 僕は行かないといけない! あの祭壇に、もう一度、行かないといけないんだ! もう彼女も、迎えに来てくれている。見てくれ僕の脚を。ほら、動けなかったのに、今じゃこんな。これで、彼女と泳げる。ははは。一緒に水底を泳ぐんだ。これで一緒に村で暮らせる。そして、また、あの祭壇のときのように……! ああ、早く会いたい! もうすぐ、もうすぐで……!
(ガシャン、という音の後ノイズ。レコーダーが落ち、そのまま録音が止まった模様。以後記録なし)
みな底の祭壇 成田葵 @aoi_narita
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます