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  • 最近は、中にタオル生地がついていて、濡れた傘をたたんで鞄の中にしまうことができる折り畳み傘ケースが売っているみたいです。(わたしは使ったことないので使用感は知りません。普通の傘がとても好きなので)
    シェアリングサービスはうまくいってなさそうだし、AIとか超伝導とかips細胞とかモーションキャプチャとかではないけれど、持ち歩かなくても済む方法があるかも。
    でもそう思うとかなり原始的方法ですよね。どうして今まで無かったのか。


    それにしても、嫌いなものは人それぞれですね。①以外はすべて好きなものでした。

    作者からの返信

    うーん、タオル生地くらいじゃちょっと不安かも。湿気がかばんの中に広がりそうで。

    こうして苦手なものを並べてみると、人間の輪郭が見える気がしますね。見たいわけじゃないですけど・・・。


  • 編集済

    どうすべきだったのか、どうすべきなのか、すごく難しい出来事だと思いました。保護者として子供に言うのであれば、ひとつの回答みたいなものは思いつくし、用意できる(しなければならない)と思うのですが、それがこと自分の身に起こった場合、どうするのが「正しい」のか、すごく難しいですね。
    その電車がローカルな電車なのであれば、恐らくその人はもっと人の多い路線で、駅員さんにマークされるほどそれを繰り返してきたんでしょうね。何度も、何度も。近隣で起こった大災害を出して、そう多額のお金を所持していないであろう学生さんに懇願して、最低賃金に満たないお金で「静かに」なる、そこまでその人を追い詰めたのはなんだったのだろう、とも思いますし。
    わたしも高校生の頃、知的障害のある男性が時間を尋ねるのを無視し続けたことがあります。平日の夕方よくいる方で、はじめはみんな、話しかけられた女の子は時間をこたえ、電車が何分後に来るのか教えてあげるのです。でもひとたび目を合わせて話をしたら、その人は顔を近づけ身体をぴったり寄せて離れてくれない。遊びにいこう、と繰り返す。よくよく見ると、その人は近くにどれだけ人がいようと、女子高生にしか話しかけないんです。それが目的だったんだと思います。だから、その人に何度か遭遇したことのある女の子はその人の問いかけを無視したし、なにも知らない友人が応えようとしたらその子を引っ張って遠ざけました。今振り返っても、同じ状況になったら同じようにするだろうと思います。大人として遭遇したら、高校生を助けてあげたいとは思いますが。
    でも、辿々しい口調で時間を訊ねる人を無視し続けた記憶は、引っ掛かりとして残っていて、どうするのが「正しかったのか」今でもわからないままです。


    ただ、ひどく悲しいなと思いました。その人がもう、誰かの膝に手をおいてお金をねだるほど、困窮していなければいいなと思います。

    作者からの返信

    自分を守るためには、人を無視するくらいのことは許されると考えるべきなのでしょうね。積極的に攻撃するわけでないなら。

    とは言え、簡単にそう割り切れるくらいならこんなことを考える必要もないんですよね。たしかに、あの人が困ってたのは事実だったろうし。こういう場合、何が「正しい」か、ということが一番大切なわけではないのかも知れませんが……。

  • なんとも表現し難い出来事ですね……。

    ですが、500円を渡したのはベストではなかったにしろ、ベターではあったのかもしれないなと感じました。
    そうしなければ、もっと怖い目に遭う恐れもあるからです。
    そして保護者にそのことを伝える。学生にはそれが限界のように思えます。

    大人である今なら、(断れるなら)断るべきかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね。あの時点ではあれが最善だったかもしれません。ただなんとなく後味が悪いんですよね。何年も印象に残ってるぐらいですから。

    大人になった今では、たぶん言ってこないでしょうね。相手を見てるだろうから……。

  • 5月 五月最後の日にへの応援コメント

    本日、いやもう昨日なのですが、久しぶりに遠出して印旛沼の田園地帯を徘徊したら、田圃の畦道を、亀が横切っていきました。
    あれほど内向と外向が一目瞭然のイキモノって、珍しいですよね。ダンゴムシとかアルマジロとかもそんな感じですが、亀の甲羅は、とにかくゴツくて重たそう。
    ああ、亀ではなく狸に生まれて良かった、などと思いつつ、久々に、また何かに化けてみようかな、などとも思ったりしております。

    作者からの返信

    バニラダヌキさま

    ぜひ化けましょう化けましょう! 楽しみにしてます。

    カメ、こないだたくさん見ましたよ。ちょっと増えすぎてるみたいでした。たしかにあれは変な生き物ですね。中身(?)が甲羅に支配されてるみたいにも見えます。

  • いやもう、ちゃんと仕事しろよ! と言ってやりたいですね。
    大丈夫なのかな、この会社。

    作者からの返信

    そうですねえ。同じ「猫」の名を名乗っていることだし、悪く言いたくはないんですけどね…。

  • こんばんは。

    自分のことかと思いました。
    私も「子どものときの恐怖感」に今も悩まされている人間です。
    「いじめっ子タイプ」に出会うと、相手が友好的でも体が強張ります。
    人間関係は本当に難しいですね。

    作者からの返信

    共感のコメントをくださいましてありがとうございます。
    そうですね。とてもむずかしいと思います。もしかすると、おなじように感じてらっしゃる方は意外に多いのかもしれませんね。

  • 平家物語は音読するとリズムが良いんですけど、この箇所もすごく印象的ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。そうですね。語り物だっただけに、音を大切にした文章で、リズムが気持ちいいです。わたしはこの奈良炎上のくだりが好き(単純に「好き」というには悲惨すぎるけど)で、何度も読み返しています。

  • 正直、「髪染めたことなさそう」と思ってましたすみません…。いやそれはそれで別に悪い意味ではないんですけど…。

    ピンク、というのはあれですよね。女子がよくいう「ピンク味がかったベージュ、ブラウン」を指しているのではなくほんとのピンクですよね。美容系としてはその、過程がわりと気になります。あそこまで染めるとなるとホワイトブリーチ必要だと思うんですけど、最初ブリーチ何回くらいやりました? その前も結構明るい色入れててピンク入れた感じですか? ピンクって退色早いけど、どのくらいのペースで染め直してました?
    染めよう、と思うのと、実際に染めて維持するのでは心の動きが全く違うと思うので、気になってしまいました。
    わたしは「染めたい」と思っても、しがらみや仕事や学校の規範から外れられなくて、ハイブリーチはまだ未経験なんです。すごいなあ…。

    作者からの返信

    大学のときだったか、その次の学校のときだったか、規範とあまり縁がなかった時期に、茶色とか、グレーっぽいのとか、何回か染めましたね。よく分からない朦朧とした心境でやったことなので、細かいことは忘れちゃいました。そんなにパリパリのピンクでもなかったですし、ずっと維持してたわけでもありません。最初の脱色は結構やった気がします。かなり白っぽくなってたはずだから。気の迷いみたいなものですから、人生にとってたいした意味はないですけど。

  • 私も死ぬまでに一度は派手な髪色をしてみたい……と、ぼんやり思っていますが、結局そんなことをすることもなく人生を終わるんだろうなとも思います。
    人生一度くらいは羽目を外してみたいですが、やっぱり勇気が出なくて……。妄想だけで終わっています。

    作者からの返信

    大した意味はなかったなと思ってます。単純にバカだっただけで。でも大した意味のないことをするのにも意味があるのかもしれませんしね……。


  • 編集済

    こういう感じなんだかわかるなぁと思いながら読ませていただきました。
    大人になるとそれぞれ別々の道に行くので同級生と会うなんて本当に何年かに一度、もしくは数十年ぶりに会ったなんてこともこれから先あるわけで。

    でも例えば二十年ぶりくらいに会うのに、自分の中では昔の学生の頃のイメージのまま会うわけですよ。
    それくらい青春時代の仲間というのは人生においても特別で大切な記憶なのだなぁと実感しますね。

    私の場合で恐縮ですが、

    異性の友達は同性の友達とは違って
    “友情”に“信頼”とか“尊重”とか“尊敬”とか“愛情”みたいな気持ちが少なからずありますから、恋愛とは違ってもやはり特別な記憶にはなりますね。

    そんな“昔”の気分をほんのり思い出し少しセンチメンタルに酔いしれました。
    (*´ω`*)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    大人になるとなんかいろいろ寂しいなあ、と思います。もちろん新しい出会いも知らなかった世界もあるんですが、時間は決して戻らないですしね……。


  • 編集済

    狸も昔は歩ってました。
    子供の頃に聞いた昔話だと、「んでよ、ほだな真っ白なゆぎみぢばよ、どごまでもどごまでも歩っでぐどよ、みぢばださ、丸っこいたぬぎが――」みたいな。

    今回のエッセイは、そのまま私小説の草稿のようで、滋味が豊かでした。

    ラストの電話のくだりを、思わず怪奇幻想系に発展させたくなったりするのは、ひねこびた狸の悪癖です。すみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     考えてみると、私小説というものを書いたことがないんですよね。

     でも、文章にしてしまうとどうしても鉋をかけたみたいになってしまい、このエッセイでもどこか嘘のような気がしています。小説にするという選択はこの件に関しては考えられませんでした。

     もし小説にするなら原形をとどめないくらい形をかえていただろうと思います。電話の着信ではなく発信を題材にした怪奇幻想譚なら読んでみたいかも。


  • 編集済

    わたしも「歩いて」を「あるって」と発音する地方から、見知らぬ人だらけの街に出てきた人間ですので、その心細さと、親しくなってくれた近しい人の存在の有り難さは身に染みてわかるような気がします。



    せめて電話くらい、故人に繋がればいいのに、と、よく考えます。

    電話の向こうのあの人は、あのときのままの時間にいるので、向こうから電話をもらうことはできない。向こうからかけたら、あのときの自分に繋がってしまうから。

    電話の向こうのあの人はあの時にいるので、話はいつも、いつかの繰り返しになる。あの人にとって自分はあのときの年齢のままなので、こちらがもうよく覚えてないことや、とっくに通りすぎてしまったことを、まるで昨日話したみたいに覚えており、こちらは逆に、遠い過去に聞いた話を思い出せないので、「この間話したばかりなのにもう忘れたのか」と怪訝がられたりするかもしれません。電話の向こうのあの人の声に、こちらの胸が詰まってしまい、心配をかけてしまうかもしれません。
    でもやっぱり、そんな風に、時々でいいからあの人と話せたらいいのになあ、と思います。かえって悲しいかもしれないし、時々、友人から奇妙な着信を受けとることになるかもしれないけれど。

    故人の番号が知らない誰かの番号になるまで、本当に電話をかけていたので、そんなことを考えてしまいました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     もうずいぶん経ちましたから、記憶も薄れて変形しているだろうし、それを確かめる術もありません。ここに書いた内容にも間違いや混同があるだろうと思います。もう感情もぼんやりとしているのですが、なにかしみじみと、存在することの悲しみを思います。
     電話で故人と話したい、とは、実はわたしはあまり思いません。いつかどこかでみんないっしょになるのだし、それはそう遠くないような気もします。

  • はじめにへの応援コメント

    しかし『東京虫』、本当に読者様によって解釈(?)が様々ですよね。
    狸としては、まさに『ジャスミンの島の物語』を構築したことによって、猫村様の創作の次元が確実に進化し、『東京虫』を産んだのではないかと思っているのですが。哲学的な思索をストーリーテリングに託して描出する呼吸、みたいな。
    すみません。このエッセイの応援になっていないですね。
    毎月一回、楽しみにお待ちします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうなんですよね。ちょっと愕然として、ひょっとしてこれは完全な失敗作なんじゃないか、何も表現できてなかったんじゃないかとも思ったのですが、あるいそうではなくて、読者ご本人の人生観や人間観によって、感想や解釈の表現が大きく違ってきているということなのかもしれません。

    おっしゃってくださっているほどの進化があったのかどうかは分からないですが、「東京虫」が「ジャスミン」の副産物であることは実感として確かです。それはいろんな意味でそうなのですが、たとえば「女性」というモチーフの重要性は「ジャスミン」から引き継いで尖らせたものにちがいありません。これからずっとそれをテーマにしていこうというつもりではありませんが。

    このエッセイは「ゆるい」場にしたいので、多少ちっとも関係なくてもコメントいただければ嬉しいです。ありがとうございます。