【月刊エッセイ】まぬるマンスリー

作者 猫村まぬる

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 10月 武田くん(仮名)のことへのコメント

    こういう感じなんだかわかるなぁと思いながら読ませていただきました。
    大人になるとそれぞれ別々の道に行くので同級生と会うなんて本当に何年かに一度、もしくは数十年ぶりに会ったなんてこともこれから先あるわけで。

    でも例えば二十年ぶりくらいに会うのに、自分の中では昔の学生の頃のイメージのまま会うわけですよ。
    それくらい青春時代の仲間というのは人生においても特別で大切な記憶なのだなぁと実感しますね。

    私の場合で恐縮ですが、

    異性の友達は同性の友達とは違って
    “友情”に“信頼”とか“尊重”とか“尊敬”とか“愛情”みたいな気持ちが少なからずありますから、恋愛とは違ってもやはり特別な記憶にはなりますね。

    そんな“昔”の気分をほんのり思い出し少しセンチメンタルに酔いしれました。
    (*´ω`*)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    大人になるとなんかいろいろ寂しいなあ、と思います。もちろん新しい出会いも知らなかった世界もあるんですが、時間は決して戻らないですしね……。

    2020年10月18日 14:24

  • 10月 武田くん(仮名)のことへのコメント

    狸も昔は歩ってました。
    子供の頃に聞いた昔話だと、「んでよ、ほだな真っ白なゆぎみぢばよ、どごまでもどごまでも歩っでぐどよ、みぢばださ、丸っこいたぬぎが――」みたいな。

    今回のエッセイは、そのまま私小説の草稿のようで、滋味が豊かでした。

    ラストの電話のくだりを、思わず怪奇幻想系に発展させたくなったりするのは、ひねこびた狸の悪癖です。すみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     考えてみると、私小説というものを書いたことがないんですよね。

     でも、文章にしてしまうとどうしても鉋をかけたみたいになってしまい、このエッセイでもどこか嘘のような気がしています。小説にするという選択はこの件に関しては考えられませんでした。

     もし小説にするなら原形をとどめないくらい形をかえていただろうと思います。電話の着信ではなく発信を題材にした怪奇幻想譚なら読んでみたいかも。

    2020年10月13日 07:07

  • 10月 武田くん(仮名)のことへのコメント

    わたしも「歩いて」を「あるって」と発音する地方から、見知らぬ人だらけの街に出てきた人間ですので、その心細さと、親しくなってくれた近しい人の存在の有り難さは身に染みてわかるような気がします。



    せめて電話くらい、故人に繋がればいいのに、と、よく考えます。

    電話の向こうのあの人は、あのときのままの時間にいるので、向こうから電話をもらうことはできない。向こうからかけたら、あのときの自分に繋がってしまうから。

    電話の向こうのあの人はあの時にいるので、話はいつも、いつかの繰り返しになる。あの人にとって自分はあのときの年齢のままなので、こちらがもうよく覚えてないことや、とっくに通りすぎてしまったことを、まるで昨日話したみたいに覚えており、こちらは逆に、遠い過去に聞いた話を思い出せないので、「この間話したばかりなのにもう忘れたのか」と怪訝がられたりするかもしれません。電話の向こうのあの人の声に、こちらの胸が詰まってしまい、心配をかけてしまうかもしれません。
    でもやっぱり、そんな風に、時々でいいからあの人と話せたらいいのになあ、と思います。かえって悲しいかもしれないし、時々、友人から奇妙な着信を受けとることになるかもしれないけれど。

    故人の番号が知らない誰かの番号になるまで、本当に電話をかけていたので、そんなことを考えてしまいました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     もうずいぶん経ちましたから、記憶も薄れて変形しているだろうし、それを確かめる術もありません。ここに書いた内容にも間違いや混同があるだろうと思います。もう感情もぼんやりとしているのですが、なにかしみじみと、存在することの悲しみを思います。
     電話で故人と話したい、とは、実はわたしはあまり思いません。いつかどこかでみんないっしょになるのだし、それはそう遠くないような気もします。

    2020年10月12日 22:22

  • はじめにへのコメント

    しかし『東京虫』、本当に読者様によって解釈(?)が様々ですよね。
    狸としては、まさに『ジャスミンの島の物語』を構築したことによって、猫村様の創作の次元が確実に進化し、『東京虫』を産んだのではないかと思っているのですが。哲学的な思索をストーリーテリングに託して描出する呼吸、みたいな。
    すみません。このエッセイの応援になっていないですね。
    毎月一回、楽しみにお待ちします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうなんですよね。ちょっと愕然として、ひょっとしてこれは完全な失敗作なんじゃないか、何も表現できてなかったんじゃないかとも思ったのですが、あるいそうではなくて、読者ご本人の人生観や人間観によって、感想や解釈の表現が大きく違ってきているということなのかもしれません。

    おっしゃってくださっているほどの進化があったのかどうかは分からないですが、「東京虫」が「ジャスミン」の副産物であることは実感として確かです。それはいろんな意味でそうなのですが、たとえば「女性」というモチーフの重要性は「ジャスミン」から引き継いで尖らせたものにちがいありません。これからずっとそれをテーマにしていこうというつもりではありませんが。

    このエッセイは「ゆるい」場にしたいので、多少ちっとも関係なくてもコメントいただければ嬉しいです。ありがとうございます。

    2020年9月24日 07:09

  • すべてのエピソード 4
  • はじめに 1
  • 9月 横長の夜の窓
  • (ショートエッセイ①)10月の空
  • 10月 武田くん(仮名)のこと 3
  • (ショートエッセイ②)映画をめぐって・三本立て
  • (ショートエッセイ③)お風呂の底の電車
  • 11月 猫村さんはヲタになりたい
  • (ショートエッセイ④)ゆううつな晩秋
  • (ショートエッセイ⑤)冬の話[その1]コーンスープ
  • (ショートエッセイ⑥)昨日を歩いた