第三十一話 都へ


「小春ちゃん、秋ちゃん、ごめん起きてもらえる? どうしても厠に行きたくて」

 琴音の声に目を覚ますと、申し訳なさそうな顔と目が合った。


「ごめん、我慢してもう一回寝ようと思ったんだけど、寝られなくて」


「大丈夫だよ。我慢はよくないし」

 秋穂も目を覚ましたので、三人で急いで厠へ向かうことにした。



 まだ寝ていない人も多いのか、他の部屋からは話声や笑い声が聞こえてきた。まだそこまで深夜という時間ではないようだ。


 厠で用を済ませ、渡り廊下を渡っていると、三人は不穏な空気を感じて顔を合わせる。


 渡り廊下から入ってすぐの部屋から、ぼそぼそとした話声と冷たい気配を感じる。

 何か妖怪が潜んでいたのは危ないので、こっそりと中を覗いてみることにした。


 秋穂がそっと引き戸を片目分、音を立てずにずらす。その隙間から小春と琴音も中を覗き込んだ。



 部屋の中には円になって座っている見知らぬ先輩方と、その円の中央には青白い顔の美しい女がいる。その女の足元の行灯は青い手拭いがまかれているのか、部屋の中全体も青白い雰囲気だ。


 女は、誰かが話すぼそぼそとした声に相槌を打っている。

 小春たちは息をのんだ。すると小春たちに気が付いたのか、女の首がぐりんとまわり、目を大きく見開いた。


 驚きと恐怖に叫び上げるのをなんとか飲み込んで、小春たちは慌てて廊下を駆け出した。


 あれが何なのかはわからないが、良いものには見えなかったし、生きた人間にも見えなかった。

 とにかく銀次や虎丸を呼びに行こうと走っていると、丁字路で玄関から来た先輩たちに琴音がぶつかってしまった。


「すみません、急いでて」

 ぶつかった拍子に腰を抜かした琴音に秋穂が駆け寄る。


「大丈夫? なんか顔色も悪いみたいだけど。新米ちゃん達だよね? あ、もしかして桃香姫見たとか? なんかね、今日見た人がいるんだって」

 

 男の後ろからひょっこりと顔をのぞかせた女の先輩は、指で眼鏡の位置を調整しながら、小春たちの顔をまじまじと見つめた。


「手鞠は黙ってろ、おい、本当に大丈夫か? 郷長の孫の……小春ちゃん、と琴音ちゃんは初めましてだな。秋穂、この状況はどうした?」


 秋穂の知り合いの先輩だったのか、優しく小春たちをなだめた。


「あの一番奥の部屋で、先輩たちが円になって何かやっていたんですけど、その中央に青白い女がいて。私たちに気づくと目を見開いてこっちを見てきたんです」


「しかも首がぐりんってまわって」


 さすがの秋穂もあの目力にはたじろいだようだ。小春も奇妙な女の首の動きを思い出して、また鳥肌が立った。足も震えて、立っているのもやっとだった。


「幽霊……」

 琴音は呟くと気を失って、腕がだらりと床についた。


「琴音ちゃん!? あいつら本当に百物語をやったってのか? 明日から都行きだからってふざけやがって。待ってな、俺らがガツンと言ってきてやるから。あ、俺、はぎってんだ。よろしくな」


「お前ら……邪魔したろう」


 萩の言葉に安心していると、小春のすぐ後ろに人が迫っているのに気が付かなかった。萩には死角だったようで、反応に遅れていた。


 土色をした顔の男は小春の手を掴むと、強く引っ張ろうとする。


「小春を離せっ」


 それを拒むように小春は誰かに抱きとめられると、男の手も振りほどかれた。それに驚き見上げると錦の顔が近くにあった。

 後ろには夏月と冬哉も来ており、琴音の顔色を窺っていた。


「すみません、萩さん。後を頼んでいいですか」

「お、おう。任せな。錦たちは女の子を連れて安全なところにいてくれ」

 小春は錦に手を引かれるまま、小走りで談話室へと向かった。


 談話室に着くと、いつもの部屋の隅に落ち着いた。今日の談話室は他にも何人か先輩たちがおり、部屋に飛び込んできた錦たちを見て一様に不思議そうな顔を浮かべた。


 琴音は夏月に抱えられて入ってくると、そっと秋穂のそばに寝かされた。


「何があったんだ」

 錦の問いに秋穂が先ほど萩に話したように説明した。


「百物語をやってたんなら、秋穂たちが見たのは青行灯だろう。小春を掴んできた先輩は、どこか憑りつかれているような雰囲気だったが」


 ふいに琴音が目を覚ましたのか、勢いよく体を起こした。


「え、あれ幽霊じゃないの!?」


「百物語をすれば幽霊が集まるとは言われているが、聞いた見た目だと青行灯という妖怪だろう」


「今回は間違いなく幽霊かと思ったから、心臓絞られる思いだったのに」

「よくわかんねぇんだよな、琴音のその感覚」

 夏月は呆れながら頭をかいた。


「とにかく、皆が無事でよかったよ」

 そうして安心し、またうとうとと舟をこいでいると談話室の戸が盛大に開いた。



「錦いるか? ああ、そこか。さっきの奴らは締め上げといたから安心しな。日本酒を盛大にぶちまけてやったぜ」


 萩は得意げに胸をたたいた。

 その後ろを手鞠と銀次班、そして若葉と双葉も入ってくる。猫二匹はすぐに小春にすり寄ると、体を寄せて寝転がった。


「散々なものに遭遇したようだな」

 銀次の言葉に鶴彦が苦笑いを浮かべた。


「いや、でも起きてくれてよかったよ。お前たちに相談があってだな」

 先輩たちも小春たちのそばに腰を下ろした。


「この間、小春が破魔矢の話をしたろ? それを郷長に話したら、確かに備えあれば憂いなしだって事になってね。誰が取りに行こうかって話になったんだ。それで、郷に残る試験に合格してもらった手前申し訳ないんだけど、破魔矢に詳しい錦か秋穂、それともう一人一緒に行って欲しいんだよね」


「ちなみに護衛は俺の班な」

 そこで萩が手を挙げる。


「都へ行ったらちゃんと戻ってきてもらわないと困るからね、ちゃんと護衛班もいるよ。慌ただしくなっちゃうと思うんだけど、誰がいいだろう」


 秋穂か錦、この選択が一番難しいところだろう。秋穂は都へは行きたくないと言っていたし、錦は神社の息子、という責任感から郷を離れたくないはずだ。この二人の選択によってもう一人は決めた方が良いだろう。


 そう思っていると秋穂が手を挙げた。


「私が都へ行きます。付添いは夏月を希望します。体力や力もあるし、荷運びに必要となると思うので」


 小春や錦でさえもその言葉に驚いた。


「え、でも秋ちゃん、いいの?」

 たまらず小春が聞くと、秋穂は微笑んだ。


「要するに、自分の親には会わないように目的だけ手短にこなせば問題ないわけでしょ? それなら錦には郷にいてもらった方がいいと思って」


「……秋穂、ありがとう」

 これは、秋穂の思いやりなのだろう。小春はなんとなくそれを感じた。


「俺は別になんでも構わねぇぜ」

 夏月は明るく言った。


「でもよ、そうなると、琴音はどうすんだ? 一応、俺と秋穂と琴音の班だったけど、二人抜けるわけだし」


「そこは心配しなくて大丈夫だよ。琴音も錦達と一緒に行動してもらうから」


「それじゃ夜明けに出発だから、急で悪いけど荷造り頼むよ。それが終わったらもう少し寝ておきな。ちゃんと起こしてあげるから」


 銀次たちに挨拶をし、それぞれ部屋に戻った。


 女子部屋で小春と琴音は寝床に入りながらも眠れずに、秋穂の荷造りを眺めていた。荷造りといっても各自の荷物は少ないので、着物を畳んで小物を整理するくらいだ。


「ごめんね琴音、夏月と離れるのが寂しいんでしょう? 顔に出てるわよ」

 秋穂は手元から視線をそらさずに言った。


「そりゃあ、……まあ、それなりに。でも、それを言うなら秋ちゃんも同じでしょう?」


「……そうね。どちらかといえば、心配の方が大きいけど」

 小春は話の核心がわからずに、二人を交互に見た。ふいに秋穂と目が合う。


「小春ちゃんって、錦のこと好き?」

「へ?」

 自分でも思うほどに間抜けな声が出た。


 錦のことは確かに好きだが、それは夏月も冬哉も同じで、秋穂が聞いている特別な感情とはまた違うものだろう。


「ええと、もちろん好きだけど、それはかづ君も冬哉にも同じ感情の好き。琴ちゃん達が想うような、好きとは違うかな」


 言葉を選びながらだが、小春は正直に答えようと思った。


「そっか、もしかしたら小春ちゃんは錦のこと好きなのかと思ってたから。……錦も」


「ええっ、勘違いさせちゃってごめん。たぶんそれは錦さんへの憧れの気持ちがそう見えたのかも。あたしも錦さんみたいに強く、しっかり、頼られるような、そうなりたいって気持ちが大きかったから。……確かに、今まであんまり男の人と対面するきっかけがなかったから、どぎまぎしたことは多々あったけど、恋愛感情はもってないよ」


 

「あいつは強くもないし、しっかりもしてないよ、そうみせてるだけ。でも、そっか。急にごめんね、変なこと聞いて。私も自分で思っているより、色々不安なのかも。……あ、そうだ。都へ行くわけだし、小春ちゃんのお友達にお手紙あれば届けようか?」


 その言葉に小春は布団から飛び起きた。


「いいの? 嬉しい、ずっとお返事かけなくて困ってたの。心配もさせてるだろうし、ちょっと待って、急いで書くね」


 小春は自分の荷物から紙と筆を取り出すと、家族、楓、なずなへ手紙を書き始めた。


「琴音もご両親に報告することあるでしょう」


 手紙を書く小春をぼんやりと眺めていた琴音は、思い出したように飛び起きて手紙を描き始めた。

 急なこともあり、言葉がまとまらないまま、自分は無事にやっていることをそれぞれ綴り、封筒へ入れた。


「ごめんね、これお願いするね。 あたしの親に全部渡してもらえれば、親から友達に届けてもらえると思うから」


「郷長の家の人って聞けばすぐ見つかりそうだから、ありがたいわね。あれ、小春ちゃんもなずなと仲良いんだ。私もよく遊ぶよ。てことは、もしかしたら今までのなずなとの会話で、小春ちゃんの話題も出てきてたのかもしれないわね」


「本当に!? やっぱり人間関係ってどこかしらで繋がってるもんなんだね」


「意外と世間は狭いって言うしね。では、しっかりとお手紙お預かりしました。それじゃ、早く寝ましょ」


 秋穂は小春と琴音の手紙をしっかり荷物にしまい込むと自分の寝床に潜った。

「おやすみ」




 まだ夜が明けきらぬ薄暗い中を牡丹が起こしに来てくれた。

 玄関前の広場にはすでに三十名ほどの都行きの先輩方が集まっており、見送りの人と別れの挨拶を交わしている。

 ずっと同じ班として行動していた琴音は、これから余計に寂しく思うだろう。


「錦、しつこいかもしれないけど一人で抱え込むなよ。この瘴気だし、妖化しちまうぞ」

「ああ、善処する」

 夏月と錦は拳を軽くぶつけ合い、挨拶を交わす。


「冬哉も錦のこと、よろしくな。なんかあったらぶん殴っていいから。じゃ、お前も気を付けて」

 夏月は冬哉とも同じように拳をぶつけた。


ふいに秋穂が小春に体を向ける。


「小春ちゃん、琴音のことよろしくね。なんかあったら、ひっぱたいていいから」

「お前らは俺らの何なんだよ、親でもあるまいし」

 錦は呆れながら笑うと、みんなもつられて笑った。


「秋穂、道中気をつけろよ。これ、持っててくれ」

 錦は秋穂に飴玉ほどの小さな布の袋を渡した。


「なにこれ? きれい、水晶ね。ありがとう、大切にする」

 秋穂は袋の中からきれいな丸い水晶玉を取り出すと、手のひらの上で転がした。


「俺にはねぇのかよ」

「お前はちょっとやそっとで死ぬタマじゃないだろう」

 ぶっきらぼうな錦の言葉に夏月はおちゃらけて見せた。


「そろそろ出発みたいだ。みんな無事でな、すぐ戻ってくる」

「道中気を付けてね」

 しばしの別れに、小春と琴音は大きく手を振った。

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小春日和に桃は咲く-狂い咲く想いへ- 鬼倉みのり @mino_031

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