有希の告白

増田朋美

有希の告白

有希の告白

今日は、台風が来るとかそういうわけで、みんな学校や仕事を早々切り上げて、家に帰っていった。そういうわけで、製鉄所を利用している人たちは、みんな自宅に戻ってしまって、泊まり込みで利用しているものはほとんどいなかった。そうなると、一人では動けない水穂さんの世話は誰がするのだという、問題が生じた。さすがに、台風の時は、誰も水穂さんの世話をすると名乗り出るものはなかった。ここのところ、大体の利用者は、大規模な災害があるときは、自宅に帰ってしまう人が非常に多くなっている。それは、災害に備えて命を守るということであるけれど、一寸ばかり人間が弱くなってしまったという雰囲気がしないわけでもなかった。

そういうわけで、水穂さんの世話をするものが誰もいなくなってしまったので、製鉄所を管理していたジョチさんは、訪問介護人でも頼もうかと思って、電話をとったが、ちょうどたまたまやってきていた須藤有希が、私が水穂さんの世話をします、と名乗り出たのであった。確かに、猫の手も借りたい事態であったが、須藤有希一人では少々頼りないというのもまた事実であった。すると、

「こ、こ、こ、こんにちは。」

という声がして、有森五郎さんが、製鉄所にやってきたのが分かった。

「はい、どうぞ、お入りください。」

ジョチさんがそういうと、

「あ、は、あ、はい。お邪魔します。」

と、五郎さんは応接室に入ってきた。

「今日は、何の用事でこちらにいらしたんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「は、は、はい。み、水穂、さん、の、新しい、布団の、ことで、い、くつか、聞きたいことが、ありましたので、参りました。」

と、五郎さんは答える。つまり、水穂さんの新しい布団の事で、打ち合わせがしたいということだろう。そんなこと、台風が終わってからでもいいのにとジョチさんは思ったが、

「い、い、いやあ、台風が、きた、ら、仕事どころじゃ、な、くなっちゃう、かもしれないので、今日中に、伺って、お、いたほうが、良いと、思いまして。」

と、言うので、吃音のわりに、何とも誠実な人柄なんだなとジョチさんは、感心してしまったのであった。

「そうですか。ではどうぞ。こちらに、いらしてください。」

ジョチさんは、五郎さんを、部屋の中に案内する。四畳半へ連れていくと、水穂さんは、有希に手伝ってもらいながら、布団の上に座った。

「こ、こんにち、は。今日は、かけ布団の、打ち合わせに参りました。えーと、おサイズは、ど、のくらいに。」

と言いながら五郎さんは、布団のわきに座った。水穂さんは、返事をしないで咳で答えた。有希が、その背中を撫でてやりながら、

「ごめんなさい、五郎さん。今日はちょっと具合があまりよくないようなの。また別の日にしてくれないかしら。」

と、言った。こういう細かいことは、有希でなければ、できない気配りだった。

「そ、そうですか、わかりました。じゃ、あ、また、後日こちらに伺います。あの、一寸、へ、んな、ことを、お尋ねしますけど。」

五郎さんは、そう有希に聞く。有希が何でしょうか?と聞き返すと、

「ええ、今日、水穂さんの、せ、わ、をするのは、誰か、いる、んです、か?」

と、五郎さんは言うのである。

「いえ、す、みま、せん。あの、今日は、利用者、さ、んた、ち、みんな、かえって、し、まったよう、なので。」

「ああ、そんなことなら気にしなくていいわ。私が、水穂さんの世話をするから。夕食をつくったり、体を拭いたり、憚りの世話だって私ができるわ。」

と有希が答えを出すと、

「そうで、す。か。でも、女、の、ひ、と、が一人で、せわ、を、する、のは、一寸、大変すぎます。僕も、手伝って、も、よろしい、で、しょうか。」

と、五郎さんは言った。多分、有希を心配して言ってくれたのだろう。有希もこの時は、ちゃんと冷静な状態でいたため、判断力は鈍っておらず、五郎さんに、

「じゃあ、お願いしようかな。あたしも、一人だけでは、一寸心ぼそいという気持ちもあるし。二人いた方が、こっちも、気が楽よ。」

といった。

「でも、五郎さんは、ここに泊まり込んでもいいの?誰かご家族とか、そういうひとはいないの?」

と、有希が聞くと、五郎さんは、

「いや、僕、一人なんです。両親も、十年前、に、な、くなって、ま、すし。ペット、を、飼って、いるわけ、じゃ、なし、き、ら、く、な、も、のです。」

と答えるのであった。

「まあ、それなら、本当に気楽ねえ。うらやましいくらいだわ。」

と、有希は、文字通り、うらやましそうに言った。ちょうどその時、製鉄所に設置されていた柱時計が、五回なったため、さて、ご飯をつくらなくちゃ、と有希は台所に向かった。もう、秋が深まってきていて、ご飯が完成するころには、もう真っ暗になっていた。

「さあ水穂さん、ご飯にしましょう。今日は、サツマイモのおかゆよ。柔らかいから大丈夫。しっかり食べましょうね。」

有希がご飯を持ってくると、水穂さんは新しい着物に着替えていた。五郎さんが着せ替えたものだろうか。多分そうだと思うけど、五郎さんは、誰かの世話をした経験があったのだろうか?その五郎さんは、水穂さんの箪笥の中身を点検していた。箪笥の中身は、銘仙の着物ばかりだ。其れについて、いけないという人もいるけれど、五郎さんはそれは言わなかった。

「じゃあ、ご飯にしましょうね。水穂さん、起きれる?」

有希が、器を置くと、五郎さんが、仰向けになって食べるのは良くないと言って、水穂さんの体を横向きにした。有希が、おさじを口元へもっていくと、水穂さんは、静かに中身を口にした。

「じゃあ、もう一口ね。」

と、有希が二回目におさじを持っていっても、水穂さんは口にしてくれた。

「もう一口。」

三度目に有希がおさじを持っていくと、今度は首を横にしてしまう。

「ダメよ、ほら、食べないと力が出ないわよ。せめて、お茶碗一杯くらいは、食べるようにしましょうよ。」

と、有希は改めて口元へもっていくが、水穂さんは、食べようとしなかった。今日は、おやつも食べていない。おやつに出した栗饅頭は、冷蔵庫の中にしまわれたままである。

「今日は、おやつも食べていないわ。」

と、有希は困った顔をした。

「食べる気がしないのかしらね。食べることが商売だと思って、食べてくれればいいんだけど。」

「有希さん、そういうことなら、お、かし、だけでも、食べて、もらい、ま、しょう。あま、い、ものは、意外にた、べやすい、ものですよ。」

有希がそういうと、五郎さんがそういうことを言った。

「でも、ご飯とおやつはまるっきり違うものよ。」

と有希が言うと、

「で、も、何、も、食べない、より、おやつだけで、も、食べてもらった方が、いいです。一番、わ、るいの、は、何も食べない、こと、ですか、ら。すぐに、もって、きて、ください。」

と五郎さんはにこやかに笑った。有希はそうねと言って、台所へ行き、冷蔵庫から、冷え切ってしまっつた栗饅頭を取り出す。そして、それを器に乗せ、四畳半にもっていった。

「こ、う、いう、時は、脅かすように、た、べさせて、はダメなんです。其れより、も、食べるこ、とを、楽しんで、もらうようにしないと。」

と、五郎さんは、栗饅頭を半分に割って、片方を自分がむしゃむしゃと食べながら、

「さ、あ、お、いしいですから、どうぞ。」

といった。食べながら話をするんなんて何ともマナーの悪い人に見えるかもしれないが、食べるのがとても楽しそうに見えるのだった。五郎さんから渡された栗饅頭を、水穂さんは静かに受け取って、それを口にしてくれた。それを見て有希は大きなため息をついた。

「ああよかった。水穂さんが食べ物を口にしてくれて、本当に良かったわ。おやつも夕飯も口にしてくれなかったら、あたし、どうしようかと思ったわ。」

外は、黒雲で真っ黒になっていた。もう夜だから、そうなって当たり前なんだけど、今日は、星も月も何も出ておらず、墨汁を垂らしたような暗さになっている。水穂さんに夕方の薬を飲ませて、有希と、五郎さんは、自分たちの夕食を食べるために、部屋を出ていった。何かあったら、枕元にある鐘をたたいて呼び出してもらうようにしている。

有希と五郎さんは、有希が作ったラーメンをすすった。インスタント食品で料理することは、有希はあまり好きではなかったが、今日は台風の危険があるので、製鉄所にあるもので済ましたのだ。

「そうですか。有希さんは、イ、ンスタン、ト、ラーメ、ンがあま、り好きで、はないので、すか。」

五郎さんは、ラーメンのスープをすすりながらそういうことを言った。

「ええ、あたしはそれより、手料理でなんでも作った方が良いと思って。あの、暮らしの手帖とか、そういう雑誌に載っているやり方で料理を作っているのよ。まあ多少面倒くさいやり方だけど、そのほうがおいしく作れるわ。」

と、有希がそう答えると、

「そ、う、ですか。じゃあ、有希さん、は、料理、の、名人ですね。」

と五郎さんは言うのである。

「そんなことないわよ。あたしはただ、面倒くさいやり方というか、料理とか、そういうことは、手をかけたほうが良いと思ってるの。」

有希がそういうと、

「で、も、ほんと、は、違うでしょ?」

「違うって何が?」

五郎さんは、ちょっと意味が、ありそうに言った。

「何が違うのよ。ただの料理よ。」

有希がちょっと、照れくさそうにそういうと、

「い、え、有希さん、ぼ、く、も、そういうこと、あったから、わかりますよ。それは、それしか、やることが、ない、から、どうしても、そういう、風に、難しく、した、く、なるんでしょ。そして、それを、ほめてくれ、る人も、いない。だから、むな、し、いとか、そういう、こ、と、を、いつも、感じて、る。」

と、五郎さんは、そういうことを言うので、有希は、顔が真っ赤になった。

「で、も、ぼ、くは、わかりますよ。有希、さんの気持ち。そうする、しか、居場所がないって、いうか、それしか、ないっていうこと。仕事、も、ないし、家にいても、何、も、することが、ないか、ら、家事が、やっと、になる。ご飯を、つ、くるとか、洗濯も、の、を、たたむとか、そういう事、しかやれな、くなる。僕も、そ、う、い、う生活を、何年か続けていた、の、で、よく、わかりま、す。家族、に、は、何も、ひょ、うかを、されないけれど、そうしていく、し、か、なくて、本当に、む、なしい生活です、よね。でも、それ、を、ずっと、続けて、いく、しか、生きる道も、ない、ですよね。」

「そうね。」

有希はあっさりとそれを認めた。

「そして、周りには、好きなことばかりしているとか、親に甘えすぎているとか、そういうことしか言われないで、白い目でにらまれながらずっと生きていくんだわ。」

「そ、うですね。でも、ぼ、くは、その、苦しみ、も、わかりますよ。自立して、い、ない苦しみ、というか、悲しいですよね。居場所、はない、し、評価、はずっと、悪人、のまま、だし。」

そういう五郎さんに、有希はちょっとむきになって、

「でも五郎さんは今は、布団の職人として、一生懸命やっているじゃないの。何もしていない過去があったとしても、それはちゃんと水に流して、今は仕事しているだからそれでいいのよ。私は、仕事になりそうな特技もなにもないし、そういう場所を相談するところにもいけないのよ。車がないから。」

と、言った。

「ええ、そ、うですね。ぼ、く、もそうでした。そ、う、いうときは、ただ、待っているし、かできませんで、した。僕が、布団を、作り、始めたのは、ただ、布団屋さんに、買いに、いっ、たときでしたから、ね。そういう、偶然が、かさな、り続けて、いく、のを待つ、し、か、できない、とき、もあるでしょう。で、も、いつまでも、かわ、ら、ないことは、けっして、ありません。世の中は、よくも、わ、るくも、必ずか、わっていきますよ。だから、有希さ、んはその時を、待って、く、ださい。それしか、い、えないですけど、変われる、と、きは、かなら、ず、来ます。」

そういう有希に、五郎さんは一生懸命そういってくれた。有希もそうするしかないというのはわかっていたが、なぜか五郎さんにそういってもらうと、心が落ち着いてくるのだった。なぜか、やっと自分が本当に欲しかったものが、やっと得られたような気がした。

「だ、いじょうぶで、す。有希さん、時代、というものは、必ず、かわり、ますから。」

と、五郎さんはにこやかな顔をして、有希に言った。

「だって、僕、だって、こんな、ふ、うにしか、話せないけど、変わることが、でき、たんです、から。だから、有希さ、んも変わることが、できますよ。そう思って、く、ださい。」

「そうね。」

有希は、ふっとため息をついた。弟のブッチャーでさえもいうことができなかったセリフだ。五郎さんのような人でなければ言えないセリフだ。

「ご飯にしましょ、冷めちゃうわ。」

とりあえずそう応答して、有希は、伸びてしまったラーメンを口にした。ラーメンはもう覚めてしまっていたし、ビロビロに伸びてしまっていたけれど、まずいという気はしなかった。

「ありがとう。」

有希は、ラーメンを食べながらそういうことを言った。それだけはちゃんと伝えておかなければならないと思った。五郎さんも、いいえ、大丈夫ですよ、と、小さな声で言い、ラーメンを食べ始めた。そういうことが言い合えるというのは、本当に幸せだと有希は思った。そういう、本質的な問題について言いあえるというのは、生活が満たされていないとできないことだからだ。

有希がラーメンの最後の一本を食べ終わったその時、水穂さんの声がした。何だと思ったら、苦しそうに唸っている声である。

「どうしたのかしらね。」

有希は、五郎さんに言った。ちょうどその時、台風がいよいよやってきたのか、風がピーっと吹いて、雨が窓を打ち付ける音が聞こえてきた。幸い雨戸はしまっていたので、雨に濡れる心配はないが、その中でも水穂さんの声がしっかり聞こえてきたので、有希と五郎さんは、急いで四畳半へ直行する。

「水穂さん大丈夫ですか。何があったの?」

と、有希が水穂さんに聞くが、水穂さんは右手で、胸を抑えながら苦しんでいる。答えようとした代わりに、激しくせき込み始めた。つまり、杉ちゃんの言葉を借りて言えば、出すものが詰まったのだ。五郎さんが、床においてあったスマートフォンを見るが、五郎さんには電話というものはできないと有希はすぐ知った。顔を見れば用件は通じるが、声だけではただのわけのわからない発言にしかならないことを有希は理解していた。

「私が電話するわ。」

と、スマートフォンをとって、帝大さんの番号を回そうと思ったが、スマートフォンの電池は切れていた。今充電しても、完了するには何時間もかかる。救急車を呼ぶことは、絶対にできないということを、有希は知っていた。製鉄所の固定電話で電話しようと思っても、水穂さんを放置していくことは有希にはできなかった。五郎さんだけでは、水穂さんの世話はできない気がした。

「み、ずほさん、今、お背中、たたくから、頑張って、はき、だして、くれますか。自分で、はき、だすのは、難しいと、思うけど、頑張って。」

五郎さんは、そういって、水穂さんの背中を平手打ちした。それが、ジョチさんが日ごろからやっている、背部仰打法とそっくりだったので、有希はびっくり仰天した。どこでそんなやり方、五郎さんは身に着けたのだろうか。誰か、ご家族を介護した経験でもあるのだろうか?

「一体どうして、こういう介助の仕方を知っているのかしら。」

と有希がおもわずつぶやくと、

「だ、大丈夫です、き、てます。」

と、五郎さんは言った。其れと同時に、水穂さんの口元から、赤い液体が漏れ出してきた。五郎さんは、急いで、口元にタオルを当てて、それをふき取った。しばらく水穂さんがせき込む声と、五郎さんが、背中をさすってやる音だけが、有希の耳に鳴り響いていた。

「大丈夫、で、すよ。ちゃんと、吐き出し、てくれ、ましたから。」

と、五郎さんは、にこやかに笑っている。

「五郎さんはすごいわね。」

有希は、ふうとため息をついた。

「誰かを、介護した経験とか、そういうことがあったの?」

「いえ、ありません。ただ、親せきの、お、じさんとか、そういうひと、の、世話をし、ていた、経験は、あります。先ほど、も、言った通り、それしか、やることが、なかっ、た時期にです。」

有希がそう聞くと、五郎さんは、そういうことを言った。

「すごいわ。」

と、有希は大きなため息をつく。

「そうやって、やってきたことを、無駄にしていないっていうところがすごいと思う。大体のひとは、生活することと、仕事することは、切り離して、考えるもの。生活することを、そうやって覚えていられるなんて、しっかりしてるわよね。」

「いえ、そ、う、いうこと、しか、で、きない、時期が、あった、だけです。それは、有希さん、も、同じでしょう。だから、大し、たことは、ありません。」

と、五郎さんは静かに言って、水穂さんに薬を飲ませた。五郎さんが背部仰打法を施してくれたおかげで、水穂さんのせき込むのも、静かになった。そうなってくれれば、もう安心だ。水穂さんは多分、薬の成分で眠ってくれるのだろう。

「それではよかったわ。水穂さんは、五郎さんの処置が早くて、命拾いしたのね。」

「い、や。何よりも、本人、の、努力と、言うもんじゃ、ないかな。」

そういう五郎さんの謙虚さに、有希はまた驚いてしまった。五郎さんは、水穂さんの体の向きを変えてやり、静かにかけ布団をかけてやる。

「今日はどうもありがとう。」

有希は、やっと静かになった水穂さんを見て、ふっとため息をついた。ちょうど、台風も落ち着いてくれたらしい。激しい風の音も、静かになっていた。

良かった、と、五郎さんは静かに言って、よいしょと立ち上がった。それを見て有希は思わず、

「待って!」

といった。

「なんですか?」

と五郎さんが聞くと、有希は、一寸緊張して、こういうことを言う。

「あなたが好きになったわ。」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

有希の告白 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る