最終話 愛してくれてありがとう


 

 新堂は、車から降りることができなかった。

 ひまわりの花束を抱えて墓苑へ向かう瑞季が、なぜか晴れやかに笑ったことが、新堂の不安をいっそう大きなものにした。


     ・・・


 着替えをして瑞季のアパートへ戻ると、瑞季が階段下で待っていた。

 そして新堂の車を見つけると、嬉しそうに笑った。


 普段ならその顔に笑顔で返すが、新堂は自分がうまく笑えているのか、まったく自信がなかった。


 車が停車すると、瑞季は駆け寄り、いつものように後部座席へと乗り込んだ。


「あの、下咲さん、」

「はい」

「ちょっと行きたいところがあるんだけど、先に行ってもいいですか?」

「あ、はい。もちろん。どこですか?」


 できれば行きたくはない。

 だが、先延ばしにすればするほど決心が鈍りそうで、新堂は早めに切り出した。


「石田連太郎くんの、お墓です。」

「石田、連太郎、」

 瑞季は、自分の中の「瑞季」ではない自分が、石田連太郎という名前だったことをはっきりと覚えてはいない。


 そのためか、少し不思議そうな顔をしたが、「わかりました」と微笑んだ。


(もしかしたら、下咲さんはわかっているのかもしれない。)


 疑念にも似た思いが新堂の心に暗い陰を落とす。


 道中、瑞季は一言も話さず、石田が誰なのか聞きもしなかった。


 車内の空気に耐えきれず、新堂は花屋の前で車を止めた。


「ちょっと、花を買ってきますね。」

「あ、はい。」


 赤やピンクや白色の、名前のわからない花を見ながら店内を歩いていると、ガラスケースの中に明るく咲いたひまわりを見つけた。

 墓にひまわりは変かもしれないが、新堂は迷うことなくひまわりの花束を作ってもらった。


「リボンは何色にされますか?」

「あ、墓に持っていくんで、地味めで」

「お墓に、ひまわりですか?」


 店員に訝しがられたが、お構いなしでグレーのリボンをつけてもらった。

 それを片手に車に戻る。


「下咲さん、ちょっと持っててもらえますか?」

「あ、はい。わー、ひまわりですね、俺、この花が一番好きです。」

「・・・え、」


 新堂の顔が、泣きそうに歪んだ。


     ・・・


 源双寺に到着しても、車から降りようとしない新堂に、瑞季は首をかしげながらも窓の外を眺めていた。


「すみません、」


 しばらくして、新堂が振り絞るような声で言った。


「下咲さん、俺の代わりに、供養に行ってもらえますか?合同墓地の石碑があるから、・・・たぶんわかると思います。」

「あ、はい。わかりました。」


 車から降りた瑞季は、「いってきます」と晴れやかに笑った。


     ・・・


 どれほどの時間が流れているのか、時計を見ることも怖くてできない。


 ハンドルにもたれ掛かり、新堂は瑞季が向かった先をただじっと見つめていた。


 戻ってこないかもしれない。

 戻ってきても、もうあの瑞季ではないかもしれない。


「・・・くそっ」


 身体の芯の部分が酷く震えた。


     ・・・


 昼前に瑞季のアパートを出た。

 だが日は既に西日へと変わりつつある。


 未だ瑞季は戻らない。


 新堂は苛立ちを隠せず、勢いよく車のドアを開けると、車の鍵を閉めることも忘れて全速力で走り出した。


 小高い丘の上にあった合同墓地には小さな石碑と一本の大樹が立っていた。


 そこに、瑞季はいた。


 空を見上げるその後ろ姿は、心なしか凛としていた。


 新堂の歩が止まる。体の横で握った拳が少し震えた。


「下咲さん、」


 新堂は、思ったよりも小さな声で瑞季を呼んだ。そよぐ風にも消え入りそうな声だったが、瑞季はゆっくり振り返った。


 新堂は苦しそうに顔を歪める。

 瑞季はゆったりと笑った。


「新堂さん、俺、瑞季さんに会いましたよ。ここで、」

「『俺』、」


 瑞季の言葉に新堂は駆け出し、立ち尽くす瑞季を走る勢いのまま抱き締めた。


 そのまま二人は大樹の側に倒れ込む。


「え、新堂さん?」


 新堂は瑞季が驚くほどに震えていた。


「新堂さん、大丈夫ですか?」

「・・・大丈夫、大丈夫です。」


 まったく大丈夫ではない泣き声で、新堂は何度も鼻をすすりながら大丈夫ですと答えた。


 瑞季は新堂の下敷きになったまま、自身の上で震えながら泣く男の背をそっと撫でた。


「俺、下咲瑞季として生きていくことに決めました。瑞季さんと、今約束したから」


 新堂は頷く。

 声を出すと嗚咽になると、必死に奥歯を噛み締めながら。


「全部、新堂さんのお陰です。俺を、俺たちを、愛してくれてありがとうございました。俺も、新堂さんが好きです。」


 瑞季の言葉に、新堂は堪えきれなくなり嗚咽を漏らしながら、震えて泣いた。


「新堂さん、意外と泣き虫ですね。」


 そんな新堂を抱えるように背に回した手に力を込めて、瑞季は新堂の肩に顔を埋めた。


 土の香りと草の香りが風に踊る。


 ひまわりの花がそっと揺れて、花びらが一枚、大空へと舞い上がった。



        ~了~


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