10. 自惚れは絵空事とともに



 過去の出来事は美化される。


 それは果たして良いことなのだろうか?


 鋭い痛みや不都合な苦さだけが風化され、代わりにぼんやしとした明かりが灯る。そして誰もが言うのだ「あの頃は良かった」と。


 だから、僕がこんな夢を見た訳もそんな自惚れからに違いない。





 僕達がまだサークル活動にも顔を出していた頃の話だ。

 前期考査の打ち上げ、と称された飲み会の途中で、僕は行き場を失っていた。直前まで話していたテーブルから手洗いに行くために一度離れ、戻ってくると他の人が座っていたからだ。

 飲み会では珍しくもないこういう場面で、僕は次に入る場所を探すのが苦手だ。多少酔いが回っていても調子良く人の間に入って話すことに躊躇ってしまう。


「ええから二次会しよや、うち来てもええで。あ、でも警察だけは勘弁。ほんま強制退去とか言われたら詰む」


 後ろでは瞬やカケルがそれぞれ何人かの真ん中で仲間たちと楽しそうに飲み交わしている。バンドを始めて、サークルに顔を出す頻度が多少減っていたのにも関わらず、瞬のムードメーカーっぷりは変わらず健在していた。


 店内をもう一周見回してから、僕は一度店の外に出た。一服してくる、と誰も聞いていないのにわざとらしく周囲に見せびらかすように、煙草の箱を出して歩く。僕はこういういつまで経っても情けない自分のダサさが嫌いだった。


「あ、」


 店外に出ると喫煙スペースで律が一人蹲み込んでいた。僕と目が合って声を上げる。


「孝太さんでしたか」


 律は煙草を吸わないはずだから、僕と似たような理由で外に出てきたのだろう。


「孝太さんも逃げてきました?」


 蹲み込んだまま膝に肘をついて目線だけ上げた。律のぱっちりとした二重線がさらに強調される。


「そんなところ」


 僕は取り出した煙草に火をつけた。吸い込んだ煙が肺を通って、少し前に飲んでいたアルコールと一緒にからだの内側へと入っていく。


「いつからここにいんの?」


「10分くらい前…?そろそろ暇なので戻ろうと思ってたんですけど、孝太さんがいるならもう少しここにいます」


 そう言うと、律の目線は僕から離れ、空に向かっていた。北海道の、初夏の尻尾みたいな澄んだ匂いを含んだ風が吹いて髪の毛を揺らす。


 しばらくはそのまま、店内から漏れる喧騒を聞いていた。陳腐な表現だけど、2人だけ世界の外側に放り出された気分だった。


「孝太さんて稚内出身でしたよね」


 ふと律が口を開いた。


「うん」


「どんなところですか?行ったことないんですよね」


「何もないよ。風が強くて冬が寒いとこ」


 ぽつんと切り離された北の国のてっぺんの港町。僕の生まれ育った土地。


「Galileo Galileiが歌ってましたね」


 ──風の強い退屈な街に、滅多に晴れない曇った空


 軽く口ずさむ律の睫毛を見ていた。伸びやかに空気に舞うその音がやけに心地良いのは、先ほどまで人と音がひしめき合う店内に座りっぱなしだった反動だろうか。


「いつかメンバーで行きたいです」


「札幌から車で5時間はかかるけどな…しかも本当に、別に何もないよ」


「良いんですよそれは。カケルと瞬さんもいたらきっと一瞬です」


 飲み会に1人いればいいレベルのムードメーカーが2人もいる車内を思い浮かべて、楽しいような、鬱陶しいような気持ちになる。でもやっぱり楽しいんだろうな。


「2人は相変わらず中で喋り散らかしてた」


「さすがですね」


 まだ短い今までの自分の人生の中で何か一つでも選択が違っていたら、この人がいるなら楽しいんだろうな、と思われるような人間に僕もなれていたのだろうか。


「あの2人はともかく、なんで毎回断らないで来ちゃうんですかね、僕達」


 飲み会、と吐き出すように呟く。僕の思惑をなぞるような投げかけだった。


「ほんとにな」


 僕達、という言葉が律と僕の2人を指すのだということと、律もまた僕と似たようなことを考えていたことが、その一文でわかる。


「上手く話せないくせに、それでも人と関わることを楽しまなきゃいけないって思ってるんでしょうか」


  途中でいつも疲れて、結局一人になるくせに。と言われてもいない文の続きが見えたような気がした。


「自分もその気になれば大学生っぽく楽しめるんだって思いたいからかなあ。けど結局2人揃って喫煙所って…勧誘した身として面目なさすぎる」


 自分で口にしておいて何だけど「大学生っぽい」って最強にダサいキーワードだな、と反省する。全く僕は常に自分の行動や発言に後悔してばかりだ。


「孝太さんは仲良くしてくれてますし、結局は僕の問題なので気にしないでください」


 ──フォローされると余計に情けない。


 律だって人を強く惹きつけるものを待っている。それは歌だったり、容姿だったり、そこから出る雰囲気だったり。

 けれど、奥深くの部分で僕達は少しだけ似ていたのだと思う。新歓コンパで僕が律に向けた執着心だって、きっと潜在的な仲間意識による要素もあったのだろう。


「本当に楽しんでることもありますし」


 人のことは嫌いじゃなくて、寧ろ好きな方で。けれど関わるのは苦手で、どこまで踏み込んで良いのかわからなくていつもうじうじと悩んでしまう。結局1人にはなりきれずに集団の中に入っていって、けどやっぱり1人の方が向いてるよなと何度も思い返して。


 そういう自覚している不器用さは歯痒い。そして僕達はその歯痒さを互いに理解していた。


「いつか肩の力抜けるようになれるかな。僕も律も」


「どうなんでしょう」


 わざとらしくセンチメンタルな含みを持たせた僕の言葉に、律は苦笑していた。それを見て僕はなんだか脱力してしまって、僕等は何て小さなことに頭を悩ませているんだろう、という気になってきた。


「…まあ何でもいっか。このまま2人で抜けて飲み直そう」


「待ってました」


 目の前のちっぽけな共感の繋がりを言い訳にして、今日だけは人の中で感じる不甲斐なさや自己嫌悪はなしにしようと思った。僕たちの歩くアスファルトに、街頭の灯りが反射して、そのままで大丈夫だと言ってくれている気がした。

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アマデウスの声をなぞって くすのき凪 @nana7_san

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