3話 彼女の意地と、彼の気遣い

「意外といいお湯じゃない。もっとひどい生活を想像していたけど、そうでもなさそうね」

 風呂上りのセラが現れた。相も変わらずワイシャツしか羽織ってないうえ、レヴィンが寝ているせいでちらちら下着が見えていた。

「くそ、なぜこんな奴が一番好みの水色を……!」

 意味の分からない理由で歯噛みしていたら、サッカーボールのように蹴り飛ばされた。

「痛ったあ! 奴隷扱いするな!」

「あなたが人間として奴隷以下だからでしょ」

 セラは吐き捨てると部屋を物色し始めた。

「部屋をお借りする以上は私物にふれないようにしなきゃ、って発想はないのか」

「社会人として、大衆に奉仕しなさい」

「やっぱり奴隷じゃねえか!」

「なら社会人ってやつが奴隷なんでしょうね」

「そいつは否定しない」

「あたしの奴隷扱いも妥当なわけだ」

「それでも抗い続けるのが、人間の戦いだ!」

 突然アニメキャラのようなセリフを叫んだレヴィンを無視して、セラは調べ回った。その内、一冊の漫画が目に留まった。

「これ、漫画?」

「は? それ以外の何に見えるんだよ」

「ふーん……」

 セラはベットの淵に座り、漫画を開いた。

「この『超烈士道』って漫画は男たちが戦う話なの?」

「ああ。十人の男が磨き上げた己の肉体だけで一人になるまで戦う。そして残った男が何でも願いの叶う剣を手に入れる」

「素手で戦うのに、剣なんだ」

「『剣を持った方が強いに決まってるだろ』ていう作者の皮肉らしい」

「漫画を描く人ってのは変な奴らなのね」

「漫画家ってのはそんなもんだよ。ちなみに、その漫画はお前みたいな十代の女の子は読者として全く想定に入れてないぞ。ていうか読んでも面白さがわからないだろ」

 レヴィンの言葉とは裏腹に、彼女は黙々と読み耽り半分ほどまで読み終わった。

「めちゃくちゃ面白い……!」

「えええええええ!?」

「一話目で、自分より強い双子の弟が死ぬのが素晴らしいわね。それ以降弱いながらも強敵たちに対して向かっていく主人公に惚れ惚れする。名作の予感しかしない」

「よ、よくお分かりで……」

 それ以降も彼女は読み続け、早くも五巻目に突入していた。

「待て、いつまで読む気だ」

「嘘でしょ…… あのヘラクレスが裏切るなんて……!」

「聞けよ! ヘラクレスが最後どうなるかばらしてやろうか!」

「わーわーわーストップ! まあ、キリのいいところで終わらせるから待ってなさい」

「そこが盛り上がってるシーンなのは理解するけどさあ」

「よくわかってるじゃない!」

 彼女はベットに寝そべり、興奮を抑えきれぬ様子で読んでいた。ライトブルーの瞳がいつもより明るく見える、楽し気な表情だった。

「ふざけんな、徹夜で読みやがって……」

「130巻もあるなら先に言ってよ……」

「まだ連載中だよ、今やっと折り返しらしいぞ……」

 夜通し読んだことには流石に彼女も後悔気味であった。レヴィンも、解説役として一晩付き合わされた。

「そもそも15巻で『地獄決闘編』が終わるだろ! そこで終わらせろよ!」

「だって、15巻の終わり際に最強だったベンサムが一撃でやられて、『暗黒烈士裏四天王』が現れるじゃない…… 大分眠かったけど、これじゃ終われない! と思うしかないでしょう」

「週刊連載によくある手法だよ! 素直に楽しんでんじゃねえよ!」

「それ以降は十人だった烈士に第零番の烈士がいることが判明するし、その後30人に増えるし、あたしにはもう分らない……」

「何を悩んでるんだよ! ただの引き延ばしだよ!」

「ま、今からぐっすり寝て続きを読めばいいか。30巻まで一夜で読めたのは褒められていいはずだわ」

「それで褒められるんなら世界は簡単だろうよ……」

 レヴィンも突っ込む気力も失ってきていた。大きくため息をつくとセラに呼びかける。

「リュックから通信端末をとってくれ。会社に連絡しなきゃ」

「SOSでも求めるの?」

「だったら警察を頼るさ。風邪で休むって上司に言うんだよ。で、明日もう一回連絡して高熱だったから来週まで来れないって言っとく」

「へ、いちいち言わないといけないの?」

「めんどくさいんだよ、色々」

「でも言う必要はないわ」

「なぜだ」

「仕事には行きなさい。不自然に思われても困る」

「上司は別に疑ったりはしてこないよ。真面目な奴と思われてるから大丈夫」

「上司や仲間のことはどうでもいいの。1週間休んだ人がいたら明らかに目に留まる」

 こいつは何を警戒しているんだ、とレヴィンは思う。なにか監視している人物がいるような言い方なので不安が拭えない。

「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか」

「なにを?」

「この訳わからない宿泊劇の背景を」

「反抗期の小娘が親の教育方針に耐えかねて、後先考えずに家を飛び出してしまいました。ってとこじゃない」

「僕が聞きたいのは事実だ。もう冗談言い合ってる場合でもないだろう、小娘」

「……1週間、いや10日すれば勝手に出ていくわ。その間多少の不便を我慢すれば、いつもの日常に元通り。これで満足?」

「勝手に伸ばしやがって。何も起きないって保証はないのかよ」

「そうね、巨大隕石が地球に降り注いだり、バイオハザードが世界的な規模で発生するかも」

「また冗談か?」

「どうでしょう」

 レヴィンはしかめ面をしばらく浮かべていた。なんだろう、この子のどこか意地張ってる感じは。意地を張ることさえやめれば、すぐにでも救いの手を求めたいんじゃないか。そんなことが頭をよぎっては、「所詮は他人事、助ける義理はどこにもない」という思いにかき消された。彼は残酷な男ではなかった。ただ、理由もなく人助けするほど英雄的な人物でもなかった。なぜなら、平凡な世界に身を置き続けた凡人なのだから。セラが少し違和感を覚えるほどには長い無言が続いた後、彼はこう聞くことにした。

「お前の言いたいことは分かった。10日耐えればこの罰ゲームからおさらば出来る。確かに、事情を深く聞くのも野暮かもしれない」

「そ、じゃあお仕事に行ってきなさい」

「あと9日で僕はいつものサラリーマンになる。じゃあ、お前は元の暮らしに戻れるのか」

 今度は彼女が黙ってしまった。少し面食らっている様子だった。レヴィンの時よりも長く無言が続き、こう答えた。

「ならない」

 少し大げさな程、強い口調だった。言った後には一転して、俯くと弱弱しい調子で呟いた。

「なるわけ、ない」

 これが初めて見せた彼女の本音だった。その言葉を聞いて、レヴィンは少し安堵した。

「そうか。じゃあ、仕事に行くから拘束魔法を解除してくれ」

 返答はなかったが、黒いバンドが消えた。

「お、あっさり外したね。せめてもう少し身の安全を確保すべきだったんじゃないか」

 彼女はやはり答えなかった。レヴィンは急いでシャワーを浴び、手早く朝の準備を済ませた。

「うわぎりぎりだな…… それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃいませご主人様」

 いってきますなんて実家にいた時以来だな、と感慨に耽ったが、朝ご飯を作ってくれたお手伝いデバイスが機械的な音声で答えただけだった。彼は玄関のドアを半開きにして、振り向くと落ち込んでいる彼女へ向けて話した。

「レヴィン・セレナード」

「え?」

「僕の名前。案外気に入ってるんだぜ。いってきます」

 そしてレヴィンは出勤した。彼女はドアが閉まると、視線を床に落としたままぼそりと言った。

「……いってらっしゃい」

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魔法世界に転生しましたが、なにも変わりませんでした。 ~もしも、魔法使いになれたなら~ ベッセルク @nirvana270405

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