紫――西野明里
未来
目を開けると、そこには、いつもと同じ景色が広がっていた。数多くの本、ちょっとシックな棚、そして――小さなママの机。
「いらっしゃい、明里」
でも、そこで見たママは――昨日私がみたママとは違っていた。
「ここは、未来なの?」
「そうね――高校生のあなたからすれば、ここは未来よ」
前よりほうれい線がはっきりと見えるようになった、ママはそう言った。
「完成したんだ。うまくいったんだ、私」
まだ実感が掴めなかったから、ぼんやりとした言い方になっていたと思う。それでも、嬉しかった。
「まったく、驚いたわよ。私が最終チェックを終える前に、タイムマシンを完成させてたなんて。あなたを見くびってたわ。私を越えられるはずないと高を括ってた。――それに気づいたのは、譲だけだった」
「譲が――」
「さすがは、あなたが惚れた男の子ね」
「なっ――」
ママは、私に歩み寄って、優しく言った。嗅いだことのない香水の匂いがした。
「あなたに謝らなければいけないの。ごめんなさい、気づかないうちに、あなたを追い込んでた」
ママからそんな言葉が聞けるなんて、思っていなかった。
「あなたは、とてつもない重圧に押しつぶされそうになっていたのね。あなたが消えてから、譲に言われて、そこから長い時間をかけて――やっと理解したの。私にとっては、あれが普通だと思っていたから、色々なことを受容するのに時間がかかったの。あなたの気持ちを考えてなかった。本当に、ごめんなさい」
「そんな、謝らないでよ。確かに辛いこともあったけど、そのおかげでこうやって未来に来れたんだからさ。お母さんが私を、ちゃんと育ててくれたおかげだよ」
「……少し、肩の荷が下りたわ」
「……ねぇ、みかんちゃんやゆうすけはどうなってる?」
ママはしょうがないわね、とでも言いたげに笑うと、それは自分の眼で確かめなさい、と言った。
自分の眼で確かめる?
「2050年のクリスマス、町内会で一緒だった7人が、それぞれの色を持ち寄って集まる約束、あなたが言い出したのよ。あの日のみんなは、あなたを必死に待ってた。ううん、あなたが消えてから、10年間、ずっと」
「そっかぁ、そりゃ悪いことしたなぁ」
あいかわらずねぇ、あんたは。ママはすこししわがれた声で言った。
「集合場所、どこなんだろうなぁ」
「あなたが一番思い出深い場所よ。根気強く、最後の友達を友達にした場所」
「うーん、難しいこと言うなぁ。ねぇ、過去に戻る方法、もう見つけた?」
「私が見つけたんじゃないわ」
ママは首を横に振った。
あなたが見つけたのよ。
ママはそう言って、そしてすこし泣いた。
――
「これ、持って帰っていい?」
紫色の表紙をした、分厚い本。そこには、私じゃない私の研究成果が詰まっている。
「タイムパラドックス、って分かるわよね? 未来の書物を持ち帰ることは、禁止されているわ」
「それも、私が言ったの?」
「今よりすこし大人になったあなたがね。ねぇ、」
どうしてあの6人にこだわるの?
「そんなの決まってるじゃない、」
たとえ未来の私が天才じゃなくったって、色眼鏡なしに西野明里を見てくれる大切な友達――大切な過去が、そこにあるから。
「そう」
「これなら、持って帰っていいよね?」
私は、その本の中の紫色の栞を抜き取って制服のポケットにしまい込んだ。
「調整方法を教えるわ。あなたは来た時と同じようにそこの中に入ればいい」
「ありがと、ママ」
「また会える日を楽しみにしてるわ、西野博士」
ママは、私が来るときにはなかったダイヤルを慎重に回して、そしてボタンを押した。
薄れゆく意識の中で、集合場所はどこなんだろう、ともう一度考えた。
自分が一番思い出深い場所。だとしたら、あそこしかない。
ななみちゃんが、あのななみちゃんが、ありがとうと口にしたあの場所。
目の前が、ぐらりと揺れた。まぶたの奥を、鮮やかな虹色が駆け抜けていった。
虹のかけら @moonbird1
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