幸福に関する考察

灯葉

幸福とは何か

 幸福とはどういうものか。この問いを一から考え直してみようというのが今回の試みである。まずは幸福の本質を見るために、ある仮説について考えてみる。その仮説とは、貴方がこの世の全てのものを思いのままに操ることができるというものである。さて、これは幸福だと言えるだろうか。


 その能力を手にするや否や、思いつく限りの欲求を満たしていくだろう。手始めには美味しい食事などの基本的な欲求、ひいては承認欲求をはじめとする高度な欲求を満たしていく。その瞬間はまさしく幸福であると言えるだろう。しかしながら、あらゆるものを自由に操れるとしても思いつく欲求は高々有限個に過ぎない。そして、自由に操れるという状況にも慣れてくる。そうなってしまえば、充分に欲求を満たし満足な生活を送れるにもかかわらず、その状況に飽きてくるだろう。


 ここから解るように、幸福と満足は別物である。また、一つの幸福が続いても慣れてしまい、ありがたみを失って日常へと変化する。そして最終的には飽きてしまう。日常を幸せだと言う人もいるかもしれないが、それは満足の間違いではないか。何故なら幸福とは瞬間的な変化、それ自体であり、積み重なったものが満足だと考えられるからだ。


 幸福と満足について、もう少し深く考えてみる。幸福は環境がいかに悪くとも手にすることができる可能性がある。むしろ、低次の欲求が満たされていない時には手軽に高い幸福感を得ることができる。例としては、震災時に配られるおにぎりがあげられる。普段であれば、そこまで喜ぶものでなくとも、状況次第では幸福に繋がるのだ。一方で、満足はある程度環境が整わなければ手にすることが難しい。逆に満足した状況下では新しく欲求を満たすことが難しくなり、幸福を得にくくなる。


 また、満足度は安定している時に高くなりがちだが、幸福度は意外性がある方が高くなるという特徴もある。


 詰まるところ、幸福とは瞬間的な満足度の増加であり、欲求を満たしながら慣れに抗う行為だと言えよう。言い換えれば、日々様々なものに適応していく人間の特性に抗う特異性、それが欲求実現と重なった時こそが幸福というものではないだろうか。



あくまで個人の考えです。

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