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2020年6月28日

今日、言葉を紡ぐとなれば、その相手は一人しかいない。
実はこの文章を書くにあたって事前に下書きを紙に書いていました。しかし、今日貴方が公表した文章と題材が似通っており非常に驚いています。おこがましい気もしますが、題材の解釈は様々ということでそのまま書かせていただきます。


元気に過ごしているでしょうか。元気ではないけど淡々と過ごしているのではないかと勝手に思っています。

私は相変わらず監視下に置かれていますが、大して面白みのあるものではありません。言及するとすれば、法に触れるようなものについては証拠を集めてもらっており、それが悪質性を示す程度にまで集まったということぐらいでしょうか。どの分野に関しても言えることですが、専門家というのはそれで食べているだけあって素人とは比べものにならないぐらいすごいものですね。改めて感心しました。

しかし、一応集めてみたもののあまり使う気はありません。一番面白そうな用途としては、自殺をするときに、遺書とともにデータの入ったUSBを置いておくことでしょうか。ただ、私は復讐をしたいと思うほど彼らに興味や関心はないので、ついでという形にしかなりそうにありません。その他には抑止力ということも考えられますが、抑止力を持つにはその存在が広く周知される必要があるわけで、こちらもあまり望んではいません。では何のためかというとただの自己満足です。“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.” 怪物を正しく倒すことは難しく、目的のために禁忌を犯すならばそれは怪物のしたことと変わらない。そんなことを考えるためだけにやっています。

もう少し、抽象的な話をしましょう。どうやら、真実というものはどう頑張ったとしても他者が手に入れることはできないようですね。どれも見たいように見た結果でしかなく、特に目に付くところにそれらしいものがあれば、それを真実と呼んで信仰する傾向があるようです。そうなると本来そこにあったはずの意志は風化して、最後には結果しか残らないのではないでしょうか。日本は信仰の自由が認められていますから、ある意味このような真実と呼んでいるものを否定することはできないかもしれません。しかし、それが真実であるという保証がなく、信仰していることにすら気付かない状態というのはなんとも……。さて、貴方は何を信仰していますか。また、どうしてそれを信仰していますか。

これと同じことは文章にも言えるでしょう。聡明な貴方なら、この文章を読んでも決して理解したとは言わないでしょうし、そもそも文章から完全に理解できるとは思ってもないのでしょう。低次に出力されたものから高次の情報をすべて読み取ることは不可能だと認識しながら読まなければ、バイアスだらけになってしまいますから。

もう少し書きたいことはありますが、とりあえずここまでです。迷惑ばかり掛けているので、こちらから連絡することはないと思いますが、一応こうやって書き残しておきますね。

最後になりますが、誕生日おめでとうございます。
健康に気をつけて、お過ごしください。
文章も無理のない範囲で書いてもらえるととても喜びます。

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