とんかつを巡る冒険
サークルからそのまま
浩司の部屋は無駄に広くて大きなテーブルにソファにベッドまである。ベストオブたまり場だ。サークルの面々は、いつものように思い思いの飲み物を片手に12人ほどがいろいろな場所に座っていた。
話を聞いている限り、卵閉じ派とソース派は拮抗していた。ソース派は卵閉じ派に、「それはカツでもカツ丼でもなくてカツ煮じゃん。サクサクさ無くなってしまってるじゃん」と主張し、卵閉じ派は「ソースだけとかご飯に乗っけただけで丼じゃないじゃん。味気ないじゃん」と主張する。
流れでソース派の一人が、「味気ないなら練りからしをつければいいじゃん」と言うと、別のソース派の1人が、「いや、ソースだけなのが美しいじゃん」と新しい分派を産み出して、さらに皆でそれにつっかかっていく。
お酒を飲みながら楽しそうにそんなバカ話をしている皆を見ながら、私はちょっと引いた目でひとりキッチン近くの壁にもたれてちょこんと座り、くぴくぴとレモンサワーを飲んでしまっていた。そんなのでこんな議論になるかしらん? なんというか、温度が違う。今日はニコニコ笑って見てるだけにしよう。そう思っていると浩司が絡んできた。
「さっちょんはどっち派? やっぱ閉じるっしょ」
目立たないようにしてたのになんなのこのバカ。それをきっかけに皆の視線がこちらに集まる。えー、どっちかナー?なんてバカっぽく首を傾げて乗り切ろうと思ったが、そこで
とたんに、部屋の空気が少しピリッとして一部の先輩方の視線の色が変わる。やばい。お酒を飲んで目元をほんのり染めて笑っているけど、その奥は笑っていない。ただでさえ短大組の私たちは四大組に「男漁りに来てるだけのハイエナ」と思われている。否定はしないけど今日の私は違う。無難に乗り切るためにバカっぽくしようと思っていたけど、何もわかってない奴に「はいはいどうせ媚びるんでしょ。点数稼いでご苦労さまー」とか「短大のお手並みはいけーん」とか思われるのは嫌だ。
私はぎゅっとグラスを掴んで、一気にレモンサワーを喉に流し込む。頼むぜアルコール。私にクソ度胸を貸してくれ。なめんなよ。ただ勉強ができるだけでとんかつのおいしさすら分かってないクセに。私はことん、と音を立てて床にグラスを置くと立ち上がった。
「カツサンドです」
「ん?」
私の発言に皆が戸惑う。が、それを無視して言葉を続ける。
「とんかつを一番おいしく食べたいならカツサンドなんです。一晩おいて、冷たくなったカツをパンで挟んだ。甘辛ソースとマスタードたっぷりの」
そうなのだ。皆と私では根本的に温度が違う。冷たい方が好きなのだ。アツアツのカツはそれはそれでいいけど、ポテンシャルを発揮できていない。冷たくなって、油とか冷えてちょっと固まっちゃって、でも、歯ごたえがめしっとなって繊維が歯にちょっと挟まるくらいの奴が最高と決まっている。
カツが冷たければパンはトーストしていなくてもしていてもどっちでもいい。そこはもう、些細なエクストラ要素だ。ベストを尽くすならトーストしてちょっと冷めて焦げ目だけパリッと楽しめるのが好きです。パリっからのソースジュワッを経由して衣がわずかにシャクっとなってからのお肉のめしっ。
口いっぱいに頬張って噛む喜びを堪能するのだ。そして、噛んでいる途中からもうほろっと崩れて歯に挟まる肉の繊維がちょっと痒いというか、邪魔と言うか、「あ、ここにいるな」と感じながらもそれを取り除くよりも次のひと口を求めるのだ。ああ、カツサンド。たぶんサンドイッチから派生したこの世で一番おいしい冷たい料理。私はサントイッチは別にそんな好きじゃないけどそれでもサンドイッチ伯爵、ありがとう。パンにおかずを挟んでくれて。もはや足を向けては眠れない。
お肉はできることならヒレ肉がいい。ロースとかでは脂身が多すぎる。温かい時はいいけれど、冷めるとその部分がちょっとしつこくなる。赤身メインのヒレ肉であればその心配は皆無だし、噛んだ時もじゅわってはなく、めしっとなりやすい。
お腹が空いていると、ついつい出来立てを食べたくなる。その方がおいしいものも多いだろうけど、とんかつに限っては違う。食べたい気持ちとせつないお腹を意志の力で押さえて、次の日のカツサンドに思いを馳せるのだ。かぐわしい揚げたての匂いの誘惑に負けずに冷えれば、明日になれば、もっとおいしいとんかつが待っている。約束された勝利の味。たとえ自殺しそうなほど落ち込んでしまったとしても、死ぬのを1日伸ばすのには十分すぎる理由となるたべもの。それがカツサンドだ。
私はそこまで言いたかったけど流石に引かれると思ってドヤ顔で親指を立ててバチーンとウインクをキメた。きょとんとしていた面々は、たちまち笑って、そっちかーとか、いやでもかつ丼の話からずれてね? とか言いながらワイワイとやりだした。私はそれを見て座ってグラスを手に取る。と、浩司がそのグラスにリキュールをとくとくと注いでくれた。
「さっちょんほんとおもれーな」
浩司は自分の持っていたグラスを、私のグラスにカチンとぶつけてくる。
「まーでも俺はやっぱ卵閉じだけどさー」
そう言ってニッと笑うと、テーブルの方へと戻っていた。やれやれ、これだから四大の男はわかってない。私はため息をついたけど、そんなに悪い気分ではなかった。
ふと、吉本ばななの「キッチン」を思い出した。天涯孤独のみかげが、ある夜、突然思い立って出来立てのカツ丼を遠く離れた雄一の元へと届けなくてはいけないと思い立つシーンがある。凄く感動的であたたかいシーンで好きだ。
でも私は違うと思う。みかげは1晩待つべきだと思う。冷静になるためとか常識的に考えてとかでなく、とんかつを冷ましてカツサンドにするために。もし私が同じ立場になったら、きっとそうすると思う。翌朝一番か、それとも深夜か。とにかくとんかつが冷め次第最速でカツサンドにして走り出すだろう。
そんな想像をして私はくすりと笑った。何気なく上げた視線の先の浩司と目が合って、なぜか浩司も歯を見せて笑った。
---
「カツって冷えた時はパンに挟むとおいしいよね」という所からはじめて、なぜかこんな話になりました。ううむ、カツサンドがキーの話ってどうなんでしょう。笑。
ひとりあそび置き場 吉岡梅 @uomasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ひとりあそび置き場の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます