運命の男が追いかけてくるんだが

森宮はとり

第1話 出逢わなかった二人

ポトッと、目の前に定期入れが落ちてきた。

条件反射のようにすぐに拾い上げる。前には男の背中。きっとこいつのだろう。あのー、すいません。落としましたよ。そう言おうと肩を叩こうとした。

その瞬間、分かってしまった。


あ、これは、────運命だ。


馬鹿みたいだと思うだろう。でも直感した。この肩を叩いたら、声をかけたら、何かが始まる。なんでそう思うかは分からない。理屈じゃない。直感だ。確実に、何かが起きる。俺とこいつの間に。

「……っ」

俺は、手にした定期入れを握りしめ、一瞬躊躇した後、そいつの持ってるトートバックの中に出来るだけそっと入れた。

そして、全力ダッシュでその場を逃げ出した。




走れ、走れ、走れ! 周りに変な目で見られながら。とにかく走った。あの場から離れるために。

ようやく足を止めたのは、一駅分くらい走って小さな公園にたどり着いた時だった。ビルが立ち並んでいた周囲はいつの間にか住宅地に変わっている。ゼーハー言ってる息を整えるためにベンチに座り込む。

「はっ……やば……腹いて……」

体力不足がこんなところで。つーかこんなに走ったの久々だな。社会人になってから走ることなんて、寝坊して電車に駆け込む時くらいだからな。

額の汗を拭って、深呼吸をする。

……何やってんだか。

走りながらずっと思ってたけれど。

大の大人が、逃げるように全力疾走とか。

でも……逃げなきゃと思ったんだ。

二十数年生きてきて、初めて感じた感覚だった。運命だと。言葉にすると陳腐で嘘臭いけど、あのまま肩を叩いていたら確実に何かが始まっていた。それだけは今でも絶対だと言い切れる。だけど……。

「……デカい背中だったな」

もしあれが、華奢な可愛い女の子だったら、声をかけていたかもしれない。これ、落としましたよ。わっ、ありがとうございます! 私そそっかしくて、助かりました。あの、よかったら何かお礼をさせてください。とか。うん。そういう運命だったら俺だって躊躇わず受け入れていただろう。こういうことってあるんだな、日頃の行いがいい良いからかな、と神に感謝していたはずだ。これから薔薇色の人生が待っていたに違いない。

でも現実は、男。

走ってきた今はもちろん心臓がバクバク鳴ってる。でもバクバクし始めたのは走ったからじゃない。あの背中を見た瞬間に心臓が跳ねたんだ。

運命だ。

そう感じた次の瞬間に思った。

冗談じゃない。

今まで平凡な人生を送ってきた。好きになるのは女の子だったし、今まで付き合ってきたのも女の子だった。別に他の人がどういう恋愛をするかは個人の自由だ。だけど今さら、二十数年生きてきて今さら、そんなトンデモ展開自分には求めてない。

こちとら社会人なんだぞ。

そんな急に自分でコントロール出来なさそうな事案が発生するのは困るんだよ。

だから逃げた。いや、戦略的撤退をした。俺の大事な未来のために、始まる前に捨ててきた。


さよなら運命。


次は華奢で可愛い子との運命お願いします。








まさかその後、この捨てたはずの運命にまた遭遇するとは夢にも思っていなかった。

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