心中①
安藤警部補は書類作成に追われる部下たちを眺めていた。少しだけ出世した今…係長たる安藤もまた多くの仕事を抱えている。部下の心配ばかりしてもな…そう思っていた矢先に通信指令センターから無線が入った。
パトロール中の警察官が不審車を発見し、その車内運転席から遺書らしきものが発見されたらしい。
しかもその不審車は川にかかる橋の上で見つかったという。
自殺か…そう筋を読んだ安藤だが、予断は禁物だという、かつての先輩刑事の戒めを思い出し、続報を待つことにした。
一報を受け、現場には既に部下の中村巡査部長と草野巡査が向かっている。中村はこの係のナンバー2であることを自他共に認めており、安藤も頼りにしている。フットワークの軽さ、基本に忠実で根回しにも長けている中村は本当に頼りになる部下だ。俺より係長に向いているんじゃないか…と思う事は多々ある。
安藤はふと、後ろを振り向き眼前に広がる雨に濡れた風景を見つめた。
まだ昼過ぎだというのに、鉛色の雲が空を覆っているせいか薄暗い。こんな日は誰だって気が沈む。安藤もまた、これから仕事が忙しくなる予感を憶え、萎えそうになった気分を振り払うべく溜まりに溜まった書類仕事を片付けることにした。
「心中だと?」
安藤は中村からの報告を受け、このヤマが面倒な方向に転ぶことになると確信した。遺書に書かれていた内容を要約すると、ヤクザ者と、その男のボスである組長の妻の決して報われない恋に疲れた。バレたら殺される。高飛びしても絶対に見つけられる。だったら死んであの世で結ばれたい…という内容だ。
問題は男の死体しか見つかっていないことだ。女の死体は未だ見つからない。それどころか鑑識が言うには「助手席に誰かが乗っていた形跡がない」ということだ。
女の死体を見つけないと…と残りの部下にも出動命令を下した安藤は、その数時間後にさらに不可解な報告を受けた。
「ドライブレコーダーの映像がおかしいだと…?」
報告してきたのは須藤巡査部長といい、太っていて頼りない弱気な性格に思われがちな仕草をしているが、実際は係内で一番のキレ者である。
「はい…車の持ち主のヤクザの男…名前は日下部洋一というのですが、そいつの車のドライブレコーダーを分析していたら、どうもこの男の様子がおかしいんです」
その後に「実際に見ていただければ分かります」と言って須藤はその映像を見せてくれた。
ドライブレコーダーなので前方の映像しか写っていないが、音声を拾うことはできる。日下部は誰かに…恐らく相手の女にしきりと声をかけている。
しばらくは他愛もない会話が続いている。これの何がおかしい?安藤の怪訝な表情に気付いた須藤が「続きを聞いてください」といった。
『何?…死にたい…?おい、なんてこと言うんだよ』
『え…?一緒に死のうって?何言ってるんだよ…お前はもう死んでるじゃねえか』
『いっしょに死のう』
『あぁ?そっか俺も死ねば一緒になれるのか…じゃあ死のうかな…お前も一緒に来てくれよ…』
『いっしょに死のう』
最後の言葉はその後、会話はなくなり、やがて車が橋上に差し掛かり、適当なところに車を止めた日下部が車を降りたらしいドアの音が聞こえた。その後ドライブレコーダーは延々と雨が降りしきる風景のみを写していた。
この映像を見た安藤の疑問点は一つである。「この男…日下部は誰と話している?」ということだ。
というのも、日下部の車はこの橋に向かうまでの間の道路に設置された監視カメラによって捉えられており、映像分析の結果、日下部は『一人で車に乗っていた』事が判明したのだ。
だが映像には『いっしょに死のう』という女性の声がハッキリ残っている。酷く無機質で、抑揚のない声…。
「で、ですね係長…ちょっと提案があるんですがね…」
須藤は既に同僚の中村らと話し合い、安藤に一つの提案をすることにしたらしい。
「これ、多分我々の手に負える事件じゃないです。例の係長のご友人に手を借りるのはどうでしょうか?」
【短編多め】境界はどこ? れすなー @F5coming
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