雪送り

 セーヴェルがいなくなった後、ザーバトは狩った獲物の肉や毛皮をたまに来る旅商人や、山を下りて売ることで金を貯め、十五で村を出た。

 妹の行方はもちろんわからない。西には港があり、そこから船で売られた人間が運ばれているらしいが、あまりに遠く歩いていくのは無理だった。

 とりあえず南に向かうと気温は温かくなり、緑色の葉を持つ草木が増えて初めて見る景色に目を奪われた。地図もなく村からでたことのないザーバトは勘で歩き続けた。

 あてもない旅を数年続け、所持金が心もとなくなったころ大きな街へたどり着き仕事を探していると、東で大きな戦争がありそこへ行く傭兵を集めていた。

「東か……」

 大霊山からさらに遠ざかる。しかしセーヴェルが戻ることのない場所に未練などなかった。傭兵を募集する大声をあげている男へ、一歩足を踏み出す。


 ひと月以上も歩いてザーバトは傭兵として目的地へたどり着いた。

 見渡す限り岩とまばらな低木と草しかない荒野だ。そこに万を超えるだろう人間たちが集まっていた。彼らの多くは傭兵で、それだけでなく傭兵相手に商売する商人や娼婦たちも同じぐらいいるだろう。何もない荒野に街ができたようなものだった。

 ザーバトは物見遊山の気分で通りを歩く。露店が地面に布を広げて商品を並べている。

「いらっしゃーい。いいものあるよー」

 明らかに幼い女の子の声が聞こえて、ついそちらへ目を向ける。五、六歳ほどの女の子が老人と並んで商品を並べていた。その子と目が合い、自然にそちらへ足が向く。

「いらっしゃーい。お兄さん安くするよー」

「そうだな……これはなんだ? 獣の足か?」

「これは、うさぎの足だよー」

「兎の足だって! 精霊の足なんて売ってるのか!」

 ザーバトにとって兎とは、大霊山の精霊だった。兎が亡くなった人間の魂を運ぶと言われているため、兎を狩ることは許されない罪である。それを知らない女の子は不思議そうだ。

「せいれい? じゃないよ。ほら、うさぎ」

 女の子が手に取って見せてくるそれは、茶色い毛をした兎の足だ。彼の知る精霊の兎は真っ白な毛をしている。

「そうか。これは精霊じゃない兎の足か。で、これは何に使う?」

「お守りだよ。これを持ってると幸せになるの!」

 セーヴェルがいなくなってから、ザーバトは自分の幸せなど求めたことはなかった。ただ、妹と重なる幼い女の子の幸せを願い、兎の足を買った。


 遠くに見える岩山が連なる様子はザーバトの故郷を思い出す。しかし気温は真逆の灼熱で、雨はまったく降らず太陽が出れば炎であぶられているような状態だった。一方で夜になると氷が張りそうなほど寒くなり、ザーバトにとってはこちらのほうが慣れたものだ。

 ザーバトは数回ほど戦争へ駆り出された。獣とは何度も戦ったが人間とは一度もなかったので不安だったが、獣を相手に鍛えた槍の技術はこちらにも有効だった。

 何度目かの出撃も、敵が少ないこともあって今回の戦いも終えることができた。しかし慣れがあったのか油断して、腕に深めの傷を負うことになってしまう。医者に乱暴に腕を縫われ酒をぶっかけられるという治療を受けたが、どうにも痛くて眠れない。

「ちくしょう……痛ぇな……」

 酒を片手に一人で夜中を歩く。傭兵たちが集まったこの場所は、夜でも明かりが途切れることはない。敵の襲撃を警戒していることもあるが、血の気の多い傭兵をおとなしくするには酒と女が一番だ。それらが活躍するのは夜だと相場が決まっている。

 ザーバトは酒をかなり飲んで酔っていながら痛みで眠れず、地に足がつかない様子で彷徨っていると小さな光が動いているのを見つけた。

「ん?」

 光が動いているのは人々が集まっている場所から離れた場所だ。歩いているうちにザーバトはそんな場所へいつの間にか来ていた。

 ここは死体置き場だった。四方に立てた棒に布を張っただけの、ほとんど野ざらしに近い状態。これが国の貴族や正規兵の遺体だと壁と扉のあるちゃんとした建物になるのだが、傭兵となるとこんなテント未満のものが普通だった。傭兵たちも文句などない。死ねば終わりだからだ。

 地面へ直接並べられた遺体の間を、小さい光が漂っている。動いては少し戻り、また動いて戻り。奇妙な動きになぜか見覚えがあり、何だろうかと思いながら近づくと、それは人が持つカンテラの明かりだとわかった。

 弱い光におぼろげに見える姿は、白いスカートに白い帽子。これはザーバトを治療した医者が所属する神殿の医療集団の女性制服だった。

 小さなカンテラを持った彼女は遺体の間を奇妙な足運びで歩く。一歩進み一歩戻る。三歩進み一歩戻る。五歩進み一歩戻る。そして一歩進み……という動き。

 しばらくそれを見ていたザーバトだったが、酒でかすんでいた思考の霧が晴れる。

「ま、まさか!」

「キャッ!」

 ザーバトは酒を落としたことも気づかず駆け寄ると、女性の肩に手をかけてこちらへ振り向かせた。それは若い女性だった。髪を後ろでまとめていて、前髪も上げているのでまるい額が見えていた。美人というよりは可愛らしいといった容姿をしていて、普段なら少し目をとめるほどだが、この時は落胆が勝つ。

「……違ったか」

「ど、どうしましたか……あの?」

 突然乱暴に肩をつかんだあと落胆した男に、女性は心配した様子で声をかける。

「すまん。妹かと思ったんだ……」

「妹さん? 私と同じように神殿で仕事をしているんですか」

「いや……雪送りをやっていたから」

 一歩進んで一歩戻る。三歩進んで一歩、五歩進んで一歩戻る。これを繰り返す儀式が雪送りにあった。遺体を雪に埋めて冬が終わったあと、葬送の宴で家族がこの奇妙な歩き方を行うのだ。これを知っているということは、ザーバトの故郷の人間のはずだった。

「えっ? これを知ってるんですね! じゃあ母さんと同じ出身の人ですか?」

 女性に詰め寄られて戸惑っていると、はっと口に手を当てた。

「すいません。ここは話すような場所じゃないですね。向こうへ行きましょう」

 遺体が並ぶ場所から離れた場所へ二人は行く。手首を掴まれたザーバトは女性にされるがままだ。

「そうだ名前を聞いてませんでした。私はアーラ。あなたは?」

「……ザーバトだ」

「ザーバトさん、あなたの故郷のことを教えてください」

「何で知りたいんだ」

「私の母はずいぶん前に亡くなって……亡くなる前にあの歩き方を教えてくれて、そうすると魂が山へ送られるって。それまでほとんど自分の故郷について話したことはなかったのに、亡くなる直前にそんなことを言われたからずっと気になっていたんです」

 遺体を雪で埋めてひと冬経過させないといけないということは、さすがに言えなかった。

「母親はそれまで何も言わなかったんだな」

「すごい貧乏で、だから逃げたんだって言ってたのは覚えています」

「それは正しい。あそこはひどく貧しいんだ。だから妹は……」

 思わず口にした言葉に、唇を引き結んで黙ってしまったザーバトをアーラは不安そうに見る。いつの間にか握っていた拳をゆっくりとほどき、力のない笑みを浮かべる。

「聞かないほうがいい……じゃあな」

 背を向けようとしたザーバトの手を、アーラが掴んだ。

「あなたの話を聞かせてください。私の母じゃなくて、あなたの事を」

 真剣に、澄んだ瞳でアーラはザーバトを見ていた。掴んだ手を両手で胸の前で抱くようにして。彼女が真摯にザーバトを心配していることがなぜか理解できた。

 これまでザーバトは誰かにここまで思われることはなかった。両親にはほとんど無視され、兄たちからは邪魔者あつかい。セーヴェルはもちろん愛していたが、年齢的に彼を心配するということはなかった。

 人生で初めてザーバトは、誰かに庇護されるということを知った。

「話してください」

 ザーバトが妹のことを話し終わると、アーラはずっと両手で包んでいたザーバトの手へ、そっと額を触れた。

「…………辛かったですね」

「自分が辛いとは思ったことがないんだ。ただ、妹を、セーヴェルを守れなかったことが、辛い。セーヴェルはまだ十歳にもなってなかったんだ。それなのに……」

 アーラの肩が震えている。カンテラの光で輝くのは、彼女が落とす涙だ。二人はそのまましばらく動かなかった。いつもは聞こえる誰かの騒がしい声も聞こえない。荒野には獣の姿もなく、ただ静かに冷たい風が漂う。

「……すいません」

 ザーバトの手をはなしたアーラが涙をぬぐう。

「いや。話を聞いてくれて嬉しかった。ありがとう」

「よかった……あの、ザーバトさんは傭兵なんですよね? やめようと思ったことは?」

「考えたこともなかったな。そうだな、契約が終わって金がもらえたらやめてもいいかもしれない」

 ザーバトは自分が死ぬことなど考えていなかった。死なないと楽観していたわけではない。セーヴェルの魂が大霊山へ送られて大地へ戻ることができなくなったことで、また一緒にいるという約束がはたせなくなった。なので死後、魂がどうなろうと気にならなくなったため、自分の生死に無頓着になっていただけだ。

「それがいいです!」

「ああ、でも次で死ぬかもしれないからな。その時はアーラがあれで歩いて俺の魂を送ってくれよ」

「縁起でもないこと言わないでください! 怒りますよ!」

 胸の前で両手を拳にして怒るアーラを見てザーバトは笑う。そして首からぶら下げていたものをアーラに渡した。兎の足を細い革ひもで結んだ首飾りだ。

「幸運のお守りらしい。実際これまで俺は戦争で死んでないから、効果はあるのかもしれないぞ」

「だったら、ザーバトさんが持っていたほうが」

「いや。アーラが持っていてくれたほうが効果がありそうだ」

 少し悩んだ様子だったが、アーラはそれを首からかけた。

「絶対に帰ってきてくださいね」





 幸運のお守りを持っていなかったからなのか、ザーバトたちは次の戦いに敗北した。

 これまでとは比べものにならない人数が攻めてきて、天を覆わんばかりの矢の雨に打たれて傭兵たちが地面へ倒れる。二頭の馬が引く、鎧を着て槍を持った戦士が乗る戦車が傭兵をなぎ倒す。武器を捨てて逃げる背中に槍が突き立つ。喚声と悲鳴と嬌声が荒野に響き渡り、角笛と太鼓の響きに合わせて敵が進軍する。

「はあ……はあ……」

 ザーバトは武器も持たず逃げていた。縫っていた腕の傷が開き、血が出ているが気にする余裕もない。気付けばすでに夜だ。月はなく、星明りだけでは足元すら見えない。夜の荒野はひどく寒いが、故郷ではこれよりも寒いのが普通だったので暑い昼間よりこちらのほうが調子が良いぐらいだ。

 白い息を吐きながら歩く。傭兵たちの拠点がどの方角なのかもわからない。前方のはるか先に高い山の輪郭が黒影で見える。まるで大霊山だ。

 朦朧とする視界に白い物が横切った。その数が増えてきたところでそれに気づいたザーバトは足を止めた。

 雪が舞っている。満点の星空の下で、白い雪が降っている。

 雲一つないのに雪が降るという不思議に、ザーバトはおかしいと思えなかった。久しぶりに見た雪に嬉しくすらなり、口元に笑みが浮かぶ。あれほど嫌っていた故郷の雪にだ。

 いつの間にか足元に白い兎がいた。ザーバトの歩みにあわせて跳ねる。

 足音が硬い岩や乾いた砂を踏むものではなく、柔らかい雪を踏む音に変わっていた。見渡す限りの地面に雪が積もっている。

 白い兎の数が増えていた。ザーバトに並走するのは百に届こうかという数の白兎。一匹の兎が彼を先導する。しばらく進むとその先に、一人の人間が立っていた。

 右手に持っている背よりも長い杖で地面を叩くと、連なった鈴が美しい音をたてる。

 その音でなかば意識を失っていたザーバトは顔を上げた。立っている人物は背が低く、子供か女性のように見えた。白くて足首ほども丈のあるローブような服を着ていた。赤い複雑な線で模様が描かれている。顔はというと、大きな円盤型の帽子で隠されていて鼻から下しか見えない。

 再び杖が地面を突き、鈴の音が雪の舞う白い景色に広がる。セーヴェルは故郷の村で誰かに聞いた【白巫女】を思い出した。彼女たちは故郷の祭祀を司る者たちで、鈴を連ねた杖を持って白兎の精霊と共に村々を巡礼しているという。彼女たちは迷ったままどこへも行けない魂を、大霊山へ案内しているのだと。そんなおぼろげな記憶が浮かんだ。

 もう一度鈴を鳴らした白巫女らしき者は、杖の先で一方を指し示した。そちらへと顔を向けると、もうひとり誰かが立っていた。

 背は白巫女よりさらに低い。年齢はまだ十にもなっていないだろう少女だ。両目に大粒の涙を浮かべてザーバトを見ている。

「兄ちゃん……」

「……っ! セーヴェル!」

 思わず走り出していた。雪を蹴り飛ばし、焦りすぎて転びそうになりながらも足を動かす。少女も同じく駆け寄ってくる。

「兄ちゃーん!」

 ザーバトは妹であるセーヴェルを、地面へ両ひざを着けて抱きしめる。セーヴェルも短い手を必死で伸ばして兄を抱く。

 妹の姿は最後に見たときと同じ年齢、体格のままだ。あれからもう何年も経過しているのでありえないことだ。しかしザーバトは、この少女が自分の妹だと確信していた。両手でその顔に触れ、鼻が触れそうな距離で正面から見る。

 セーヴェルは両目から大粒の涙をこぼしていた。ザーバトも涙が頬をつたって雪の上へ落ちる。

「寂しかった……」

「もう大丈夫だ。これからは俺が一緒にいる」

「ずっと?」

「ああ、ずっとだ」

 強い風が吹き、地面に積もった雪が舞い上がって二人の姿を隠す。風がおさまると、そこには誰の姿もなかった。

 白巫女は鈴を鳴らしながら歩きはじめる。一歩進み一歩戻る。三歩進み一歩戻る。五歩進み一歩戻る。一歩進み一歩戻る……

 歩く白巫女に多数の白兎たちが続いていく。やがてその姿も雪景色に溶けていった。




 女性が歩いている。周囲には数えるのが嫌になるほどの死体が並んでいた。

 一歩進み一歩戻る。三歩進み一歩戻る。五歩進み一歩戻る。

 繰り返し、繰り返し歩く。祈りながら。

 首から下げた兎の足を握りしめて。

 どこからか鈴の音が聞こえた気がした。

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雪が巡る地 山本アヒコ @lostoman916

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