雪が巡る地

山本アヒコ

ザーバトとセーヴェル

「セーヴェルをどこへやったんだ!」

 ザーバトは背負っていた獲物を放り出して叫んだ。

 地面へ転がったのは、彼の胴体ほどあるカミダヌキ。成長しきるともっと体も大きくなり、特徴でもある鋭い牙もさらに長くなる。冬眠を間近にひかえたカミダヌキは肉も脂も多く、この地方では滅多にないご馳走だった。

 しかしサーバトはそれを乱暴に投げ、それを家族は咎めず後ろめたそうに、または舌打ちをしそうな様子で彼を見ていた。

 サーバトは目を吊り上げて家族を順番に見まわす。母親は目をそらし、兄の一人は腕組みをして鼻息を吹き、家の奥で毛皮に座っていた父親が口を開いた。

「あいつなら売りに出した」

「売っただと!」

 拳を握りしめて殴りかかったが、三人の兄たちに押さえこまれてしまう。それでも目は父親をにらみつける。それを気にした様子もなく父親は酒を一口飲んだ。

 一年の半分以上を雪に覆われるこの場所では、農作物はほとんど育たず貧しい。そのため昔から若い男女を人買いに売ることは珍しいことではなかった。

 しかしザーバトは唯一の妹であるセーヴェルを売ることを許せない。

「クソッ! 取り返してやる!」

「無理だ。もう人買いは村を出た。追いつけるわけがない」

 人買いは馬車で人を乗せて運ぶ。それに人の足で追いつくのはかなり難しいうえに、今はもう太陽の姿が消えて夜になっている。人買いが出発してかなりの時間が経過していた。さらに暗い夜をひとりで移動するのは危険だ。この周辺の山々にはカミダヌキ以上に恐ろしい獣は数多い。

「うるせえ! 絶対にセーヴェルを売らせねえぞ!」

 兄たちに体を押さえられながらも暴れていると、口を布で塞がれてさらに手足を縄で縛られ、家畜小屋の隅へ放り出された。それでもしばらくなんとか縄をほどこうと格闘していたが無理だった。切るように冷たい風に体が震える。

 家畜小屋は狭く、そこへひしめくように山羊が数頭つめこまれているので、意外にそこまで寒くは無い。だが隙間風が入ってくる。

「……うう」

 ザーバトは寝ている山羊の横で声を殺して泣いた。


 ザーバトと三人の兄とは年齢の差が大きい。下の兄が十九でザーバトが十二だ。すでに兄は三人とも結婚していて一番上の兄には子供も産まれている。そのため幼いころからザーバトは兄たちにこき使われていた。貧しい村なのでこの家ももちろん貧しく、働き手にならない彼は足手まといだったからだ。

 両親や兄に労わられることのない自分の境遇に絶望していたザーバトだが、妹のセーヴェルが五才のときに産まれ、少し世界が変化した。

 この村での主な仕事は獣を狩ることだ。しかし幼いザーバトには無理なので、セーヴェルの子守りをやらされることになる。乳を飲ませるのは母親しかできないが、下の世話と泣き止ませるのは彼の仕事だ。夜泣きが続いたときはかなり大変だったが、父親や兄にどうにかしろと怒鳴られ、寒い家の外で泣くセーヴェルを抱きながら夜空や雪景色を見るのは、彼にとって嫌いな時間ではなかった。

 そうやって産まれたときから世話しているのだから、セーヴェルがザーバトになつくのは当たり前の事だった。狩りに出るようになったころにはセーヴェルも喋るようになり、舌足らずな言葉で「けものつかまえるのすごいねぇ」と褒められれば、ザーバトは思わず顔がにやけてしまう。

 家族に顧みられないのはザーバトもセーヴェルも同じだった。だからこそ二人の絆は深く太く、大霊山の溶けぬ雪のように確かなものになった。

「死んだら魂があそこに行くの?」

 セーヴェルが遥か遠く、雲を貫く白い大霊山を小さい指でさす。

「そうだ。死ぬと魂は大霊山へ行って、そこから大地へ戻るんだ。戻った魂はまた新しい人になって戻ってくる」

「わたしも? 兄ちゃんも?」

「うん」

 二人は並んで大霊山を見つめる。地面と少ない木々の枝には雪が積もり空気は冷たい。つないだ二人の手だけが温かい。

「じゃあ、死んでもまた兄ちゃんといっしょにいれるの?」

「もちろん」

 セーヴェルはザーバトの顔を見上げると笑った。


 家畜小屋のなかで目を覚ましたザーバトは、最後に見た妹の顔を思い出し、目を強く閉じると涙が一粒落ちる。

 ザーバトとセーヴェルがもう一度会えることはない。

 魂が大霊山へ行くには【雪送り】をしなくてはならなかった。人が亡くなると、その体をひと冬の間雪に埋める。そうする事で魂が大霊山へ送られるのだ。短い春と夏に亡くなれば、山へ埋めて冬を待ち、冬に亡くなれば直接雪に埋める。そして冬が終わると葬送の宴が行われた。

 この一連の儀式を【雪送り】と呼び、これをしなければ魂が大霊山から大地へ戻ることはない。売られていったセーヴェルの魂が大霊山へ送られることは無いのだ。

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