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結城恵

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+カウント・ゼロ+


 おじいさん。どうして。


 横たわった私は、おじいさんのほうを向いて、音にならない声を瞳に乗せて訴える。

「それは、お前が人を苦しませずに済むためだよ」

 おじいさんは答える。しかし、私はとてもではないが納得できない。どうして、おじいさんが。

「苦しむのは、もうわしだけでよかろう」

 瞳でなお訴えるも、おじいさんには通じない。どころか、首を横に振るだけで、もう答えてすらくれない。

「……行きなさい。お前には、自由に生きなければならないという義務がある。とても、難しい義務だがね」

 それはおじいさんがいつも私に言っていること。けれど私は、一度たりともその言葉を理解できたことはない。

「せめて儂のことは……忘れないでおくれ……」

 

 おじいさんっ!


 ごう、という重苦しい音を立てて、私の視界は暗黒に染まった。


+渡り鳥+


「はい、ご苦労さん」

 頼まれ物を届けた私を、マスターはねぎらう。そして、労いとしてではなく、報酬としてのお金を貰う。労いとしてはお酒―――否、場違いにもジョッキでミルクを頂く。

 今現在私が居るのは、本来仕事を終えた男衆のための酒場である。何ゆえに昼間から、しかも男のための酒場という場所に私が居るのかと言えば、ここ、『ブランチ』という名の酒場は、酒場としてだけでなく、食堂や依頼の仲介など様々な活動をしているからだ。さらに各地に同名で同じ活動をしている店があり、私のように依頼をこなして生計を立てている『渡り鳥』には丁度いい仕事斡旋所あっせんじょとなっている。この街にはそもそもそのような渡り鳥がいないのか、私以外で此処ここを使用している者は見ない。

 今しがた終了した依頼は、手紙の配達だった。世界の荒廃が始まってはや十と余年よねん。もはやこの地は我々の物ではない、とは誰の言葉であっただろうか。一年二年先は事足りても、この先百年二百年と経てば、間違いなく私たちはこの星から追い出されてしまうだろう。ともあれ、そんな惑星に真っ当な輸送機関など発達していようはずも無く、もっぱら自由を愛する旅人、通称『渡り鳥』――――といえば聞こえは良いが、ただの根無し草の変人ども――――が人々の食料や衣服、情報を輸送する機関として良いように利用されている。もっとも、ギブアンドテイクなのだが。

「アーちゃん、どうしたの? ちゃんとお金、入ってるはずだよ」

 マスターは私のほうを向いてそう呼ぶが、私の名前はアルトと言う。どちらかといえば無表情(私はそのつもりなどないが)で、近寄りがたい雰囲気の私をマスターは愛称で呼ぶ(当然、勝手にだ)。器が大きいのか、単に無頓着なだけか。ちなみに私は愛称で呼ばれるのは嫌いではない。表情に出ないだけで、私の心は意外にも表情豊かだ。そんな私の心を知ってか知らずか、マスターは言葉を続ける。

「そうそう、また依頼が入ったんだけど、見ていくかい?」

 そう言ってマスターは、私に依頼の書かれた台帳を渡す。几帳面な字で、事細かに依頼内容が記されている。大きくバツのついた依頼は、依頼が終了したか、期限が切れたもの。要するに、いま受けられない依頼だ。バツ印と無印の依頼は同程度よりややバツ印が多い、といったところか。カウンター席に座って台帳に目を通していき、私は時折眉をひそめる。

「……やっぱり、どうしてもね。仕方ないのさ。こういう店だから」

 自分を笑うように、困ったような顔でマスターは言う。台帳に記されているのは、真っ当な依頼ばかりとは限らない。依頼をこなした、その先を思考するのがはばかられる内容のものも決して少なくない。むしろそちらの方が主になるときさえある。

 私の受ける依頼は基本的に物質運搬だ。衣類や手紙、食料などが主。できるだけ、生活が困窮こんきゅうしていない限り危険物の運搬はしない。しかし私も生きている以上、どうしても背に腹は変えられないときもある。それでも私は、人を傷つける仕事は受けないつもりでいる。おじいさんから、そう言われていたからだ。

 ふと、一つの依頼が私の目にと留まる。『食料と肥料の運搬。報酬は数日間の寝食の保障。シユの村、村長ノテウ』。

「……長閑のどかだねぇ」

 孫を見る祖父のような視線でマスターが言う。おじいさんが私に向けていたのはこんな視線だったのだろうか。それとも―――――。

 私も同じ意見だ。殺伐とした依頼ではなく、こんな依頼ばかりなら渡り鳥だって立派な職業だというのに。どうしても口外できない内容の仕事ばかりをしている渡り鳥は減らない。こんな時世だ、仕方が無いといえば仕方が無いが、私はやはり――――――納得行かない。

 台帳を閉じて、私は立ち上がる。礼を言う代わりに、台帳を見ながら飲み干したミルクのジョッキをマスターに返した。

「受けるのかい?」

 ひらり、とマスターが依頼書を差し出す。当然だ、と私はまぶたを閉じて答えた。マスターから依頼書を奪って大型の鞄の中にくしゃりと仕舞った。

 さあ、指定の食料と肥料を買いだしに行くとしようか。

 カランカラン、と音を立ててブランチの外に出る。後ろから響く、マスターの「good luck!気をつけて」という気障きざな声がドアに挟まれて消えていった。



 街を歩き、依頼の品を物色しつつ購入する。通路には露天商が並び、私は興味は無いが、近場では見ることの出来ない装飾品や、貴金属、宝石などがキャラバンのカウンターに所狭しと並べられ、通行人、主に女性たちの目を引いていた。こちらの街の商人と思しき人物も居る。彼らは、庶民には真似出来ない物々交換と言う手段で商品を購入していた。すべからく物というものはこうして動いていくのだろうな―――――それもやはり、渡り鳥を介して―――――。そんなことを考えながら、いつの間にか手荷物は一杯になっていった。

 私が向かうシユの村、というのは典型的に過疎が進んだ村だ。ブランチの台帳によれば女子供や老人は村に住んでいるが、働き盛りの若い男たちは出稼ぎに出ているか……大半は家族を連れて村を出て行ってしまっている。確かに景観としてはマスターの言うとおり長閑なのだろうが、現実としては少ない出稼ぎで得た収入で細々と暮らしているのだ。村人の人数に対して(肥料を運搬させることから自給自足もしているのだろうが、それにしても)決して多い食料ではない。満足はいかないが、飢える事はない程度の。

 ―――――とはいえ、私のバイクに荷物は満載だ。スピードは見込めない。シユの村に着く頃には夜になってしまうだろう。宿泊を交渉するか、野宿するしかないか。そう考えて、私は進まないバイクに鞭を打って進ませる。頬をかすめる風もやわらかく、涼しくさえある。いつもより遅い、しかし快適なドライブで私は一路、シユの村に向けて進んでいった。



 そうして日が沈み、零れ落ちそうな星空の下を私は山沿いに走っていた。シユの村まであと少し。遠くに見える村から発する光は弱く、今にも暗闇に飲み込まれてしまいそうなほど儚い。私はその輝きを逃すまいとするかのように追いかける。やがて徐々に光は大きく、強く輝く。ほぼ丸一日をかけて、私はとうとうシユの村に到着した。

 閑静な村だ。その上夜なものだから私のバイクのエンジン音は相当響いたのだろう。エンジンこそ切ったものの、物珍しそうに子供たちが、迷惑そうに大人たちが村の入り口に集まってきた。

「ようこそ斯様かよう僻地へきちへ。儂はこの村の長、ノテウ・シユじゃ。ノテウで構わん」

 そう言っていかにも年長の、腰を折った男性が私に歩み寄ってきた。村長というくらいだから、依頼主と見ても間違いではなさそうだ。爆音が耳にさわったのだろう、迷惑そうに眉をひそめてノテウは続ける。

「お主がブランチがよこした渡り鳥に相違ないか?」

 うなずき、私は依頼の品をバイクから取り外してノテウに見せる。品を確認した彼は、髭をしごいて満足そうに頷いた。

「うむ、相違ない。ご苦労じゃったな。さぁ渡り鳥よ、今日はもう遅いから泊まっていくがよい。斯様な小さき村でも、外よりは幾分良かろう。皆ももう散れ。明日からの仕事に障るぞ」

 さすがに村長。その一言で大人も子供も散り散りに帰宅するのは、全員からの信用を得ているからだろう。大きな街も、このように市民全員から望まれた人間が治めれば上手くいくだろうに。それに、懐も大きい。私から言わせれば懐の大きい人間は総じて器も大きい。しかし国を治めるような人間に限って権力を誇示したがるものだ。おじいさんは、そんなことのために……。

「……ぇ、ねぇってばっ!」

 はっとして私は振り返る。しかし振り返った先には何も無かった。

「こっちだよ、もうっ」

 日差し避けのマントを引かれて初めて、声が自分の頭より下から掛かっている事に気が付いた。声の主は少女だった。やわらかそうな内巻きの髪が彼女には良く似合っている。私が誰何すいかする前に、相手の少女のほうが顔そのままの幼い声で言った。

「あたしはメイ。メイ・エイリンだよ。あたしのお家に、あなたがお泊りすることになったの。あなたのおなまえは?」

 お名前、か。困るな。私にもアルトという名前があるが、果たして通じるものなのだろうか。私は自分の名前を持参した紙に書いて、メイという少女に見せてやる。白い紙に横書きで、無機質な私の字が並ぶ。

『Alt Steinheym』

 読めただろうか。このような小さな村は、得てして識字率が低いのだが。

「アルト・シュタインハイムさん、かのう。文字なぞ久しく読んでおらぬから、自信は無いがの」

「おじいちゃんっ!」

 私の後ろから掛けられたしわがれた声に、メイは暗闇にも勝るほど顔を明るくして答える。私が振り返った先には、先程の村長がいた。なるほど、姓の違いなどこのような村では無意味なのか。親が働きに出ていれば、子供の世話は他人がせざるを得ないのだろう。同居しているようだが、不自然には思えない。

「アルトは、男の子なの、それともあたしといっしょの女の子?」

 メイは私の事が気になるのか、どんどんと質問を続けていく。性別や好きな食べ物、兄弟の有無や身長、体重にいたるまで無分別に。そのたびに私は紙に書いて、ノテウがそれを通訳する。二人の家に着くまで、奇妙な会話が続いた。


+薔薇の女+


 そして、シユの村について最初の朝。

「アルトーっ! ごはん食べたらこっちであそぼーっ!」

 明確な時間の概念も無いこの村では、朝の日差しが目覚めの合図で、星の瞬きが眠りの合図となっている。街の不規則な(といっても私はまだ健全なほうだが)生活がたたってか、メイよりも遥かに遅い時間の起床となった。わざわざ食事の時間を特別に設けてもらうのが申し訳ない。そんな私の寝起きの頭にメイの快活な声は毒となって響いた。

 食事は快適なものだった。私の持参した食料が使われているのはまた妙な感覚だったが、土のいい匂いがする食事だった。味は決して上等ではないが、素朴という言葉を一流のシェフが調理したらこのような食事になっただろうと私は思う。実は私は基本的には食物の摂取を必要としない。否、正確には必要ではあるが人間のように習慣化されているものではないということだ。それでも、ここの食事は毎日でも食べたいと、そう思えた。

 いつもより少し多めの食事をいただいて、私は畑に出る。今朝の食事の中に入っていたものもあったのだろう、食材を引き抜いた痕跡がある。そしてその痕跡を隠すかのように畑を耕し、新たな種をいていく。

「ア・ル・トーっ!」

 がばっ、と。不意にメイが私に後ろから抱きついてきた。その声には、親愛と、少しだけ怒りの成分が含まれていた。

 私が、どうしたの、と顔を向けると、拗ねたような顔で赤い頬を膨らませ、むーと唸っているメイと目が合う。

「アルト、ごはん食べたらアタシとあそぶっていったっ!」

 失念していた、というか、私はそもそも一宿一飯の恩義、ではないが、泊めてもらう為の正当な働きをしている訳であって、言うなれば報酬に対する依頼をこなしているのだ。その依頼を投げ出して別件に手を出すなど、渡り鳥としてのプライドが許さない……だが。

「アルトちゃん、遊んでらっしゃいな。ここで子供の世話をするのだって、立派なお仕事さね」

 私と共に畑仕事をしていた小母おばさんがそう言った。依頼主、もしくはそれに準ずる誰かからの推薦があれば…話は別だろう。大手を振って別件をこなしても責められはしない筈だ。

「えへへー、アルトおいでっ! こっちだよ」

 そう言いながらメイは自分の腕を私の腕に巻きつけて引っ張っていく。とてもではないが、子供が出す力とは思えない。ある意味、火事場の馬鹿力と言うものだろうか。とにかく、腕を引き千切られそうなほどの力で、メイは私を連れて森の池まで駆けていった。



 メイに連れてこられた池。そこには先客がいた。かちりかちりと、シンプルな形の洒落たジッポで、青い炎をタバコに移している。

「やぁ、こんにちは。この先の村の人かい?」

 紫煙をまとった、妙齢の女。指には互い違いにリングが光る。金色の長髪を、子供っぽくアップで束ねているのが、なぜかよく似合う。

「おばさんは、このお池で何をしてるの?」

 メイがその女に問う。擁護ようごするわけではないが、彼女は決して小母さんと呼ばれるような年齢には見えない。念のため。しかし女は、年齢や外見など瑣末さまつな問題、とでも言うように、自信過剰に(私にはそう見えた)受け入れ、答える。

「いやあね、ちょっとそこの村に用事があったんだけど、あんまりこの池が綺麗だったから寄ってみたのさ」

 乱暴な、男口調とも取れるしゃべりで、女は喋る。ちょっとそこまで、という距離に別の村や町は無かったはずだが、と私が思考していると、そんなことお構いなしにメイが騒ぎ立てる。お陰で何を考えていたか忘れてしまった。

「そうなの! アタシもこのお池、とーってもだいすきっ! おひさまがぴかぴか光って、まるでホーセキみたいにきれいなのよねっ!」

 宝石みたいな笑顔で、メイはそう言う。確かに、森の中心に大きく開いた穴のように存在するこの池は、木々の緑に遮られることの無い太陽の光が直接注がれ、鏡とまでは行かなくとも、長閑な村の水源にふさわしい清廉な水は、その光のエネルギーをまるで私たちにプレゼントするかのように水面にちりばめていた。

 ホーセキなの、ぴかぴかなの、と騒ぎ立てるメイを、女はあしらう事もせず、むしろ一緒になって水遊びに興じている。

「おねーちゃんは、なんていうおなまえなの? アタシはメイで、あっちのちっちゃいのがアルト」

 真っ直ぐ立てば、私からは全身が見えないという人間に小さいと言われるのは複雑な気分だった。さらに、気がつけば女の称号が小母さんからお姉ちゃんに変わっていたことも、加えて私の心を乱さずにはいられない。一緒に遊ぶうちに、感覚的に若さを悟ったのだろうか。ともあれ、水遊びを止め、その女が自己紹介を始める。

「あたしはロゼ。ロゼッタ・エギーユっていう名前なんだけど、ロゼって呼んで欲しいな」

 その女ロゼは、先ほどまでと変わらない、男のような口調で言った。

「どうして?」

「ロゼ、っていうのは薔薇の花、からもじってるんだよ。『薔薇の女』っていうと、なんだか格好いいだろう?」

 メイの質問に、ロゼはそう答えた。

 気に食わないな。あんな、いかにも「お高くとまってます」という感じの花の何がいいのか。むしろこの女――――――ロゼッタと呼ぼう。ロゼ、とは呼ぶ気にならない――――――には向日葵ひまわりみたいな爽やかな美しさのほうが似合っている。ちなみにメイを花に喩えるならば蒲公英たんぽぽだ。柔らかそうな髪と、綿毛がよく似ているような気がするから。

「かっこいいっ、バラのおねーちゃんだねっ!」

 私の感性を疑うべきか、似合わない、と感じたのを気にする素振りもなくメイは通称を受け入れる。一方のロゼッタと言えば、そう呼ばれることを望んでいただけあって、美人なのに子供のような不思議な笑顔をさらに緩ませた。

「はっ、あたしも可愛くなったもんだねえ」

 皮肉るように、しかし内実は全面的に肯定、という言葉をロゼッタは返す。会話の途中でうるさそうに長髪を掻き揚げる仕草が堂に入っていた。

「……ところで、そっちのお嬢ちゃん?」

 ぱしゃぱしゃと、池の浅瀬から上がってきたロゼッタは、私に近づいてくる。きっとお嬢ちゃん、とは私のことなのだろう。いつもはお兄さん、とか少年、とか呼ばれるから認識に齟齬そごが生まれ、間が抜けたことにあたりを数回見まわしてしまった。

「アンタだよ、嬢ちゃん、だろ? 乳があるくせに男だなんて言わせないよ?」

 乳……ねぇ。言われて見下ろした私の視線は、悲しいかな、遮られること無く地面に到達した。まあ、邪魔になるから無いほうが良いけれど。私はそういう仕事をしてるわけではないから。

「はは、アタシのこれ、分けてやれりゃあいいのになぁ」

 そう笑って、ロゼッタは自分の胸を指す。なるほど、言うだけあって動きづらそうだ。リングを沢山つけて、整った顔をしていても、この女はからだが必要な無粋な仕事はすまい。初見から一刻と経っていないが、それだけは確信を持てる。というより、より高次の――――

「わーい、おねーちゃんのおっぱい、ふかふかだーっ!」

「こぉらメイ、くすぐったいだろ」

 やはり私の思考はメイには―――というか二人には通じない。まあ言葉に出ないからではあるが。状況を説明すれば、私が思考している最中にメイがロゼッタの胸に突っ込んでいった、ということだ。ロゼッタは身をよじるがかわそうとする様子は無い。対するメイは、物凄く気持ちよさそうにロゼッタの胸に顔を埋めている。そういう意味では、無いよりあるほうが良いのだろうか。

「んぁあ、心配すんなって。そういうのが好きなやつも沢山居るよ」

 ロゼッタは私の(特に胸元)あたりを見て言う。いや、私は気にしているわけでは無いのだけれど。気遣ってくれるならわざわざ否定することも無いか、と私は瞬きを返した。

 私の瞬きを弾き返すように、不意に真面目な顔でロゼッタは天を仰ぐ。

「おっと、長居しすぎたな。こんなところで油を売ってる場合じゃない」

 私の体内時計で、約半刻。時間としてはそう経っていないはずだが、彼女には何か目的があってのことだろう。そういえばさっき村がどうとか……。

「なあ嬢ちゃん、シユの村、ってどこにあるんだい?」

 かちかちと手の中でジッポを弄びながら、ロゼッタは私に向かってそう言った。


+砂の悪魔+


 ロゼッタ、メイ、そして私の三人はシユの村へと帰ってきた。正確には、ロゼッタは『帰ってきた』のではなく『やって来た』のだが。

「ただいまっ、おねえちゃんもう一人連れてきたよっ!」

 にわかに、村が騒ぎ出す。私の時のようにぞろぞろと寄って来るようなことは無いものの、五人、六人と駈け寄ってくる。

――誰だ誰だ

――何しに来たのかしら

――余所よそ者だ

 そこかしこからそんな声が聞こえてくる。私みたいに事前に予定があって来たのではなく突然の来訪だ。無理もない。表に出ず、家の陰などからも話し声が聞こえる。

「どうなされました。この村のような僻地にそうそう用事があるとは思えんのじゃが」 

 数人を道の端に追いやって、村の奥からノテウが歩いてきた。私のときとは違い、明らかな敵意が見え隠れしている。曲がった背中や、深いしわにも凄みが滲んでいた。そのノテウを前にロゼッタは、嘆息ついでに紫煙を吐き出し、髪を掻き揚げ、悪びれもせずにこう言った。


「あたしはあんたたちのお宝をいただきにきたのさ」


 ロゼッタの言葉に、当然ながらも場は凍りつく。次いでざわめき出し、そのざわめきは徐々に小さい村全体へと伝播でんぱしていく。

「まさか、お前はあの悪魔どもと同種だと言うのかっ!」

 はっとしてノテウは叫ぶ。彼の皺は更に深くなり、眉がつり上がる。もう敵意を隠す気はないように見えた。

「そうだよ。だからあたしは、正確にはあたしたちの仲間を返してもらいに来たのさ」

莫迦ばかなッ? いったいアレは何年前の代物だと……!」

「確信した。アイツは、ここに居るんだな!」

 ロゼッタの顔に光が射す。それは動物のような、獰猛どうもうな笑み。

 私には解らないやり取りをロゼッタとノテウは続ける。二人の言葉から考察すれば、『仲間』と呼ばれる何か貴重なものをシユの村が保管しており、それをロゼッタが取り返しに来たのだろう。『悪魔』という単語フレーズから推察するに、きっとロゼッタも人間ではない。

「安心しな。心優しいあたしだ。今すぐに、とは言わない。だが……ッ!」

「ッ……!」

 声にならない声を私とロゼッタに挟まれたメイがあげる。

 ロゼッタと私の隣でおろおろしていた彼女を、ロゼッタは小脇でひょい、と抱え、数十メートルはあろうかという山肌の足場まで。それも私でさえ反応できないほどの早業で。

「……メイッ!」

 悲鳴とも取れるノテウの叫び。親代わりをしていた身だ。当然だろう。しかし、私のすぐ隣で人攫ひとさらいを行うなんて。なんてこと。油断していたなんて言い訳にもならない。完全に私の過失だ。追いかけようと、足に力を込めようとすると、

「お嬢ちゃん! やめときな。メイの生首なんて、あたしは見たくないよッ!」

 私はとどまらざるを得なくなった。先ほどの跳躍を見ていれば、『生首』という単語に現実味が生まれることだろう。私は勿論もちろん、ノテウも、村人の誰しも動くことが出来ない。

「山沿いの洞窟で待つ。だが待って二日だ。一秒たりともその時間を越してみろ、このこ娘どころか、村人全員をバラバラにしてやるからな」

 くわえたタバコの紫煙に溶けるように、ロゼッタはその姿を消した。



 夕刻。あれから村人たちは日課の仕事も手につかず、ただ呆然と立ちすくんでいた。呆けた様な顔で、ふらふらとそれぞれが家路に着いたのが先刻。現在は村の重役たちがノテウ家に集い、これからの方針を談議している。

「精巧な偽物を用意するか」

「莫迦な、そもそも偽物など作れるものか」

「ならばいっそ犠牲を出すしか……」

巫山戯ふざけるでないッ! あの娘とて我らが村の宝であろう!」

「しかしだな……アレを彼奴きゃつらめに渡すわけには…」

 話し合い始めてからずっと同じ調子が続く。私の宿泊場所がここである以上、逃げるわけにも行かず、聴覚を遮断することも出来ない。もしかしたら出来るかもしれないけれど。

「ならば……」

「うむ…妥当だろう。それ以外にあるまい」

「元よりそのつもりだったのだろう?」

「犠牲になる人間は、少ないに越したことは無い。村人でなければ尚良い」

「そうだろう。最早もはやそれしかあるまいて」

 話し合いに決着がついたのだろう。重役たちが私のほうを向く。

 なんとなく、村についてから少しずつ感づいてはいたものの……私の仕事は、畑仕事と子供の遊び相手でよかったのに……。


 ―――――全く。何時振りだろう、争いごとなんて。けれど―――――


「メイを、儂らを……救ってはくれぬか。『渡り鳥』」


 こと他人を救うということに関しては、私の腰は軽かった。



 次の日の朝。ノテウほか重役たちから事のあらましの説明を受けた。


 事の発端は九十年程昔の話だった。その頃から『渡り鳥』稼業はあり、ある渡り鳥がこの村に来るなりこう言ったそうだ。

――誰にも分からないところに隠して、誰にも分からないように、誰か一人でずっとコレを隠し続けてくれ

 依頼を受けるのではなく、、という非常に稀有けうな例だ。当時も今も、稼業の内容は変化していない。ともあれ、その渡り鳥が残していった物を代々一人だけ、村長の家系にあたるものが保管・管理し、隠匿いんとくし続けていた。隠し始めてからと、見つかるまでの間の過去に、一度だけそれを目標として怪物が襲ってきたことがあったそうだ。その怪物は全身砂で出来た巨大な人型をしており、村人の総攻撃に遭ったそれは、単体だったこともあり、畑や家に少々の損害を与えただけで目的の物を獲得することなくただの砂に成り果てたと言う。その村の宝、というにはいわくが拭えない、誰にも知られてはいけないというそれは、九十年という時間の間に宗教的な概念存在と化していた。『長の証』と言う名目の殻を被ったそれは、村人の誰にも疑われること無く今日、まさについ先日まで隠され続けてきたのだ。

「しかし本当だろうか。あの女が『砂の悪魔』と同種などと」

 重役の一人が言う。確かに話を聞く限りでは、過去に襲ってきた怪物は全身砂の化物で、倒せばただの砂になったそうだ。そもそもメイが「ふかふか」と形容していたし。

「儂にも信じられんよ。しかし見たろう、あの跳躍だ。我等ヒトとは一線を画しているモノなのは間違いあるまい」

 ノテウが答える。その通り。その『砂の悪魔』はともかくとして、ロゼッタがヒトで無いのは拭えない事実だ。

「ブランチから聞いておるよ。お主もヒトでは無いのであろう?」

 不意にそういってノテウは私に視線をよこす。正確にはヒトでないこともないが、大筋では間違いなく人外だ。ロゼッタが人外なのも、その私が保証する。

 やはり、裏の仕事があったか。ブランチの台帳には、台帳に記載されている真っ当な依頼、同様に真っ当で無い依頼。そしてその他に『台帳に記載されない』第三の依頼がある。いわゆる『隠し依頼』だ。そういった依頼には私が良く借り出される。私は出来るだけそういう仕事はしたくないのだが、全く、マスターの誘導には舌を巻く。

「わかって……くれるな?」

 ノテウが念を押すように私に聞く。その声には鬼気迫るものがあった。

 私はふと、おじいさんを思い返す。分かるわけが無い。納得なんか出来よう筈も無い。けれどそれは、私に負担を与えまいとする言葉だった。しかしこの言葉は違う。音の中に含まれる成分が私に承服を求めている。あまり――――聞きたくない音だった。


 しかし私は、黙って彼らに頷いた。彼らの満足そうな瞳の裏には、メイと村のことだけしか映っていないのだという事だけは分かった。




+silhouette arm+


 翌朝。体内時計を修正した私は、ほとんど日の出と同時に起床した。しかしノテウほか重役たちの面々は、その私よりも早く起床していた。朝に集合と決めていたノテウ宅に、全員が神妙な面持ちで鎮座している。

「食事は?」

 端的に、重役の一人が聞く。「ご馳走してあげる」というニュアンスではない。私は結構だ、という意で首を横に振る。「そうか」と彼は言い、私から視線を背けた。うつむいて影が差した顔は、暗い。

「口が……利けんのだな」

 私は瞬く。いままで聞かれなかったから答える必要もなかったが、私は言葉を喋る事が出来ない。――――おじいさんが、そうしたからだ。不便ではあるが、生活が出来ないわけではない。現にこうして私は立っている。

「よもや説得などという甘いことを考えておった訳ではなかろうな、ノテウ」

 食事の話をしてきた彼とは別の一人がノテウに問うた。「莫迦らしい」とこれはまた別の人間の言葉。

「事が穏便に済めばいい、無益な殺生は誰もが望まぬところ。しかし……儂らにも優先順位があるのじゃな」

 一日とはいえ私を家に置いた身だ。親近感が湧いたのだろう、ノテウは他の重役らと違い私に気を使ってくれているように思う。

「当然だ、論議する価値など毛程も無い。第一、メイとアレの安全が儂らの最優先事項であろう」

 ノテウ以外の村の重役らは総じてこのような意見だ。私に気を使う気など一欠片かけらたりとも感じられない。―――あの女も、渡り鳥風情も、どうなろうと知ったことか―――言わずとも、私でなくとも、彼らの意思は安易に読み取れた。けれど私は、どちらにしたところで、メイを助けに行こうと思う。


 あの娘とは一緒に遊んだ。こんなオトナたちとは違って、素直に私を受け入れてくれた。

 

 あの女とも一緒に遊んだ。こんなニンゲンたちよりずっと、深い考えを持っている、と私には思えた――――だから。


 だから私は、論議だとか道徳だとか村人のためだとか、いつまでも終わりそうも無い話し合いから逃げるようにノテウ宅を出て行った。一人、ノテウだけが目で見送ってくれた気がした。



 村の前に止めてあったバイクのエンジンをかける。どるるるるる!と爆音を上げてエンジンの中でガソリンが爆発し、排気ガスを撒き散らしていく。ブレーキを掛けたまま、何度かアクセルを開けてエンジンを温める。リズム良く騒音の音程が変わり、次第に回転数が安定してくる。―――行ける―――私はそう思い、バイクのスタンドを蹴った。動き始めたバイクと一体になって、私は加速していく。来たときの倍はあろうかというスピードで、ロゼッタが宣言した洞窟へと駆けて行った。

 洞窟の中は、当然ながら薄暗かった。足場は安定しているからバイクでも進入が出来た。バイクのライトが届かないから、奥行きも、高さも分からない。エンジン音が未開の領域に反射して、まるでケモノの咆哮ほうこうのような音となる。

 足場が悪くなってきたので、見失わないように光が当たる場所にバイクを止めて、私はさらに洞窟の奥へと歩を進めた。

 

 どのくらい歩いたか。時間にして三十、四十分は経っていないか、という程度。なかなかに奥が深い。このまま洞窟に飲み込まれそうな錯覚さえ覚える。バイクに積んであった懐中電灯の光が、心許こころもとなく洞窟の先を照らしている。

 それからさらに三十分。水の滴る音と、聞き覚えのある、かちかちという金属音。明らかに自分のものではない、懐中電灯の光が私の目を襲い、一瞬何も見えなくなった。


「よう、アルト。早起きだな」

 

 その私に、悪びれた風も無く、普通に話しかけるように、ロゼッタは声を掛けた。私が向けた懐中電灯の、わずかな光に照らされた彼女は、あの森で出会ったときとなんら変わっていないように見えた。

「……村の奴らはどうした」

 声の高さを落としてロゼッタは問う。私は首を振った。

「そうか。自分の身を挺してこの娘を救う、ってんなら、まだアイツらにも救いがあったんだがな」

 そう言ってロゼッタは、懐中電灯で背後に立っていたメイを射す。胸元には見覚えの無いペンダント。その顔は暗く、目も空ろだった。ともすれば、泣いているようにも見える。

「アルト、退く気は無いか?」

 ロゼッタは懐中電灯を消し、私に悲しそうな声で言う。私に恨みがあるわけではないから、争うことなどしたくないのだろう。私だってそうだ。けれど私は、首を振ってその提案を退けた。私が救うと選んだのは、村の方だから。

「……そう、か」

 ロゼッタは肩を落とした。しかしすぐに体勢を立て直し、声に力を込めてこう続けた。

「あたしたちにも、譲れないものがあるんだ。喩え……どんな手を使っても――――っ!」

 言うと同時に、彼女は私に腕をむけ、その手で青い炎の出るジッポを点けた。私はロゼッタから何かが放たれる―――とそう思い、その何かを躱すために彼女から軸をずらした。しかし、

「アルト、避けてっ!」

 泣きそうな声でメイが叫んだ直後、私の腕には短剣が突きたてられていた。同時に私の腕から懐中電灯が開放され、光の筋が洞窟の内部をのたうち回った後、洞窟内は暗闇に閉ざされた。その直前に見た、ナイフの柄を握る手は小さく丸く―――叫んだ当の本人のものだった。

 だらだらとこぼれる血の感触を左腕の肌で感じ、私は悟る。ロゼッタはメイを操っているのだ。

 なるほど、考えたものだ。人質を取れば相手に武力で圧力をかけることは難しい。ならば、自分は安全なところで、人質本人を武力にしてしまえばいい。操ってしまえば人質には攻撃されない、かつこちらからは攻撃が出来る、という状態が出来上がるのだ。まさにその通り、私はメイに傷を負わせるわけにはいかない。依頼としても……個人的にもだ。

 その思考の合間にも、薄暗い洞窟の中、操られたメイは襲い掛かってくる。意識が残っていると言うのも残酷なもので、泣きながら、目を背けながら私に刃を向けなければならなかった。私も腰に装備してあったナイフで応戦する。しかし極端に小さい体躯たいくから繰り出される刃は、私の対応できる範囲を逸脱いつだつしている。そもそも、傷つけまいとするあまり、思い切って腕を振れない。

 洞窟の中は、薄く青く照らされている。ロゼッタがジッポの炎を点けたままだからだ。私は考える。メイは操られている―――誰からだ? ロゼッタがメイを操っている筈だ―――どうやって? 操っている、ということは、二人の間には何かしらの繋がりが必ず存在している。ということはつまり、その繋がりを断ち切ってやれば当然メイは開放されるはずだ。この場合は、きっと――――。

 私は刃を繰り出す振りをして、持っていたナイフを目標に向かって投擲とうてきする。狙うのは、あの青い炎のジッポ。青い炎と、メイの首に掛けられたペンダントは何らかの形で対応していて、恐らくその所為せいでメイは操られている。メイの方を狙うわけには行かない。だから。

 ひょう、と高く小さな音を上げて、私のナイフが飛んでいく。真っ直ぐ、ロゼッタの腕の先端へと。

 きいん、と金属同士がぶつかる音を立てて、投げたナイフとジッポが弾けた。

「ちぃっ!」

 ロゼッタの舌打ちが洞窟に木霊こだます。青い炎が消え、唯一の光源を失った洞窟は、再び暗黒に包まれた。今のうちに、メイをこちらに連れ帰して、ペンダントを外そう。そう思った私は、メイがいたであろう方向へと駆け寄る。が、

 しゅ、と細く空気を裂く音。その音とともに私の右頬を冷たいような、熱いような感覚が通り抜けた。少し遅れて熱い物が頬を流れていく―――熱い。

「おねえちゃんよけてっ!」

 震えるメイの声で私は我に帰って身を跳ねける。瞬間、文字通り私の眼前を、銀の刃が一文字に通り抜けた。


 そして再び青い炎が点り、洞窟が薄く照らされる。ロゼッタは私の出方をうかがい、私は先ほどの出来事を整理している。見事に膠着こうちゃく状態が出来上がっている。


「全く、一瞬ひやっとしたよ」

 再び点った青い炎を煙草に移し、紫煙をくゆらせながら私に言った。ジッポを持っていない方の手を私に掲げてみせる。

「正解はこっち。この指輪から伸びる極細の超繊維鋼ワイヤー『ピアニッシモ』でメイを操っていたのさ」

 薄暗いとはいえ、目を凝らしても捉えられるかどうか。ゆらゆら揺らす手にめられた指輪からは、幾条もの極細の光の筋が伸びていた。

「一応言っとくけど、ピアニッシモを切断しようとしても無駄だからね。このワイヤーは極細ゆえ、下手な力を加えれば操られる対象はばっらばらのミンチになっちまう。『鍵』であるあたしだからよかったものの、さっきはそういう意味でもひやひやしたね」

 言って、く、と指先を軽く曲げる。つんのめる様にメイがよたつき、ゆっくりこちらに向かって歩く。そして私の眼前で、涙でぐしゃぐしゃになった顔でナイフを構えた。

「ひっく……おねえちゃ……っく……ごめん…ぁさい」

 ぼろぼろ、ぼろぼろと、勿体無いくらいの涙を零し、メイは私に謝り続ける。


 いいんだ。大丈夫。メイは悪くない。悪いのは――――こんな世の中を作り出した一部の大人たちだ。


「さぁ嬢ちゃん。選ばせてやる。『死にたい』か、『殺したい』か……な」

 ロゼッタはそう言って、再びかすかに指を動かす。メイの手が、私の血で濡れたナイフを握りなおした。

 どうしてこの娘まで巻き込まれなければいけないのか。本当に悪いのは、メイでもロゼッタでも私でもノテウでも無い。手段を問わないという概念を生み出した昔の大人達なのに。




++++


 ねえ、おじいさん。どうして私は喋ってはいけないの?


――それはの、言葉は一番ヒトを傷つけるからじゃよ。


 どうして一番なの? 一番は悪いヒトが作った武器じゃないの?


――いいかい、アルト。武器は精々百人単位でしか殺すことは出来ん。じゃが言葉と言うのは軍を動かし、動いた軍は国をも殺す。覚えておきなさい、一番ヒトを殺す武器は、ニンゲンの言葉なんじゃよ。


 だから私は喋れないの?


――そうじゃよ。悲しいのは、殺されることも勿論悲しいが、ヒトを殺してしまったというのが一番悲しいことじゃと、儂は思っておるからの。万に一つでも、お前に人を苦しませるようなことはさせるまい、と思っておるのじゃ。


 ヒトを傷つけない、ヒトを救うための『言葉』は、どうやって喋ればいいの?


――なぁに、簡単な事じゃ。本当にその人を救いたいと思ったとき、自然に頭の中に浮かんでくるようになっとる。ただ本当なら、そんな言葉を喋る必要の無い世の中ならさぞかし良かったじゃろうが。


 だったら私は――――――。


――そうか、それは本当に良い事じゃ。何故なら儂は、そのためにお前を生み出したのじゃからな。


++++


 だから私は、彼らを救うことが出来るはずだ。そのための力が私にはある。おじいさんはそのために私を創ってくれた筈だから。

 あのときの言葉を思い出せ。


 だったら………だったら私は、誰かを救うために喋る。……いや、誰かを救うために、生きるんだっ!


変換術式アルターコード……カンダ・ロエストロラ・アマントス……承認完了。アクセラレータ、待機状態、確認。シルエットアーム、起動準備)


「嬢ちゃんは口が利ねぇんだよな。面倒だな……自分が殺されたかったら右、メイが殺されても構わないなら左の眼だけ瞑りな」

 ロゼッタはそう言った。しかし私は、顔を上げない。

「……ぶ」

「あ?」

 顔を上げない私に、明らかな苛立いらだちを見せて、ロゼッタが疑問符をぶつけてくる。だけれど私は、顔を上げようとはしない。

「………大丈夫、だよ。メイ」

「おねえ……ちゃん?」

 ロゼッタでも、メイのものでも無い声が、初めて洞窟の中に響く。彼女らの耳の奥にも、きっと初めてだろう。

 その音を、私は発する。救うための。言葉という名の、救いを。


「お姉ちゃんが、全部まとめて救ってあげるからっ!」


 ロゼッタの答えに、私は両目を見開いて答えてやった。

「なんだい、喋れたのかい、嬢ちゃん。それならこんな面倒なことしなくて済んだのに」 

 そう言ってロゼッタはメイの腕を振り上げさせる。

「喋れないならあたしの情報が流れることは無いと思ったんだけど……状況が変わったな……死ねよッ!」

 言うが早いか、ぶん、という轟音とともにメイとロゼッタの腕が同時に振り下ろされた。メイの腕は私の目前。だが―――――、

「躱すッ! 『アクセラレータ』ッ!」

 私は体に内蔵されている加速装置を起動した。メイの振りかざしたナイフが、まさに私に触れようとしたその瞬間、その動きは止まる。否、正確には極限まで遅くなる、だ。反応速度と、それに応じた運動能力が瞬間的に上昇する、義体―――シルエットアームの能力の一つだ。私はその停止したにも等しい時間の中を駆け抜ける。目指すは、振り下ろされた、もう一つの腕。

 メイとほぼ同時に振り下ろされたロゼッタの腕は、私の認識する時間の中、地面すれすれでその動きを止めていた。もうそろそろアクセラレータのリミットが来る。メイを救うためには――――一つ賭けに勝つしかないようだ。私はロゼッタの手首を狙い、左腕を振り上げる。同時にアクセラレータが切れた。

「なっ、早…!」

「遅いッ! 左腕武装開放レフトアームオープンッ! 断ち切れ、『エクイテス』ッ!」

 ロゼッタが私に気付いたときにはもう遅い。ロゼッタからしてみれば、仕留めたと思った瞬間私が隣に現れたのだ。不意はけたはずだ。私の左手首から先は、反転して、手の代わりに刃が手首から伸びていた。その名は『エクイテス』。剣の守護獣の名を冠している刃だ。その刃で、メイを操るロゼッタの手を切断すれば、メイは開放される。ロゼッタは腕の一本や二本切断されたところで再生するだろうし、腕を振り下ろしているから、下手な振動は加わらず、メイも無事に助けられるはずだ。とはいえ、賭けには違いない。負ける気など毛頭無いが。

 ぎいんっ、と音がして、エクイテスが洞窟の地面に達した。悲鳴も上げず、「くっ」と言っただけでロゼッタは狼狽うろたえもしていない。実際出血もしていないからそう痛手でもないのかもしれない。どちらかと言うと、人質を取り返されて、不利になったこの状況が口惜しい、と言うような響きだ。

 さらに私は、返す斬撃を一歩踏み出し、反対側の手も頂く。火がついたままのジッポが、手首ごと洞窟の地面に転がる。人間が相手でなくて良かった―――とは思いたくない。切断した両の手が、ざらざらと砂になって砕けた。

 両腕を手首から先なくしたロゼッタは、それでも躊躇することなく、まるでそれが擦り傷か何かのように何事もなく私の方へと襲い掛かってくる。人質が使えないと分かった以上、標的が私へと変わるのは当然だろう。しかしこのままではいつメイに被害が及ぶか。――――文字通り次の手を使うか。

 強烈な脚力から、想像される以上の蹴撃が私に襲い掛かってきている。その合間を縫い、右足、左足と蹴撃を繰り出して僅かに体勢の崩れた脇腹を狙う。

「そこだッ! 右腕武装開放ライトアームオープン! 吹き飛べ、『カリュシオン』ッ!」

 相手の脇腹へ向けて真っ直ぐ。私の打撃が狙い通りの場所へ直撃する。聖女の名を冠した私の右腕は、肘から先が切り離され、メイがいる方とは逆方向にロゼッタの体を吹っ飛ばす。ロゼッタは壁面に打ち付けられ、そのまま体がくずおれた。

 切り離された私の腕にはワイヤーが付いており、高速で引き戻して再び接続する。左腕も今のうちに常態に戻しておいた。

 ロゼッタに近づいていくと、自分の体を眺めるように俯き、自嘲気味に彼女は言った。

「は、シユの村の連中もご大層なこったな。あたし一人に対してヴィクトール型の義体一匹たぁ、割に合わねぇ仕事なんじゃないのかい、アルト?」

 私は答えない。確かに彼女の言うとおり、私には小さな国を一つ制圧することくらい出来る能力を有している。いや、元よりそのために私は生まれたのだから。けれど彼女も、それに準ずる力を備えている。数度切り結んだ私だから分かる。

「あたしを消すかい?」

 再び、台詞に疑問符をのせてロゼッタが私に問う。こんどははっきりと、首を横に振って答えた。

「やっぱり、甘ちゃんだね、お嬢ちゃん!」

 そう言ってロゼッタは、私の首を、手を使って締めてきた。

「ぐ、がっ!?」

 確かに両方とも、切断したはずなのに。現にああして、メイは開放されていると言うのに。それでも確かに、ぎりりと私の首をし折らんばかりに締め付けてくる。逆の手を見れば、それは洞窟の地面の色をしていた。

「おま…え、ディザ……ド、だ、な」

 締め付けられて狭まった声帯から、僅かながら声を発する。『ディザード』とは砂の魔物。荒廃していく世界の中で、生きた土から創られたニンゲンとは違い、枯れた土から創られたのが彼女らだ。その発端は、近年とも、数百年前とも言われており、定かではない。ともあれ、徐々に荒廃していく世界において、寵愛を受けているのはどちらかと考えれば―――――人類に勝ち目は無い。

「ご名答。村の連中から色々聞いたんだろうが、気付くのが遅かったようだね。私がここを選んだのにも合点がいくだろう?」

 そう。彼女らは通常の人類より遥かに現在の世界に愛されている。土から創られた、という概念が身体にも色濃く現れている。構造自体は人間と全く同じ。ただし材質、強度、出力は場合に応じて可変する。人間に酷似している為、人間社会で生きるカモフラージュのために人間と同程度の能力にすることも出来るし、とっさに皮膚の強度を鋼のように変えることも出来る。彼女らの亜種であるノテウらが話していた『砂の悪魔』はそのような能力はなく、ただ、怪力と再生能力をもつ怪物と化している。 

 ――――これらの知識は全て、おじいさんから教えてもらったものだ。いつか役に立つから、と。

「この世界から選ばれたあたしたちは、大地の恩恵を、文字通りその体に受けることが出来る。全く。気付くのが遅くて助かったよ」

 私の首を絞める力が、さらに上昇していく。私の体もかなり丈夫に出来ているが、どこまで耐えられるものか。岩色だったロゼッタの手が、肌と同じ色に染まっていく。


(このまま私は殺されてしまうのか? 目的も分からない相手の口封じのために? 莫迦らしい。全くもって莫迦らしい。)

(第一私が死んだらどうなる。私を慕ってくれたメイは? 私を創ったおじいさんには何の意味がある?)

(ここで私が死ぬことは正しい選択か? それは正しい道順なのか?)

 

 ぎりぎりと万力のようにじわじわと私の首が絞まっていく。もしかしたら首が潰れるのも時間の問題かもしれない。


(――――だったら、私はどうしたい?)

(圧倒的な力に対抗するすべはあるのか?)

(否、あるのか、ではない。必ずあるはずだ。おじいさんが言っていた。自分を信じて――――そう、強くッ!)


「…ぁああああああああッ!」

 私は脳内で、体中の出力のゲインをリミットぎりぎりまで上昇させ、ロゼッタの腕を強引に引き剥がす。

「っ、まだ……どこにそんな力があるんだよッ!」

 引き剥がされまいと、ロゼッタはさらに強く、力を込める。しかしまだ完全には融合しきれていないのだろう、思うように力が入らないように見える。―――――逆転するなら、今しかない。

「うわあぁぁぁぁぁッ!」

 一瞬だけリミッターを外し、全身で全霊の力を込め、ロゼッタの拘束から脱出した。が、ロゼッタは心底面白い、と言うように肩を揺らしている。

「……ふ、ふふふふ。やるじゃない、お嬢ちゃん。だけどね。甘ちゃんのアンタに、果たしてあたしが止められるかなッ!?」

 肉食獣も逃げ出そうかという飢えた笑みで、ロゼッタは私に突進してくる。得物はなくとも、彼女の腕力なら充分を超越して凶器といえるだろう。だけど私だってここで退くわけには行かない。

「しぃぃッ!」

 上段から美しい弧を描いて蹴撃が襲い掛かる。私はそれをしゃがんで躱し、立ち上がると同時にあごめがけてアッパーを繰り出す。しかしその行動は予測され、てのひらで私の拳が捉えられる。そのまま掴まれ、投げ飛ばされた。受身を付いて着地し、ロゼッタと間合いを取る。一瞬遅れていたら私の頭は粉砕されていただろう。私の頭があったであろう地面には、ロゼッタの足が突き立っていた。

「肉弾戦も出来るのかい。流石にヴィクトールか。さっきみたいな暗器シルエットアームばかりかと思ったけど」

 地面にめり込んだ足を乱暴に引き抜きながらロゼッタは言う。そのヴィクトールと言うのは分からないが、ロゼッタと渡り合えるほどには私も人間を超越している。そもそも暗器は相手の不意を衝くか、素手では出来ない行動を起こすときのみしか使わない。まして格下の相手ならばともかく、銃弾より早い拳速の相手に対しては、大振りの武器は不利にしかならない。

「さて、どうする。あたしはまだ止まらないぜ?」

 そう、まだロゼッタは動いている。私はロゼッタを止めなければならないのに――――。


 いや、違う。

 止めるとはどういうことだ? 武力で制圧することか? 倒し、殺すことか? 

 否だ。それは違うと、私の中で誰かが叫んでいる。

 

 じゃあ何だ。私がすべき事は。

 

 私はメイを、メイの村を、家族を守りたい。ディザードの恐怖から救ってやりたい。

 けれどどうだ。それならロゼッタは? ただ使命のための行動を、私に止める権利があるのか? 彼女が働いているのは果たして本当に悪事なのか?

 ――――彼女も、もしかしたら救えるんじゃないのか?


「どうした、来ないならこっちから行くぜ?」

 思案にふける私を、ロゼッタは挑発する。だけど私は乗せられない。乗せられてはいけない。折角、もう少しで分かりそうなんだ。


 彼女を救うにはどうしたらいい? 彼女は止まらないと言う。何故なら彼女はそのために動いているのだから。

 彼女の目的は悪だ。けれどそれは一部の客観でしかない。百人が良しとする事も、千人が悪しとすればそれは悪事になり得る。

 彼女を救うためには、彼女をここで止めなければいけない。悪事の歯車の中に居る以上、救う手立ては、歯車を止めるほか無いからだ。


 そう――――つまり私がすべき事は。


「私は……」

 私は言う。高らかに、宣言してやろう。

「私は、貴女を」

 必ず。だから。

「救うために、倒すッ!」


 叫び、同時に私は第三の武器を起動する。

第三武装サードアーム開放オープンッ!」

 命令コマンドと同時に、私の体が光を帯びる。それは、高エネルギーを持った粒子、いわゆるプラズマである。私の第三の武器は、内蔵したエネルギー変換装置を用いて、体内に蓄積してあるエネルギーをプラズマに変え、体にまとって全身を武器にするという能力そのものだ。ちなみに技名は無い。

「はぁぁぁッ!」

 右腕でストレートを打つ。ただの打撃でも、通常の数倍の威力になる。続けて、左、再び右、蹴り、と連続で攻撃を叩き込む。さらにアクセラレータを起動し、限界まで打ち込み続ける。そして限界寸前、残りのエネルギーを全て右足に収束させ、プラズマの渦を作る。ドリルのような蹴撃が生み出す威力は、私の有する能力の中で最高値を誇る。その名も、『バーストエッジ』。第三武装開放サードアームオープンからの連続攻撃、さらにアクセラレータを起動しての連続攻撃からのバーストエッジ、これこそが私が誇る、単体決戦用の最強の奥義だ。さながら回転式の自動銃のような連続攻撃から、こう呼ばれる。


「『ガトリング・バーストエッジ』ッ!」


 ガードこそしていたものの、私の最大の攻撃を受け、ロゼッタは洞窟の奥へと回転しながら吹き飛んだ。技の衝撃で、天井の岩が崩れ落ちる。私はアクセラレータを使って、メイの元へと駆け寄る。アクセラレータを切った私は、自分の体でメイを覆い、岩が崩れきるのを待った。

「アル………ト?」

 自分の上に覆いかぶさった私の名前を、メイは不安そうに呼んだ。

 もう大丈夫。どうにか、メイを助けることは……出来たはずだから。

 だから私は、安心させてあげようと思って、微笑んで助かったことを伝えた。


 そしてそのまま、メイを押しつぶすように私は気を失った。


+エピローグ+


「出て行ってもらおうか」

 目覚めた直後、私は村の重役からそう言われた。

 理由としては至極当然なものだった。様子を窺いに洞窟に来てみれば、中腹辺りでその洞窟が途切れていたのだから。そのような大きすぎる力を持つものは、自然、同様のものを呼び寄せるという。良いものも、悪いものも無分別に。平和すぎるこのシユの村に、私のような戦争のために創られた存在は異質でしかない。

 私は頷き、帰りの支度したくを始める。が、

「だめーッ!」

 ばんっ、と木の戸を開けて、メイが飛び込んできた。

「だめったらだめーっ! アタシはまだアルトとあそぶのーっ!」

「よさんか、メイッ!」

 腫れ物に触るかのように、私に近づいたメイを、一人の重役が引き剥がす。一方のメイは、大好きな玩具おもちゃを取り上げられたかのように泣き出してしまった。

「うわぁぁぁんっ! アルト、いかないでぇっ!」

 震える声で、悲痛そうにメイは叫ぶ。その後ろで、重役たちが私に目で訴える。早く出て行け、と。

 幸い、来たときよりも帰りのほうがはるかに荷物は少ない。もうほとん殆ど帰り支度は済んでいたから、すぐに私はメイに背を向けて部屋から、家から出て行った。


 村の入り口付近に止めてあったバイクのところまで来ると、後ろからノテウとメイが走ってきているのが分かった。特に断る理由も無いし、他に人が見ているわけでも無いから遠慮なく待つことにした。

「はあっ、はあっ、はぁーっ!」

 息を咳き切らせて、メイが私に駆け寄ってきた。よっぽど私になついていてくれたんだろう。嬉しい限りだ。

 遅れて、ノテウがやってくる。健康そうとはいえ、流石にきつそうな顔をしている。

「はっ、はっ、はっ。メイや。爺さんを走らせるもんじゃない」

「だってー、急がないとアルトが行っちゃうって言ったのおじいちゃんじゃない」

 メイはそう言って頬を膨らませる。ノテウは「はて、そうじゃったかの」と困ったような顔をしていた。

「メイや、儂らは何をしに来たのじゃったかな?」

 不意に話題を変えて、ノテウがメイに問う。メイは、いかにも忘れてました、という顔をしてみせる。表情が豊か過ぎて、感情が完全に分かってしまうのも、子供らしい可愛さだと私は思う。

「そう、アタシたちは、アルトにお別れを言いに来たの」

 メイは、さっきまで行くな行くなと泣いていた少女とは思えないほどの明るい笑顔で私に言う。ノテウが説得したのか、それにしても物分りのいい娘だ。子供にしては珍しくさえある。

「ね、アタシたち、アルトにお手紙かくから、れんらくさきを教えてほしいの」

 そう言って、紙とペンを取り出す。私はそれに、ブランチの住所を書いてやった。コレなら、私がどこに行っても必ず届くはずだ。同じような店舗で繋がりがあるはずだし、この先ブランチを利用しなくなる事はあり得ないから。

「ありがとうっ! アタシはこれだけ。つぎはおじいちゃんね」

 そう言って、ノテウの手を叩いて交代をした。

「すまんかった。ウチの阿呆あほうどもが」

 ノテウは一言目にそう言って、深く深く、頭を下げた。私は自分が頭を下げられる理由は無いと思い、慌ててノテウの体を起こしてやる。

「……アルトさんは良い人じゃのう。あの阿呆どもにも見習って欲しいわい」

 そのノテウの言いぐさからすると、私に言って無いだけでまだ色々裏で言われていたのだろう。理由が想像できるだけに、仕方が無いと思っていたが。

「儂が言いたかったのは、人間はあのような奴らばかりじゃない、ということじゃ。」

 そう言ってノテウは続ける。メイはもう自分の出番は終わった、とでもいうように、ノテウの背後で良く分からない一人遊びをしていた。

「この村に限らずな、世の中にはあのようなやからは掃いて捨てるほど居る。じゃが決してそういう人間ばかりと思って欲しくなかったのじゃよ。じゃから……人間に絶望せんでくれな。お主に頼らんでも、きっと人間はやってゆける。そう信じて欲しいと、伝えたかったのじゃよ」

 ノテウは、懐から首飾りを取り出す。村の工芸品のようで、素朴ながらも力強い美しさがある。

「これは儂らに伝わるお守りじゃ。儂とメイが思いを込めて造った。お主が儂らを守ってくれる代わりに、儂らの思いは、きっとお主を守ってくれる。人間に絶望を感じそうになったときは、これを見て儂らのことを思い出しておくれ」

 私の首にそのお守りを掛けると、ノテウはその場所から一歩下がった。いつまでもここに居るわけにも行かないだろう。バイクにまたがり、エンジンをかけ、私からも帰還の意思を示す。

「この娘が年を取ったときにでも、また来ておくれ」

「また会おうね、アルト。ずっと、ずーっとまってるからっ!」

 エンジンの騒音に負けじと、メイが叫ぶ。叫ばずとも、ノテウの声は聞こえた。

 だから私は、その二人に手を振って返してやった。


 ありがとう、とか、またね、とか言おうと思ったけれど、そこにはもう、『言葉』なんていらなかったから――――。


 風を切って走るバイクのミラーに、見えなくなるまで二人の姿が映っていた。


[end]


+アナザー・カウント+


 暗い洞窟の中、女の声が木霊す。

「痛ってぇ……お嬢ちゃんのヤツ、想像以上の力だったよ……痛てててっ」

(キサマが生きているなら大したことは無い)

 女の頭の中に、別の声が響く。底の知れない男の声。

「アンタ、どれだけあたしをけなしたいんだよ」 

(いやいや、姉御だってなかなかやるもんっすよ)

 また別の、先とは逆に、軽薄そうな声が響く。

(相手が弱かったんじゃないですか、やはり)

(えー? でもでも、聞いた限りじゃ結構やばそうだったじゃないですかぁ)

 敬語の、それぞれ男と女―――否、少女といったほうがより正確か―――の声が続いて響く。後者は敬語が崩れているが。

(なんにせよ、ロゼの回収を急ぎましょう。話はそれからゆっくり訊けばいいわ)

 最後に、柔らかい女性の声が響いた。柔らかく、美しい声だが、どこか――――ねじれている。その声が、責める様にロゼッタに言う。

(貴女は、ノクターナル・カプリッチオの七人の内の一人。あまり欠員は喜ばしく無いわ。今度からは少し自重して頂戴ね)

「……へいへい。精々今度は死ないように頑張りますよ」

 一息紫煙を燻らせ、ロゼッタは思考を停止した。


[AnotherCount:close]

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silhouette arm 結城恵 @yuki_megumi

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