第14話:ある観測者の終焉

 少年は痛む頭を押さえながら、スクリーンに映される光景に目を凝らしていた。一晩中同じ映像が放映されている。普段ならば観測者がプログラムした番組が流れているだろうに、別の人々が放送をジャックしたのだ。画面の右上には、十字架に髑髏が付いたマークがずっと表示されている。

「こら、手術したばかりでしょう。早く寝なさい」

 保護者がそう言ってスクリーンを消そうとするが、少年はそれを止める。ぷくーっと頬を膨らませ、嫌だ、と駄々をこねる。

「だって、人間が『タイヨウ』に行くんだよ⁉ 見たい見たい!」

「そうは言ってもねぇ……あんた、『雛芥子の贈り物』除去手術からそう経っていないじゃない。後遺症が無いか心配なのよ」

「まぁまぁ、良いんじゃない? 歴史的な瞬間よ、これは。私も寝てられないわ」

「あなたまで……」

 新聞を読んでいたもう片方の保護者が、少年の隣に座る。腕を組んで、決して動かないといった様子だ。忠告した人は肩を落とすと、渋々二人の隣に座る。

 画面に映し出されているのは、円錐形の大きな鉄塊だ。下からはジェット噴射が起こるらしい。三人は自分の首から下がった十字架を握りしめ、その噴射が上手くいくことを願っていた。

 すると、唐突に画面が切り替わる。黒いローブを着た人が映り、語り始める。少年は、あ、大司教様だ、と声を上げた。

「よく覚えているね」

「うん、覚えられるようになったからね」

 大司教は声高に、「タイヨウ」を撃ち落とす計画について語る。そして、たった今、教徒たちとともに、阻止しにやってきたロボットたちを兵器で壊しているのだと言う。

「もはやオーバーテクノロジーは『オーバー』ではない。人間には害をもたらさず、ロボットだけを壊していく兵器がある。カミサマという人類悪がもたらしたギフトを、返上するときが来た! あの人類悪の目を潰してやるのです!」



 収録を終え、大司教は汗を拭った。近くで動いている機械が熱を出しているからだ。お疲れ様です、と言って、部下がタオルを差し出した。

 建物の向こうでは、騒音を立ててロボットが砕け散っている。大司教の隣に立った科学者は、その光景の凄惨さに感嘆の声を漏らした。まさか、自分の作った発明が、カミサマに勝つなんて──興奮した様子で、他の科学者へ連絡をとっている。

「嗚呼、イザベル様、アテーナ様。天から見ているでしょうか? 我々は人類悪を越えた。人類悪を打倒することこそ、人類の目的ではありませんか?」

 大司教はそう言って祈りを捧げる。シミュレーションでは、あと数時間後にエンジンが温まりきる。今は夜だが、「タイヨウ」と「ツキ」が実は同一の天体であることは彼らも理解している。その明るさを変えることで、擬似的に昼と夜とを作り分けているのだ。

 では、なぜ夜にこれを行うか──それは、プロパガンダのためだ。人類が「雛芥子の贈り物」を打倒したと言うためには、夜十二時を回ったときに打ち上げなければならない。何万年も前の人間であれば、自分が何をしていたかすら忘れていただろう。

 恍惚としてロボットの死骸を見ている大司教のもとに、何人かの黒ローブの男がやってきた。彼らは大司教に跪き、頭を垂れる。大司教はその誰もの頭に手を置き、穏やかに微笑んだ。

「本日洗礼を受けた教徒か。ようこそ、イザベル教へ」

「はい。この歴史的快挙を目に焼き付けるため、です」

「数日は頭痛に見舞われることがありますし、記憶の奔流で精神的苦痛が伴うことでしょう。しかし、後遺症と呼べるものはそれくらいですから、安心してくださいね」

 大司教の言葉に、彼らは声を揃え、ありがとうございます、と答えた。教徒たちの後ろから歩いてくる白衣の人間に一礼して、大司教は感心したように続けた。

「しかし、ここまでよく腕を向上させたものですね、ドクター。後遺症を訴える教徒も少なくなっています」

「ようやく観測者のテクノロジーに追いつきましたよ。まったく、あれほど誤差の無い動きをさせられるなんて、さすが知能だけは高い化け物ですね」

 ドクターと呼ばれた人間は、肩を竦めてそう答えた。大司教は満足げに頷き、教徒たちを解散させる。その代わりにドクターを手招き、そばに置いた。

 夜空には「前期の道標」が光り輝いている。南中を目指して昇る星を、二人は待ち遠しく眺めていた。

「ここからはよくロケットが見えますよ。特等席です、ドクター。いかがいたしますか?」

「そうですね、私もここに残ります。大司教様と同じ場所から見られることを、光栄に思います」

 二人の会話を聞き届け、轟音が響き渡る。ロケットが噴射を始めた。外からは歓声が上がった。歓喜する人々を眺め、大司教は口角を上げる。

 南中まで、あと三十分。



 機長はあらかた機材を確認すると、着席するよう他の搭乗員に伝えた。それから、広大な空という海を眺める。

 彼は夜の海を船で渡ったことを思い出した。青い光で満ちた海は、波に合わせて揺らめいていた。星々に見紛う光は、どこまでも、どこまでも続いているようにさえ感じた。

 今度は目的地が明確だ。「ツキ」という、カミサマの目である。彼処に降り立ち、爆破して帰るのが今回の目的である。カミサマは彼処に住まうと言われている。

「そういや、『ツキ』に住むお姫様、なんて話があったっすよね」

 副機長がふと思いついたように話しかけてきた。機長は乾いた笑い声を上げ、案外ロマンチストなんだな、と返した。副機長は口を尖らせ、ムッとした表情になる。

「保護者にずっと言われてきたんすよ。旧世界ではそんな物語があったんだ、って。そこには、不老不死の楽園があるんだとか」

「まぁ、カミサマ自体何万年も生きているとされているからな。不老不死なんだろう」

「カミサマがお姫様だって? 変なこと言うんすね」

「かつては女神様なんて呼ばれてたって歴史家も言ってただろ。じゃあ、今からその女神様の家に行って一発ヤらせてもらおう。数万年分のテクを見せてくれるだろうよ」

 機長の発言に、どっ、と艦内が笑いに包まれる。機長は搭乗員を見回してほくそ笑んだ。

 というのも、ロケットという物を打ち上げることは、人類初の所業であるからだ。シミュレーターでは確かに「ツキ」を撃ち落とす人類の姿が計算されていたが、失敗しないということは無い。まだ「理論上」可能であるからだ。失敗すれば、ロケットは落下もしくは爆発。搭乗員に留まらず、甚大な被害が出るだろう。ゆえにこそ、彼らは恐怖していたのだ。カミサマのもとに辿り着くという所業は、それほど畏怖を与えることなのだ。

 笑い転げていた搭乗員の一人が、十二時を回ったことを伝えた。機長は顔を強張らせ、発火の指示を出した。その刹那、体が引き寄せられるような感覚が搭乗員たちを襲った。計算上発生していた、重量に逆らった衝撃だ。操縦桿に喰らいつくようにして、強く握りしめる。搭乗員の一部が首を振られて、気絶しそうになる。

 機長は吠えるように叫んで、エンジン音を切り裂くように呼びかける。

「持ってかれんなよ! お前らは目の前で『ツキ』が壊れる様を見るんだ!」

 叫んでいる間にも、ロケットは凄まじい速さで浮上していく。遠く小さな丸い「ツキ」が、だんだんと迫っていく。酸素供給システムが働いて、搭乗員たちの意識を保とうと必死になる。訓練を受けていた誰もが満身創痍だった。

 操縦桿を握ったまま目を閉じてしまいそうになった、そのとき。遮光フィルター越しに、「ツキ」が射程範囲に入った。機長は唸り声を上げ、ミサイルの発射ボタンに手をかけた。

 耳を劈く轟音、「ツキ」に向かって飛んでいく針。着弾したと同時に、衝撃波を防ぐバリアが張られた。それでもなお、体は後ろにつんのめる。しばらく閃光が迸ったかと思うと、音も無い真空空間に、ある音が響いたのだった。

 ──パリン。

 それは、ガラスを割ったような、氷を割ったような、軽くも高い音だった。

 機長は目を開き、遮光フィルター越しにその光景を目にする。「ツキ」と呼ばれていた天体が──否、ライトが、砕け散る。それと共に、夜空に漆黒の罅が広がっていった。

 何なんだ、これは──機長はそう呟いたのを最後に、口をきけなくなった。ロケットは、落ちてきた空の破片にぶつかって、爆発した。



 外界は阿鼻叫喚。人々は降ってきた空に押し潰されていく。空は、破片を流れ星のように降らせて、闇が広がる大きな口を開けた。そこには星の一つも無い。あるのは黒だけだ。黒。一面の黒。「タイヨウ」も「ツキ」も無い。カミサマもそこにはいない。ただ、「ソラ」という謎の物体が落ちてくるだけ。

 あらゆる物が爆発して、炎が地面を焦がす。海が大きな飛沫を立て、津波を起こす。地割れに世界が飲み込まれる。

 人々は叫ぶ、こんなはずじゃなかった、と。イザベルに助けを求める。されど、逃げ場なんて物は無い。だって、空はどこまでいっても広がっている、無限の海なのだから。痛みを忘れることはできない。彼らがそれを拒んだのだから。

 合理的で幸せな世界は、たった独りの復讐心から壊れ始めた。人類悪とカミサマを呼んだ悪魔の、愛する人を失った教祖の、小さな小さなエゴイズムによって。

 僕は独り、壊れゆく世界を眺めている。傍らに薊様のコフィンを並べて、高台から、人類が苦しみ悶える様を眺めている。片手にはあらゆる災害を起こすことができる実行ボタンを押したまま。そのどれもはオンにはならなかった。世界が燃えているのも、空が落ちてきたのも、波に呑まれるのも、全部全部彼らが起こしたことだ。僕は彼らに終わりをもたらすことができなかった。

 それでも。酷い火を吹くロケットを眺め、僕は心が揺れ動くようなものを感じた。人間は確かにオーバーテクノロジーを解明して見せたのだ。そうして、「ツキ」に辿り着いた。かつての人類が、アポロ十一号の打ち上げに成功したように。たとえ、その結果が全ての崩壊だったとしても。それを、美しいと呼ぶのは、あまりに人間的だろうか。

 ……僕も、気がついていないわけではなかった。あまりに長く生きたせいで、アンドロイドとしての非人間性が壊れてしまったことに。あまりにも人間と寄り添いすぎたことに。自分が修復不可能なくらいに壊れてしまったことに。きっと、生まれたばかりの僕ならば、簡単にリセットボタンを押しただろう。何度でも、人間が過ちを犯すたびに、計画的滅亡を与えていたことだろう。

 それができなくなったのは、きっと、初めて人間の少女と出会ったときだ。魔女が吠え猛ったときだ。救世主と問答をしたときだ。復讐を誓う青年の話を聞いたときだ。遊郭の青年と逃避行をしたときだ。ゆっくりと、ゆっくりと、彼らに心を寄せるようになって、だからこそ嫌った。その醜さに震えながらも、同時に惹かれていった。

 特に、最後に出会った彼との逃避行は──まるで、薊様と旅をしているかのようだった。彼の笑顔に心を奪われた。

 ガラガラと音を立てて、空が砕け散る。僕の隣に破片が落ちて、コフィンに罅が入った。慌てて縋り付いて、薊の顔を見つめる。彼女の真横に、黒い星空が突き刺さっている。

「嗚呼、薊様……!」

 僕の嘆く声を殺すようにして、僕の体にも空が降ってくる。痛みも無く、足が落とされる。落とされた片足を庇うようにして、割れたコフィンに手を差し伸べる。もう遅い。割れてしまったら、その瞬間から腐敗が始まる。僕の顔に、ふわりと花の香りが舞った。あの人の、香りだ。

 不思議なことに、僕の思考はバックログの再生でいっぱいになった。何万年も独りで暮らした日々が、忘却できなかった日々が、流れ込んでくる。思考がオーバーフローして、合理的な考えも、論理的な解決策も、何もかもが溶けて、混ざって、ぐちゃぐちゃに。僕は、寂しくて、恨めしくて、憂鬱で、悲しくて、人間を──

 ……憎んだ。

 愛した。

 拒んだ。

 許した。

 求めた。

 手放した。

 熱風が顔に吹き付けて、思考回路がダウンする。僕は必死になって、コフィンの中に眠る貴女に手を伸ばした──必死になるだなんて、おかしい。エラーでも吐いているのだろう。僕をずっと狂わせ続け、人間を守らせ続けたエラーが、今、僕というプログラムを凄まじい速さで蝕んでいる。

 僕は、知っている。このエラーが何なのか、どうして僕が直せなかったのか。今、マスターの手を握っているのはなぜなのか。瞳から水分が流れ出しているのはなぜなのか。僕は。僕は知っている。僕は。世界が壊れるのは、なぜなのか、知っている。知っている。知っていて、認めたくない。認めたくないのに、僕は。僕は。

 頭が、腕が、足が、腹が、ソラに切り裂かれる。世界に壊される。握る手だけが離れないで残っている。バリアを張って生き残るなんて小細工は効かない。だって、世界は終わるのだから。

 思考するデバイスは熱に溶けた。視覚を司るデバイスは水でショートした。体を構成するパーツは動かなくなった。これが、僕の終わり。これが、世界の終わり。人間がもたらした、人間による最期の審判。人間全てがノアの方舟に乗れないまま流されて、それでおしまい。なんとくだらなくて、醜くて、無様な最期なのだろう。

 それでも、人間は、人間は、自らの意志で、世界へ抗い続けたのだ。

「……アザミ、サマ。ボクハ、アナタノ意志ヲ、ツゲマシタカ」

 まだ生き残っていた発声機能で、貴女に語りかける。その言葉は、感情というノイズに塗れていた。



「おや……? こんな星に、来訪者が?」

 手足が鳥になった人間を見据え、一人の青年が立っている。空には作られた星々が並んでいる。青年は気の抜けた顔で、綺麗だ、と呟いた。

「そうでしょうか。ここはただ、天文台だけがある世界。それ以上には、何も無いのです」

「良い世界だ」

「……あなたは、いってしまうのですね」

 青年は手のひらに、割れた破片を持っていた。観測者の言葉に、青年はこくりと頷いた。

「御機嫌よう。素敵な夜空を見せてくれて、ありがとう」

「ずいぶんと流暢なアンドロイドなのですね、あなたは」

 口元を翼で覆った観測者に、一人のアンドロイドは、困ったように笑って返した。そして、天文台の外、無の世界へと足を踏み入れる。

「あぁ、何万年も、人間と生きて練習したんだ。いつかあの人に会ったとき、上手く話せるように」

 闇の中に溶けていく青年は、足元に一輪の花を残した。その名は、アネモネ。花言葉は、「君を愛す」。

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忘却の世界と観測者の物語 神崎閼果利 @as-conductor

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