第8話 スイートガール・ドルチェパイセン
僕とドルチェ先輩が、恋仲になる前の話。
入学式の翌日。
僕は、ドルチェ先輩になるべく近寄らないようにしようと決意していた。
もっと言えば、決意する必要もないだろうとも思っていた。
何故彼女があんな奇行に走ったのか。それは謎だったが、あれは何らかの誤解が発生させたイレギュラー的状況であって、今後、あんなに綺麗な先輩と僕が関わり合いになることなんてないだろうと、タカをくくっていた。
甘かった。
ドルチェ先輩は、隙間時間を有効活用しすぎるベンチャー社長も真っ青になるほど精力的に、僕との接触を図った。
昼休みはおろか、授業の合間合間、放課後……真夜中、不意に寒気を感じて目を覚ますと窓の外に彼女がいたこともあった。
当初は、こんなところで会うなんて偶然ですねなどと世間話に興じる余裕もあったが、すぐに僕は、視界にとらえた彼女から顔を逸らすようになっていく。
三日も経たないうちに、僕はそこら中の電柱の陰にドルチェ先輩が潜んでいるのではないかと考えるようになった。
僕が感じていたのが純粋な恐怖であったなら、まだ我慢もできたかもしれない。
しかし、それだけではなかったため、僕はとうとう痺れを切らし、ある日彼女を尋問した。
電柱の陰に隠れたつもりになっていた彼女のもとへ一気に詰め寄った。
「僕を、小さい頃に分かれた幼馴染か何かだと勘違いしてます?」
僕は、付きまとわれるのが迷惑千万、といった態度を保つのに必死だった。
本音は、違っていた。
顔面の良い異性の先輩による単純接触効果のマシンガンは、僕の理性をあっけなく皆殺しにしかけている。
日々受ける凝ったストーキングにすら、僕は喜びを感じ始めていたのだ。
ドルチェ先輩は、僕という男から至近距離に詰められたことが嬉しくてたまらないといった様子で、答えた。
「違うよ」
「じゃあどうして、こんな真似をするんです? ……僕のクラスどころか、学校中の噂になってます。先輩、人気者なんでしょう? なのに何で」
「一目惚れ、です……アクラツ君のことが、好きになっちゃったから……!」
絞り出すような声音に、僕は呆気なく陥落した。
「でも……僕を見て、カッコいいと思う要素なんて普通はないんじゃ……」
「……詳しく説明、してあげようか」
気が付くと、僕は彼女から第三視聴覚室に連れ込まれていた。
そして、彼女は自分の「趣味」である映画を喘ぎ声と共に初披露した後、唖然としている僕に向かって言った。
「私はね、こういうものが好きなの。人の持つ、暗くて湿った、それでいて神秘的な側面が好き。そういったものについての感受性が、他の人たちよりずっと優れている自信がある。だから、今から私がする予言を信じてくれるなら、私と結婚を前提にした交際関係を視野にいれる形で、まずは友人になってください」
カーテンを閉じたうす暗い部屋の中。
「私が高校を卒業するまでの間に、君は人を殺します」
プロジェクターがスクリーンに映し出す光だけが、青くて。
「その予感だけで……私は入学式の日、君に魅入られたの」
「わかり、ました……僕は、先輩と付き合います」
僕は、自分でも驚くほどあっけなく、彼女からの託宣と告白を、同時に受け入れた。
その時初めて、僕は自分が臆病だっただけなのだということに気が付いた。
僕が不安だったのは、彼女が僕を騙そうとしているのではないか、という一点のみだったのだ。
第三視聴覚室。
眼球スプライトとの邂逅から、数日が過ぎようとしていた。
僕とドルチェ先輩は、例の喫茶店へ行った日に見たのと同じ映画を、再び鑑賞しようとしていた。
ケースからDVDを取り出す。その同人映画のタイトルは「青春の口づけ」。一見なんてことない文章だが、「青春」のところに「ヒトゴロシ」とルビが振られているため、かなり特殊な読み方を強いられるタイトルである。
プロジェクターを操作しながら、僕は眼球スプライトを自称していた彼女について、考える。
本当のところを言うと、僕はサトリ先生を殺すつもりで、あの日は単身で店を訪れたのである。手帳を見せて挑発すれば、逆上して襲い掛かってくるのではないかと思っていた。適度に彼女から外傷を負わされたのちに反撃という形で刺し殺せば正当防衛が成立するだろうと睨んでいた。キッチンからいくらでも凶器を調達できるので(あらかじめ準備などしたら犯行に伴う計画性が立証されてしまう)、飲食店という舞台も好都合だった。だが、彼女は何かしらの理由で、一切の攻撃性を捨て去り、今後も抱かなさそうな様子だった。どんなに殺したくても僕から手を出すわけにはいかないのだから、釈然としなくともあの場は引き下がるしかない……。
僕がサトリ先生、というより眼球スプライトを殺したかった理由。
それは、男心の一言に尽きる。
眼球スプライトに対しての殺意が本格化したのは、実のところ、あの喫茶店デートの日だった。
僕とのデートの最中であるにもかかわらず、ドルチェ先輩は電器店のテレビから流れるニュースに、夢中になっていた。
あの時、僕は筆舌に尽くしがたい不安に襲われていたのだ。
ドルチェ先輩が僕を好きなのは、僕の中にある殺人者としての未来に期待しているからだ。
なら、彼女にとって、僕よりも魅力的な残酷さを持つ人物が身近に現れたらどうなる。
今にして思えば、そもそもドルチェ先輩があの喫茶店に興味を持ったのだって、スイーツ目当てというより、殺人鬼たるサトリ先生が持つ暗く湿った引力に、無自覚のまま引き寄せられていたからではないのか。
考えるだけで、胸が痛む。
僕は、ドルチェ先輩との交際が始まった日の決意を新たにする。
どんな殺人犯が恋敵になったって、僕は絶対、負けるわけにはいかない……。
映画のオープニングが始まる。
僕が隣に座ると、ドルチェ先輩は言った。
「ラブ・ストーリーが流行し続ける世界って、狂ってるよね」
細められた目は、うっとりと映像を見つめている。
「恋愛ほど公共性の無い感情って、この世に無いよね。だけど、一対一っていう一番ミクロな関係性を最上位に置く物語こそが蔓延し続ける。公共性から解放されたいっていう欲求こそが、もっとも公共性のある感情であるって……とっても残酷だと思わない?」
彼女は、映像から目を離し、僕に向き直った。
「私たちは、どれくらい一緒にいられるのかなぁ」
僕は努めて真摯に、彼女が抱える切なさに向かって答えた。
「どんな歪な謎だって、頑なに日常であり続けようとすれば、解き明かされずに済むものですよ」
ドルチェ先輩の頭が、僕の肩に寄り添う。
映画の中で、男の手首が切り飛ばされた。
ドルチェ先輩は僕を青春にしたい 白乃友。 @shilatama
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