第7話 Dear My 狂

 僕は学校を休んで、午前から例の喫茶店へと向かった。

 運よく、店長が店先の掃除をしているところだった。


「お忙しい中、申し訳ありません。先週の土曜日、ここのお店で忘れ物をしてしまいまして……。人と会うのに、どうしても今日中に必要なものなんです。今探させてもらうわけにはいきませんか」

 

 幸いにも店長は快諾してくれたので、店内に入り込むことができた。


「自分の休憩用に淹れたコーヒーがあるんだけど、良かったらサービスするよ」と言って、店長はスタッフオンリーと書かれたドアの向こうに消えた。

 

 誰もいない店内に一人きり。

 僕はオープンキッチンの中をうろうろと物色しながら、決心を固めた。

 やるべきことは一つだった。

 僕はノックも無しに、店長のいる部屋のドアを開けた。

 部屋の奥にいた彼女は慌てた様子で、こちらに振り向く。 


「早いね、もう見つかった?」


「はい。見つけました」


 僕は黙ってじっと、店長の女を見つめた。

 彼女は、怪訝そうに眉を顰めた。


「お花って、お別れの時にもらうイメージでした」

 

 テーブルの上の花瓶に、僕は視線を移す。

 従業員用の控室には、簡素なテーブルとパイプ椅子、売り上げを保管するための金庫、そしてオープンキッチンにあったのと同型の業務用冷蔵庫が一台設置されている。


「僕がこの街に来たのは小学六年生の時です。新しい学校とクラスメイトに適応できずに馴染めない日々が続いていました。前の学校では友達とそこそこ上手くやっていたので、ショックでした。別れる時も、何人かの友達がおこづかいを出し合って小さい植木鉢なんかをプレゼントしてくれたんです」


「急に何の、話を……」


「問題は、その植木鉢を僕の母親が気に入らなかったことです。捨ててこいと命じられた僕は、逆らえず、それでもただ捨てるのも忍びなくて、学校の教室の外にあるベランダに、黙って置いたんですよ。しかも、よそのクラスのところに。私物をあなたのいるクラスに投棄して申し訳ありませんでした。花の世話を、ありがとうございました。僕は一組の窓から顔を出して、あなたが水をやっているのを、本当は時々、遠くから見かけていたんです。小学生の時は勇気がなくて名乗り出ることが出来ず、すいませんでした。……このお店は、一人の女性が安定の公務員をやめてから開店したと聞いていましたが……それって、小学校の教師のことだったんですね」

 

 僕の声には自然と、温かい親しみが宿った。そこに、犯人を糾弾する冷たさは無かった。


「眼球スプライト……六年四組の、サトリ先生」

 

 僕は黒革の手帳を胸ポケットから取り出し、彼女へ差し出す。


「僕を『収穫』しないのですか」

 

 手帳を受け取らぬままサトリ先生は、はらはらと涙をこぼし始めた。


「手帳の内容と、被害者である女の子たちの共通点から……次の獲物が僕であることは容易に想像がつきました。あなたは、何らかの事情が原因で、僕の通っていた小学校の卒業生に、自身が店長を務める喫茶店で働きながら狙いを澄ましていた。僕が、一人で再びお店の開店前に訪ねてきたことをラッキーだと思いながら、僕を招き入れた。違いますか」


「違うよ」


「え?」


「君は本来、獲物じゃなかった……私の獲物は、君と彼女さんがケーキを食べてた時、まんなかのテーブルで騒いでいた女の子達の一人だよ。教師の物まねをするときの口調が、小学生の時から変わってなかったから、私はすぐに気が付いた。……でも髪の毛がずいぶん明るくなっていたから、例え同学年だったとしても、君は気づかなくてもしょうがないね。私は、君を獲物とは思っていなかったし、君を手帳の落とし主だとも思っていなかった。……だけど、君が勘違いをしてくれて、良かったのかもしれない」

 

 サトリ先生は、業務用冷蔵庫のドアを開ける。


「正直ね、手帳を盗んだ犯人を見つけるようなことがあったら、死んでもらおうとは思っていたんだ。だけど……気が変わったよ。最後にこれを見てもらって、おしまい」

 

 容積の大きい冷蔵庫の中には植木鉢が一つ。盛られた土の上には、何の芽も出ておらず、T字型のネームプレートが四本突き刺さっているのみであった。田中好美、藤本真中と書かれたものが二本ずつ。何が埋められているかは、自明だった。


「もうゲームは終わりだ。誰からも理解されないと分かってる。だけど私は今、生まれて初めて、こんなにも温かい気持ちだ。まさか、この店を始めた時より胸が熱くなる瞬間が来るなんてね」

 

 彼女は笑った。


「誰かに見つけてもらえて、良かった」

 

 ところで君が私を訪ねてきた目的は?

 サトリ先生からの質問に「優しかった先生が本当に犯人なのか、直接質問したかったんですよ」と嘘の答えを返した。

 僕はスタッフルームから出て行った。

 当初の予定とは大分違う……というよりは真逆の展開となってしまったものの、目的自体は達成できたと言っていい。

 僕はドルチェ先輩ではないので、サトリ先生の心を蝕んでいた狂気がどのような形をしていたのかなどということに興味はない。

 ただ、僕との対話の中で、彼女の中の暗い場所に日が当たったことは確かだろう。

 これ以上サトリ先生が殺人を犯さないというのなら、僕はそれだけでよかった。

 僕はオープンキッチンから拝借していた果物ナイフをそっと元の場所に戻し、店を後にした。


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