第6話 愚弄傷

 こんにちは、サトリです。

 もとい、眼球スプライトです。

 

 先週の土曜日、私は取り返しのつかない失態を犯してしまいました。

 眼球スプライトとしての活動記録……黒革の英雄譚を、紛失してしまったのです。

 いつでも読み返せるように携帯していたことが、裏目に出てしまったようです。

 いつもの喫茶店で失くしてしまったとしか考えられません。

 最後に読み返してから、お手洗いに行き、その五分後にまた手帳を読み返そうとした際、胸ポケットの中が空っぽであることに気が付きました。

 

 困りました。私はもう、あの手帳の中毒と言ってもいいくらい、日に何度も読み返さなければ精神の安定を保てないのに。

 お手洗いに行った際、どこかへ落としてしまったことは明らかです。

 紛失に気が付いた後、すぐにお手洗いの周辺を探してみたものの、手帳は見つかりませんでした。

 

 とすれば、残されたのは最悪の可能性だけです。

 私が手帳を最後に読んでからの五分間のうちにお手洗いへ行った他の誰かが、私の手帳を拾い持ち去ったのです。

 

 あの喫茶店にいる時の私は、常に神経を研ぎ澄ませているため、本来なら、他の誰かがお手洗いに向かうような動きをしたならば、記憶していないはずはありません。しかし……不覚にもお手洗いから戻ってきてからの五分間は、うっかり手元に集中しすぎていた為、周囲への注意がおろそかになってしまっていたのです。無念です。

 

 それにしても、ひどいです。犯人は私の手帳を警察に届けるつもりでしょうか。

 あの喫茶店は、ようやく辿り着いた私が心から安らげる場所なのです。

 逮捕されたら、お店にはもう行けなくなるでしょう。そんなのは悲しすぎます。

 眼球スプライトとしての使命も、道半ばで果たせなくなることになります。

 私も別に、好き好んで人の目を抉りだしたり頭蓋を叩き割ったりしているわけではありません。

 聞いてください、私が殺人鬼になったのは、たった一人の友のためなのです。

 

 小学校の時、見捨てられた植木鉢を育てていた話はしましたよね。

 最初は、クラスの中で謎めいた存在になりたかったからという不純な動機でもって、水やりをしていました。

 ですが私は段々と、例の植木鉢に対し純粋な愛情を抱くようになりました。

 植木鉢に対し、日々感じたことなどを語り掛けると、友達のいなかった私の中の孤独が優しく癒されていきました。

 中心だけが黒く染まった黄色い二つの花が、そのうち眼球に見えてきて、葉の一部白く染まっている部分が、おしゃべりな口のように感じられてきたのです。

 あの植木鉢と向き合っている時だけが、幸福でした。

 

 ですが、お別れは突然にやってきました。

 他ならぬ私が原因でした。

 

 ある日の朝、誰も来ないうちに今日も水をやろうと植木鉢に向かうと、私が口だと思っていた部分……葉の白い変色が全体に広がっていたのです。大変だ、私の友達が病気になってしまった。

 陽の光に当たりすぎたのかもと推測した私が、友達を教室の中に避難させようと持ち上げた、その時です。

 植木鉢は手から滑り、ベランダの床で割れ、粉々になってしまいました。

 土が広がり、私の白い靴下まで斑に茶色く汚します、私はパニックになり、膝まずいて、泣きじゃくり始めます。

 そのうち、登校してきた四組の男子と女子たちが、私を不思議そうに取り囲みました。

 私は、涙を流しながら彼ら彼女らに、助けを求めました。

 お願い、助けて、ねえどうして私の友達が死にかけているのに、にやにや笑っているの―――?

 私の慟哭に返ってきたのは、嘲笑だけでした。「きもちわりい」「泣いてんの受けるんだけど」「オーネガーイぃ、タぁースケテ―、ワぁタシノトォモダチガぁー、だって、アハハハハ!」。

 信じられませんよね、これが人間の反応でしょうか。

 私の中で、何かがねじれていく音がしました。

 シミュラクラ効果って言葉、皆さんは知っていますか? 逆三角形の形に配置された点が顔に見えてしまうという人間の持つ本能です。

 私の植木鉢への愛情を、大半の人たちはこの効果に基づく錯覚だと断ずるでしょう。

 ですが、それは間違いです。

 私には、残忍な笑いを浮かべる子供たちの顔こそが無機質で何の価値もない三つの点に見え、かつて鉢の中に存在していた黄色と黒と緑の造形こそが、コミュニケーションをとるに値する人間らしい表情に思えてなりませんでした。

 

 そして、今に至ります。

 四年が経ち、私には愛する喫茶店が出来ました。

 その喫茶店は、地元の他の女性たちにも良く気に入られています。客の中には、かつて私と同じ教室で過ごした人達も、時々混じっています。

 かつて小学生だった女子高生達。

 私はすぐに彼女たちに気が付きますが、彼女たちから私に気が付く様子はありません。

 

 私の中で、不満の芽がゆっくりと育っていきます。

 とうとうある日、死んだはずの友達の声が、私の頭の中で響きました。


「殺しなさい。穢れた花を摘み取り、汚らしい土を掻き出しなさい。あなたが、彼女たちを美しく生まれ変わらせるのです。今日からあなたは―――」

 

 眼球スプライト。

 

 今でも私の心は、あの子と共にある。

 収穫の対象外ではありますが、手帳を奪った犯人には、死んでいただきます。

 勿論、同じ日同じ時間の店内にいた本来のターゲットにも、死んでいただきます。


 さあ、かくれんぼを始めましょう。 

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