恋とテストに必要なもの

水白 建人

第1話

「教師との交換日記だなんて、認められませんわ!」

 もうすぐ朝の会が始まろうというタイミングで、いきなりワタシに向けられたこの一言が始まりでした。

 カノジョ――委員長もまた、センセェに思いを寄せる女の子のひとりだったんです。


「ワタシの落とした日記をセンセェが届けてくれただけだよ」

 何度もそう言ったのに委員長はまるで聞く耳を持ちませんでした。

 ふじゅんいせーこーゆー? だなんてよくわからない理由を口にしていたけれど、どうせいつもとおんなじこと。「気配り上手のしっかりさん」「委員長より委員長らしい」とクラスの子たちによく言われていたワタシが気に入らなくて、だから勝負という形でイジワルしてやろうと思ったのでしょう。

 ねえセンセェ。センセェならわかっているはずです。委員長は頭がよくて、自信があって、オシャレにも気をつかってる女の子だって。

 でもホントは悪い子なの。センセェの見てないところ、知らないところでワタシみたいな気に入らない子をいじめたり、せんす? を振りながらクラスの男の子にクラス委員のシゴトを押しつけてるんです。シンデレラのお姉さんみたい。

 しかもカノジョ、「朝の小テストでより高い点を取ったほうの勝ち」「が負ければ先生との交換日記はやめてもらいますわ」って、こんなことまで言ってきました。ワタシの名前、またわざと間違えたんです。センセェがいっしょのときはちゃんと「ふたさん」って呼ぶくせに。


 ワタシだって人間です。どんなに委員長らしくてもふつうの女の子なんです。ここまで思うままに言われたら、ガマンなんてできません。

 だけどワタシ、ホントは委員長との勝負がイヤだったんです。カノジョの頭がいいというのもそうですけど、ワタシってほら、その、勉強がニガテなので……。

 きちんとしていて、気配りもできて、けれど成績は上がらない。

 それがワタシのダメでハズカシイところ。六年生になってもまだ治せない、いわゆるこんぷれっくす? なのです。

 やっぱり変じゃないですか。委員長らしいって言われてるのに頭が悪いだなんて。こんなワタシが朝の小テストでホンモノの委員長より高い点を取れるはずがありません。

 

 そこでワタシは教室に来たセンセェに助けを求めました。

 ――これだとウソになっちゃいますね。ごめんなさい。ホントはワタシ、逃げようとしたんです。

 もし勝負に負けたらセンセェとの交換日記ができなくなる。好きな人とのつながりがなくなってしまう。

 そう考えたら、なんだかとても、怖くなっちゃって……。

 そんなワタシにセンセェは勇気をくれました。

もえならだいじょうぶだよ」

 その優しい言葉にこもっていたのはシンパイじゃなくて、シンライ? だったのでしょう。ワタシにはそう感じたんです。

 だから顔がみるみる温かくなって、胸がドキドキして、いてもたってもいられなくなりました。気づいたときにはもう、大きな声で「はい!」と返事をしていたんです。

 センセェの気持ちにこたえたい。ただその一心で。


 テスト勉強をする時間なんてもちろんありません。チャイムが鳴って、朝の会が始まって、センセェが小テストのプリントを前の席の子にわたして――そうしてワタシと委員長の勝負は静かにまくを開けたのです。

 勝負したことを何度もコウカイしそうになりました。ええ、たった十問しかない漢字の読み書きですら、ワタシにとってはすごいハカセが作った暗号のように見えていたのです。

 それでもワタシは問題と向き合い、ひたすら答えを探しました。使える時間はわずか五分。少しもムダにできません。

 プリントを上からゆっくり読んだあと、下からざっくり読み直す。国語の時間を思い出し、ぼんやりとしたセンセェの声にときめいてから頭を振る。

 好きな人を心に浮かべて、いったいどうしてテストに集中できましょうか? いいえ、できません。恋はもうもくなのでした。

 とはいえセンセェとの交換日記がかかった大事な小テストです。一生ケンメイ考えて、空いてるところ全部にえんぴつと消しゴムを使いました。初めてセンセェに交換日記を書いたときよりキンチョウしたかもしれません。

 一方で、ワタシのななめ前にいた委員長といえば、それはもう余裕そうに見えました。

 小テストが始まってしばらくした頃に聞こえた、ペンケースのチャックを閉めるような音。思えばあれは、問題を解き終わった委員長によるものだったのでしょう。


 やっとのことで小テストを終え、そわそわして落ち着かない学校生活を送り、とうとう放課後。運命の時です。

「明日だなんて待ちきれませんわ!」「採点がお済みとあれば、今ここで私たちの点数をお教えください!」

 委員長の自信たっぷりなお願いを前に、最初はエンリョしていたセンセェも、やがて仕方なさそうにうなずきました。

 ふたりのうちどちらが勝って、どちらが負けたのか。

 どちらか一方にとってはザンコクな事実に違いありません。

 クラスの誰にだって優しいセンセェだからこそ、ここで小テストの点数を伝えるべきか、ためらっていたのでしょう。

 あの読み方でよかっただろうか。あの漢字は書き間違えたかもしれない――ふくれていく不安でいっぱいになりそうな心をかすかなキボウで支えるワタシ。そんな少女に「小テストの点数は」と浮かない表情でセンセェは告げました。

「萌は五十点で、まいは百点満点だ」

 ああ、やっぱり勝てないのか。

 となりで得意げに笑みをこぼすカノジョによって、センセェとの交換日記は今日で最後になってしまうのか。

 そのくやしさはほんの短い時間にざあざあと降る雨のように冷たくて、まぶたがふるえてしまいそうになりました。

 けれどその日、センセェにハンカチを見せたのはワタシではありません。委員長でした。

「――と言いたいのはやまやまなんだけど」

 いつだって、どんなときだってそう。

 優しい言葉と甘い笑顔でワタシを救ってくれるのがセンセェなのです。

「点数についても、勝負についても萌の勝ちだよ。からね」

 委員長はすべての問題に正しい答えを書いていました。ただしひとつだけ、空白を作ってしまったのです。

 プリントの一番上に用意された、問題よりも大切な名前を書くところに。

「そんな……!? そんなはずが……」

 カノジョはきっと油断していたのでしょう。

 体育ぐらいでしか勝ち目がないワタシを相手に、本来のテストよりずっとカンタンな国語の小テストで初めて負けた理由が、ただのだったのですから。


 ――そういえば。

 恋とテストに必要なもの。センセェと読んだマンガのヒロインは「自信」や「頭のよさ」なんだってなやんでいたけれど、ワタシはやっぱり名前だと思います。

 小テストのプリントも、好きな人へのお手紙も、名前がなければさあ大変。百点満点だったとしても返す相手がわかりませんよね。

 名前によってつながりが生まれる。

 なんだかムズカシイ感じがして、ワタシらしくないかもしれません。でも、名前の大切さを教えてくれたのって実はセンセェなんですよ?

 去年の四月。学校で落とした日記をセンセェに届けてもらったあの日から、ワタシはしっかり者になろうと心に決めました。

「ぶたつき」や「きつつき」なんてからかわれていた二ツ木萌を「可憐な名前だね」とほめてくれた、温かい人を。

 たまたま日記に書いていた名前が引き合わせてくれた、新しい出会いを。

 その日かぎりの春の思い出で終わらせたくなくて。


 日記は毎日書くものです。交換日記もきっとそう。ワタシがきちんと書き続ければ、ふたりのつながりだって日記のように続いていくでしょう。

 そう信じているから、今日もワタシはとりとめのない言葉といっしょにこの日記を落とすのです。ワタシの好きな人がいつも使っている机の上に。

 ねえセンセェ。また明日、優しい言葉と甘い笑顔をそえてこの日記を届けてね?


 ――――二ツ木萌より。

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