第3話 怪しい勧誘
秦は真っ暗な押し入れの中で息を殺していたが、どうやら女中が来て彼女らと何か話しているらしいことを察した。
しばらくすると女中は出て行ったが、今度は外国の言葉をしゃべる男の声が聞こえて来たので秦はいよいよ冷や汗をかいた。
「もういいぞ」
秦は自分に言われたのか判断を迷っていると突然襖が開け放たれ、まぶしさに顔をしかめた。
秦が目を開けると、そこには黒い詰襟の青年が立っており、初対面にそぐわない出会い方に思わず笑いを堪えていた。
「はじめまして。宋教仁と申します。怪しいものではありませんから、出ていらしてください」
男は冗談めかして言うが、非常に紳士的で落ち着いた声である。
「秦瑞希です。まさか押し入れの中から人にあいさつすることになるとは」
宋は座り込んでいる秦に手を差し出した。秦は礼を述べつつ、その手を取って立ち上がったが、ガツン――という大きな音とともに頭を中板にぶつけた。
すると木造の建物全体が音を立てて揺れた。
宋は驚いて「大丈夫ですか」と声をかけたが、女性二人は大笑いしている。
「アハハハハ! 君面白いね!」
秋瑾はそう言って秦に歩み寄ったかと思うと、押し入れの上段にある桐箪笥の中身を確認し、ほっと一息ついた。どうやら秦の心配をしたわけではないらしい。
秦は「大丈夫です」と言って立ち上がると、なぜここに来たのか、事の顛末を少し話した。
「なるほど。例の集会を見に行ったということは、政治に興味がありますか」
「そりゃあ、あります。学生ですから」
「どこで学んでいらっしゃいますか」
「早稲田です」
そう答えると宋は「おお!」と嬉しそうな反応を見せた。
「よく存じ上げています。大隈さんはよく我々を助けてくれますから。我々の同志もたくさん早稲田にいます。早稲田の学生さんなら、我々の活動をよく理解してくれるでしょう」
「えっと、よく承知しておりませんが、宋さんたちはどのような活動をされているのですか?」
宋は女性二人に目配せをしてから一呼吸置くと、低い声でこう言った。
「革命です」
「はい?」
「革命ですよ。清朝を倒して共和政の国家を作るのです」
「ええええ!」
思わず大声を上げてしまった。
三人はすかさずシーっと人差し指を口に当てる。
「ハハハ、驚かれましたか。他言は無用ですよ。実は公然の秘密なので、そこまで心配する必要はありませんが」
当時の日本では、「革命」や「共和政」という言葉には、狂人の妄言かテロリストの犯行声明を思わせるような危険な響きがあった。これらは、天皇制を否定する概念であり、1898(明治31)年に文部大臣であった尾崎行雄が演説で「共和政治」という言葉を口にしたことで辞任に追い込まれた共和演説事件は有名である。彼は、財閥を中心とした拝金主義政治を批判する文脈で「もし日本が共和政だったら、三井・三菱が大統領になるだろう」と述べたのだが、そのようなことはお構いなしに「不敬」とされてしまうくらいにはタブーであった。
秦にとっても外国の事情とはいえ、皇帝を打倒し共和政を樹立するというような発想はなかなか受け入れがたいものがあった。
あの刀ももしかするとそういう時のためのものかもしれない。
「三人ともですか!?」
「そうですね。いまどき、革命に反対する留学生のほうが珍しいですよ」
秦はうーんと頭を抱えてしまった。これはとんでもない集団に絡まれてしまったのではないか。
「ああ、別にあなたに協力を無理強いしたりしませんよ。安心してください。そうだ。私たちは明日夜に食事をしますから、よかったらいらっしゃいませんか? 日本人の方もいますよ」
秦には巷に聞くタチの悪い勧誘にしか思われず、適当にはぐらかして逃げ切ろうとした。
「いけたら行きます」
「日本人はみんなそう言うな」
秦の心を見透かしたように秋瑾が笑う。
「じゃあ、良ければ明日の夜ここの玄関前で待ち合わせしよう」
「は、はい。それでは僕はこのへんで……」
「もう帰るのですか。もうちょっとゆっくりしていってもいいのですよ」
「いえいえいえ! 大変お世話になりました!」
秦はそそくさと一礼すると階段をドタバタと降り、一人の女中が「あの……」と声をかけたのも振り切って玄関の戸をぴしゃりと閉めた。
チャイナガールと革命戦記 桃李 もも @tarochan
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