第10話【杭州から来た男(一)】

妖怪にしろ仙道せんどうにしろ精魂しょうこんの類にしろ、問題を振りまいていない限りは、みな互いにそ知らぬふりをして行きすぎるのがならいだ。


一方で、そういった類のものが何がしかの問題をおこしておれば、きちんとかかわるのが仙道せんどうとして修業を積んだものの責務せきむである、と俺は師父しふに教わった。


したがって俺にはあの桃木とうぼくを生かした責任がある。


また悪さをしていてはかなわぬので、はじめの数年はひそかに様子を伺いに行っていた。

すると、思いのほか村人の信仰しんこうあつく、それだけで十分に気をやしなえる様子であったので、俺の方便ほうべんも大したものだと自賛じさんしつつ、次第に足が遠のいた。

次に様子を見に行こうと思いついたのは四十年ばかり経ってからだった。

人の世の基準に照らせば責任を果たしたとは言えないかもしれない。


とはいうものの、老いを知らぬ仙道せんどうは、あまり長いこと同じ場所に足を向けぬ方がよいものだ。

師父しふは見た目の年齢を自在にしたし、幻術げんじゅつ変化へんげが上手いものはそのようにして姿を変えるが、俺はいずれもあまり好きではなかったし、得意でもなかった。

四十年ではまだ、あのころの者で生きている者が多くあるだろう。

もう十年経ってからでも良いぐらいだ。


さいわい場所は村はずれだ。

ひそかに行けば、村人に知られず、木の様子だけを見て帰ることができるのは、よく知っている。


はずだったが、遠く街道沿かいどうそいから見ても分かるほどに、村はずれの様子は様変さまがわりしていた。

もともと桃木とうぼくの周囲には草木くさきが多くはなく、桃ばかりがいやに目立つ場所ではあったが、今やそこは、裏の山は削られ、周囲は整えられて、木々もきちんとなくなり、広場のようになっていた。

街道かいどうからむらまでの間にあった荒地あれちやぶは、四十年の平和の恩恵というべきか、開墾かいこんされて田畑になっている。

見通しが良くなったので、街道かいどうから誰かが近づけば、一目でわかるし、こちらからも木の様子が遠目に見える。

木には、むやみに枝葉えだはを盗られぬためか囲いができ、素朴な台に過ぎなかった祭壇さいだんは、東屋あずまやのような簡素なびょうに変わっていた。

道幅は大いに広がり、四十がらみの男が、街道を行く人を呼び込んでいる。


あまりの変わりように俺は呆れた。

ひそかに近づくなどこれでは無理だ。

夜中に出直すか、目くらましでもすれば見つかるまいが、見えるところまできておいてから、逃げ隠れしても仕方あるまい。

それに状況を詳しく知りたい。


おれがむらの方へ入っていくと、客かとばかりに呼び込みの男がついてきたので声をかけた。

「一体あの木はなんだ」

男はたりとばかりに声を高くした。

悪鬼退散あっきたいさん家内安全かないあんぜん子宝こだから安産あんざんのありがたいご神木しんぼくだよ。いわれを知りたければ、銭一文ぜにいちもんですっかり話して聞かせてやろう」


「いや、けっこう」

いつの間にか、知らないご利益りやくがずいぶんと増えている。

この様子だと、俺が知っている以外のいわれとやらが、どんな枝葉えだはに育っているかしれない。

おれは歩きながら木をにらむ。

はたしてこれは村人たちが、世代を重ねるうちに話に枝葉えだはをつけたのか、それとも木の方が勝手に話の枝葉えだはを生やしたのか。


「ご神木しんぼくに参拝じゃないのかい?」

「参拝するつもりはない」

男が食い下がるが、なるべくきっぱりと答える。

あいつに参拝などしてたまるものか。


近づくと、びょうひさしの下では、二十と幾つかぐらいの男が、参拝に来た人々に何か白い汁のようなものを、椀で売っているのが見えてきた。

どうするのかと思ってみると、どうやら木の根元にいているらしい。


「あの撒いているのはなんだ?」

「ありゃ酒醸(あまざけ)みたいなもんだ。とはいっても、旦那、飲むには勧めねえからよしときな。あの男が村中のかゆの残りやら、米のとぎ汁やら、酸っぱくなった酒やらを集めて煮込んだ代物だもの」

「そんなものをなんでくんだ?」

「前からむらじゃまつるときに、酒醸あまざけやなんかをささげていたんだけれどもさ、まあ普通捧ささげものってのはあとでお下がりをみんなでいただくもんで、きゃしないだろ。ところがそのうち参拝に来ていた近隣きんりんの連中が、それを知ってかときどき酒を持ってくるようになってね。ただびょうに捧げておけばいいものを、うちのむらの連中に飲ませたくないんだか、どういうつもりだか知らんが、勝手に木にいているやつがいるらしくってな」

「ほう。それは面白くないな」

「そうなんだ。うちのご神木しんぼくに参拝に来てくれるのはありがたいが、そういう態度はどうも面白くない。そのうえ桃花精とうかせい酒気しゅきはいやだと言って、うちの三軒隣さんげんとなりのじいさんの夢に出てさ」

どうにも具体的な指摘だ。

「それだもんで、ちっとばかり参拝客さんぱいきゃくの一部と村とが揉めてな。俺たちだって、米やぜにを供えてくれる客を追い返したいわけじゃねえが、桃花精が嫌だというのに酒をかれるのは勘弁かんべんならんだろう」


「なるほど、そりゃあ許せん」

男の話に相槌あいづちを打つが、内心では釈然しゃくぜんとしない。

この村ではもはや、夢に桃花精とうかせいが出て、事細かに指示を出すのは当然として受け入れられているらしい。

どうもあの樹精じゅせいは、村の信仰しんこうぶりをいいことに、ずいぶん調子に乗っていやしないか。


「それであの男がね。あれは実は最近居ついた居候いそうろうでさ、杭州こうしゅうの方から来たっていうんだが、路銀ろぎんが尽きたらしくてな。だが出入りの商人の書きつけを持っていたもんでね。商人が来たら金を借りられるから、それまで置いてくれとというんで、ぜに算段さんだんが付くまであのびょうで寝泊まりさせてやるかという風に置いてやっていたんだが。あいつが思いついたんだよ。方法を」

「つまり何を思いついたんだ?」

「つまりよ、よそ者に酒をかせず、むらには金が入り、あの男も路銀ろぎんかせげるという方法だよ。他所よそから来た参拝客さんぱいきゃくに売るのに本物の酒醸あまざけじゃもったいないってんでね。だから、かゆやらとぎ汁やら痛んだ酒やら、見た目と材料は似たようなもんを村から買い集めて、参拝客さんぱいきゃくに売ってるんだ。むらじゃ食べ残しがぜにに変わるってんで結構なことだと思ってるよ。煮詰につめて酒気しゅきも飛ばしてあるから、桃花精とうかせいも喜んでいるようだ。これもじいさんたちの夢に出てそう言っていたっていうから間違いないよ。売るときにちゃんと木に撒いてやるように言ってるんだから、だれもうっかり口にしないで済むだろ。誰もそんはしてないんだから、文句を言われる筋合いはない。仮に偽酒にせざけだと知れたところで、売っているのは余所者よそものなんだから、おれたちのむらのせいじゃねえしな。勝手に酒を持ってきてくやつは、あいつに注意させるからおれも仕事が楽で助かる」


元より話し好きなのか。ご神木しんぼくいわれでぜにをとるつもりにしては、ずいぶん親切に教えてくれる。

ただで聞くのは悪い気すらしてくる。


「この村では、桃花精とうかせいが夢に出るのはよくあることか?」

「よくあるとも。良いことを聞いてくれた。くと言えばね、この木は年に何度か、油粕あぶらかすをくれとか、米のとぎ汁をくれとかも言うんだよ。おれが言われたわけじゃないが、誰かがそう言われたら、その通りにしてやることになってるんだ。うちのむらではね」


こやしを自ら所望する神木しんぼくとは、ありがたみもなにもあったもんじゃない。

「そのご神木しんぼくは、少々ばかりぞくっぽくはないかね?」

「そう見えるかもしれないが、本当にご利益りやくがあるんだ。たまにね、嵐が来るから早めに刈り入れろだとか、今年は虫が出るから今のうちに探して全部潰しておけとか、あそこの稲が病気だから感染うつる前に抜いたほうがいいとか、今年の気候はよくないから、作付けの半分は麦と豆にしろとか、あの畑に何をくれてやれとか、そういうことをね。教えてくれるんだよ。年に幾度かぐらいだが」


勝手ばかりではないということだろうか。人と関わるにしては、差し出がましすぎるようにも思うが。

あいつの場合は人どもにずいぶん世話になっているようだから、持ちつ持たれつのつもりなのかもしれない。


「面白い話だった。ありがとう」

銭を三枚ばかり渡すと、男は、わっと驚いた顔をした。

「こんな話でこんなにいいのかい。悪いね。そしたらあの木がご神木しんぼくになったいわれも教えてやるよ」

「ああ、いや、それは」


聞かない方がいいような、どんなおかしな話になっているのか知らないでいるのも不穏ふおんなような、座りの悪い気持ちで断わりかけたが、ふとびょうを見ると、呼び込みの男と話しているうちに、酒醸あまざけ売りがいなくなっていることに気が付いた。

びょうからそっと抜け出して裏山に入っていく様子が見えたが、木のまばらな禿山はげやまなので丸見えだ。

ちらちらとこちらを振り返りながら山を上っていく様は、いかにもこそこそ逃げ隠れしているという様子である。


呼び込みの男はその様子を見て、なんだあいつ、なにをやっているんだ、と言った。


いかなる次第で逃げるのかはわからないが、俺の他はせんだってより居た者たちだけなので、おそらく俺を見て逃げ出したのだろう。

面識めんしきのないはずの相手に逃げられるとは妙だが、ひと一人、追おうと思えばいつでも追える。

然程さほど気にしなくても良かろうとは思うが、気にかからぬと言えば嘘になった。

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志怪小説 ニ羽 鴻輔 にわこうすけ @K_Niwa

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