昔ながらの和布団

増田朋美

昔ながらの和布団

昔ながらの和布団

今日は、幾分涼しくて、若干過ごしやすい日でもあった。空は曇っていて、一寸雨が降ったり止んだりしていたが、あの暑い夏の日に比べたら、ちょっと、体を動かすこともできるようになってきたような気がする。

そんな中、杉ちゃんたちは、相変わらず、製鉄所で水穂さんの世話を続けていた。最近水穂さんが背中などが痛いと頻繁に口にするので、花村さんと二人かかりで着物をほどいてみると、一寸ばかりブツブツのようなものがあった。

「はあ、あせもかなあ。今年の夏は暑かったし、一寸じくじくして大変だったもんな。」

と、杉ちゃんがいうと、

「多分、床ずれというのだと思います。私も経験あるからわかりますけど、長く寝ているとどうしてもそうなっちゃうんですよね。」

花村さんは、そう言葉を返した。

「なるほど、床ずれか。そうなると僕たちはどうしたらいいのかな。」

「まあ、こうなるのは、しょうがないことですから、頻繁に体の向きを変えてやることと、そうなりにくい布団で寝かせてやるしかないでしょう。」

杉ちゃんの言葉に、花村さんは、水穂さんの着物を元通りにしてやりながら、そういうことを言った。

「そうなりにくいっていうとどうしたらいいの?」

杉ちゃんがまた聞くと、花村さんは少しかんがえて、

「お年寄りのように、ケアマネージャーがついてどうのこうのというわけではありません。其れなら、僕たちで買ってくるだけしかないんじゃありませんか。」

と言った。杉ちゃんは、よし、かわいそうだからすぐに買いに行こうと支度を始めた。

「もう、本当に思い立ったらすぐ行動するんですね、杉ちゃんは。多分、床ずれ対策をとった布団と言いますと、私たちは介護保険があるわけでもないし、病院にいるわけでもないので、一寸お高い

と思いますが、とりあえず布団屋さんに行ってみますか。」

と、花村さんは、水穂さんの体を布団にもどしてやりながら、そういうことを言った。水穂さんが、ごめんなさいと言って、静かに敷布団に横になった。

「仕方ありませんよ、長時間仰向けに寝ていたわけですから、床ずれは宿命みたいなものです。それは誰でもそうなりますから、謝らないでください。」

花村さんは、そういうことを言って、水穂さんにかけ布団をかけてやった。敷布団に触ってみると、かなり硬い布団であり、何回も発作を起しているせいか、ところどころに赤いしみがついていた。

「まあ、かなり汚れているから、ちょうどいい。布団屋に行って、新しい布団を買おう。」

杉ちゃんは、すぐに車いすを動かし始めた。花村さんも、じゃあちょっと行ってきますと言って、部屋を出ていった。水穂さんが申し訳ないと言っているのが聞こえるが、花村さんは、そんな事言わなくていいですよ、と優しく言って、杉ちゃんの後に続いた。

「布団屋は、確か吉原の方だったよな?」

乗っている車いす用タクシーの中で、杉ちゃんが運転手に聞いた。

「ええ、吉原駅からは少し離れるんですが、たぶん遠藤布団店が、この辺りでは一番大きな布団屋だと思いますよ。あそこは、100年近く立地している老舗の布団屋ですから、介護用の布団だってちゃんと売っていると思いますよ。」

運転手は自信たっぷりに答える。

「結構有名な店なんですね。」

花村さんが言うと、運転手は、

「有名ですよ。確か、同僚が寝たきりのお母さんを介護するときにそこで布団を買ったと言ってました。よく話を聞いてくれて好評です。」

と答えたのであった。

「えーと、この角を曲がって、すぐのところにありますからね。遠藤布団店。」

運転手が大きな欅の木が植えられた道を曲がると、遠藤布団店という大規模な看板のある建物が見えてきた。

「ここです。」

と、運転手は、タクシーを布団店の前で止める。そして、慣れた手つきで杉ちゃんを手早く下ろした。

「ありがとうございます。」

花村さんは運転手にお金を支払った。

「帰りも乗せていただきたいのですが?」

「ええ、わかりました。其れならその領収書に電話番号がありますので、そちらに連絡をいただければ、お迎えに伺います。」

「了解です。じゃあ、お電話しますのでよろしく。」

花村さんと運転手がそんな言葉を交している間にも、杉ちゃんのほうは、どんどん店の中に入ってしまうのであった。花村さんがタクシーを出て、軽く一礼して店に入ると、杉ちゃんのほうはもう店の中に置いてある商品を、しげしげと眺めていた。

「おい、床ずれのしにくい布団というモノはないかな?あまり硬すぎない、敷き布団でさ。」

布団屋の店主は、杉ちゃんを見てちょっと驚いたような感じであった。

「はあ、介護関係ですか?それなら、ケアマネさんと一緒に来てもらわないと、補助金の問題もありますな。」

取りあえず、店主は用意してあるセリフをいう。

「誰かご家族で、介護の必要な高齢者でもいらっしゃるのでしょうか?」

「いや、そういうわけじゃないだけどね。僕の親友が使いたいというので。まあ、介護保険には該当しないけどさ、金はちゃんと払うから、教えて頂戴よ。」

「はあ、わかりました。」

と店主さんは、壱枚のマットレスを杉ちゃんに見せた。

「これが介護用のベッドに敷くマットレスになりますが?お値段は、五万円です。」

確かにそんな値段を言われるようでは、高価と言えなくもない。本当は、介護保険がおりて、数千円で入手できる代物なのだろうなと思われる。

「まあ、仕方がありませんね。私と杉ちゃんで折半で払いますから、それでどうでしょうか。水穂さんのためですもの。ちゃんとしたものを買った方が良いでしょう。」

と、花村さんが、そういって、財布から、一万円札を取り出した。二人ともクレジットカードを持っていなかったので、現金で払うしかないのだった。

「だけど、帰りのタクシー代もありますし、、、。」

そこで花村さんは少しお金を出すのを躊躇した。それにしても、五万円というのは大変な大金である。

「なんか、もうちょっと、いいものないかなあ。五万なんか出さなくても、床ずれしにくいもの。」

と言って、杉ちゃんは、店の中全体を見渡す。そして、また何かひらめいたらしく、そうだ!とでかい声で言った。

「江戸時代の養生所では、布団に寝ていたよね。」

花村さんがそうだっけと考えていると、杉ちゃんが店の一番隅に置いてある一枚の布団を指さした。

「おい、この布団はいくらで買えるんだ?」

それは、ほかの布団よりも若干サイズが小さいように見えるが、十分に厚みがある、ふわふわした敷き布団であった。でも長らく買い手がいないのか、一寸、色が褪せているようにも見えるけど。

「ああ、これですか。これは昔ながらの日本独自の布団ですよ。いわゆる和布団と言われている、江戸時代からの伝統的な作り方で作ってある、真綿を使用した布団です。ただね、人気がなくて、ここに長らく置きっぱなしになってますが。その代わり、真綿布団なので、アレルギーの人でも使えるという長所もあるんですけど、なかなかそれが見いだされることはありませんね、今のひとは。」

と、店主が言うと杉ちゃんは、

「じゃあ、人気がない方をくれ。」

と即答した。店主さんも、これはどうせ売れないので、持って行ってくれと思ったらしく、

「はいわかりました。じゃあ、こちらのお布団は、一万円で結構ですから。」

と言って、さっそく布団を大きなビニール袋に入れ始めた。花村さんが、ありがとうございますと言って、一万円を店主さんに支払う。

「どうもありがとうな。布団を買うことができて良かったよ。なんでも新しいものであればいいというけど、そういうわけでもないよねえ。」

と、杉ちゃんは、にこやかに笑って、そのさまを眺めていた。店主さんもやっとこれが売れて良かったなあという顔をして、布団の包みを花村さんに渡し、領収書を書いた。

「ありがとうございます。水穂さん喜ぶぞ。」

「そうですね。よく眠れるんじゃないですか。」

二人は、うれしそうな顔をして、布団屋さんにお礼を言った。そして花村さんの用意したタクシーで、製鉄所に帰っていった。布団屋の店主は、やっとこの場所取りのような売れない布団が、やっと売れたよ、というありがたそうな顔をして、二人を見送った。

「行ってきましたよ。水穂さん。昔ながらの、真綿布団が売ってましたので、買ってまいりました。」

製鉄所に戻ってきた杉ちゃんと花村さんは、すぐに四畳半へ直行した。水穂さんは、布団の上によろよろしながら起き上がって、布団のわきに座った。そして、

「ど、どうもありがとうございます。」

座礼をしてお礼したが、ビニール袋の中に入った、昔ながらの布団を見ると、

「こ、こんな高級な布団、使うことなんかとてもできませんよ。」

と、申し訳なさそうに言った。

「何を言ってるんだ。店主さんも人気がないからどうぞってすぐ売ってくれたよ。喜んで使ってちょうだいよ。」

杉ちゃんはいつも通りカラカラ笑ってそういうことを言うのであるが、

「よしてください。だってこれは、職人が作った、超高級なものですよね。そんなもの、僕が使う資格はありません。ただのせんべい布団一枚で十分です。」

水穂さんは、ひどく恐縮したような様子で、そういうことを言った。

「資格ないとか言わなくていいの。今は、誰でも高級なものを使ってもいい時代になったよ。別にお前さんの出身地区とか、尋問する奴はどこにもいないんだから、普通に使っちゃえ。」

杉ちゃんは、そういうことを言ったが、水穂さんはまだ申し訳ないと思っているようだ。その間に、花村さんは、手早く古い布団をどかして、新しい布団を敷いてやった。

「ほらどうぞ。使ってもらわないと、この布団は、一生浮かばれなくなりますよ。」

花村さんに言われて、水穂さんは、布団の上に座った。確かに、柔らかくてふわふわしているが、その割にしっかりしている布団で、いかにも高級な身分のひとが使いそうなものだ。かえって介護用に工夫された布団よりも、ずっと良いかもしれない。花村さんに促されて、水穂さんは、布団の上に横になるが、大変寝心地が良かったのか、大きくはあとため息をついた。

「どうだ、素直に喜べばいいんだよ。もうお前さんのことを、えったぼしのくせにそんな布団でなんていうやつはここにはおらんから、気にしないで使ってくれ。そのほうが、店の隅っこに置かれるよりずっといい。」

花村さんがかけ布団をかけてやると、杉ちゃんは言った。

「いやあ、お前さんが気にしすぎなの。少なくとも、僕たちは、お前さんのことを、えったぼしと言って馬鹿にすることは絶対にしないから大丈夫。誰かが監視しているわけでもない。新しい布団で思いっきり寝てくれ。」

「そうですよ。それに、自分の身分の事ばかり気にして、私たちの気持ちを無視しないでください。」

二人が相次いでそういうと、水穂さんはそうですが、と小さい声で言った。杉ちゃんは、もう一度でかい声でそんなこと今は気にせんよ、と言い聞かせたのであった。

其れから数日後のことである。

いつも通り、杉ちゃんと花村さんが、水穂さんにご飯を食べさせたり、憚りするのを手伝ったり、そんな手伝いをしていると、

「あの、杉ちゃんと花村さんにどうしても会いたいと言っている人が来ているんですが。」

製鉄所の利用者が、杉ちゃんたちに言った。

「はあ、誰だよ?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、なんでも、有森五郎さんという方なんですが、一寸しゃべり方がおかしいのです。」

と、利用者は答えた。はあ、何だろうと杉ちゃんが、利用者と一緒に、玄関先へ行ってみる。すると

、玄関の扉の前には、一人の若い男性が立っていた。まだ、学生からようやく卒業したばかり位の年齢で、一寸あどけなさも残る、社会人一年生というようなところだろうかと思われる。

「は、初めまして。ぼ、僕は有森五郎と申します。職業は、布団職人をしております。」

彼はそういって自己紹介したが、確かに変なところを強く読むなど、イントネーションがどこか違っていた。

「はあ、ずいぶんへんてこな方言だな。お前さんはどこの出身だ?」

と、杉ちゃんが首をひねってそういうと、五郎と名乗った男性は、

「い、茨城の水戸の生まれです。」

といった。

「ああ、なるほどね。それでおかしな発音になってるわけね。で、今日は、僕たちに何の用があって、ここへ来たんだよ。」

杉ちゃんがまた聞くと、

「は、はい。ぼ、僕が、初めて、作った、布団を、買ってくれたのが、影山杉三さんと、花村義久さんという方だったのだそうで、どうしてもお礼がしたくて、こちらに来させてもらいました。ほ、ほんと、ほんとに、ありがとうございました。」

五郎さんは、丁寧に頭を下げた。つまるところ、先日買ってきた布団をつくったのが、この五郎さんということだ。それを、購入したのが杉ちゃんたちで、五郎さんは、そのお礼にやってきたのである。

「そうなのね。買ったのは僕だけど、布団の持ち主は、水穂さんだ。お礼をするなら、水穂さんに言ってくれ。さ、上がんな、あがんな。」

と、杉ちゃんは、彼を建物の中に入らせて、一緒に四畳半に連れて行った。杉ちゃんのやくざの親分みたいなしゃべり方に、五郎さんはちょっとびっくりしたようであるが、杉ちゃんの後についてきた。

「おい、この人が、お前さんの布団の作者だとよ。何でも、買ってくれてお礼がしたいんだって。茨城の水戸の生まれらしい。ずいぶん、遠くから来たもんだな。まあ、お礼がしたいっていうから、その通りにさせてやろう。」

と、杉ちゃんは、そういって四畳半に入った。水穂さんは、一寸こわごわした顔をしていたが、花村さんに促されて、布団の上に座った。杉ちゃんが、手短に、水穂さんと花村さんの名前を紹介した。五郎さんは、水穂さんと顔を合わせると、ずいぶん驚いたような顔をして、しばらく何も言えなかった。

「あの、どうしたんですか?水穂さん、長時間座ることはできないので、ご用件を言ってくださりませんと。」

と、花村さんが言うと、五郎さんは、

「あ、あ、ああ、ああ、す、す、すみません。と、とても、とても、美しい方だったので、驚いてしまいました。」

と、一生懸命言葉を口にした。すると、花村さんが、

「あなた、茨城の水戸の生まれではありませんね、茨城の水戸の方言では、そのような発音はしませんよ。それを言うのなら、強度の吃音者でしょう。」

と指摘した。五郎さんは、それがばれてしまったとすっかり意気をなくして、頭を垂れてしまった。

「いいえ、そういうことを言っているのではありません。ただ、経歴を詐称するのは、いけないと言っているんです。」

花村さんの言葉自体はきつかったが、口調は優しかった。それは決して、五郎さんをとがめているわけではないのだが、五郎さんは、それがとても心に突き刺さってしまったらしい。涙をこぼして泣き出してしまった。それを水穂さんが、心配そうというか、特殊な目つきで見ている。

「花村さん、お邪魔虫は消えようぜ。ちょっと、二人だけにしてあげよう。」

と、杉ちゃんが言いだしたので、花村さんは、ああそうですねと言って、杉ちゃんと二人で、四畳半を出て言った。でもその時の目は、とろけそうに優しかった。五郎さんは、水穂さんと二人だけに

なると、改めて座礼して、

「す、すみません。僕、つ、作った、布団を、買ってくれた人が、どんな、人なのか、知りたかっただけなんです。ほんとに、それだけなんです。何も、あなたのことを、バカにするとか、人に言いふらすとか、そんな、つもりは、滅相もありません。ほんとです。ただ、作った布団を、買ってくれた人が、どんな、人だったかみたかった、だけで。」

「ええ、わかっていますよ。」

と水穂さんは言った。

「そんな気持ちがあるわけじゃないのは、ちゃんとわかります。吃音者であっても、茨城の水戸の生まれだと詐称して、生きていかなければならないのもわかります。僕も、そうですから。」

水穂さんは、静かに五郎さんに言った。

「だから、五郎さんも、自分を大切に生きて行ってください。」

五郎さんは、水穂さんにそういわれて、何か気が付いてくれたようだ。布団職人という和の文化に頼って生きている彼は、水穂さんの着ている着物をしげしげと眺めていた。

「だ、黙っています。ぼ、僕は、水穂さんが、目専の身分であったことは、誰にも言いません。」

水穂さんは、一言、ありがとうとだけ言った。そして、もう疲れてしまったのか、せき込んでしまった。急いでチリ紙をとって、口もとを拭いている彼に、

「水穂さんも、ご自身を、大切にしてくれますか。いくら、低い身分の人間だって、自分というものは、ちゃんとあるんですから。」

と、五郎さんは、静かに言った。そんな言葉を彼が口にするなんて、ずいぶん意外なことであるが、水穂さんは、そういうことはできないと首を強く振る。

「いいえ、だって、花村さんたちが、水穂さんに、僕の作った布団を買ってくれたんじゃありませんか。それくらいのことが、できるんですから、けっして水穂さんは、悪人じゃ、ありませんよ。その中に、僕の、作った、布団が、登場してくれるなんて、これほど、名誉なことはありません。」

発音も不明瞭だったし、イントネーションも正確ではないので、五郎さんの発言は理解の難しいものになってしまうのだが、水穂さんは、せき込みながら、小さく頷いた。

「つきましては、まず、お体を大切になさってください。本当に、僕が、作った、布団を買って、くださって、ありがとうございました。だ、大丈夫ですよ。医療だって、ちゃんとあります。僕みたいな、一生付きまとわれるものでも、ないと、思います。」

五郎さんは、不明瞭な発音の中、水穂さんに言った。

「ありがとう。」

水穂さんは、本当のことを言いたかったが、五郎さんの間違いを、訂正しないほうが良いとおもって、それは訂正しないで置いた。

空は、いつの間にか青空に代わっている。雨が降ったり止んだりの天気も変わり、今は穏やかな晴れになってきていると思われた。







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昔ながらの和布団 増田朋美 @masubuchi4996

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