ひらがな一文字分くらいの感情

たにがわ けい

ひらがな一文字分くらいの感情




「最後の一冊っ!」

 ボクは床に開かれた本を本棚に置く。

「キレイ!」

 足の踏み場も無かったマイルームは見違えて綺麗になった。


 洗面所へ行き、髪をスウーッとく。ニヤリと笑って部屋へ走り、ボクは、ボクの正装とお気にのポーチを華麗に身に着ける。

「すんごいキレイ! こんなに広くなって!」

 ボクは、ハハハ、と笑いながら部屋を出た。そのままダダダと走って玄関へ。ボロボロの靴は準備しておいた場所で、ボクを待っていてくれていた。


「グッバイマイン!」

 ボクは家を飛び出し、走る。

「耳が涼しい!」


 最寄りの小さな駅から電車に乗るんだ。あの駅への切符を買う。


 電車に揺られる少しの時間も煩わしい。周囲の冷たい視線の針をバキバキと折りながら時間を回す。


 何やってるんだお前、って。そんなの今はもうここに無い、ただの空気の振動だ。でっかい奴がボクを捕まえようったって無駄なんだ。食らった全ての攻撃は全部家に置いてきた。スマートフォンだって、今日だけはいらない。


 ボクはドアが開くのに合わせて駆け出す。改札の向こう、赤い服のあの子が待っていた。


「やっ!」

「よっ!」


 軽快に挨拶を飛ばして、何度も両手でハイタッチする。


「行こう!」

「うん!」


 君の誘いにボクは大きく返事をして、二人で一緒に駆け出した。行く場所はもう決まってる。



  *  *  *



「大丈夫?」

「ちょっと疲れた」


 ボクは脚にまとわりつく布をパタパタした。地面の草たちが風でフラフラとリズムをとる。

「鳥にでもなった気分だな」

 鳥。そうかもしれない。


 ボクたちは山の野原に寝っ転がり、そしてそのまま転がり始めた。手を上に伸ばしてゴロゴロと何度も回転し、仰向けとうつ伏せを繰り返して服を汚した。


 風がある日で良かった。風が無ければどうにもこうはならなかった気がする。


「叫ぶ?」

 キミが尋ねてきた。

「叫ぼう」

「アハハ。ワナビー?」

「もち」


 ボクたちは街を斜めに見下ろして立つ。周囲は美しい草原。二人で顔を見合わせた。


「よく見ると随分変な格好だね」

 ボクは言った。

「変ってことは無いだろ……」

「ごめんって、嘘。イカしてると思うぜぇ?」

「ハハッ、そっちこそ変な喋り方」


「分かんなくなってきたね」

「これで良いんじゃない?」


「取り敢えず……」

 二人は目でタイミングを合わせて、今まで見てきた全てに対して叫んだ。



「「ワナビーーーーーッ!!!!!」」



 高低混ざった声が響く。どこまで聞こえたんだろう。どこにも届かなくて良い。こっちから願い下げだ。そしてキミがこちらを向いて笑う。ボクも笑った。


「ワナビー、ユー?」


 無邪気にボクにそんなことを問いかけるキミはとっても可愛くて格好いい。


「いや、ミー、かな」

「確かに、そうだな」


 発散するほどプラスの感情を、ボクは胸に抱く。自分で選んだ白い服を両手で撫でる。草や土で残念な感じだ。


「さ、帰りますか」

「そうだな」


 ボクたちはもう大丈夫。どんな遠い場所に行くよりも、遥かに遠くまで飛んでいけた。そういう類の、普通の人。



 誰か伝えて欲しい。


 私は愛情を受け取ってもいい。二つの間に挟まれて千切られても、その者同士で踊りあって飛び出して。お前らが突きつけてくる物を捨てるのなんて簡単なんだって。殺してきた心は何度でも戻って来るんだって。


 ボクは長い髪が風になびくのを押さえる。そしてボクはキミに問いかける。



「私とまた会ってくれる?」



「俺が何時いつでも会ってやんよ」


「やっぱり可愛いねキミ」


「嫌な気はしないな」



「また何処どこかで会いましょう」



 こんな話は、ひらがな一文字分くらいの事しか表せないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひらがな一文字分くらいの感情 たにがわ けい @kei_tani111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ